時の果ての朝~異説太平記~

マット岸田

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5-9 足利直義

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 馬が揺れる度に、背中が痛んだ。
 兵達の手前、どうにか顔に出す事は堪えていたが、下知のために声を出すのも辛い有様で、直義は少し戦場に出て来た事を後悔し始めていた。
 実際の所、昨日の戦で受けた傷は後わずかな所で命を落としていてもおかしくはないほどの物で、尊氏や師直も出陣を止めたのだ。
 背後から放たれた礫は直義の太刀に当たり、その柄を砕くと跳ね返って具足越しに背を打っていた。それでも具足をへこませるほどの衝撃だった。
 戦場で礫を受けたのは初めての事だった。悪党と呼ばれる野伏と区別が付かないような戦い方をするような下賤な武士達はさておき、坂東の地で生まれ育った本当の武士はそんな戦い方はしない。
 礫を受けた旗本達の多くは落馬した後で首を取られていた。後ろから凄まじい勢いで自分を一直線に目指して追って来たあの二人の武者の恐怖は直義の中では今だに消えていない。この傷でまた同じように追われれば、次は逃げ切れずに死ぬかもしれない、と言う思いもある。
 それでも戦場に出て来たのは、自分がこの戦いでさほど役に立てていない、いや、それどころか足を引っ張っているという負い目があったからだった。

「傷が痛みますかな、直義殿」

 高師直が馬を寄せて来た。足利家に代々執事として仕える男で、配下の中ではずば抜けて戦が上手い。また一見粗野なように見えて様々な所で細かい気が利き、視野も広かった。足りないのは家柄だけで、口には出さないが兄と自分に次ぐ足利の三本目の柱だ、と直義は思っている。
 互いに気心が知れた中で、時に師直は砕けた様子で自分や兄に接してくる。

「多少はな。しかしそうも言っていられまい」

「新田義貞を打ち破り京に向かって昇ってくる時は、ここでここまで苦戦するとは思っていませんでしたな。まさか陸奥守があそこまでの速さで遠征してくるとは」

「しかも斯波家長殿を振り切りながらだ」

「正直言って多賀国府を出た奥州軍が家長殿を振り切り、白河を抜けたと言う報を受けた時は家長殿を侮った物です。足止めすら出来なかったのか、と。しかし実際にぶつかってみればなるほど容易ならぬ相手でしたな。全くあれが今だ二十にもならぬ公家とは、信じがたいものです」

「そうか、師直に取っても陸奥守はそれほどの相手か」

 それを聞き、直義はどこかほっとする思いがした。陸奥守の軍勢が理解しがたい、抗しがたい物のように感じられるのは、単に自分に戦下手だからなのではないか、と思っていたのだ。
 足利軍は京から押し出されるように後退し、戦場は賀茂河原から二条河原へと移っている。未だ兵の数では負けてはいないが、直義の目から見ても足利軍の勢いは衰えていた。

「ここから勝てるか?師直」

「そのような弱気では困りますぞ、と言いたい所ですが、正直申せば怪しい物ですな」

「本音を言えばだ」

「はい」

「何をした所でもう勝てないのではないか、と思い始めている。他はさておき陸奥守と楠木正成の二人は格が違い過ぎる。しかもそれが巧みに連携してくる。お前だろうと兄上だろうと、あの二人が同時に戦場にいる限り勝てる気がせん」

「まあ思わぬ幸運でも起きて勝てれば儲け物、と言う所でしょう。負けた時の備えをしながら、気楽に戦おうではありませんか、ここは」

「退く備えは、出来ている」

「存じております。そちらの方は、後はそれがしがどうにかしますので、直義殿には、大殿の事をお願い致します」

「兄上を?」

「負ければいつもの気まぐれで、ここで腹を召す、などと言われかねませんからな」

 あり得そうな事だった。

「それと、ご自身の身の事を。大殿と直義殿さえ生き延びられれば、後はどうにでもなるでしょうからな」

「それは、分かっている。しかし、生き延びる事だけ考えて戦場に立っていていいのか、と言う気もする」

「命を捨てる覚悟で雄々しく戦う事も戦なら、無様に生き延びる事だけを目指すのもまた戦ですぞ。優れた将はその辺りの機微も心得ねばなりませぬ」

「頭では分かっているのだがな」

 兄と比べて華やかに戦えない事に引け目を感じているのを、見抜かれているようだった。
かと言って、今更腹も立たない。苦笑するような気分があるだけだ。兄や師直相手に自分の弱みを晒すのを、恥とは思わなかった。
 師直が自分の陣へと戻って行く。兄とも語りたかったが、もうその時間は無さそうだった。開戦を知らせる法螺貝が吹かれ、両軍が前進し出す。
 直義と兄が指揮する本隊、師直がまとめて率いる外様の武士達、それと一門である上杉憲房を中心にした足利の親類衆の、三つに分けた軍の構えは変わっていない。
 敵は相変わらず新田義貞が遮二無二突っ込んでくる。自分の譜代の武士達を果敢に戦わせて来る義貞に対して、師直は外様の武士達を上手く使ってその攻撃を凌いでいた。一歩間違えれば死に兵を使っていると言う悪評が立ちかねない戦い方だが、師直はその辺りの繕い方も巧みだ。
 ただ、そんな風に消耗を避けるだけでは敵の勢いに耐え切れなくなり、どこかで堰を切るように崩れかねない。そしてそんな風な崩れは兵の質に関係なく全軍に及ぶ事もある。
 奥州軍が、そして楠木勢が整然と動き始めた。奥州軍の結城宗広と伊達行朝と言う名の知れた二人の武将が獣の爪のように左右から巧みに襲い掛かってくる。そして中心の陸奥守自身の率いる軍勢はそれよりもさらに鋭い牙だった。前の戦と同じように、その牙はやはり自分を向いているように思える。
 自分が足利軍の弱みと見られている、と言う事から来る屈辱を、直義はどうにか抑え込み、自分の中から追い出した。
 風林火山の旗を掲げる陸奥守麾下の軍勢。陸奥守自身がまるで先鋒の様に自身の旗本達と共に突っ込んでくる。同じ突撃なのに、どうしてだがその動きは義貞よりも遥かに洗練されて見えた。そしてその旗本達のさらに先頭にいる二人の若い武士。前の戦いで自分に最後まで追いすがって来た二人だろう。
 あの二人の内のどちらかだけでも討ち取れないか、と束の間考えた。名も知らない下級の武士だが、恐らく陸奥守の麾下の中でも最強の二人だ。
 その考えは本当に束の間だった。追い回されて無様を晒した事の心の棘が、自分にそんな考えを抱かせた事に気付いたからだった。
 まわりの味方はすでに浮足立っている。直義も無理に踏みとどまらせようとはせず、後退の下知を出す。動揺は他の軍にまで波及していた。もうこちらの軍全体に、負けの味が染み付いている。そしてそんな隙を見過ごす事無く、陸奥守に呼応して動く楠木正成が、驚くほど容易く側面からこちらをかく乱して崩していっている。
 やはりここまでだった。
 直義は迷わず馬を返し、尊氏の元まで駆けた。
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