時の果ての朝~異説太平記~

マット岸田

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7-20 楓(2)

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 夜の森の中を素早く駆ける、と言うのは、足の速さだけで出来る事では無かった。
 わずかな月や星の明かりでは、例え暗闇に目を馴らしても、ほんの数寸先にある幹や枝すら見えない事もある。
 だから、自分の夜目と反応に合わせて、かわせるぎりぎりの速さで駆ける。自分のぎりぎりの所が分かっていないと、木にぶつかったり、躓いたりして大怪我をする事もある。
 傷を負って以降、楓は自分の体が以前のように動かなくなっている事を事あるごとに痛感していたが、それでもこれだけは同じようにこなせていた。
 仕事が手持ち無沙汰になったので、様子を見るついでに小夜の護衛に加わろう、と向かっていた矢先、仮小屋の兵達に急を知らせる途中の左近の部下と出くわしたのだ。
 一人でも二人でも人数が必要な状況だろう、と咄嗟に考え、楓はすぐに村の方へと駆け出していた。
 この時期に小夜がどうしても民達の生活の中に身を置きたかった、と言うのは分かる。
 五辻宮配下達との暗闘はここまで熾烈を極めていて、味方の消耗を抑えるためには多少無理をしてでも相手を纏めて引きずり出して戦う必要があった、と言うのも確かだろう。
 ただそれでも、小夜自身がここまで危険に身を晒す、と言うのは軽率では無かっただろうか。
 いくら護衛として付いている勇人が腕を上げていて、常人には理解しがたい域に達しつつある、と言っても、限界はあるだろう。
 こんな風に内面で焦燥を重ねていても、自分はもし実際小夜の元に辿り着けば、いつものように軽薄な調子で笑いながら戦い出すだけだろう、と言うのも楓には分かっていた。
 木々を抜け、森と森の合間の、月明かりが広がる小さな広場に出た。
 同時に張り詰めた人の気配を感じ、楓は草むらへと身を伏せた。
 五対三で、向き合っている。いや、三人が五人に囲まれていた。小夜が中心におり、左右から左近とちあめが、それぞれ剣を抜いた二人と三人を相手にしている形だ。
 相手が全員かなりの手練れなのは遠目にも見て取れた。小夜も剣を抜いてはいるが、二人が倒されたらとても自分では身を守り切れないだろう。
 楓は伏せたまま手裏剣を握り締めて相手の隙を伺った。ちあめは三人が相手でもどうとでもするかもしれないが、左近の方は無理だろう。
 手裏剣で不意を打つだけでなく、そのまま斬り込む覚悟もいる。今の自分がどこまで戦えるかは分からないが、やるしかなかった。
 そう考えていたら、不意に肩に手を置かれた。思わず気配どころか悲鳴を発しそうになり、それをどうにか抑えて振り向く。勇人の顔があった。
 白い月の光の下だが、全身が血に染まっているのが見て取れた。

「ここは二人に任せておいて大丈夫だよ」

 勇人がどこか呑気な口調で言った。

「勇人さん?血が」

「ほとんど返り血さ。浅い傷はいくつもあるけど。脇腹は少し深いかな」

 脇腹を自分の手で押さえながら、勇人は視線を楓から小夜達の方へと向けた。

「任せておいても大丈夫って、ちあめはまだしも左近は」

「まあ、見てなよ」

 勇人の口調は呑気なままだった。小夜を追っているはずの他の敵はどうなったのか、と楓は思ったが、口には出さなかった。訊ねなくても、勇人の様子を見ればそれは分かる気がする。
 左近はいつものように鎖鎌を構え、ゆっくりと分銅を振り回している。分銅が風を切る音が楓のいる場所にまで響いていた。
 分銅は便利な武器だが、投げる動作を相手に見切られれば、かわされるか剣で流されるかし、そのまま踏み込まれて斬られる。相手が一人なら鎌や手元に残った鎖で受ける事も出来るが、二人が相手ではそれも難しい。
 相手の二人はじりじりと左近との距離を詰めていった。ちあめと向かい合っている三人は固着したままだ。
 左近が分銅を投げた。応じるように相手が動く。それと同時に左近が鎖鎌を捨て、腰から剣を逆手で抜くのが見えた。
 交差した。左近が剣を構えて立っている。相手は一人が倒れている。
 投げられた鎖分銅が同時に斬りかかって来た二人の連携をわずかに阻んだ。その一瞬の隙を左近が衝いたのだ、と言うのが楓にはようやく分かった。
 残った一人が左近と向き合い直した。左近は逆手のまま剣を横に構えている。
 相手が剣を中段に構え突きを放った。左近は動かない。当たる。そう見えた時、左近が跳躍した。跳ぶ事によって突きをかわすと同時に、空中で相手の首を下から跳ね上げる様にして斬っている。
 左近が相手の背後に着地した。ゆっくりと残っていた一人が倒れる。
 いつのまにこれほど腕を上げたのだ、と楓は思った。

