時の果ての朝~異説太平記~

マット岸田

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5-23 建速勇人(7)

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 怪物。
 最初に勇人の頭に浮かんだのはその言葉だった。
 咄嗟に割って入った物の、いざ向き合ってみると、そうとしか言いようがなかった。
 そこに立っているだけですでに尋常な物で無かった男の放つ気が、太刀を構えた事でさらに異様な物になった。
 その場一帯に広がってそこを支配していたかのような圧倒的な存在感が、男一人に集約し、持っている太刀に集約し、そして自分一人に向けられている。
 勇人は渾身の気合を絞り出し、同じように自分の剣だけにそれを込めてどうにか押し返そうとした。
 まだ冬と言っていい二月の半ば、それも夕暮れ時の気温だと言うのに、わずかな時間で全身から汗が滲み出て来る。
 似たような感覚を以前に味わった。征西に出発する前。月夜に師行と向き合ったあの時の感覚。それを思い出していた。しかし師行の槍と比べて、より妖しさのような物が男の太刀とそれがまとう気からは放たれている。
 師行に、並ぶのか。あるいは師行をすら凌ぐほどの腕なのか。
 それを頭の中で考え、すぐに考える事を止め、そしてまた同じ事を考え出す。そんな事を繰り返しながら、勇人は少しずつ気を研ぎ澄ませ、潮合をじっと待った。左近も、ちあめも、男の配下らしき者達も、動くどころか声すら発していない。ただ自分の呼吸の音だけが、わずかに耳に響く。
 馳せ違った。動いたと言う意識すら、勇人には無かった。ただ斬撃を放つのに合わせて、剣に導かれるように体は踏み出していた。
 男と体の位置が入れ替わり、そして向き直る。また二人とも同じ構えになった。
 わずかに視線を男からずらせば、自分の着物の右袖が、ぱっくりと口を開き半端に腕にぶら下がっていた。勇人の剣は、男の服にすら届きはしなかった。左近が小さくうめき声を上げる。
 向き合い直した男の表情にも、決して余裕はない。顎から汗を滴らせ、時折肩で息をしている。
 ただ、このまま打ち込みを繰り返せば、先に倒れているのは間違いなく自分の方だろう。
 相討ちを狙えるか。次に考えたのはそれだった。師行の言葉を思い出す。命を捨てる事を武器にするのは、最後でいい。目の前のこの男こそ、命を捨ててでも自分が倒さなくてはいけない相手ではないのか。何故だか、そんな気がした。
 しかしただ命を捨てる覚悟をしただけで、どうにか出来るほどの相手ではない、と言うのも一度踏み込んだだけで分かっていた。
 右腕か、足。そこだけを狙って、斬り付けられるか。例え殺せなくても、深手を負わせれば、ちあめが倒してくれるのではないか。
 命と引き換えに、腕か足、一本。相変わらず安い命だ、と思ったが、不思議と自嘲の感情は沸いては来なかった。これほどの相手にそれが出来るのなら、上出来だ、と思った。
 またじっと、気を研ぎ澄ませた。
 沈み掛けた夕陽が男の姿に陰影を作る。しかし勇人はもう男の姿も、その剣も見てはいなかった。夕陽の中に、男の右手だけが鮮やかに浮かぶ。
 首と引き換えなら、斬れる。
 そう思い、踏み出そうとした時、男が不意に構えを崩し、勇人の気を大きくいなすと後ろに身を引いた。

「止そう」

 そう言って男が太刀を収め、左手を顔の前に広げる。張り詰めていた気が、それで四散した。

「一剣士としてはそちを斬る事に甚だ興味はあるが、大命を帯びた身故な。このような場所で命を捨てる訳には行かぬ」

「そちらから、仕掛けて来たのでしょう。勝手な言い分を」

 肩で息をしながら勇人は言った。男の盾になるように、僧形の男達が前に出て来る。

「例え私が鮮やかに首を飛ばしても、そちの首は最後まで私に喰らい付いてこよう。そのような戦いは、そちほどの腕の者とはしたくないと言うのもある」

 そこまで、読まれていた。恐らくあのまま打ち込んでも、男はかわしただろう。
 剣を引いた。男が斬り合う気を無くした以上、どうしようもなかった。無理に続けても、男の配下達が間に入る内に逃げられるだろう。
 今の自分に斬れるような相手では無かった。そう言う事だ。

「このような仕事をしていると、どうにも心が荒むような剣の使い方しか出来ぬ。わずかとはいえ久々に良い立ち合いが出来た。礼を言うぞ」

 男は唇を吊り上げて笑うと、その場から立ち去った。また勝手な事を、と勇人は思った。
男の部下達も、姿を消していく。
 勇人の後ろで左近ががくりと姿勢を崩し掛けた。しかしどうにか踏み止まる。
 勇人も思わず倒れ込みそうだった。それほどに気力を消耗する立ち合いだった。
 ちあめはしばらくの間じっと男が立ち去った方を見ていたが、その内に自分の傷の血止めをし始めた。それを見て左近も慌ててそれを手伝い始める。
 辺りは急に静寂に包まれていた。体の汗が引いていき、寒いほどだ。

