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5-19 北畠小夜(4)
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帝も五辻宮も小夜のその質問を予期していたのか、驚く様子はない。
帝は静かに微笑んだ。その表情には優しさと哀しみが入り混じっている。しかし、酒を運ぶ手は止まらない。
酒の中に紛らわせなければ、語れない事なのか。
「護良を死なせる事は朕の本意ではなかった。しかし死ぬように仕向けたのは朕である。その意味では朕が護良を殺したのは事実であるな」
「本意ではなかった、とは?」
「朕も子を思う親としての心は変わらぬ。出来得る事なら護良とは和解したかった、と言う事だ。しかしそれは叶わぬ事であった」
「何故帝と大塔宮はそれほど対立されたのです。お二人の間に何があったのですか」
「護良は朕の理想を理解しようとしなかった。いや、違うな。理解はしたのだが、それを受け入れる事が出来なかった。そして朕を止めるには朕を殺すしかないとまで思い詰めておった。我が子ながら、何故あれほど頑固に、そして激しく育ってしまったのだろうな」
「理想とは、今の御親政ですか?」
「違う。今の親政は朕の理想の中途に過ぎぬ。何も語らずともそれに気付いたのは、今まで護良とそして楠木正成の二人だけであったが」
「何なのです、それは」
「顕家、それに親房」
帝は杯を傾ける手を止め、二人をまともに見た。
「今の世の乱れの根は、何であると思う?」
「恐れながら」
どう答えるべきなのか。小夜が考えをまとめるよりも先に親房が口を開いた。
「主上の余りに性急な政の変革と不公平な恩賞が世の乱れを招いている、と親房は考えます」
正しい、しかしあまりに平凡で単純な答えだった。
何故親房はそんな平凡な答えを返したのか、と束の間小夜は考えた。
何かとても複雑で危険な会話になりつつある。親房はそれを察し、一度小夜を話から遠ざけて自分が主上の相手をする事にした。一歩引いた所から主上の考えを見極めろと言う事か。
「不公平な恩賞か。では問おう、親房よ。公平な恩賞とは何か?誰もが不満を抱かぬ恩賞の沙汰があるのか?」
「功と徳と才、各人のそれらに見合った恩賞であれば」
「親房よ、そのような決まり文句はいらぬ。そなたや顕家であればこの国が抱く根本的な問題に気付いておらぬ事はあるまい」
「これは、失礼をいたしました。確かに、不肖親房の頭の中にも、問題の根のような物は見えております。しかし今は、主上のお考えを聞かせて頂きたく存じます」
「元より何なりと尋ねよ、と言ったのは朕の方であったな」
帝はそう言ってまた微笑んだ。
「武士は、いやこの国の力ある人間は皆土地に根付く。起こった戦の中で功を立て恩賞として、あるいは自ら他の土地を横領するために戦を仕掛け、そうして得た土地を命懸けで得た誇りと共に守っていく。それが武士の強さの根源であろう。しかしこの国の土地は有限である。そして武家は戦に備えるために多くの子を為し、兄弟で一族を枝分かれさせ、所領を分けていく事によって土地に不足し始める。だから新たな戦を起こして土地を求めざるを得なくなるし、それによって土地を奪われた者は何代を経ようとも祖先が持っていた土地を奪い返すためにまた戦の機会を待つ」
帝は滔々とした明瞭な言葉で語っていた。
「政が誤っていれば、世は乱れる。それは当然の事である。しかし、この国では何故これほどに容易く火のように戦乱が広がるのか。それは戦の気配を感じれば、それに乗じて新たな土地を得ようとする者が常にいるからだ。そして奪われた土地を取り戻そうとする者が常にいるからだ。今の世の乱れも、北条一族を始めとする土地を没収された武士達がいるからここまで激しく乱れているのではないか。例えどれほど公平な恩賞の沙汰を出した所で、土地に限りがある限りは不満を抱く武士は必ずいるのではないか」
「それは、この親房の考えと同じでございます。この国の土地と比べて、それを奪い合う者の数が多過ぎる」
「それは少し違うぞ、親房。数の問題ではない。例え一時的に武士や公家の数を減らしたとしても、血と家と土地と言う物が堅く結び付いている限りは、いずれ必ず武士や公家は枝分かれし、相争うようになる。この国の歴史を紐解けば公家は無論武士すら、皇統から出た血ではないか」
帝の眼に強い光が宿っていた。言葉にも熱がこもっているようだ。
「そもそも土地は誰のための物なのだ、親房、顕家。武士は、民が土を耕す事によって得られた米や麦を取り立てて戦をする。他の土地に出て行き、田畑を荒らし、家を焼き、人を斬る。それは、おかしい。どの武士が所領しようとも、いや、所領するのが公家や寺社であっても、その土地を汗して耕す民は変わらぬのだ。それなのに、上に立つ者のせいで、本当にその土地を持っているはずの者達が、飢えている。それはこの国において、古くからずっと変わらぬ」
