時の果ての朝~異説太平記~

マット岸田

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7-3 北畠小夜(2)

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「また今日も酷い顔してるね」

 顔を合わせるなり勇人はそんな事を言って来た。

「それが数日振りにあった女の子に言う言葉?」

「戦の結果が、なんて話ばかりするよりはましかなと思って」

 肩を竦めるような動作をした勇人の顔は、いつも通り控えめな思慮深さを感じさせる物だった。ただ、その端々に以前よりもさらに精悍さが滲み出ている。
 師行に従っての戦は、色々な意味でいい経験になっているようだった。今の勇人であれば、戦場で十騎や二十騎を率いても、恐らく師行を納得させるだけの働きはするはずだ。
 師行の側から勇人を合戦に貸してほしい、と小夜に言って来ていた。戦のやり方に関しても自分の下で鍛える時期が来ている、と思っているのだろう。

「小さな戦の結果を、いちいち気にしなくていいのは本当に楽なんだけどね。私は人に恵まれてるよ」

「酷い顔の原因は、もっと別の所か」

「色々な事をずっと繰り返し考えてる。頭の中で同じ事が往復してるだけな気もするけどね。その内に新しい情勢も入って来て、ますます考える事が増える」

 小夜はそう言うと地図を広げた。陸奥から九州まで、日本の地が描いてある。
 勇人に言わせればこの時代の地図に描かれた日本は実はかなり実際の形とは違うそうだった。
 約四百年後には日本の海岸を自ら歩いて正確に形を測る者が現れるのだと言うが、想像するだけで気が遠くなる話だった。
 それどころか勇人の時代には、海の外にある七つの大陸と大小様々な島の正確な地図までが作られており、その気になればどんな身分の人間でも手に入れられるのだと言う。
 その話を聞いた時、小夜はその偉業に対する感動の念と、そんな地図を普通に見て育った勇人に対する羨ましさを感じたが、今はこの勇人に言わせれば違和感しかないと言う地図を使うしか無かった。
 天下の情勢を頭の中に思い描く助けとしては、これでも十分だ。
 陸奥は今の所小さな叛乱が頻発しているだけで全体としてはまだ静かだった。不満を持っている武士は多くても、それを一つにまとめる力を持つ存在が今はいないのだ。宗広や行朝を始めとした武士達もいずれ自分の領地をしっかりとまとめ直し、再び外に兵を出す余裕を取り戻すだろう。

「関東の方も比較的静かな物だね。瓜連城を始めとしたこちら側の拠点で小競り合いが起きているだけで。斯波家長がもう一度陸奥に入ってくれば面倒な事になるだろうけど」

 陸奥の情勢は今の所言うべき事は無いと判断したのか、勇人が関東の辺りに手をやりながら呟いた。

「前の敗戦から立ち直って無いのかもしれないし、勇人に斬られた傷がまだ癒えてないのかもしれない。けどそもそも今は動く事も無いと思ってるのかもね」

「京の情勢で足利方が有利になればこっちも片付く、って事かな。互いにそこまで甘い相手だとは思っても無さそうだけど」

「陸奥は外から大軍で攻めるには向いてない。大軍を長時間置いておけるほどの兵糧を集めるのは難しいし、仮に短期決戦で多賀国府を落としても深い山の内のどこにでも拠点を移し直せる。勝負を掛けるとすれば私がもう一度上洛軍を出す時、と肚を決めてると思う。京の戦の帰趨が決まった辺りで、何か陸奥でも大きな動きを仕掛けるぐらいはするかもしれないけど、まずは関東で万全の体制を整える事に専念するだろうね」

