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5-8 建速勇人(3)
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日が落ちてから、小夜の陣中に楠木正成が訪ねてきた。今度はわずかな伴も連れず一人だ。
「昼間は、実に見事な戦ぶりでございました。陸奥守様」
正成が頭を下げた。小夜は周りにいる人間を自分と和政以外下がらせる。
「あそこまで大きく勝てたのは正成さんのおかげだよ。尊氏さんの率いる軍勢は私が想像していた以上に強かった。私だけじゃ泥みたいな戦が長く続いたと思う。それに、まだ勝った訳じゃないし」
「足利兄弟を討たねば、宮方に勝利はあり得ませぬ。この先正成は、出来得る限り陸奥守様の手足となって働きましょう」
小夜を見る正成はどこまでも穏やかで優しく、しかし強い感情には欠けているような顔だった。親房と同じ、何かを諦めてしまっている人間に見える。
それから正成は、勇人に目をやった。わずかに探りを入れるような気配を感じ、勇人は気圧されるような気分になった。
「昼にもお会いしましたが、挨拶する暇もありませんでしたな。楠木正成と申します」
「建速勇人です」
「あらためて思い出そうとしても、陸奥の武士の氏族の中には思い出せぬ姓でございますな。素戔嗚神社に所縁の方かな」
「いえ、私は」
「勇人は、六百年先の世から来たんだよ。おとぎ話みたいな話だけど、嘘じゃない」
どう返答すべきか迷っていると、あっさりと小夜が先に答えていた。さすがに正成は驚いたのか、ほとんど動かなかった表情に揺らぎが出る。
「何と、六百年先とは。この正成ももう五十近くになりますが、そのような御仁と会ったのは初めてでございますな。万葉集には三年ほどと思って海の底で過ごしていれば思わぬほどの年月が経っていた歌がございましたが」
「良かったら、正成さんも少し勇人と話してみるといいよ」
小夜はそう言って正成に床几を勧める。話せと言われても、と思ったが、正成は小さく頷くと、またほとんど動かない表情に戻り、あちらから勇人にあれこれ尋ねてきた。決して熱さはなく、それでも無関心な印象を抱かせる事も無く、ただ驚くほどの明晰な言葉を重ねて六百年先のこの国の在り様を勇人から引き出して来る。小夜も親房も自分の話に対して驚くような理解力を見せていたが、正成はそれとはまた別の物のような気がした。
「なるほど」
ひとしきり話を聞いた後で正成は頷いた。
「六百年先のこの国はとにもかくにも平和ではあるのですな。それは良かった」
「戦が無い、と言う意味では確かに」
「この正成も五度六度、あるいは七度ほども生まれれば、勇人殿の生まれられたような世で生きる事が出来るやもしれませぬな」
「まるで、今はこの乱世を収める事は出来ない、と見切ってしまっておられるような物言いですね」
「いささか、長く多く戦い、殺し過ぎましたが故。今生で平和を謳歌しようなどと言うのは、贅沢と言う物でしょう」
「でしたら、何のために戦われるのです?」
疑問は自然と口を衝いていた。それから親房に言われた事を思い出し、ちらと小夜の方を伺ったが、彼女は何も言わず、自分と正成のやり取りを聞いている。
「正成はただの主上の臣でございますよ」
正成は静かに首を振って答えた。その声と目には勇人でも分かるほどに虚しさと哀しさが宿っている。それは自分がこの先の未来を知っていると言う程度の事では、どうにも出来なさそうな物だった。
「大塔宮の事だけど」
勇人と正成の会話が途切れた所で、小夜が口を開いた。正成が静かにそちらを見る。やはり表に出る表情の揺らぎはわずかな物だ。
「ううん、大塔宮と帝の事だね」
「それは」
「私は、何も聞かないよ。二人の間に何があって、正成さんは何を知っているのか、何も聞かない。話せる事なら当に正成さんが話してくれてるだろうし、もし私が知らなくちゃいけない事ならいずれ必ずお父さんが調べ上げて伝えてくれる、って信じているから」
「畏れ入れます」
わずかな間、目を閉じ、それから正成はまた小さく頭を下げた。
「ただ、今は一緒に大塔宮の死を悼みたいとだけ思ってる。どこまで今の私と正成さんが重なっているのか分からないけど、あの人の死を悼む気持ちだけは同じだって信じているから」
「では、それがしらはこれで」