「それは、この国だけではございませぬ。唐の国であっても、形は違えど同じような事はありましょう。民を支配する者がいる以上、多少は避けられぬ事です。上に立って支配する者がいなければ、国は成り立ちませぬ」
「もっと、上手くやれるはずなのだ。国を乱す事無く収めるためには、上に力を持った者がいる。それは、確かだ。しかしこの国は唐の国と比べればはるかに小さい。であれば、その分、治めやすいはずなのだ。だが、実際には些細な事で国は乱れ、民は苦しみ続けている。朕はそれを変えたい、とずっと思い続けていた」
「それを正すためには、ただ政を変えるのではなく、武士のありよう、土地のありよう、この国の人のありようと言う物を変えねばなりますまい」
「その通りだ。朕は、それを変えたい。例えそのためにどれほどの痛みを伴おうとも」
「正しき理想であると思われます。しかしそのために必要なのは、急激な改革ではなく、やはり公正な裁きの元、ゆっくりと武士の力を削ぎ、その数を減らし、朝廷に力を集める事ではないでしょうか。百年、いや五百年とそれを重ねなければ、国と言う物はそこまで大きくは変えられますまい」
「それでは間に合わぬかもしれぬ」
「何にでしょうか」
「次なる蒙古の襲来よ」
そこまで言って帝は止めていた盃を一度口に運んだ。
「蒙古との戦いは、薄氷の勝利であった。もし時の執権が北条時宗でなければ、そして日本の武士達が今のように不満と不信を抱いておれば、この国は滅びていたかも知れぬ。次に海の向こうに蒙古の如き国が現れる前に、この国は変わっておかねばならぬ」
帝と親房のやり取りを聞きながら、小夜はその内容を分析しようとしていた。
帝の理想は大本の所では自分と同じだ。土地を巡って争う武士達をどうにかしなければ、上の政がどうであろうと本当の所はこの国は収まらない。
そして今のままの不安定な国の在り様では、次の外国からの侵略にこの国は耐えられないかもしれない。
その危惧も理解できる。しかし帝は急ぎ過ぎてはいないか。そして帝の理想が、今の敢えて世を乱しているとしか思えない親政や、大塔宮との対立にどうつながるのか。
一つの、ぞっとするような可能性に小夜は思い当たった。
「戦乱によって、一度この国から武士と言う物を完全に消すおつもりですか」
一度目を閉じ、それから親房はゆっくりと言った。
帝は静かに微笑んだ。その表情には優しさと哀しみが入り混じっている。しかし、酒を運ぶ手は止まらない。
酒の中に紛らわせなければ、語れない事なのか。
「護良を死なせる事は朕の本意ではなかった。しかし死ぬように仕向けたのは朕である。その意味では朕が護良を殺したのは事実であるな」
「本意ではなかった、とは?」
「朕も子を思う親としての心は変わらぬ。出来得る事なら護良とは和解したかった、と言う事だ。しかしそれは叶わぬ事であった」
「何故帝と大塔宮はそれほど対立されたのです。お二人の間に何があったのですか」
「護良は朕の理想を理解しようとしなかった。いや、違うな。理解はしたのだが、それを受け入れる事が出来なかった。そして朕を止めるには朕を殺すしかないとまで思い詰めておった。我が子ながら、何故あれほど頑固に、そして激しく育ってしまったのだろうな」
「理想とは、今の御親政ですか?」
「違う。今の親政は朕の理想の中途に過ぎぬ。何も語らずともそれに気付いたのは、今まで護良とそして楠木正成の二人だけであったが」
「何なのです、それは」
「顕家、それに親房」
帝は杯を傾ける手を止め、二人をまともに見た。
「今の世の乱れの根は、何であると思う?」
「恐れながら」
どう答えるべきなのか。小夜が考えをまとめるよりも先に親房が口を開いた。
「主上の余りに性急な政の変革と不公平な恩賞が世の乱れを招いている、と親房は考えます」
正しい、しかしあまりに平凡で単純な答えだった。
何故親房はそんな平凡な答えを返したのか、と束の間小夜は考えた。
何かとても複雑で危険な会話になりつつある。親房はそれを察し、一度小夜を話から遠ざけて自分が主上の相手をする事にした。一歩引いた所から主上の考えを見極めろと言う事か。
「不公平な恩賞か。では問おう、親房よ。公平な恩賞とは何か?誰もが不満を抱かぬ恩賞の沙汰があるのか?」
「功と徳と才、各人のそれらに見合った恩賞であれば」
「親房よ、そのような決まり文句はいらぬ。そなたや顕家であればこの国が抱く根本的な問題に気付いておらぬ事はあるまい」
