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5-13 建速勇人(5)
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翌日、京に近い所に軍営を移した所で親房が訊ねて来た。小夜としばらく語り合った後、どう言う訳か勇人の元も訊ねて来たのだ。
「大変な戦であったようだな。小夜も何度も自分の身を危険に晒すような戦いをしたと聞いた。お主も肝を冷やしたであろう」
親房は相変わらず鷹揚な調子だった。ただ朝廷ではこの短い間に廷臣達を相手に散々にやり合ったらしい。
「いえ、あの子がそう言う戦い方をするのは正直想像がついてましたから」
「せめて戦がひと段落している内に京の屋敷で一度落ち着いたらどうだ、と言ったのだが、聞く気はないらしい。しばらくはお主らに任せるしかなさそうだな」
帝は京に遷幸し、親房と六の宮も京の屋敷に移ったが、小夜は軍営を離れるつもりは無さそうだった。次の戦に備えていると言うよりも、兵達と共に過ごす時間の重要さを知っているのだろう。
「心配ですか?彼女の生き方が」
「わしは本当の所は戦の事は分かっておらん。それでもあやつが大将として恐らく正しい事をしているのは分かる。ただ、全てにおいて激しすぎるように思うな。それは世の動きが激し過ぎるから、あやつもそうせざるを得ないと言うだけなのだろうが」
「陸奥を平定し、それから何年か大きな戦の無い所で内政に専念しながらあの子が大人になれば、どんな人間に成長していたでしょうね」
「親として忸怩たるものはあるが、言っても詮無き事だな。戦は、人から多くの未来を奪うのだ。この戦でこれまでに死んだ若い者達の事を思えば、贅沢と言う物だろう」
小夜はまだ十八歳だった。自分が今の彼女の年齢だった時、どんな人間だったか。ただ自分の不幸を嘆き、世の中に倦み、歪んだ欲望だけを追い求めていただけの馬鹿な若者では無かったか。
「ところで、今度の戦で、何人斬ったか憶えておるか?勇人。小夜から聞いた所では中々の活躍だったようだが」
唐突に親房はそんな事を聞いて来た。
「さて。合わせて二、三十人程は斬ったと思いますが、数えていた訳ではないので正確な所は」
自分で言っていても笑い出したくなる数だった。それほどの人間の命を奪ったと言う事に驚きも罪悪感もさほど感じていないのは、戦場の空気の故か。
「そうか」
相槌を打ち、それから親房は視線を下に向けた。
「何か?」
「いや、お主が六百年先の未来から来た、と言う話を聞いてから、ずっとわしの中で小骨のような物が引っ掛かっておる気がしておってな。それが何なのか長く分からなかったが、この京の戦場に来て、お主が何人も人を斬ったと言う話を聞いて、ようやく得心が言った」
「一体、何なのです?」
「六百年先とは言え同じ人間である以上、何十代も遡っていけば当然いずれはお主の祖先もこの時代に行き着こう。例えばもしこの時代でお主がたまたまお主の祖先を殺せば、その時お主はどうなるのだ?」
「それは」
真剣な顔で訊ねて来た親房を前に、勇人は言葉に詰まった。
「その場合お主の親も祖父も生まれる事が無くなり、当然お主も生まれる事が無くなる。だがそうなってはそもそもお主の祖先を殺したお主もいなくなり、お主の祖先が死ぬ事も無くなる。一つの矛盾のように思えるのだがな」
語りながら親房は近くの石に腰を下ろした。
「お主が祖先を殺したら、と言うのはあくまで一番分かりやすい例えだ。もし仮にこの先お主の働きによってお主の知っている歴史が変わって小夜が生き残った場合でも、小夜が死ぬと言う歴史を知っているお主はやはりどうなるのか、と言う矛盾が起こる。わしのこの考えは何か間違っておると思うか?」
「いえ」
驚きをどうにか呑み込みながら勇人は相槌を打った。
「ならばその矛盾を解消する答えはそう多くはあるまい。そもそもお主が六百年先から来たと言うのが嘘であるか、今のこのわしらが生きておる世はお主が知っておる過去とはよく似ているだけで本当は繋がっておらぬ別の世であるか、あるいはお主が何をした所で実際には歴史と言う物は大きく変わらぬようになっておるか」
親房の言葉はどこまでも明瞭だった。ただそれを語る本人の顔色は暗く、苦慮が溢れている。
「良く、そこまで」
タイムパラドックス、と言う言葉は勇人も知っていた。勇人のいた時代ではSF作家が最初に考え出した概念だ。だが、現代人のように娯楽の題材として時間旅行に慣れ親しんでいる訳でもないこの時代の人間が、独力でここまで辿り着くとは想像だにしていなかった。
