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7-16 建速勇人(4)

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 鎌を使った稲刈りは、気の遠くなるような作業だった。
 長時間低い姿勢で身を屈めて集中するので、体への負担も大きい。
 勇人が生きて来た時代では、普通は機械を使い、人力で行う事はほとんど無い作業である。
 その機械を使った稲刈りすら、勇人はやった事が無い。
 村の若い男はもちろんとして、女も、五郎のようなある程度歳の行った子供も、老人も、ほとんど総出で稲刈りをしている。残りの者達も、他の者が本来している仕事を代わりにしているので、働いていないのは本当に幼い子どもか、病人ぐらいだった。
 東北の地なので、あまり時間の猶予は無かった。寒くなると、稲は駄目になってしまう。そしていつ頃本当に寒くなるかは、その年によってまちまちなので、稲刈りの作業は、収穫が出来る時期になったと同時に、村人が一丸になって、必死に初めなくてはいけない。
 行朝から与えられた土地で野菜は作ったが、稲作りはこれが初めてだった。以前に勇人がここにいた時には、もう収穫まで終わっていたのだ。
 黙々と農作業に勤しむ、と言うのは勇人に取っては悪い時間では無かった。単調な作業をこなしながら、関東での転戦を始めとして、今まで自分が行って来た戦を長い時間を掛けて思い出し、見詰め直す事が出来る。
 実戦での経験は得難い物だが、それだけが全てでは無かった。全く同じ局面は二度とは訪れないし、思いもよらない事が常に戦場で起こる。
 だから経験を元に長い思索を重ねて、自分の心その物を戦に向いた心にする。言葉にすれば、そんな事が必要だ。
 五郎の村、だった。
 関東への転戦の後、霊山に進行してきた足利の軍勢を何度か退け、小夜自身がいなくても十分に霊山は守り切れる、と言う程に情勢が安定して来た所で、ようやく小夜をこの村に連れてくる事が出来た。
 霊山は宗広が中心になってしっかりとまとめており、小夜の麾下の軍勢は和政がそのまま率いて時折出陣もしているので、陸奥守が不在である、と外から見て分かる事は無いだろう。
 勇人は、客人としてこの村で過ごし、民の生活を間近で見てくれればいい、と思っていたが、小夜は迷う事無く村人達と共に働く事を選んだ。
 村長は、小夜と五郎を連れて村に戻って来た勇人に、何の事情も訊かず、持ち主がいなくなった小屋を一つ貸してくれた。ただ、妹だと小夜を紹介した事に対して、この村にいる間は妻だと言う事にしておいた方がいい、と言っただけだ。
 そう言う事にしておかないと、村の他の若い男が手を出そうとするかもしれない、と言う事だろうと思い、勇人は深く考えず頷いておいた。
 後で五郎から、その話をしていた時、横で小夜が顔を真っ赤にして何とも言えない顔をしていた、と教えられたが、それに関しても勇人は深く考えないようにした。
 小夜の護衛は、左近が中心になって見えない所から固めている。和政は当然、小夜の護衛が勇人と忍び達だけに委ねられる事に難色を示していたが、この先の事を考えるためにどうしても民の中で暮らしたい、と言う小夜の言葉に最後は折れた。
 今が恐らく小夜がこんな風に過ごせる最後の時期だと、和政も分かっているのだろう。
 左近の方は、勇人が付きっ切りで側にいるなら、護衛に関してはまず大丈夫だろう、と考えている節があった。勇人が鍛え始めてから、左近はどこかで元々の繊細さに加えて、大きく構える所が混在するようになり始めている。
 そして小夜は今、勇人の後ろで、さくらと一緒に刈られた稲を藁で縛ってまとめる仕事にいそしんでいる。
 さくらは一年半ほどで見違えるほど背が伸びていた。五郎もさくらの成長に驚いていたようだ。
 最低で十日、長くても一月ほどが限界だろう、と勇人は思っていたが、もう小夜は二ヵ月もこの村での生活を送っている。
 そんな事が出来るのは陸奥の情勢が安定しているからだが、それ以上に勇人は小夜の忍耐強さに驚いていた。戦場で兵達と共に苦難を味わう事には馴れていても、農村での暮らしの辛さはそれとは全く別の種類の物だったはずだ。
 この二ヵ月、下女も何も付けず、夕食を長の家で皆と食べる以外、身の回りの事は全て小夜と勇人の二人で行って来たのである。

「見て、勇人」

 小夜が積み上げられた稲の束を横にし、輝くような屈託のない笑顔を向けて来た。
 元々彼女は、こんな笑顔で笑う人間だった。戦を続ける内に、何かを堪えているような笑顔しか見せなくなっていた。

