時の果ての朝~異説太平記~

マット岸田

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8-4 北畠小夜(4)

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 夜明け。軍配を振るった。長井、部井、高木の兵が競うように、それぞれ別の渡渉地点へと向かっていく。
 三隊がどこで渡渉するのかも任せていた。それぞれが地元の住人から集めた情報や自分で見た川の様子を元に判断するだろう。
 川に入った兵達に対岸から矢が射かけられる。多くの兵達がそれで倒れたが、それでも馬に乗った数名が川の中ほどまで達し、ほとんど首まで水に浸かりながら名乗りを上げている。敵味方から歓声が上がった。それに合わせて宗広と行朝もゆっくりと兵を川へと入れる。
 釣られるように、対岸からも数騎が川へと入り始めた。それで堰を切ったように、敵の半数ほどが渡渉する動きを見始める。
 残りの半数はそのまま渡渉するか、あるいは対岸で迎え撃つか、決めかねている様子がはっきりと見えていた。
 二つに分かれた敵の空隙。それが生まれる、と小夜が思った時、行朝の軍勢を背後から割るようにして騎馬隊が駆け出していった。
 師行。そして勇人。その二人を先頭に五百騎が二列になって川へと凄まじい速度で入っていく。
 無茶をする、と小夜は苦笑した。一歩間違えれば同士討ちを起こしかねない。
 馬に乗って深い川を全速で渡ろうとするのは、危険が大きい。水の中に隠れた地形に、不意に足を取られる事があるからだ。だから普通は渡ろうとするなら、馬から降りて引くか、あるいは相当に速度を落とさなくてはならない。
 だが、師行の騎馬隊はほとんど速度を落とさないまま渡渉していた。
何故そんな事は出来るのか。先頭に師行の暁と勇人の朝雲が立っている。そして後続の二列の騎馬はその二頭が足を踏み入れた場所と寸分違わぬ場所を踏んで川を渡っている。それを小夜は見て取っていた。
 馬と乗り手、どちらの能力なのか、あるいは人馬一体だからこそ出来る事なのか分からないが、暁と朝雲には川の中で安全に渡れる場所が分かるようだった。そして後続の騎馬達はそれに倣っている。
 同じ事を見て取ったのか横の和政が唸り声を上げる。小夜も思わず息を飲んでいた。あんな渡渉は、自分の旗本にも出来ない。師行と勇人は無論として、後に続く者達の練度も尋常ではない。
 師行の騎馬隊は斜めに川を横切るようにして半ばまで渡渉しかけた敵の側面を付くと、途中で方向を変えてそこを突っ切り、対岸の敵へとぶつかった。
 混乱した敵はそれでもわずかな兵が弓で応じようとしたようだったが、川の中にいる味方に当たる事を恐れて矢を放てないでいる。もし仮に矢を放った所で、正面から二列で突っ込んでくる騎馬隊には効果は薄かっただろう。
 そして師行が切り裂いた所をすり抜けるようにして、楠木正家が徒を五千率いて渡渉を始めている。どこに兵を伏せていたのか、とは考えなかった。徒のみの五千であれば、楠木一族の将はどこにでも姿を隠せるだろう。
 対岸に辿り着いた正家が、師行の騎馬隊の援護を受けながら堅陣を組む。楠木一族が得意とする繋がる盾を使い、瞬く間に敵陣の中に上陸地点を確保していた。一度川の中に入った敵は自分達が分断される事を恐れたのか、退こうとしている。
 小夜は麾下と南部の本隊にその敵は無視して渡渉するよう命じた。合わせて九千。これだけの数が渡渉すれば、残る全軍が渡るための拠点を確保するには十分のはずだった。しかも敵はまだ半数が川の中にいて、混乱している。
 川岸に残っている敵にもかなり乱れが出始めていた。すでに上陸したこちらの軍勢を追い落とすのか、あるいはまだ渡渉していない宗広と行朝に備えるのかを定め切れていない。
 上陸地点の確保を正家と政長に任せ、小夜は和政を先頭にした三千の麾下を率いて敵へと深く突き進んだ。正家への援護を切り上げた師行も別の方向から何度も敵へと浅く突っ込んでいる。
 それで敵の混乱に拍車が掛かった。宗広と行朝が指揮する主力も渡渉を始めている。
小夜はそのまま真っ直ぐ敵の本陣に向けて進んだ。師行は逆に戦場を縦横に動き回り、宗広や行朝の渡渉の援護もしている。
 五百騎の騎馬隊が状況に応じて師行と勇人の二つに分かれ、また一つになる事をしながら複雑な動きを繰り返している。勇人が指揮している側はまだ一見してそれと分かる程には動きは劣るが、それでも良く師行の騎馬隊に追い付いていた。
 互いに合図のような物を送っている様子はほぼない。それぞれが自分で戦場を把握して、自分の判断で動いているのに、連携が成り立っている。
 動こうとすればそこに出来た隙を二人に突かれるので、敵はこちらの主力に対応するのがかなり鈍くなっていた。師行の騎馬隊を止められるほどの騎馬隊も相手にはいないようだ。
 敵とぶつかり合う度に、勇人は数人、師行は十人近くを自ら倒しているようだ。
 馬上で鬼丸国綱を振るう勇人の動きには、全く無駄が無い。遠目に見ていても、いつ相手を斬ったのかすら分からないような静かな動きだ。しかし、勇人が先頭に立ってぶつかった先では、敵が倒れて行く。
 それとは対照的に師行の槍使いは、まるで人馬一体で踊っているがの如く激しく、荒々しい物だった。
 そのまま進み、かなり離れた所に敵の本陣が見えた。上杉憲顕と思しき武将が自ら太刀を抜き放ち、何かを叫んでいる。周りでそれを諫めようとしている武士達もいた。
自らが前に出て軍勢を踏み止まらせようと言うのか。勇敢ではあるが、戦況が見えていない行動だった。
 勝敗はこちらが九千を渡渉させた時点で決まっている。上杉憲顕が踏み止まろうとするのなら、多少の犠牲は出るが、ここで討ち取れるだろう。
 そう思ったが、さらに小夜が進むと結局上杉憲顕の本陣は退き始めた。それで敵の全軍が崩れ始める。
 小夜はほどほどで追撃を止めた。追い討ちに討つ事も可能だろうが、時間が掛かる。この先も敵地であり、鎌倉の斯波家長がどう動いてくるか読み切れない以上、長期の追撃は出来なかった。この先の戦いも長いのだ。