「無論今更お主の話を疑う訳ではない。全てを疑うのであればお主がある程度の未来を知っているように振る舞っているだけの間者である、と考えられぬ事も無いが、初めて会った頃にお主が見せた"すまほ"とか言う物だけはどうにも説明が付かぬし、それ以上にお主の事を今は信用しているのでな」
「まず謝罪します」
「何をだ?」
「今親房殿が語られたような矛盾。僕は知識としてはそう言った概念が存在する事は知っていました。どうせ語っても深くは理解してもらえないだろうし、現実に僕が過去に移動してしまった以上、深く考える事は意味がない、と思って語っていませんでした」
「そうか。いや、それは良い。わしの頭の中でも考えがどうにかまとまったのはつい先程だからな。我ながら良くこんな事を考え付いた、とも思う」
「自分が何をした所で歴史は変えられないのではないか、と言う考えは、以前から時折頭の中をもたげていましたよ。同時に、現実に自分はこの時代に来てしまったのだから、そんなはずはなく、何か出来る事はあるはずだ、とも」
「お主の中でも、はっきりとした答えは分からぬ問題なのだな」
「はい」
「ではいっそ、わしを斬ってみるか?」
親房は、唐突にそんな事を言った。
「何を、言われるのです」
「わしも後の世まで名を残す人間で、しかも小夜よりも長く生きてしまうのだろう?足利尊氏や直義と同じで本当は今は死ぬはずがない人間のはずだ。お主がわしを斬る事が出来れば、お主が歴史を変えられると言う証になる。そしてわしが死ぬ事によって、そこから歴史は思いも寄らぬ方向に動くかもしれん、と考えてしまってな」
「困ったな」
「何がだ」
「迫力に押されて、一瞬、納得してしまいそうになりました。どう考えても、間違っているのに」
「間違っているか」
「そうして親房殿を斬れても、それで分かるのは僕が尊氏や直義を斬る事が出来るかもしれない、と言う事だけですよ。結局、そのために全員が死力を尽くして戦わなくてはいけないのは何も変わりません」
「それは、そうだが」
「それに、例えそれでどんな風に歴史が変わろうとも、あなたを斬る事が小夜のためになる事はありませんよ」
「何故だ?」
「親房殿が、小夜にとってとてもいい父親だからですよ。いい親を失う事が、娘にとってためになる事はありません」
例えどんな形であっても一度自分の手で修正不可能な程に歴史を変えてみる、と言う試みに誘惑を感じないかと言えば、嘘になった。
もし小夜が父親である親房に従って戦っているだけであるのなら、自分は本気で親房を斬る事をどこかで考えたかもしれない。だが、実際には小夜はどこまでも自分の意志で戦っているだけで。親房の方はあまりに小夜にとって良い味方であり過ぎたし、良い父親であり過ぎた。それはここ一年半ほど見て来ただけでも、はっきり分かる。
「何がおかしい?」
親房が尋ねた。気付かない内に笑っていたようだった。
「いえ、初めて会った時の事を、思い出していました。親房殿に、わしは別の世界の人間か、と言われた事を」
「そんな話をしたな。あの頃のお主は、驚くほど陰気で捻じ曲がって見えたわ」
「あの頃と比べれば、随分親房殿も小夜も他の皆も同じ世界の人間に見えて来た物だ、と思うと少しおかしくて」
「不愉快な変わり方ではあるまい、それは」
「ええ。ただおかげで小夜やあなたが死ぬのが、随分怖くなってしまいました」
「人との付き合いと言うのは、そう言う物じゃろうて」
親房も少しだけ笑いながら言った。
あるいは自分にとっても、とその顔を見ながら束の間勇人は思った。自分は父を知らない。祖父と伯父はいたが、どちらも父ではなかった。共に過ごしたのはまだ短い時間だが、自分はこの親房に父親を見ているのではないか。
その考えは本当にほんの束の間で、すぐに勇人は自分の中からそれを打ち消した。甘え過ぎの考えだった。自分も親房も、小夜を守りたいと思っている。関係としては、それで充分ではないか。
「お主の答えがそれなら、わしもしばらく朝廷の中を探るのに専念するが、お主はどうする?何か他の考えがあるか?」
「死ぬはずの無い味方を死なせるよりも、死ぬはずの味方を生き残らせる事を目指してみようと思います」
それは、親房と会う前から考えていた事だった。足利直義をぎりぎりまで追い詰めて逃がし、尊氏にもまた逃げられた。戦場で出来る事が尽きたのなら、別の事をやるしかない。