「遠くから、稲刈りの様子を見た事は今までに何度もあったけど、自分で土に手を汚してそれに関わるのは初めてだよ。辛いけど、楽しい。どうしてこんなに楽しいのか分からないけれど、それでも」

 小夜だけが収穫の作業を無邪気に楽しんでいる訳ではなかった。仕事に勤しむ村の人間達の中には、楽しげに、浮かれたような様子を見せながらそれを行っている者が何人もいる。

「収穫した所で、それを自分達がお腹いっぱいに食べられる訳じゃない。皆、それが分かっているのに、それでもどうしてこんなに熱心に楽しそうに働けるのか最初は不思議だった。今やっと、それが分かって来たかもしれない。理屈じゃない、って事が、分かって来た」

「人間なんだよ、皆」

「そうだね。口にしてみれば当たり前の事だけど、それを私は今まで本当に分かっていなかった」

 人の幸不幸は、最後は理屈ではない。そして数でもない。厳しい年貢の取り立てや戦は確かに民を苦しめるかもしれないが、それだけが人間の生活でもない。
 自分で土を耕し、田を作り、稲が実った時、そこには言い様の無い喜びや感動がある。そしてそんな喜びや感動は、生活の至る所に潜んでいる。
 民は愚かで非力で哀れかもしれないが、同時に賢くしたたかで幸せでもある。上に立つ身分の人間はどうしても一括りにしてしまうが、それでも一人一人が様々な面を持った生きた人間なのだ。
 それは、頭のいい人間が、頭の中で正しい事を考えようとするだけでは、決して分からない事だ。
 もし今の帝に決定的に欠けている所があるとすれば、恐らくそれだろう、と言う確信に近い物が勇人にはあった。

「二人とも、収穫を喜ぶのは構わないが、あまり手が止まっても困るよ」

 作業を見て回っている長がやって来た。

「ごめんなさい。何だか、感動してしまって」

 小夜が素直に謝った。長は小夜が相当に身分の高い出の娘だと察しているだろうが、それでも村で暮らしている間は特別な扱いをせずに接してくる。

「少し、天気が崩れてきそうだ。降ってくる前に、刈り入れた稲を小屋に運んでしまおうか。今日はそれでおしまいにしよう」

「はい」

 小夜は興奮がやまぬ様子で頷き、さくらと共に稲の束を担いで小屋へと歩き出す。
 勇人も刈り掛けの稲を軽く刈ると、それを自分で縛って続こうとした。

「良く、二ヵ月もこの村での生活と仕事を続けられたものだね、小夜さんは」

 長が、声を掛けて来た。

「忙しい季節に、僕も小夜も邪魔になるのではないか、と思っていたのですが」

「確かに多少は邪魔だったね。最初の頃はどうしてくれようか、と思ったよ」

 長が笑いながら言った。

「本人に言ってやってください。落ち込んでから、またその言葉も糧にするでしょう」

「本当はとても高貴な血筋の方だろう、と言うのは分かる。そんな方の中にあんな娘さんがいる。それだけで少し世も捨てた物ではない、と思えるよ。それに、勇人さんと小夜さんに取って、ここの村で暮らす事がただの戯れではなく何かとても大切な意味がある、と言うのも分かって来た」

 二ヵ月の内に、最初は奇異の眼で見られていた小夜も、随分と村人達に馴染んでいた。

「ありがとうございます」

「だから」

 長は一度言葉を区切り、少しだけ目を細めると村の外を見回した。

「村から追い出すような事はやはりしたくないし、今回は自分から出て行ってほしい、とも言いたくはない。勇人さんと小夜さんがこの村の事を良く考えてくれている、と言うのも、また分かって来ているしね。ただ、村の周りにおかしな人間が見える、と言う事だけは伝えておこう」

 この村の周辺に五辻宮の配下と思しき人間達が集まって来ている、と言う報せは一昨日に左近から入って来ていた。この長なら、その不穏な空気に自力で気付くだろう。
 この戦乱の中で村を守る事に、全身全霊を掛けているような人間だ。

「それは、僕も気付いています。村に迷惑を掛ける事はしません。近い内に、小夜がこの村で確かめたい事は、確かめ終わるでしょうし」

「そうか。いらない事を言ったかな」

「いえ、口に出して頂けるだけで、だいぶ気が楽です」

 長は頷き、いつも通りの穏やかな表情に戻ると、自分の稲の束を背負い、勇人を促した。勇人もそれに続く。
 小夜の中では何かが見え掛けているのは確実だった。それが最終的にどんな答えに繋がるのかは、勇人にもまだ分からない。
 五郎が両手にいっぱいの束を抱え、視界を失ってよろけていた。勇人は長から離れると、そちらに向かった。
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