時の果ての朝~異説太平記~

マット岸田

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7-17 建速勇人(5)

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 夕食は、いつも通り麦と雑穀に木の実や野菜を混ぜた物だった。これに川魚の干物などが加わる。
 粗末な食事で量も限られているが、それでも飢えている者がいない事を考えれば、この村は、そして陸奥はやはりまだましな方なのだろう。

「村長様、食事が終わった後で少し時間を取って頂きたいのですが構いませんか?」

 小夜が食事の途中でそう言った。

「あまり長い時間でなければ構わないよ。場所を変えた方がいいのだろうか」

「そうですね、私達が借りている小屋の方で」

 五郎が怪訝そうな顔でその会話を聞いているのに気付き、勇人は何も言わず自分の分の干物を一匹、五郎の器へと移した。五郎はそれで目を輝かせて、会話から興味を失ったように食事に戻る。
 食事の後、小夜は長を連れて小屋へと移った。無論、勇人も付いていく。
 小夜は自分の手で囲炉裏に火を入れ、湯を沸かし始める。

「さて、何の話かな」

 湯が沸くのを待つ事も無く、長は話を切り出した。明日も早くから稲刈りを続けなくてはいけない。あまり長い時間を掛けたくはない、と言うのは切実な所なのかもしれない。

「稲刈りを始めとした村の様々な事に対する村長様の差配は、素晴らしい物でした。小さな村とはいえ、いえ、小さな村だからこそ難しい問題もあるでしょうに、とても良く村をまとめ、管理されています」

「何、先代、先々代から受け継いだ知恵を活かしているだけだよ。この国で私と同じ立場にある人間なら、私と同じ程度には仕事をする者が他にも大勢いるだろうと思う」

「それに村長様は、村の中だけでなく、外の事まで目を配ってらっしゃいますね。陸奥で次にいつ戦が起きるのか、さらに関東の情勢まで見てらっしゃる」

「この村にも行商人や旅の一座は来るからね。集めようと思えば、色々な話は集まって来るよ」

「村長様。この土地で多くの民の生活と向き合っている方からの忌憚ない意見をお聞きしたいのですが、民にとっての良い政とはどのような物だとお考えでしょうか?」

「私のような者に難しい事を聞くね、小夜さんは」

 長は苦笑気味の表情を見せた。

「年貢が生きていけない程に重く無ければいい。戦が起きなければいい。日々を生きる人間達に取って切実な願いはその二つだけだよ。その二つを心掛けてくれるのならどのような政でもいいと思う」

「この村で過ごした二ヵ月の間、村に住む人達と色々な話をする事が出来ました。村の人達はそれぞれ色々な悩みや心配事を抱えていましたが、朝廷がどうなるのか、今の帝の身がどうなるのか、と言う事に付いて悩んでいる人は一人もいませんでした。いえ、幕府や征夷大将軍と言った事に付いて考えている人も一人もいませんでした。誰がどのように国を治めるのか、と言う事は民にとってはどうでもいい事なのでしょうか?」

「それはとても大切な事である一方で、確かにどうでもいい事でもあるんだよ、小夜さん」

「どう言う事でしょうか?」

「政が乱れれば下で生きる者達の生活はその分苦しくなるだろう。その意味では誰がどんな政をするか、と言うのはこの国に住む全ての者にとって大切な事だよ。けどそれは、例えば日照りが起きないかとか、長雨が降らないかとか、もっと悪い所では疫病が流行らないか、と言う事を人の身で過度に心配するのと同じ事でもあるんだ」

「心配しても、無意味だと?」

「少なくともこの村に住む人間が必死に国の事を何か案じても、現実は何も変わりはしない。それよりは、目の前の問題一つ一つに付いて考える方が有益だし、何よりそうしないと生きていけない、と言う事もある。それが浅ましく生きている事だと感じるのだとしたら、そもそも民と上に立つ方々は最初から別の生き物なのだろうね」

「では、政は民の声などは聴かず、上に立つ者が一方的に行うだけの物で良いのでしょうか?」

「何が民にとって良いか。上に立つ方々がそれを考える事を決して忘れないのであれば、あるいはそれでいいのかもしれない。それで今まで十に一つ民のためになる政がなされていたのが、十に二つや十に三つ増えるのであれば、それで十分に良い政だよ」

「その程度、でいいのですか。政が目指す物は」

「政、と言うのは何だい、小夜さん」

 長が不意に表情を引き締めて訊ねた。
 勇人は沸いた湯を汲むと、小夜と長にそれぞれ差し出した。二人は、手を付けようとはしない。

「民を導いて国を治める事、だと思っています」

「そうだね。だけど政が森羅万象を治められる訳ではない。どれだけ良い政を行おうとしても、そこには必ず間違いは起こるし、それ以上に自然が起こす飢饉や疫病で死ぬ民達は必ず出る。国を良い方向に変えるために今は苦しみに耐えて田畑を耕し、年貢を出し、様々な労役に加わりなさい、と民に言うのは簡単だ。でも本当の所は一人一人の身に明日何が起こるかも分からないのに、政の力が万能であるかのように語るのは、欺瞞じゃないかな。苦しむのは実際には生きた人間一人ずつで、そして私達は皆本当は明日には死ぬのかもしれないと言うのに。そして逆に言えば、自分達に起きる悪い事全てを、政のせいにするのも間違っている」

