時の果ての朝~異説太平記~

マット岸田

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5-22 左近(2)

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 新しく下で働く忍び達が加えられてきた。
 元々いた者達と合わせて、十人以上の配下を持つ事になる。
 自分の下で働く人間が増える事を、あまり左近は好んではいなかった。
 仕事が増える、と言うだけではなかった。配下である以上、その生き死には自分の責任と言う事になる。人が増えればその分背負わなくてはいけない命が増えるのだ。
 今まで死なせてきた配下も多い。臆病な自分は配下の命を犠牲にする事で生き残って来たのではないか、と言う負い目も時折襲ってくる。
 何故自分のような取柄の無い人間に影太郎は部下を任せるのか、左近には未だに良く分かっていなかった。
 その上、今度加わって来たのは楠木正成の下で働いていた忍び達だ。腕を考えれば左近よりも上だと思える者がほとんどだった。
 楠木正家と言う、正成の一族の一人が代官として常陸に入る事が決まっていた。表の戦では陸奥守の配下と言う事になるので、楠木勢の忍びの内の一部もそれに合わせて陸奥守の忍び達に合流する事になったのだ。
 その辺りの取り決めは影太郎と楠木の忍び頭との間で、左近は何も知らない間に決まっていた。
 全体では二十人ほどの忍びが新しく加わって来ていた。腕がいいだけでなく、皆若い。
 楠木正成殿は次の戦で死ぬつもりだろう、と影太郎は一度だけ左近の前で口に出して言った。
 その事は加わって来た忍び達の間にも空気としては伝わっているようで、はっきり表には出さない物の不満や無念さを滲み出させている者達も多かった。
 今は、京で朝廷内を探りながら、少しずつ人を奥州へ戻している。それで新しく加わった者達の動きを確かめてもいた。
 形としては味方である朝廷を探るのに派手な動きをする訳にも行かないので、馴らしとしてはちょうど良かった。五辻宮の配下、つまりは帝の影の力が活発に動き始めているが、今の所は互いに相手を探り合っているだけの状況だ。

「正成殿は五辻宮の事を調べる許可を最後まで俺達には出していませんでした。東光寺でのあれは、本当に不意打ちでしたよ」

 昼の間に調べた事の報告を終えた半太夫はんだゆうが愚痴のように言った。
 新しく正成の所から移って来て左近の下に付いた忍びである。どこかで見た顔だ、と思ったが、東光寺で左近と斬り合いになった若い忍びだった。半太夫の方は左近の事は最初分からなかったが、ちあめと顔を合わせるとそれで思い出したようだった。
 最初に会った時の印象通り、若く、腕のいい忍びだった。ただ、どこか呑気で口数が多過ぎる所がある。

「陸奥守様も長らくあの主上の影の力に付いて調べる事はつい先日まで禁じておられたよ。どうも直接主上と会われて何かあったらしい」

「一体、上の方で何が起きてるでしょう」

「俺達なんかに分かる物か。ただ、敵が増えた、ってだけだろう」

「味方だったはずの相手が、急に敵に変わる。そんな事が起きたら困りますよ」

「俺は、元々陸奥守様の配下以外を味方だと思ってないよ。例えば影太郎殿のような上にいる人間が味方だと思えと言えばその時は味方だとは思うが」

「そんなもんですか」

「半太夫、君は忍びにしては少し気楽すぎるんじゃないか」

「それは、昔から良く言われますね。ただ、俺達は朝廷のために戦ってたはずなのに、裏切られたって気分は消えませんよ」

「その気持ちは、分からないでもないけどな。だけど、俺達は忍びだ。忍びは、それぞれの主のために戦えば、それでいいと思う。正成殿は、君らを裏切ったと思うか?」

「いえ」

 少し考えて半太夫は首を横に振った。

「あの方は、色々心の内に抱えておられますが、俺達を裏切るような事は決してしてこられませんでしたよ。俺なんかには何も分かりませんでしたが、それでも今でも不器用なぐらい全部の事に誠実に挑んでおられると思います」

「なら、それでいいんじゃないか。信頼出来る主に出会った。それは、仮に主の抱いていた大義が揺らいでも変わらない事だ。主が信じていた物に裏切られたのなら、俺達がやる事は嘆いたり憤ったりするよりもその主を支える事だと思う」

 偉そうな事を言っている、と左近は自分で思った。左近が影太郎に言われそうな事でもある。
 こんな事を言っていても、いざ戦いになれば半太夫の方が自分よりもずっと強いだろう。