「犠牲は?」

 各隊からの報告をまとめている和政に尋ねた。

「ほぼありません。ただ、長井実永、部井十郎、高木三郎の隊は川に入った二百人がほぼ全員討ち死にしたようですが」

「そうか。戦功に関してはその三隊を並べて第一とする、と軍内に触れよ」

「はい」

 軍勢の中でも長井実永らの死に様を讃えている声が端々で聞こえて来ていた。
 小夜には、やはり理解し切れない物があった。しかしその理解し切れない物を尊重しなくては、武士を率いての戦と言う物は戦えない。
 戦と言うのは机の上の兵法通りに動く、と思っている者が廷臣達には多かったが、実際には戦をするのは人だった。そして人は生まれ育った環境で培った価値観に従って、それぞれ自分の生き方と死に方を決める。
 戦と言うのは、どうやって味方を死なせ、その命を使って敵を殺すか、と言う事でもあったから、その価値観は無視できない。
 だから唐の国の兵法がこの国では通用しない事もある。孫子や呉子が率いて戦っていたのは、鎌倉武士では無いのだ。

「上杉憲顕の事は、どう見られましたか?」

「戦のやり方自体に関しては、相変わらず見るべき物は何もない」

「では他の部分が?」

「幾度か戦った。どの戦でも勝ったが、上杉憲顕は生き残ったし、率いている兵にも大きな犠牲は出なかった。それは単にこちらが深追いしなかったからで、上杉憲顕自身の力に依るものでは無いのかもしれないが。しかし深追いをしない、とこちらが判断するだけの状況だったのは確かだ」

 稀に理由もはっきりわからないまま戦でしぶとく生き残り続ける者がいる。
 単に運がいいだけかもしれないし、生き残る事の才能だけに長けているのかもしれない。次の戦ではあっさり死ぬのかもしれないが、こちらが何をやっても何故か殺せない、と言う事もある。
 そんな相手の首に拘り続けると、気付かない内にこちらが思わぬ形で足を掬われる事があった。普通なら無理に相手をしないのが一番だが、上杉憲顕は無視してしまうには存在が大きい。
 しぶとい、と言うのはそれだけで時に厄介な相手だった。

「もう少し早くから本腰を入れて狙っておくべき首だったのかもしれない、とふと思った。今更そんな事を言っても仕方ないが」

「上杉憲顕がいたせいで鎌倉はかなり無駄な戦をする事にもなったでしょう。過去の判断はあまり気にされない事です」

「和政も中々言うようになったものだ」

 小夜がそう言うと和政は少しだけ赤面した。勇人の成長ばかりに目が行ってしまうが、和政もここ数年の戦いの中で確実に武将としての視野を広げ、強かになっている。
 何にせよ、戦には勝った。上杉憲顕を打ち破った事よりも、利根川と言う敵の防衛線をほとんど無傷で越えた事の方が大きいだろう。
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