「大丈夫か、左近、ちあめ」

「何とか。ちあめも傷も深くはない。君が来てくれなきゃ、死んでただろうが」

 左近が答える。顔は青ざめたままだった。

「たまたま、正成殿の陣に向かおうとしてた所だった。何者だったんだい、あれは」

「五辻宮、と自分で名乗ってた」

「あれが。小夜から話だけは聞いていたけど、とんでもない化け物だな。あれで宮か」

「勝てたと思うか?」

「いや、僕じゃとても無理だよ。引いてくれて、命を拾ったと思う。ちあめか、あるいは和政殿辺りと二人がかりでどうにか出来るかどうか、って所だと思う」

「そこまでの相手か」

 左近が唸るように息を吐いた。

「一対一でまともにやって勝てるのは、それこそ奥州軍じゃ師行殿ぐらいじゃないかな、あれは」

 思い出しても寒気がした。剣がかすめた右腕は、今でも本当は斬り落とされているのではないか、と錯覚するほどだ。

「裏で動いている中にあんなのがいるとなると、少し動き方を考えないとな。不意に小夜の暗殺とかを試み始めたら、凌ぎ切れないかもしれない」

 取り敢えず今夜は楠木正成の元を訪れるのは諦めよう、と思った。とてもでないが気力を使い果たしてしまっていて、会いに行ってもまともに話せそうにない。
 気付けば左近が泣きながらちあめに対して謝っていた。今までに何度も守られてはいても、その事でちあめが傷を負ったのは初めてらしい。ちあめはいつも通り無言のままで、左近の言葉がどれほど通じているかどうかも分からない。
 勇人は掛けるべき言葉を見付けられずに、黙っていた。

「勇人」

 ひとしきりちあめに詫びた後、左近がこちらに向き直った。涙は、振り向く前に拭っている。

「何だい?」

「俺を、鍛えてくれないか?」

「いきなり何を言ってるんだ、左近」

「もっと戦えるように、なりたい」

「僕は、人を鍛えるにはまだ未熟だよ。それに、忍びとしての腕は剣の腕を鍛える事で磨けるような物じゃないだろ。忍びには忍びの技と立ち回りがあって、それは君が自分で伸ばして行くしかないと思う。忍びとしてなら、君の腕は十分にいい」

「逃げたり、隠れたり、そんな技なら、自分で磨けるし、今も磨いてる。だけど俺は戦えるようになりたい。俺の周りで、正面からの戦い方を教えてくれそうな人間は君しかいない。ちあめは強いけど、戦い方を教わるなんて事は無理だ」

「だけどな」

「動けなかったんだ、ちあめが斬られようとしてたのに。何も出来なかった。忍びだから、いずれ俺もちあめもどこかで死ぬかもしれない、とはずっと思ってたし、覚悟もしてたはずだった。けど、いざその時に自分が動けもしない、なんて思わなかった。俺は、自分が情けない」

 もう涙は流していなかったが、それでも左近は泣き出しそうな顔と声をしていた。必死に堪えているのが、伝わってくる。
 左近の気持ちは、痛いほど分かった。だが、自分が左近を鍛えた所でいい方向に左近が伸びるかどうか、勇人には判断が付かなかった。
 勇人が見る所、左近は根本の所ではそこまで弱くはない。ただ、戦いの最中でも本能的な臆病さがいつも最後の所では動きに出てしまう。
 ぎりぎりの所で、あと一歩踏み込むか。あるいは後ろに退くか。そこでいつも後ろに退く人間が、強くないのは当然と言えば当然だった。
 その臆病さは裏を返せば冷静さであり、その冷静さが左近の強みでもあった。
 自分が鍛える事によって左近の臆病さを無理に直してしまえば、却って左近を容易く死ぬ人間に変えてしまいかねない、と言う気がした。忍びは、果敢に戦えばそれでいいと言う物ではない。
 逆にその臆病さを最後まで保ったまま踏み込めるようになれば、左近は驚くほど強くなるかもしれなかった。しかし、自分にそんな風に左近を鍛える事が出来るのか。

「勇人」

「あのな左近」

「君だって、女を守るために強くなったんだろ」

「それをはっきり言うのか、おい」

 そう言われると勇人もあれこれ理屈を出して断る事が出来なくなった。結局は、男としての下らない意地の問題で、自分の始まりもそれだったのだ。

「分かったよ。この先僕が暇そうで君の都合のいい時間に、いつでもくればいい。ただ、他人を鍛えた事なんてないからな。どうなっても恨むなよ」

 そう答えていた。左近が頭を下げる。肩を震わせていた。
 ちあめは黙ったまま、ずっと周囲を警戒し続けている。
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