時の果ての朝~異説太平記~

マット岸田

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5-12 建速勇人(4)

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 紙一重の所で、足利尊氏と直義を取り逃がした。
 新田義貞からの伝令が小夜にそれを伝えて来たのは、軍勢の先頭が桂川を越えた時だった。
 その報せを受けた時、小夜がわずかに天を仰ぎ、息を吐いたのが勇人には分かったが、彼女はすぐに進軍を止め、後続の軍勢にも休息を命じた。
 新田の後を追うように追撃を掛けていた奥州軍だったが、さすがにすでに疲れ切っており、ここまで足利軍の抵抗を打ち破りながら進んで来れたのは、小夜の旗本と和政率いる騎馬を中心にした一千ほどだけだった。
 宗広も行朝も先頭には付いては来れず、今小夜の側に控えているのは自分と和政の二人だけだ。
 すぐに新田義貞本人も本営にやってきて小夜に頭を下げ、尊氏を討ち損じた事を詫びた。
 その時一瞬、小夜の横にいた和政が殺気に近い物を義貞に向けたのが勇人にも分かったが、小夜がそれをたしなめるような視線を向けると和政はすぐにそれを収めた。義貞の方がそれに気付いたのかどうかは分からない。
 和政の気持ちは勇人にも痛いほどに分かった。奥州から兵を死なせるほどの勢いで必死に掛けて来て、京でその勢いのままに熾烈な戦いをした。それも全て尊氏か、あるいはせめて直義を討ち取れなければ全て無駄だった。
 最初は勇人から見ても不甲斐なく見えた新田義貞も奥州軍と共に戦う最中に少しずつ調子を上げて行き、最後に足利軍の抵抗を打ち破り尊氏にまっすぐ追撃を掛ける様は思わず見惚れる程だった。今度は、と勇人は確信したし、小夜も和政も同じだっただろう。その分、落胆も大きかった。
 新田義貞自身も深く顔色を沈めていた。謝罪した後は一応声を励まし、勝ったのは自分達だ、と強調はしたが、落胆しているのを通り越してほとんど放心している様子で、誇張ではなく今にも死にそうな顔にすら見えた。
 とても、大勝した軍の指揮官の顔ではなかった。

「今度こそ、と思ったんだけど」

 野営の準備が終わり、兵の物と変わらない簡素な食事を取りながら、小夜は呟いた。和政は相変わらず周囲の警護の指揮を執っていて、すぐ側にはいない。

「僕も、あの新田勢の勢いを見てそう思った。絶対に討ち取れた、と。何が起きたか分からないけど、それでも討ち損じる事があるのが、戦って物なのかな」

 しかし仮に討ち取れるかどうか不安を感じていても、もうあれ以上は小夜にもどうしようもなかっただろう。勇人の朝雲すら限界に達していたのが馬上で分かったのだ。奥州軍全体が深く疲労し切っていて、それが頂点に達していた。

「それはそうだよ。戦では何が起こるか分からない。でも、今回はそれ以外の理由かもしれない」

 陵王の面を外し、わずかに周囲を気にする様子を見せながら小夜は言った。

「何か気に掛かる事があるのかい?」

 小夜が戦場でこう言う仕草を見せる時は、自分を相手に際どい話をしたい時だ、と言うのが勇人には分かり掛けていた。少なくとも相談相手としては信頼されているのだろう。

「討ち損ねたと報告してきた時の義貞さんの顔がね、どうしても気になって。影太郎を通して、あの人の周りに主上の影がちらついてるって話も、入って来てる」

「あの顔が気になったのは、僕もだけど」

「落胆してるんじゃなくて、自分を見失ってたようにも見えた。あの人は気分のむらは大きいし感情もすぐ分かりやすく顔に出るけれど、曲がりなりにも勝ち戦の後で自分を見失うような程度の大将じゃない」

「それが自分を見失ってたんだとしたら、考えられる理由は?」

「自分の意図とは別の物に従って、戦をせざるを得なかった。それは例えば私が朝廷からの命令に振り回されながら戦っているのとは、まるで違う領域の話だと思う」

「まさか、義貞殿が帝の密命でも受けてわざと尊氏を見逃したって言うのかい?」

「飛躍し過ぎかもしれないけどね。ただ、普通じゃない事があって尊氏さんは生き延びた。多分それは間違いないと思う」

 小夜自身も、はっきりとした答えは出せていないようだった。答えが出せているのなら、自分一人ではなく、親房や和政達も交えて話しただろう。
 今の所、自分が直接口を出せる問題では無かった。様々な可能性は思い付くが、どれも仮定の物でしかない。

「多分尊氏さんは西国に落ち延びると思う。それまでに兵庫辺りでもう一戦は出来ると思うけど、そこで義貞さんに期待するのはちょっと難しいね」

「奥州軍は?」

「これ以上は損害も疲労も大き過ぎるよ。それに奥州軍には京より西で戦える地盤が無い」

 予想通りの答えだった。戦える数千の兵で無理に参戦した所で、もし義貞に尊氏を討ち取る気が無いのなら、奥州軍だけでどうしようもないだろう。
 新田義貞の真意はどうあれ、一つだけはっきりした事があった。今のままでは足利尊氏を討ち取って歴史を変え、小夜を助ける事は恐らく難しい、と言う事だ。自分が想像していた以上に深い所にこの戦いの根はあるらしい。
 しかし、自分に何が出来るのか、と勇人は考えていた。

「勇人」

 勇人が考え込んでいると、小夜が声を掛けた。

「何だい?」

 顔を上げれば、勇人が視線を下に向けている間に小夜は驚くほど穏やかな顔を作っている。
 陸奥を出発してから、ろくに入浴も出来ていない汗と埃まみれの顔だが、勇人には相変わらずその顔はとても魅力的に見えた。

「戦の最中は気が張り詰めてたから忘れてたけど、京で助けてもらったお礼、ちゃんとしてなかったな、って」

「今の僕は君の旗本の一人だろ。身を挺して君を守るのは当然だし、大将がそれについて一人に礼を言うのは、おかしいと思うんだけど」

「それは、その通りだね。だからこれは、大将としてじゃなく、私個人としての言葉」

「そっか。それでも、いちいちお礼なんて言わなくてもいいよ。今の僕は、命がけで君を守っている時が、一番、自分が生きてられると感じてられるんだから」

 小夜は勇人から見れば、指揮官として戦をするために生まれて来た天才、としか思えないような人間だった。
 そんな彼女でも、やはり本当はそんな生き方だけで戦に向き合い続けるのは、辛いのだろう。
 小夜はさらに何かを言いたそうにも見えたが、結局何も言わなかった。
 今は、それでいい、と勇人は思った。何にしろこの戦は厳しく、激し過ぎたのだ。今はあまり難しい事を語り過ぎる事は無かった。
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