「楠木正成か」
親房が静かに呟き、勇人も小さく頷いた。良いとも悪いとも、親房は言わなかった。
ただ、静かに目を閉じただけだった。
「大変な戦であったようだな。小夜も何度も自分の身を危険に晒すような戦いをしたと聞いた。お主も肝を冷やしたであろう」
親房は相変わらず鷹揚な調子だった。ただ朝廷ではこの短い間に廷臣達を相手に散々にやり合ったらしい。
「いえ、あの子がそう言う戦い方をするのは正直想像がついてましたから」
「せめて戦がひと段落している内に京の屋敷で一度落ち着いたらどうだ、と言ったのだが、聞く気はないらしい。しばらくはお主らに任せるしかなさそうだな」
帝は京に遷幸し、親房と六の宮も京の屋敷に移ったが、小夜は軍営を離れるつもりは無さそうだった。次の戦に備えていると言うよりも、兵達と共に過ごす時間の重要さを知っているのだろう。
「心配ですか?彼女の生き方が」
「わしは本当の所は戦の事は分かっておらん。それでもあやつが大将として恐らく正しい事をしているのは分かる。ただ、全てにおいて激しすぎるように思うな。それは世の動きが激し過ぎるから、あやつもそうせざるを得ないと言うだけなのだろうが」
「陸奥を平定し、それから何年か大きな戦の無い所で内政に専念しながらあの子が大人になれば、どんな人間に成長していたでしょうね」
「親として忸怩たるものはあるが、言っても詮無き事だな。戦は、人から多くの未来を奪うのだ。この戦でこれまでに死んだ若い者達の事を思えば、贅沢と言う物だろう」
小夜はまだ十八歳だった。自分が今の彼女の年齢だった時、どんな人間だったか。ただ自分の不幸を嘆き、世の中に倦み、歪んだ欲望だけを追い求めていただけの馬鹿な若者では無かったか。
「ところで、今度の戦で、何人斬ったか憶えておるか?勇人。小夜から聞いた所では中々の活躍だったようだが」
唐突に親房はそんな事を聞いて来た。
「さて。合わせて二、三十人程は斬ったと思いますが、数えていた訳ではないので正確な所は」
自分で言っていても笑い出したくなる数だった。それほどの人間の命を奪ったと言う事に驚きも罪悪感もさほど感じていないのは、戦場の空気の故か。
「そうか」
相槌を打ち、それから親房は視線を下に向けた。
「何か?」
「いや、お主が六百年先の未来から来た、と言う話を聞いてから、ずっとわしの中で小骨のような物が引っ掛かっておる気がしておってな。それが何なのか長く分からなかったが、この京の戦場に来て、お主が何人も人を斬ったと言う話を聞いて、ようやく得心が言った」
「一体、何なのです?」
「六百年先とは言え同じ人間である以上、何十代も遡っていけば当然いずれはお主の祖先もこの時代に行き着こう。例えばもしこの時代でお主がたまたまお主の祖先を殺せば、その時お主はどうなるのだ?」
「それは」
真剣な顔で訊ねて来た親房を前に、勇人は言葉に詰まった。
「その場合お主の親も祖父も生まれる事が無くなり、当然お主も生まれる事が無くなる。だがそうなってはそもそもお主の祖先を殺したお主もいなくなり、お主の祖先が死ぬ事も無くなる。一つの矛盾のように思えるのだがな」
語りながら親房は近くの石に腰を下ろした。
「お主が祖先を殺したら、と言うのはあくまで一番分かりやすい例えだ。もし仮にこの先お主の働きによってお主の知っている歴史が変わって小夜が生き残った場合でも、小夜が死ぬと言う歴史を知っているお主はやはりどうなるのか、と言う矛盾が起こる。わしのこの考えは何か間違っておると思うか?」
「いえ」
驚きをどうにか呑み込みながら勇人は相槌を打った。
「ならばその矛盾を解消する答えはそう多くはあるまい。そもそもお主が六百年先から来たと言うのが嘘であるか、今のこのわしらが生きておる世はお主が知っておる過去とはよく似ているだけで本当は繋がっておらぬ別の世であるか、あるいはお主が何をした所で実際には歴史と言う物は大きく変わらぬようになっておるか」
親房の言葉はどこまでも明瞭だった。ただそれを語る本人の顔色は暗く、苦慮が溢れている。
「良く、そこまで」
タイムパラドックス、と言う言葉は勇人も知っていた。勇人のいた時代ではSF作家が最初に考え出した概念だ。だが、現代人のように娯楽の題材として時間旅行に慣れ親しんでいる訳でもないこの時代の人間が、独力でここまで辿り着くとは想像だにしていなかった。