「勝った」

 勇人が小さく呟き草むらから歩み出る。
 ちあめと向き合っていた方の三人も、もう全員地に倒れ伏していた。こちらはこちらで、相変わらず寒気がするような強さだ。

「勇人、それに楓も」

 小夜がこちらを見てまずはほっとするような顔を向けて来た。それから血に染まった勇人に気付いたのか青ざめる。

「血が」

「ほとんど返り血さ」

 勇人が笑いながら言った。小夜には脇腹の傷の事を伝える気は無いらしい。
 小夜はさらに何か言い掛けたが、結局押し黙った。

「無事だったか、勇人」

 左近がちあめの倒した三人にとどめを刺した後声を掛けて来た。左近自身が倒した二人は確かめる間もなく死んでいるのが横で見ていた楓にも分かっていた。

「ひとまずは」

「追手は?」

「かなり倒せたと思う。君の部下も三人やられたけど」

 そう言って勇人が森の方を見やった。警戒に当たっていたらしい半太夫がやってくる。

「残りは十人足らずです。仕掛けてくる気があるのかどうか」

 どこか戸惑ったような顔をしながら半太夫が言った。

「援軍が来る前に減らし過ぎたかな。おびき寄せて一気に叩くつもりのはずだったのに」

 誇るような口調でもなく、勇人が言った。
 ちあめはぼんやりとした様子で月を眺めていた。警戒を解いている。と言う事は恐らくこれ以上仕掛けてくる敵はいないのだろう。

「勇人さんが、ほとんど一人で二十人以上を倒しました。敵には相当な使い手もいたのに、ほとんど一人で」

 うわ言のように半太夫が言った。文字通り、信じられないような戦いを見たのだろう、と楓は思った。
 無理もない、と思った。勇人がどれだけ強くなっているのか、もう楓は真面目に考える気も無かった。
 左近の強さは、まだ分かる。勇人の強さは、もう楓が測れる領域を遥かに超えてしまっていた。師行の強さに対して感じるのと同じような物を感じるだけだ。
 今もこうしてぎりぎりの戦いを重ねる中で、剣の腕と、戦いの中の勘のような物を磨き続けているのだろう。

「後はやってくる兵に任せて、森を完全に抜けてしまおうか」

「そうだな。相当な打撃は与えられたと思う。まあ、ほとんど君一人がやったんだが」

「君とちあめに小夜は任せられる、と思ったから好きに動けたのさ、僕も」

「感謝する。二人を相手に向き合った時、鍛えられた成果が出たよ。君と楓が見守っていてくれたおかげで、それを確かめる事も出来た」

 左近が笑顔を勇人に向けて言った。

「たいした事はしてないさ。僕は少し背を押しただけだ。結局人は最後は自分で強くなるしかない、と思う」

 二人の会話を横耳に挟みながら楓はどこか所在なげにしている小夜の方へと歩いて行った。

「いやあ、急いで来たけど私いらなかったかな」

 のんびりとした口調を作ると楓は言った。

「私は守られてるだけで、全部あの三人と後は左近の部下達がやってくれたよ。勇人の戦いに関しては、私は理解する事すら出来ない域だったと思う」

「あの分じゃ五年、掛からないかもしれないね」

「そうかも」

 小夜はやはり曖昧な様子で頷いた。
 戦いの中で自分が完全に置いて行かれている、と言うのは、小夜にとっては初めての経験だったのかもしれない。戦の中での武勇と言う物は理解出来ていても、暗闘はそれとは別だろう。

「勇人さん、平気な顔してるけど脇腹にだけそれなりの傷を作ってるよ。本人は小夜の前で強がりたいみたいだけど、診て上げたら?」

 楓がそう言うと、小夜は弾かれたような様子で慌てて勇人と左近の間に割り込んで行った。
 それまで静寂でありつつも緊張していた場に似合わない騒がしいやり取りがしばし続き、それから左近とちあめが勇人を捕まえ、小夜が勇人の着物を脱がせ始めた。
 ようやく自分らしい事が出来た、と楓は思った。
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