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5-17 北条時家

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 膠着の時間が来た。
 時家は一度大きく息を吐いた。見ているだけで心が躍るような騎馬の動きだったのだ。
 時家の郎党は馬をほとんど持っていない。
 北条の一族の中でも庶子であったり、何かの理由で一度所領を没収されたりして不遇を囲っていた者達の集まりだ。所領として与えられていた土地は名目ばかりで、山の民と変わらないような暮らしを送っていた者が大部分を占めている。
 だから時家は馬を使って戦うと言う考えを敢えて捨てた。関東の平野で戦うのではなく、地方に落ち延びて再起を計るのならいっそ馬が無い方が動きやすい、と思ったからだ。
 本当に優れた将が鍛えぬいた徒を率いるのなら、それは決して騎馬隊に劣る物ではない、と言う自負もあった。
 期せずして奥州軍に組み込まれる事になってからも、その考えは変わっていない。
 だがそれでも、目の前で縦横無尽に原野を掛ける二つの騎馬隊を見れば、羨望に似た思いが時家の中にも浮き上がって来ていた。

「俺も、坂東武士と言う事か」

 苦笑しながらそう呟き、その羨望を振り払う気持ちで時家は兵に指示を出した。五百の兵が堅陣を解き、動き始める。
 動きを止めて固まっている徒は少数でも騎馬からの攻撃に強いが、動き出せば驚くほどに脆くなる。逆に止まっている騎馬隊は徒にぶつかられると弱い。
 だから自分が動いた事で、斯波家長はまた動かざるを得なくなる。
 師行も斯波家長も瀬踏みのようなぶつかり合いしかしていないが、それでも今の短い戦いで見えた物があった、と時家は思った。
 単純な話だが、どちらの騎馬隊も二つに分けた時、もう片方を二人ほど巧みに指揮できる者がいないのだ。だから師行の相手は斯波家長自身がせざるを得ず、斯波家長がいない方の騎馬隊は十分に動けず戦力が無駄になってしまう。
 師行はその点巧みで、半分に割った二百五十の方は丘の上で動かさないままでありながら、極めて上手く牽制として使い続けている。
 もし仮にあの二百五十を師行ほどに動かせる部将がいれば、どれほど恐ろしい騎馬隊になるのか想像も出来なかった。
 五百の徒で師行の騎馬隊を迂回するようにして斯波家長の側面にゆっくりと回り込んだ。反対側には丘の上の二百五十がおり、斯波家長は三方向から圧力を受ける形になる。
 じりじりと距離を詰めていく。斯波家長がまた騎馬隊を二つに分け、片方を自分へ向けて来たとしても、時家にはすぐさま堅陣を組み直してそれに対応する自信があった。
 だが斯波家長はいきなり二千騎全てで師行に突っ込んで行った。
 思い切ったものだ、と思いながら時家は徒に全力で駆けるように命令を出した。駆けながら弓を用意させる。時家は配下全員に短弓を持たせていた。射程は短いが、上手く使えば意表を衝けるのだ。
 師行は正面からのぶつかり合いを避けるように駆け出す。それを追う斯波家長の側面を突くように丘の上の二百五十が逆落としの構えを見せた。
 斯波家長はそれでも躊躇なく師行にぶつかって行った。師行の騎馬隊が押し包まれたように見えたが、強い水の流れを切り裂く川の中の杭のように、師行自身が先頭に立って突破してくる。時家は何とか距離を詰め、徒に矢を放たせた。三十騎ほどを落とした所で、斯波家長は方向を変えて離脱して行った。
 師行の騎馬隊は最後のぶつかり合いで十騎ほどを失っているように見えた。斯波家長の方は全部で八十騎程は失ったか。
 こちらが優勢だったが、本格的なぶつかり合いにはならずに終わった。師行は最後まで騎馬隊の半数を牽制としてだけ使い続けた。それが斯波家長の判断を迷わせたのだろう。
 師行の騎馬隊がそのまま丘を駆け上り、合流した。その動きに何か余裕の無い物を感じ、時家もすぐにそこに向かった。
 丘の上では、師行の騎馬隊が何かを守るように円陣を組んでいた。そこの中心に師行がいて、そして誰かが寝かされてる。
 楓だった。着物が血に染まっており、わき腹に矢が突き立っている。

「楓が負傷したのですか」

「ああ」

 時家の問いに師行が頷いた。表情はいつもと変わらない。
 楓の胸は小さく上下している。まだ生きているが、時折咳と共に血を吐き出していた。矢が肺腑にまで達しているのかもしれない。
 意識があるのかどうかは分からなかった。

「矢が刺さってから、さらに激しく動いたようだ。貴様の配下に、傷の手当てに長けた者は?」

「それなりの者はいます。しかしこれは恐らく矢傷が肺腑に達しています。これの手当ての仕方は、俺も俺の部下も知りません」

 体の外の傷なら縫って血を止められるが、体の中の肺腑から出血しているとなると、どう治療していいのか分からなかった。

「俺もそうだ。だから訊いている」

 そんな事を俺に訊かれても、と時家は言おうとしたが、思い直して口をつぐんだ。
 たかが女忍び一人。武士として考えれば本来は戦で失った十数騎の方を気に掛けるべきなのだ。それが、楓一人の生き死ににここまで心を砕いている。
 南部師行と言うおよそ人間離れしているとしか思えない男に、こう言う一面があるのだ。