「陸奥守様も、信頼できる主ですか」

「俺にとっては。君にとっては、まだ正成に引き合わされた次の主、と言うだけだろうな。だがすぐに信頼できる主になると思う」

 その言葉に、半太夫はわずかにうつむいた。正成から離れ、陸奥守を新たな主にする。頭では分かっていても、口に出されるとまだ辛いのだろう。
 忍びにしては、妙に素直で真っ直ぐな所がある男だった。それは危うい物でもある。

「そろそろ俺は行く。また、明日同じ時刻に」

 左近はそう言って半太夫の肩を軽く叩くと、別れた。次は陸奥守の裏側の警護を任している配下達と落ち合わなくてはいけない。
 夕暮れが近付いた京の外である。敢えて人目を忍んだりもせず、農夫の扮装をして左近は歩いていた。
 妙な気配を前方に感じた。編み笠を被り、錫杖を持った僧形の男が一人、道端の石の上に腰掛けている。
 仕掛けてくる気か。まだ距離はあった。左近は反射的に踵を返し、進む方向を変えた。
 進む方向を変えても、しばらく進めばまた妙な気配が前方から襲って来た。そこからどう方向を変えても、その気配は自分を捉えて来た。つまり、囲まれている。
 自分だけを狙ってくるのは想定外だったが、左近はまだそれほど焦りはしなかった。それほど多くの人数を自分一人のためだけに割いてくるはずがない。包囲が狭まる前に、どこか一か所を抜ければいい。半太夫もまだそれほど離れてはいない所にいるはずだ。合流して攪乱しながら逃げるのは不可能ではないだろう。
 その考えが甘かった、と分かったのはこちらから包囲へと近付いて見てだった。どの方向にも三人以上がいる。ただ網を張るためだけの人間ではなく、戦える者達がだ。
 何故自分一人だけを狙ってこれほどの人数が。それを今考えても意味は無かった。包囲の中で身を隠すか、あるいは無理にでも突破するか。
 鳥肌が立つような感覚が身を打った。咄嗟に飛び退り、鎖鎌を抜いて振り向く。
 自分の背後、すぐ側に一人の男が立っていた。やはり編み笠を被った僧形。ただこの男は錫杖ではなく、腰に太刀を佩いている。
 一目見ただけで勝てない、と分かった。気配を感じられたのは相手が教えたからで、そうでなければ自分は全く気付かないまま近付かれ、全く気付かないまま背後から首を飛ばされていただろう。

「そう怯えるな」

 男が口を開いた。

「下賤の者とは言え最後はなるべく見苦しくせぬ方が良い。どんな身分であろうとも、心がけ次第で死に様程度は等しく美しくある事が出来る物だ」

 静かな声だった。顔には薄い笑いが浮かんでいる。男であると言うのに、薄化粧をしているようだった。

「その下賤の者一人に、随分と手間を掛けた物ですね」

 どうにか、口を開いた。口の中は乾ききっている。

「いや、そちはついでだ。餌と言ってもいいかもしれんな」

「餌?」

「京周辺で動いておる陸奥守配下の忍びの中に、一頭だけ獣が混ざっておる。それがどうにも気に障ってな。どうしても今の内に消しておきたくなった故、そちを餌にしての獣狩りと言う訳よ。これだけ大きく動けば、獣は本能で気付こう」

「まさか」

 男の手がわずかに動いた。太刀。抜いた、と左近に分かった時にはもうかわしようがなかった。風を切る音が二つ。そして鋼同士がぶつかる音がし、一瞬だけ男の太刀が止まって見えた。後ろへと飛ぶ。首の前を太刀の切っ先が通り過ぎた。

「速いな。そして難なく我が配下達を倒してここにやってきたか」

 男が左近を無視するように真横を見ながら言った。その視線の先にはちあめが立っている。
 男の足元には手裏剣が落ちていた。
 ちあめが男に向かって手裏剣を打った。男は左近に向けた太刀を一度引き戻し、その手裏剣を叩き落としてからもう一度左近に向けて斬撃を放った。それで遅れた斬撃を、どうにか自分はかわす事が出来た。ようやく、左近はそれを理解できた。
 ちあめは真っ直ぐに駆けてくると男の間に割り込むように自分の前に立つ。自分で気付いていなかったが、左近は男の剣をかわすために相当な距離を飛んでいたようだった。
 同時に周囲で包囲してきた人間達がこちらに集まってくる。