「それはもう、政ではなく人の生き方の問題ではないのですか」

「政と言うのは、人だよ。最後は生きた一人一人の人だ。それを忘れて欲しくはない」

「今自分一人が良ければ、それでいい。先の事など考えなくてもいい。そんな考え方にも、聞こえますが」

「私の祖父が長を務めていた頃、この村はもっと小さく、貧しかった。皆が自分達が生き残り、豊かになるために必死に開墾し、飢饉や疫病や戦乱を乗り越えるための知恵を絞って取り決めを作り、子を生して少しずつ増えて行った。自分達がいなくなった後も、自分達の子や孫にそのほんのわずかな豊かさが受け継がれていけばいい、とは誰もが思っていたと思う。それは何代も続いて積み重なっていく、人の本能のような物だよ」

「国その物も、そんな風に何かが積み重なっていく、と?」

「その時その時に応じて、間違った政もあれば、正しい政もある。その中にはすぐに潰える物もあれば、続いて行くものもある。それも含めて、色々な物が積み重なって国もまた代を為して行き、最後は理想に届く。そう信じる方が、一代や二代の政や戦の力で国その物を変えられると思うよりも、現実的ではあると思う。理想に届くのが、五百年後になるのか千年後になるのか、それよりさらに長く掛かるのかは、想像も付かないけれど」

 長は一度引き締めた表情をまた穏やかな物に変えて語った。

「陸奥守様の統治は、村長様にはどう見えていましたか」

 少しだけ間を置いて小夜が尋ねた。

「少なくともこの村に住んでいる人間達にとっては、他よりましな為政者であったろうとは思う。民達の事を常に忘れずにいて下さったとも。多くの戦が起きたが、それは陸奥守様の力不足ではなく、そもそもそう言う世だったのだろう。だから、深く感謝はしている。ただ多くを期待し過ぎてはいないよ。逆に言えば、十分すぎる程に陸奥で民達のために働いて下さった、と思っている」

 長は歯に衣着せぬ言葉で返答した。

「何か、陸奥守様にお伝えする事はありますか?」

「出来れば、これ以上戦はしないで頂きたい。ですがそれが難しいのであれば、せめて戦をする時は足元の民の事を最後まで忘れないで頂きたい。大義や理想のための戦を追い求めて、何かを見失わないで頂きたい。私からは、それだけかな」

 長の言葉に、小夜は小さく頷いた。
 そのまま小屋の中で考え込む小夜を残し、長を外に送り出した。

「身分の差も弁えず、つい思ったままを語ってしまったが、あれで良かったのかな」

「長の率直な言葉を、あの子は必要としていたと思います。恐らくあれで、彼女の中の答えは出たでしょう」

「そうか。けど勇人さんは、何だか堅い顔をしてるね」

「村から出て行く時に、五郎は置いて行こうと思います」

「また、大きな戦になるのかい?」

「恐らく」

「今度は、陸奥に戻ってくるのも難しい戦になるのかな」

「恐らく。戻ってくる努力はしますが」

 この村での生活と長との会話で、恐らく小夜はどうあっても帝を止めなくてはいけない、と決意を固めただろう。その程度の事は横で見ていればもう勇人にも分かる。
 そしてそのためには再上洛せざるを得ないはずだ。

「やはり、何かいらない事を言ってしまったかな」

「いえ。これも巡り合わせでしょう」

 陸奥で実際に生きる民達を間近で見る事で、陸奥だけを守る決意を固めてくれるのではないか、とどこかで期待していた。その自分の考えが浅かったと言うだけだ。

「これを。陸奥守様から、長く五郎をお借りしていた事と、この村で僕達がお世話になった事の御礼です。何がいいかと思いましたが、今の時勢ではこれが一番間違いが無いと思いました」

 そう言って勇人は小さな袋を長に差し出した。中身は金である。長はその受け取った重さだけで、中身を察したようだった。

「これは、勇人さんがまたこの村に来るか、あるいは帰って来れないのがはっきりするまで、取っておく事にするよ。もし戻って来れて、そして色々なしがらみがそれを許すのなら、その時はこの村で小夜さんと二人で暮らしてもいい。特別な扱いは何も出来ないが、若い二人が新たに加わるぐらいの余裕は何とかある」

 思わず礼を言いそうになったのを、勇人はどうにか堪えた。どれだけ望ましく思えても、それはあり得ない未来だろう。

「いえ、ありがたいお話ですが、僕と彼女は、やはりこの村の人間にはなれないでしょう」

「そうか。人のしがらみや持って生まれた器と言うのは、そう言う物かもしれないね」

 長はそれ以上食い下がる事はせず、頷いた。
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