「分かりました。考えてみましょう。肺腑からの血を止めなければ確実に死にます。逆に血を止められれば、助かるかもしれない」

 喋りながら、考えていた。

「体の中の傷は、縫えん」

「他に血を止める方法として、昔山の中で熊に襲われた猟師が自分で傷口を焼いた、と言う話を聞いた事があります。血が止まっても運が悪ければそこから毒が入ってどっちみち死ぬので、他に手段がなければやってはいけない方法だそうですが」

「焼く、か」

「しかし体の中の傷は、焼く事も出来ないでしょう」

「いや、待て。焼ける。焼いた鉄を、傷口に差し込めばいい。刺さっている矢を見れば、どれほどの深さの傷なのかは分かる」

「無茶な。加減を間違えれば、それで殺しかねない。仮に上手く血が止まっても、焼き過ぎればそこから肺府に毒が入って腐り出すかもしれない」

「このままではどうせ死ぬ」

「それは、そうですが」

 何故楓がこんな負傷をしたのかは分からなった。ひょっとしたらこの前自分が言った事が何か彼女を無謀な方向に動かしたのかもしれない。

「分かりました、やってみましょう。あの集落まで運びます」

 師行が頷いた。
 部下に戸板を借りてこさせ、集落までゆっくり楓を運ばさせた。同時に火と湯の用意をさせる。
 小さな小屋を借り、そこに楓を寝かせた。師行は新しい矢を一本部下に持たせると、その前で剣を二度、ほとんど目にも見えない速さで振るった。鏃の返しが切断され、短く細い鉄の棒になる。
 信じがたい技を容易く見せてくれる、と時家は思った。
 血に染まった楓の着物と晒を取り、上半身裸にする。師行はその間に自分の手に別の矢を突き刺し、その傷口に炭火の中で焼けた鉄を押し当てる、と言う事を表情一つ変えずに何度か繰り返していた。
 焼いて傷口の血を固めるのに最低でどれだけの時間が掛かるのか試しているのだろう。

「見ているこちらの方が痛いですよ。試しは程々にして下さい」

 時家はそう言ったが、師行は小さく頷いただけだった。

「暴れるかもしれないので部下に抑えさせ、口木も咥えさせます。矢を抜くのはどうしましょうか?」

「俺がやる」

 部下が楓を抑えると、師行は何の躊躇も無くわき腹に刺さった矢を掴み、一瞬で真っ直ぐ引き抜いた。楓が苦痛に顔を歪める。引き抜いた傷口から血があふれ出してきた。時家はそこに新しい晒を当てて血を拭う。
 師行は指で楓に突き刺さっていた部分の矢の長さを計っている。

「さてやるぞ楓。刺し損なえばそれで終わりだ。出来れば耐えてじっとしてろ」

 師行が言った。楓が涙が滲んだ薄目を開ける。時家は彼女が笑った気がした。
 炭で鏃を焼いた矢を持ち、師行はやはり何の躊躇も無くそれを楓の傷口に一瞬で突き刺すとぴたりと止めた。肉と血が焼ける音と臭いがし、傷口からわずかに煙が上がる。楓は先程とは比べ物にならない様子で苦痛にうめいたが、それでも胴は動かさないように耐えている。
 一瞬だったのか、あるいは長い時間だったのか。
 時家には分からない時間が過ぎた後、師行は鏃を引き抜いた。
 楓はぴくりとも動いていない。死んだのではないか。時家は一瞬そう思ったが、胸はやはりわずかに上下している。

「肺腑からの血は、止まりましたか?」

「ああ」

 師行は短くそう言い切った。顔にはいく筋の汗が流れている。

「後は外の傷を手当てするぐらいです。それは俺の部下に上手い者がいます。任せて俺達は一度外に出ましょう」

 時家はそう言って小屋の外に出た。ついてくるだろうか、と思ったが師行はさほど間も置かずに出て来た。
 地面に残った雪が冷やした空気が、風となって流れてくる。小屋の中で体に籠った異様な熱気が、それで抜けていくようだった。

「助かるかどうかは、後は楓の運次第だな」

「意外でしたね」

「何がだ」

「師行殿が、あそこまで人一人の生き死にに懸命になられるとは、正直思っていませんでした」

「俺も、思っていなかった」

「楓は、何か無茶をしたのです?」

「命じてもいなかったが、戦場で斥候をしていた。斯波家長の騎馬隊の事を慌てて俺に伝えようとして、へまを踏んだのだろう」

「俺が言う事ではありませんが、もう少しは楓の事を顧みられた方が良い。あまりに言葉が足りな過ぎるから、自分が師行殿の役に立っているのか、楓のような女でも時に不安になってしまうのです」

「俺のような男には無理な話だ、それは」

「そうですか」

 本当は斯波家長との戦の話をしたかったが、そんな雰囲気ではなかった。
 師行が逆落としの騎馬隊を牽制として使っただけで最後まで動かさなかったのは、全面的なぶつかり合いになればこちらが不利だと判断したからだったのか、それとも動かして丘の上の取り合いがまた始まれば楓が危険に晒されるからだったのか。
 それは時家には分からなかったし、確かめようとも思わなかった。自分に分からなかったのだから、恐らくあの場にいた他の誰にもどちらとも言い切れない事なのだろう。

「時家」

「何でしょうか」

「礼を言う」

 そう言って師行は頭を下げて来た。
 時家は、ただ頷いた。
 何か貸しを作った、とは思わなかった。ただ戦の事とは別に、この男と楓の事でもう少し世話を焼くのも面白いかもしれない、と思っただけだった。
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