時の果ての朝~異説太平記~

マット岸田

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6-13 足利直義(5)

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 師直が心配したように声を掛けてきたが、直義は何も言わなかった。そのまま楠木勢の首を検め、後は野営の準備をするように命じる。
 夜になっても、尊氏の元を訪ねる事をせず、直義はかがり火の前で一人で物思いにふけっていた。師直も何かを察したのか遠巻きに陣を固めているだけで声を掛けてくる事はしない。
 尊氏に相談出来る事ではない、と言うのはほとんど確信のように直義の中にあった。兄に正成の話を伝えれば、そのまま主上の狂気とも言える理想に魅せられかねない。
 あの兄は帝の権威を恐れているのと同じ程に今の主上個人に魅せられており、そしてあの二人はどこかでとても似てもいるのだ。
 そして師直に話す事も出来なかった。この話を聞いてしまえば、師直は足利家執事の責務として尊氏に伝えようとするだろう。
 近付いてくる者がいた。

「最後まで奇妙な戦でございましたな、直義様」

「貴様か、赤」

 赤だった。陸奥守の暗殺を命じてそれきりの忍びだ。直接姿を見せるのはいつ以来か。
 久し振りに見ても、外見にはまるで違いは無いように思えた。ただ、揺れるかがり火に照らされる姿は、一層不気味に見える。

「こんな所で何をしている。貴様には陸奥守の暗殺を命じたはずだぞ」

「ひたすら隙を探り機を伺っておりますが、中々」

「まあ、それはいい。すぐに目に見える成果が上がる事でないのは分かっている。ここに何をしに来た」

 相変わらず不快な男だったが、それでも直義は困惑からわずかに救われた気がした。

「陸奥で奇妙な気配を感じましたので、ご報告に」

「奇妙な気配?」

「我ら以外に陸奥守の暗殺を試みている者がおります。それも」

「何だ」

「探ってみた所、どうにも朝廷から出ている者達としか思えませぬので、さすがにご報告を」

「何だと」

 朝廷から出ている者。正成が言い残した五辻宮の配下か。それが陸奥守を消したがっている。自分が知らない所で、主上と陸奥守の戦いもすでに始まっていると言う事か。

「このまま、陸奥守の暗殺を狙い続けて構いませぬか?」

 しばらく考え、直義は口を開いた。

「赤」

「はい」

「陸奥守の暗殺は控える」

「では、次は誰を?」

「もう暗殺はいい」

「ではそれがしらはこれで用済みでございますかな」

 意外そうな顔もせず、赤は薄く笑いながら言った。主人に急に使い捨てられる事には、馴れているのだろう。

「このまま私の元で別の仕事をしろ」

「別の仕事とは」

「その朝廷から出ている者達を探れ。その者達の動きを中心に、あらゆる天下の裏の情勢を私の耳に入れよ。また家長殿との連絡を裏でも密にせよ」

「それがしらは暗殺を生業にする者達でございますが」

 赤はわずかに戸惑ったような様子を見せていた。始めて見るような様子だ。

「以前に淵辺義博の事で私と話したのを憶えているか、赤」

「は。結局鎌倉での戦で討ち死にされたそうですが」

「あの男は本当はあれよりもずっと前に死んでいたのだ。忍びを取りまとめる事を始めとした、様々な裏の仕事を私が命じる内に、少しずつ武士としての心が死んでいた。誰も気付かなかったが、お前は気付いていたな、赤。それだけでなく、一度私に対してそれを口に出した」

「あの折は差し出がましい事を申し上げましたな」

「あの時お前が言った事の意味をもう少し考えていれば、私は義博に大塔宮を斬る事までは命じなかったかもしれぬ。結局最後は私のその命が汚れ仕事に疲れたあの男を限界まで追い込んでしまった。今は、それが分かる。今更分かった所で、だが」

「失礼ながら、その事が今のそれがしらの仕事とどう関わるのか見当が付きませぬ」

「赤、貴様はどうやら暗殺者には向かぬ。自分ではそれが天分だと思って捻くれているようだがな」

「どういう意味でございますか」

「汚れ仕事をして誰にも分からぬ内に疲れ切った義博を、貴様はどこかで哀れに思ったのだろう?そして今も、陸奥守と朝廷の間の異常な関係に何かを憂慮し、わざわざ私にそれを報告して判断を仰いだ。真正の暗殺者であれば、ただその状況を利用して陸奥守を消す事だけを考えるべきであろうにな」

「それは」

 赤の顔がわずかに引き攣った。

「私は天下のためであればどのような汚れ仕事でも引き受けるつもりであった。しかし実際には、本当の闇と言う物が見えていなかったと言うのが、分かった。この先私には、世の闇を見極める眼がいる。それはただの謀略や暗殺と言った物ではなく、恐らく人の野望や理想や欲から生まれる闇を見極める眼だ。私にはそれが無い。義博一人の事すら分からなかった私にはな」

「それがしらに、それになれと?」

「人の心が、分かる忍びがいる。分かりながらも、同時にどんな闇にでも踏み込んで行ける忍びが。自分達にそれが出来ぬと思うのなら、私の前から消えるがいい。これまでの仕事の分の銭は払おう」

 それほどに長い時間を掛けて考えた事では無かった。ほとんど全部が、赤がこの場に現れて初めて頭に浮かんだ考えだったかも知れない。以前は、暗殺を生業とする得体の知れない下賤の者、と見下していた相手だったのだ。
 楠木正成であれば、どんな生業に手を染めている者であっても歪んだ眼で見る事はすまい、と思った。そう思って改めて目の前の忍びを見詰め直してみれば、別の人間が見えて来た。ただそれだけの事だった。
 赤はすぐには答えなかった。眼を瞑り、唇を固く閉じている。震えているようにも見えたが、それは炎の揺らぎのせいかもしれなかった。

「赤」

「それがしのような忍びを、人の心が分かる者、と言われますか」

「私が勝手にそう思っただけだ。自分で違うと思うのであれば、そう言え」

「それがしは」

 赤は何かを言おうとした。いつも通りどこか皮肉げな表情と口調を作ろうとし、失敗しているのが分かった。

「簡単な仕事ではないぞ。この戦の闇は、想像だに出来ぬほど深い。下手をすれば、この直義にも誰が敵で味方かすら分からなくなるかもしれぬ。ただ敵を暗殺する事を重ねるよりも遥かに険しい戦いだ」

 その道連れが欲しい、とまでは、さすがに言えなかった。

「引き受けさせて頂きましょう。我ら兄弟、郎党で力を尽くして」

「元は武士か?お前達は」

「武士とも言えぬ低い身分でございましたが」

「土地を与え、武士の身分に戻す、と言う事は今は出来ぬ。いずれしてやるとも約束出来ぬ。しかしこれより我が家臣となったと思え。心の中の事だけだが」

 そう言うと赤はわずかに頭を下げ、踵を返した。
 直義はまた一人でかがり火に視線を移した。
 楠木正成を討ち取って勝利を挙げたとはいえ、本来主力のはずの新田義貞の軍勢はまだ無傷だった。負ける事は無いにせよ、明日からもそれなりの激しい戦いを覚悟しなくてはならないだろう。
 そしてそれを破った所で、この乱世はもう戦では容易に決着しない所に来てしまっていた。
 この国の形を守っていただきたい。正成が最後に言い残した言葉が、また蘇って来た。
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