「これは、失礼をいたしました。確かに、不肖親房の頭の中にも、問題の根のような物は見えております。しかし今は、主上のお考えを聞かせて頂きたく存じます」
「元より何なりと尋ねよ、と言ったのは朕の方であったな」
帝はそう言ってまた微笑んだ。
「武士は、いやこの国の力ある人間は皆土地に根付く。起こった戦の中で功を立て恩賞として、あるいは自ら他の土地を横領するために戦を仕掛け、そうして得た土地を命懸けで得た誇りと共に守っていく。それが武士の強さの根源であろう。しかしこの国の土地は有限である。そして武家は戦に備えるために多くの子を為し、兄弟で一族を枝分かれさせ、所領を分けていく事によって土地に不足し始める。だから新たな戦を起こして土地を求めざるを得なくなるし、それによって土地を奪われた者は何代を経ようとも祖先が持っていた土地を奪い返すためにまた戦の機会を待つ」
帝は滔々とした明瞭な言葉で語っていた。
「政が誤っていれば、世は乱れる。それは当然の事である。しかし、この国では何故これほどに容易く火のように戦乱が広がるのか。それは戦の気配を感じれば、それに乗じて新たな土地を得ようとする者が常にいるからだ。そして奪われた土地を取り戻そうとする者が常にいるからだ。今の世の乱れも、北条一族を始めとする土地を没収された武士達がいるからここまで激しく乱れているのではないか。例えどれほど公平な恩賞の沙汰を出した所で、土地に限りがある限りは不満を抱く武士は必ずいるのではないか」
「それは、この親房の考えと同じでございます。この国の土地と比べて、それを奪い合う者の数が多過ぎる」
「それは少し違うぞ、親房。数の問題ではない。例え一時的に武士や公家の数を減らしたとしても、血と家と土地と言う物が堅く結び付いている限りは、いずれ必ず武士や公家は枝分かれし、相争うようになる。この国の歴史を紐解けば公家は無論武士すら、皇統から出た血ではないか」
帝の眼に強い光が宿っていた。言葉にも熱がこもっているようだ。
「そもそも土地は誰のための物なのだ、親房、顕家。武士は、民が土を耕す事によって得られた米や麦を取り立てて戦をする。他の土地に出て行き、田畑を荒らし、家を焼き、人を斬る。それは、おかしい。どの武士が所領しようとも、いや、所領するのが公家や寺社であっても、その土地を汗して耕す民は変わらぬのだ。それなのに、上に立つ者のせいで、本当にその土地を持っているはずの者達が、飢えている。それはこの国において、古くからずっと変わらぬ」
「それは、この国だけではございませぬ。唐の国であっても、形は違えど同じような事はありましょう。民を支配する者がいる以上、多少は避けられぬ事です。上に立って支配する者がいなければ、国は成り立ちませぬ」
「もっと、上手くやれるはずなのだ。国を乱す事無く収めるためには、上に力を持った者がいる。それは、確かだ。しかしこの国は唐の国と比べればはるかに小さい。であれば、その分、治めやすいはずなのだ。だが、実際には些細な事で国は乱れ、民は苦しみ続けている。朕はそれを変えたい、とずっと思い続けていた」
「それを正すためには、ただ政を変えるのではなく、武士のありよう、土地のありよう、この国の人のありようと言う物を変えねばなりますまい」
「その通りだ。朕は、それを変えたい。例えそのためにどれほどの痛みを伴おうとも」
「正しき理想であると思われます。しかしそのために必要なのは、急激な改革ではなく、やはり公正な裁きの元、ゆっくりと武士の力を削ぎ、その数を減らし、朝廷に力を集める事ではないでしょうか。百年、いや五百年とそれを重ねなければ、国と言う物はそこまで大きくは変えられますまい」
「それでは間に合わぬかもしれぬ」
「何にでしょうか」
「次なる蒙古の襲来よ」
そこまで言って帝は止めていた盃を一度口に運んだ。
「蒙古との戦いは、薄氷の勝利であった。もし時の執権が北条時宗でなければ、そして日本の武士達が今のように不満と不信を抱いておれば、この国は滅びていたかも知れぬ。次に海の向こうに蒙古の如き国が現れる前に、この国は変わっておかねばならぬ」
帝と親房のやり取りを聞きながら、小夜はその内容を分析しようとしていた。
帝の理想は大本の所では自分と同じだ。土地を巡って争う武士達をどうにかしなければ、上の政がどうであろうと本当の所はこの国は収まらない。
そして今のままの不安定な国の在り様では、次の外国からの侵略にこの国は耐えられないかもしれない。
その危惧も理解できる。しかし帝は急ぎ過ぎてはいないか。そして帝の理想が、今の敢えて世を乱しているとしか思えない親政や、大塔宮との対立にどうつながるのか。
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