「良い、私一人で斬ろう。下手に乱戦になっては却って逃げられるやも知れぬからな」

 男はそう言って自分の配下であろう者達を制すると、編み笠を取り、言葉通り一人で無造作に向かって来た。そしてゆっくりと太刀を抜く。先ほどは気付かなかったが、菊の紋が掘られていた。
 沈み掛けた夕陽が、その太刀を照らしている。男は左近の事など一顧だにせず、ちあめだけに意識を向けている。それは分かっているのに、左近は一歩も動けなかった。
 一歩、二歩、三歩。もう一歩で男の太刀の間合いに入る。左近がそう思った時、ちあめが跳躍した。ぎりぎりで、男の太刀が届かないほどの高さ。まるで人ではない物のようにそこまで跳躍し、男の頭上から手裏剣を放つ。
 ちあめが男を飛び越し、反対側に着地した。そして振り向く。男も左近を完全に無視するように、背後に回ったちあめの方に向き直っている。
 男の足元には手裏剣が二本落ちていた。男は無傷で、そしてちあめの脇腹からは、わずかに血が滲み出ている。
 ちあめが跳躍するよりも早く、男は踏み出し、斬り付けていた。
 信じられないような腕だった。ちあめに傷を負わせる相手など、ここ数年見た事が無い。

「なるほど、見事な技を使う。だが所詮獣の技だな」

 男が口を開き、また太刀を構え直す。ちあめの方は両手に短刀を構えた。だがその額には無数の汗が浮き、外から見てわかる程に呼吸も乱れていた。
 あのちあめが、明らかに圧倒されていた。このままでは、負ける。

「群れの仲間を守ろうとするのが、獣の本能か。名前も名乗らず斬るのが無礼な程度に見事ではあるな。私は五辻宮と言う」

 ここは、自分が動くしかない、と左近は思った。自分が後ろから襲い掛かっても、隙も作る事すら出来ず殺されるだろう。五辻宮もそれが分かっているから、まるで自分を無視している。だが、自分が死ねば、それでちあめがこの場に留まって戦う理由はなくなる。
 ちあめなら、それで逃げ切れるかもしれない。
 そう思ったが、体が動かなかった。そうするしかない、と思うのだが、空気に縛り付けられたように、動けない。
 このまま何も出来ず、目の前で見す見すちあめを斬られるのか。
 不意に五辻宮が、何かに打ち叩かれたかのように飛び退った。自分でもちあめでもない方向に、目をやっている。
 一頭の馬。男が一人それから降りると、見た目にはまるでゆっくりと、しかし実際には走るような速度でこちらにやってくる。
 勇人だった。
 五辻宮の配下の内二人が、錫杖を構えそちらへと駆けて行った。錫杖に仕込んでいた剣を抜く。勇人はそれでも歩む速度を速める事も緩める事もしなかった。ただそのままの歩調で進んで行き、そして向かってくる相手にまるで道を譲るかのような自然な動作でわずかに左右に動き、二人とすれ違う。
 勇人とすれ違った二人が、そのまま倒れた。いつのまにか勇人は剣を抜いている。どう剣を抜き、そして二人をどう斬ったのか、まるで左近には見えなかった。
 五辻宮の表情が変わっていた。

「驚いたな。ちあめが追い込まれるほどの腕の持ち主が京にいたのか」

 勇人がそう言いながら左近とちあめをさらに守るように五辻宮の前に立った。

「どういう状況だい、これは。左近」

 勇人の口調はのんびりした物だったが、全身から気を滲み出させている。

「獣狩り、だとさ」

 どうにか口を開いた。油断するとそのまま倒れ込んでしまいそうだった。ちあめの方は少しだけ後ろに下がり、呼吸を整えようとしている。

「なるほど、酷い話だな」

 それだけで意味が分かったのか、勇人は頷いた。

「何者だ」

「名乗る程の者では。ただこの二人が斬られるとあっては、相手が誰であっても見過ごす訳には行かないので」

「若いが驚くほどの使い手であるな。なるほど、名も無き下賤の者にも使い手はいよう。しかしそちの師もまた名も無き者であると言うか」

「師の名前と言うのであれば」

 少しだけ考えたような顔をした後勇人は口を開いた。

「南部師行」

「なるほど、あの」

 五辻宮は納得したように頷き、太刀を真横に構えた。勇人も静かに剣を縦に構える。
 空気が、再び張り詰めた。
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