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5-15 楓(2)

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 数刻を掛けて、伊達領まで向かった。流石に師行とは言え騎馬と徒合わせて一千の軍勢を準備し徒に合わせて進軍するのであれば、身一人の自分と比べて一日は遅れるだろう。
 数百の叛乱の兵が依っているのは、阿武隈河の近くの集落に建つ、小さな館だった。
 当然、籠って戦えるような拠点ではなく、戦になれば野戦をせざるを得ないはずだ。師行であれば、いつもどおり麾下の五百の騎馬だけでも難なく討ち取るだろう。仮に集落の人間を盾にするつもりで相手が籠っても、時家の徒もいるのであればどうにでも出来る相手だ。
 乗ってきた馬を近くの林に繋ぎ、楓は物売りに化けるとすぐに集落に入った。中の武士達は臨戦の構えを取っているが、忍びに対する警戒の色は薄い。暗殺や火付けなどは警戒していても、諜報には無頓着な事が多いのだ。
 集まっている武士達はまとまりは無くても士気は高かった。
叛乱を起こす武士達の多くは建武の親政での所領の没収に不満があり、足利に与して功を立てる事によってそれを取り戻そうとしている。例え自分が命を落としても一族子孫に所領を残せればいいのだから、時に武士達は死を恐れない。
 ただそれでも、あの師行がてこずるような相手とは思えなかった。
 斯波家長がこんな小さな叛乱を起こし続ける事に何の意味があるのか。時家の言う通り本当は全てが一つの戦に繋がっているのだとしたら、この叛乱はその戦の目に見えているごく小さな部分だと言う事になる。
 これまでの小さな叛乱の討伐で師行は負ける所か一度も苦戦らしい苦戦をしていない。兵に大した損害も出していない。五百の兵とは言えそれが出陣する度に失われる兵糧は少なくは無いが、それでも多賀国府の蓄え全体と比べれば未だそれも微々たる物と言ってもいい。むしろ蜂起の度にそれを率いている土豪が討ち取られている家長の側の方が、じりじりと消耗して行っているだろう。
 ただひたすら蜂起を繰り返させていれば、いずれは師行も躓く、と期待しているだけなのか。そうだとしたら甘過ぎる。そして家長がその程度の相手だと仮定するのも甘過ぎた。
 そうなると後は考えられるのは瀬踏みと言う事だった。斯波家長は大きく勝負を掛けるために蜂起を仕掛けさせて師行を測っているのか。蜂起が起これば実際に師行がどう動くのか。それが掴めれば師行一人を狙って不意を突く事が出来る。
 そこまで考えて楓は一つ首を横に振った。
 自分がこんな風に頭を使ってあれこれ考えている事など、師行はとっくに分かっているだろう。やはり、今自分がすべき事は自分の目で戦場になる土地を見る事だけだ。
 集落を出て、戦場を一望できる木の上に昇った。小高くなった丘がある。戦になった場合は、敵はあの丘に依ろうとするだろう。逆に師行はここから敵を追い落とし、逆落としを掛ければそれで容易く戦いを決める事が出来る。
 あの丘から見える範囲であれば、師行は何が起きても対応するだろう。近くに多くの兵が埋伏できるような地形も無い。雪が残ってもおり、軍勢が移動した後も目立つ。斯波家長が何かを仕掛けてくるとすれば、さらに外から不意に来るはずだ。
 楓は少し馬で移動し、さらに高い木を見付けるとそこに昇ってみた。ここからであれば、騎馬の物見よりもさらに広く周囲を見張る事が出来る。
 そのまま夜になり、朝になった。木の上はかなり冷えるが、一睡もしないままじっと耐え続けた。食事を取る事もしない。その気になればこの状態のままでも三日程度は耐えられるし、それからすぐに動けもする。
 日が昇り数刻してから、騎馬隊が見えた。師行。日が昇ると同時に出陣して来たのだろう。時家の徒は見えない。集落に依っていた武士達もかなり遅れてそれに気付いたようで、慌てて出陣の準備を整えているのが木の上からでも見えた。
 叛乱の兵達が丘に依ろうとするが、徹底的に立ち遅れていた。師行は騎馬隊を二つに分け、半分は素早く丘に依り、もう半分で敵の背後を突いて丘の方へ追い込もうとしている。師行自身は丘の方にいるようだ。
 師行が丘に先に依った時点で勝負はもう着いていた。このまま行けば容易く師行が勝つだろう。楓は戦場から目を離し、南に、そして東に目を凝らした。敵が来るとすれば東の小高城からの可能性が最も高かった。
 さほどの間も置かず、不意に、驚くほど近くに、騎馬隊が見えた。地形を使い、丘の位置からは死角になるように、二千ほどの騎馬隊が進んで来ている。木の上にいる自分で無ければ、まだ見えないだろう。
 こちらから見えないと言う事は向こうからも師行の軍勢は見えないし、戦の様相も分からないはずだ。それでも迷う事無く、そこが戦場だと分かっているかのように進んで来ている。
 斯波の旗を上げていた。まさか、と思う一方で、どこかでそれを予期していた自分がいる事に楓は気付いていた。
 事前に出陣して、近くで合戦が始まるのを待つ、と言う手段では物見に見付けられる。だから、師行がいつ出陣し、戦場に辿り着くまでにどれだけ掛かるかを計算し、実際どこが戦場になるかを予測した上で叛乱を起こさせ、それに合わせて出陣して戦場まで真っ直ぐに駆けた。
 実際には計算だけでここまで誤差なく戦場に辿り着くのは難しいだろう。様々な材料はあっただろうが、こうして図ったような機に現れたのは、斯波家長自身の武人としての勘の鋭さが為せる業か。
 師行はここまで予測しているのか。だから時家を同行させたのか。しかし二千と言う騎馬隊の数は多い。
 考えたのはそこまでだった。身を翻し、木から飛び降りる。自分はただ起きている事を師行に伝えればそれでいい。
 木から身を躍らせたと同時に、風が吹き、わき腹を何かで打ち叩かれたような衝撃が走った。
 知っている感覚だった。わき腹に矢が突き立っている。
 不意を突かれたせいで着地に失敗し、そのまま地面に落ちる。殺気はほんの一瞬だけ遅れてやって来た。矢を放った後で自分を伺っている気配がする。
 迂闊だった。相手が忍びを使っているのは互いに知っているのだ。斯波家長の忍びも露払いのために先行しているのは予見してしかるべきだった。雪の上に残った足跡を見れば、自分が木の上に隠れている事は一目瞭然だったのだ。
 普段であれば、もっと慎重に降りただろう。
 傷の深さを確認しながら、動かずそのまま地に伏し続けた。呼吸の度に激痛が走ったが耐えた。こちらの様子を伺っていた相手が近付いてくる気配がある。生かして捕えようと言うのだろう。
 近付いてくる気配が止まった。楓は跳ね起きると同時に剣を抜き、それを振るった。
 短弓を背負い、短い剣を持った男が、首から血を流しながらゆっくりと倒れた。