 斯波家長は関東で確固たる勢力を作っているが、それでも全ての武士が従っている訳では無かった。北条の残党と楠木正家以外にも、せき宗祐むねすけ小田おだ治久はるひさ広橋ひろはし経泰つねやす国魂くにたま行泰ゆきやすと言った武士達が粘り強く戦っているし、相馬氏の中で宮方に付く事にした相馬胤平や相馬行胤も健在だ。
 そして宇都宮うつのみや公綱きんつな中村なかむら経長つねながと言った、様々な理由から足利方からこちらへと寝返って来た有力な武士達も僅かながらいた。
 やはり足利も一枚岩ではなく、こちらと同じように内側での諍いもある。
 斯波家長もそれが分かっているので、ただ単純な武力だけで関東を完全に平定しようとはしないのだろう。

「で、君はもう一度上洛するのかい?」

「それをずっと考えてる。私が酷い顔に見えるとしたら、原因は、多分それ」

「上洛して勝てるか勝てないかで言えば?」

「目に見える物だけ見れば、勝てない事は無い、って所かな。西にも東にも、足利に従わない武士達はいる。一度京を守る事をやめて、各地でその武士達を糾合して一度に上洛すれば勝てるとは思う」

 親房が敢えて京に向かわず伊勢で兵を養っているのもそれを見越しての事もあるだろう。足利が各地の有力な武士達を集めて上洛してきた、と言う事はそれだけ各地に残された宮方の武士達が動きやすくなっている、と言う事でもある。

「目に見えない部分では?」

「主上と、その意を受けた武士達がどう動くのか分からない。宮方はもちろん、表向きは足利に従っている武士達の中にも本当はどこまで主上の意が及んでいるのか、そして主上は私が上洛した時彼らをどう動かすのか」

 自分が尊氏を討ち、今の帝を退位させて六の宮を新たな帝に立て、関白か太政大臣として天下を治めようとした時、今の帝はそれを肯ずるのか。何としてでも尊氏を生かし、自分はまた別の帝として立ち続け、自分の理想のためにさらに天下を割る事を目指すのではないか。
 そう考えると仮に再上洛しても、無駄に兵を死なせ、民を苦しめ、世を乱すだけの結果になるのかもしれなかった。

「南北朝時代の次は三国時代かな」

 小夜が想定している事を悟ったのか、勇人が皮肉げな口調で呟いた。

「そのまま戦国時代になるのかもしれないね。五胡がやってくる事だけは無さそうなのが幸いだけど」

 小夜が返す言葉も、どこか自然と皮肉な口調になった。

「この国にもいずれ戦国時代と言われる戦乱の時代は来るかな。その時代でも朝廷の権威が完全に消えてなくなる事だけは無かったけれど」

「この国を古くからある血と土地の支配から解放したい、って言う主上の理想は理解できるんだけど、ね。それでもその理想のために戦を弄び、忠臣と言える人達を死なせている主上を許容していいのか私には分からない」

「僕としては上洛はやめて陸奥に引きこもろうぜ、と言ってしまいたいんだけどな。僕の知る歴史じゃ君は二度目の上洛で死んでいるんだし」

「その決断も簡単には出来ないよ。上洛の勅使を無視して陸奥に引きこもれば、それはそれで別の国を作る、と言う事になりかねないんだから」

「その国の支配者が君なら何の問題も無いんじゃないかな。少なくとも陸奥の人間にとっては」

「勇人」

「はい」

 勇人は肩を竦めて一度口を閉ざした。
 実際の所上洛をせず陸奥だけを守り固める、と言うのはかなり誘惑を感じる選択肢ではあった。天下を治めるにはどれだけ戦を重ね血を流さなくてはならないか見当もつかないが、陸奥だけであれば数年で治め切る自信がある。
 陸奥を守る戦であれば、斯波家長にも足利尊氏にも負ける気は無い。そして帝が天下を乱すためにどんな権謀術数を弄そうとも、陸奥を乱さない自信もあった。
 ただそれを選ぶ事は、天下の平定を大義に行った前回の上洛で戦って死んだ兵や、容赦ない摘発で死んだ農民たち、そして楠木正成のような共に戦った武士達への裏切りになるだろう。
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