「無論今更お主の話を疑う訳ではない。全てを疑うのであればお主がある程度の未来を知っているように振る舞っているだけの間者である、と考えられぬ事も無いが、初めて会った頃にお主が見せた"すまほ"とか言う物だけはどうにも説明が付かぬし、それ以上にお主の事を今は信用しているのでな」
「まず謝罪します」
「何をだ?」
「今親房殿が語られたような矛盾。僕は知識としてはそう言った概念が存在する事は知っていました。どうせ語っても深くは理解してもらえないだろうし、現実に僕が過去に移動してしまった以上、深く考える事は意味がない、と思って語っていませんでした」
「そうか。いや、それは良い。わしの頭の中でも考えがどうにかまとまったのはつい先程だからな。我ながら良くこんな事を考え付いた、とも思う」
「自分が何をした所で歴史は変えられないのではないか、と言う考えは、以前から時折頭の中をもたげていましたよ。同時に、現実に自分はこの時代に来てしまったのだから、そんなはずはなく、何か出来る事はあるはずだ、とも」
「お主の中でも、はっきりとした答えは分からぬ問題なのだな」
「はい」
「ではいっそ、わしを斬ってみるか?」
親房は、唐突にそんな事を言った。
「何を、言われるのです」
「わしも後の世まで名を残す人間で、しかも小夜よりも長く生きてしまうのだろう?足利尊氏や直義と同じで本当は今は死ぬはずがない人間のはずだ。お主がわしを斬る事が出来れば、お主が歴史を変えられると言う証になる。そしてわしが死ぬ事によって、そこから歴史は思いも寄らぬ方向に動くかもしれん、と考えてしまってな」
「困ったな」
「何がだ」
「迫力に押されて、一瞬、納得してしまいそうになりました。どう考えても、間違っているのに」
「間違っているか」
「そうして親房殿を斬れても、それで分かるのは僕が尊氏や直義を斬る事が出来るかもしれない、と言う事だけですよ。結局、そのために全員が死力を尽くして戦わなくてはいけないのは何も変わりません」
「それは、そうだが」
「それに、例えそれでどんな風に歴史が変わろうとも、あなたを斬る事が小夜のためになる事はありませんよ」
「何故だ?」
「親房殿が、小夜にとってとてもいい父親だからですよ。いい親を失う事が、娘にとってためになる事はありません」
例えどんな形であっても一度自分の手で修正不可能な程に歴史を変えてみる、と言う試みに誘惑を感じないかと言えば、嘘になった。
もし小夜が父親である親房に従って戦っているだけであるのなら、自分は本気で親房を斬る事をどこかで考えたかもしれない。だが、実際には小夜はどこまでも自分の意志で戦っているだけで。親房の方はあまりに小夜にとって良い味方であり過ぎたし、良い父親であり過ぎた。それはここ一年半ほど見て来ただけでも、はっきり分かる。
「何がおかしい?」
親房が尋ねた。気付かない内に笑っていたようだった。
「いえ、初めて会った時の事を、思い出していました。親房殿に、わしは別の世界の人間か、と言われた事を」
「そんな話をしたな。あの頃のお主は、驚くほど陰気で捻じ曲がって見えたわ」
「あの頃と比べれば、随分親房殿も小夜も他の皆も同じ世界の人間に見えて来た物だ、と思うと少しおかしくて」
「不愉快な変わり方ではあるまい、それは」
「ええ。ただおかげで小夜やあなたが死ぬのが、随分怖くなってしまいました」
「人との付き合いと言うのは、そう言う物じゃろうて」
親房も少しだけ笑いながら言った。
あるいは自分にとっても、とその顔を見ながら束の間勇人は思った。自分は父を知らない。祖父と伯父はいたが、どちらも父ではなかった。共に過ごしたのはまだ短い時間だが、自分はこの親房に父親を見ているのではないか。
その考えは本当にほんの束の間で、すぐに勇人は自分の中からそれを打ち消した。甘え過ぎの考えだった。自分も親房も、小夜を守りたいと思っている。関係としては、それで充分ではないか。
「お主の答えがそれなら、わしもしばらく朝廷の中を探るのに専念するが、お主はどうする?何か他の考えがあるか?」
「死ぬはずの無い味方を死なせるよりも、死ぬはずの味方を生き残らせる事を目指してみようと思います」
それは、親房と会う前から考えていた事だった。足利直義をぎりぎりまで追い詰めて逃がし、尊氏にもまた逃げられた。戦場で出来る事が尽きたのなら、別の事をやるしかない。
「楠木正成か」
親房が静かに呟き、勇人も小さく頷いた。良いとも悪いとも、親房は言わなかった。
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