「ほんと、らしくない」

 そう呟きながら木の影に身を隠し周囲を伺った。他に敵の気配はない。傷を改めて確かめる。矢が深くわき腹に突き立っていた。動きの邪魔にならないように途中で剣で斬った。抜くかどうかは迷った。かなり深い。このまま動けば内臓を傷付けるかもしれない。しかし抜いた場合、すぐに血を止められるかどうか分からなかった。
 そのまま走る事に決めた。人間、内臓が傷付いてもすぐ死にはしないが、血を失えば驚くほど早く動けなくなるのだ。
 やはり呼吸をするごとに、そして一歩駆けるごとに、激痛が走る。
 繋いでいた馬に飛び乗る。そして東の方を見た。斯波家長の騎馬隊。わずかな間に驚くほどに進んで来ている。楓は肌が泡立つ思いがした。速い。師行や小夜の麾下ほどでは無いが、それでも今までに見たどの足利方の騎馬隊よりも速い。これが仮に叛乱の兵を討伐している最中の師行の不意を突いたらどうなるのか。
 馬を駆けさせた。馬上の揺れも、激痛を引き起こした。
 ごほり、と咳き込んだ。着物の襟の所が赤く染まった。咳と一緒に血を吐いたのだ。肺腑が傷付いているのか。
 これはもう助かりそうもない、と楓は思った。
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