今まで黙っていた和政が口を開き、席を外そうとした。勝手に僕まで巻き込むな、と勇人は思ったが、小夜が首を振ってその和政を留める。
「和政も、出来れば勇人も、良ければいて欲しいかな。一度も会った事も無かった人間の死を一緒に悼んで欲しいって言われても、勇人は困るとは思うけど」
小夜が物悲しげな顔で言った。小夜と正成との間の時間を、少しでも多くの人間に憶えておいてもらいたいのだろう、と勇人は思った。
「昼間は、実に見事な戦ぶりでございました。陸奥守様」
正成が頭を下げた。小夜は周りにいる人間を自分と和政以外下がらせる。
「あそこまで大きく勝てたのは正成さんのおかげだよ。尊氏さんの率いる軍勢は私が想像していた以上に強かった。私だけじゃ泥みたいな戦が長く続いたと思う。それに、まだ勝った訳じゃないし」
「足利兄弟を討たねば、宮方に勝利はあり得ませぬ。この先正成は、出来得る限り陸奥守様の手足となって働きましょう」
小夜を見る正成はどこまでも穏やかで優しく、しかし強い感情には欠けているような顔だった。親房と同じ、何かを諦めてしまっている人間に見える。
それから正成は、勇人に目をやった。わずかに探りを入れるような気配を感じ、勇人は気圧されるような気分になった。
「昼にもお会いしましたが、挨拶する暇もありませんでしたな。楠木正成と申します」
「建速勇人です」
「あらためて思い出そうとしても、陸奥の武士の氏族の中には思い出せぬ姓でございますな。素戔嗚神社に所縁の方かな」
「いえ、私は」
「勇人は、六百年先の世から来たんだよ。おとぎ話みたいな話だけど、嘘じゃない」
どう返答すべきか迷っていると、あっさりと小夜が先に答えていた。さすがに正成は驚いたのか、ほとんど動かなかった表情に揺らぎが出る。
「何と、六百年先とは。この正成ももう五十近くになりますが、そのような御仁と会ったのは初めてでございますな。万葉集には三年ほどと思って海の底で過ごしていれば思わぬほどの年月が経っていた歌がございましたが」
「良かったら、正成さんも少し勇人と話してみるといいよ」
小夜はそう言って正成に床几を勧める。話せと言われても、と思ったが、正成は小さく頷くと、またほとんど動かない表情に戻り、あちらから勇人にあれこれ尋ねてきた。決して熱さはなく、それでも無関心な印象を抱かせる事も無く、ただ驚くほどの明晰な言葉を重ねて六百年先のこの国の在り様を勇人から引き出して来る。小夜も親房も自分の話に対して驚くような理解力を見せていたが、正成はそれとはまた別の物のような気がした。
「なるほど」
ひとしきり話を聞いた後で正成は頷いた。
「六百年先のこの国はとにもかくにも平和ではあるのですな。それは良かった」
「戦が無い、と言う意味では確かに」
「この正成も五度六度、あるいは七度ほども生まれれば、勇人殿の生まれられたような世で生きる事が出来るやもしれませぬな」
「まるで、今はこの乱世を収める事は出来ない、と見切ってしまっておられるような物言いですね」
「いささか、長く多く戦い、殺し過ぎましたが故。今生で平和を謳歌しようなどと言うのは、贅沢と言う物でしょう」
「でしたら、何のために戦われるのです?」
疑問は自然と口を衝いていた。それから親房に言われた事を思い出し、ちらと小夜の方を伺ったが、彼女は何も言わず、自分と正成のやり取りを聞いている。
「正成はただの主上の臣でございますよ」
正成は静かに首を振って答えた。その声と目には勇人でも分かるほどに虚しさと哀しさが宿っている。それは自分がこの先の未来を知っていると言う程度の事では、どうにも出来なさそうな物だった。
「大塔宮の事だけど」
勇人と正成の会話が途切れた所で、小夜が口を開いた。正成が静かにそちらを見る。やはり表に出る表情の揺らぎはわずかな物だ。
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「それは」
「私は、何も聞かないよ。二人の間に何があって、正成さんは何を知っているのか、何も聞かない。話せる事なら当に正成さんが話してくれてるだろうし、もし私が知らなくちゃいけない事ならいずれ必ずお父さんが調べ上げて伝えてくれる、って信じているから」
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