銀杖のティスタ

マー

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0 プロローグ 師匠は街の便利屋さん

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 世の中には、普通の人間には理解の及ばない異能の力がいくつもある。

 魔術、呪術、神様の力――他にも色々あるけれど、それらの異能を扱う者達が今の世の中には確かに実在していた。  

 魔術を扱う者は、その名の通り「魔術師」と呼ばれている。中でも位の高い「国定魔術師」或いは「魔女」と呼ばれている者は、弟子を取る事が許可されている。

 僕、ひいらぎ 冬也とうやは、この国に正式に認められた魔術師の元に弟子入りをしている「見習い魔術師」のひとりだ。 

「先生、どこですか。今日は依頼があるって言っていましたよね。先生ー?」

 いつものように自分の魔術の先生の根城へと訪れた僕は、散らかしっぱなしの室内を見て大きな溜息を吐いた。

 少し前に片付けをしたばかりだというのに、放っておくとこの有様。僕の師匠は優秀な魔術師である事は間違いないのだけれど、私生活は少々だらしがない。

 魔術師の根城とはいっても、人気の少ない森の中だとか、薄暗い洞窟の奥だとか、そんな辺鄙な場所にあるわけではない。

 ここは街中にある普通の雑居ビルの2階。魔女の隠れ家というよりも、普通に仕事をする為に用意した先生の事務所兼自宅である。

 部屋の真ん中あたりにある来客用のソファーに視線を向けると、毛布に包まった状態の女性が寝ていた。彼女が僕の師匠だ。
  
「先生、起きてください。今日は依頼があるんでしょう」

 何度か声を掛けると、毛布に包まっていた女性は眠そうに目を擦りながら身体を起こした。

「んんぅ……今何時ぃ~……?」

「もう8時です」

「なんとっ!?」

 ミノムシみたいに毛布に包まって寝ていた女性は、ソファから飛び起きる。

 毛布から飛び出てきたのは、肩の辺りで切り揃えられた美しい銀髪と宝石のような碧い瞳をした小柄な女性。普段からよく着ている白のブラウスに紺のロングスカートという私服姿のまま、仕事場で朝まで寝ていたらしい。

 魔術師や魔女なんて名称からは想像も出来ない少女のようなあどけない顔立ちをした女性は、眠そうに目を擦りながらソファから身体を起こした。

「危うく寝坊をするところでした。ありがとうございます、トーヤ君」

 彼女は起きて早々にその場で服を脱ぎ始める。あっという間に下着姿になってしまった先生から慌てて視線を逸らした。

「ティスタ先生、お願いだから僕が見ている前で急に脱がないでください。僕だって男なんですよ」

 両手で顔を覆いながら自分の師匠へとそう言うと、彼女はけらけらと笑いながら仕事着へと着替えていく。

「私のような色気の無い女の下着姿を見て興奮するなんて……その程度の精神力では、魔術師としてまだまだ未熟ですね!」

「……ティスタ先生はお綺麗なんですから、もっと自覚してください」

「そ、そうですかぁ? ふふ、キミはいつもお世辞が上手ですね」

 お世辞じゃないんですよと心の中で呟きながら、僕は淡々と散らかった事務所のゴミ拾いを始める。

 僕の師匠、ティスタ・ラブラドライトは一流の魔術師だ。由緒正しき魔術師の家系の生まれだそうで、何故か今は街の便利屋さんとして色んな仕事を請け負いながら生計を立てている。

 魔術師の営む便利屋とはいっても、この事務所へと舞い込んでくる仕事の大半は普通の人間でも出来るような事が多い。

 庭の草むしり、犬の散歩、迷い猫の捜索、街のゴミ拾い――ティスタ先生はそれらの依頼を二つ返事で請け負って、文句のひとつも言わずにこなしていく。

 時にはお金にならないような事にもお節介で首を突っ込んで、大変な思いをしてしまうようなお人好しである。かくいう僕も、そんな彼女の優しいお節介に救われた者のひとりだった。

「お待たせしました、準備完了です」

 リクルートスーツを着用して、その上にフード付きの白い外套を羽織った姿。これがティスタ先生の仕事着。美しい金の刺繍が施された白い外套は、魔術師としての証であり、それ自体が魔術に対する防護になるという優れものである。

 ティスタ先生は普段はだらしない面もあるけれど、こうして白い外套を身に着けて仕事モードに切り替わるとまるで別人だ。

「さて、本日の依頼を……と、その前に事務所の片付けをしておきましょうか」

 彼女はそう言って、目の前の虚空へと手を伸ばす。

 開いた手のひらへ音も無く現れたのは、グリップ部分が鳥の頭の形状をした美しい銀の杖。歩行補助用の杖のような形状をしたそれが、ティスタ先生が魔術を扱う時に作り出す魔法の杖である。

 その銀の杖を軽く横に振ると、事務所の中で転がっていた空き缶や散らばっていた書類が一斉に宙に浮き上がって、あっという間に整理されていく。

 書類はデスクの上へ、ゴミは分別されてゴミ箱へ、さっき脱ぎ捨てた服は綺麗に畳まれてソファの上へ。

 もう何度も見た光景だけれど、これほどの精度で魔術を使える魔術師は世界的に見てもそうはいない。ティスタ先生は間違いなく人間世界屈指の優秀な魔術師だった。

「さて、片付けも終わりましたし、そろそろ行きましょうか! 今日の依頼は迷い猫の捜索です。ターゲットの見た目や素性は道すがら説明しますので」

 ティスタ先生は手に持っていた銀の杖を頭上へと放り投げると、杖は空中で忽然と消え去った。相変わらずの魔術の精度とスピードに感動すら覚える。僕も今では魔術を扱えるけれど、ここまでの事はそう簡単に出来はしない。

 そんな凄い魔術師であるティスタ先生がこんな街の片隅の目立たない場所に事務所を構えて仕事をしているのか、理由はわからない。ただ、彼女は以前にこう言っていた。

『何でもない日常を守るのも魔術師の立派な仕事ですよ。魔術師だからといって、全て魔術に縋って生きていくのは、身も心も大変ですからね』

 魔術師だけが特別な存在ではない、この世界に生きる者のひとりであるという事を忘れてはならない。

 そして、どんなに凄い魔術師になっても情を忘れるな――ティスタ先生は、弟子入りしたころから何度も僕にそう言い聞かせてくれた。



 ……………



 今日の依頼である迷い猫の捜索中、ティスタ先生は魔術を使う事は無かった。

 先生は特別な事情が無い限り、人前で魔術を見せびらかすような真似をしない。弟子である僕の前では頻繁に魔術を使う事があるけれど、それはお手本を見せてくれているのかもしれない。あるいは、単にズボラなだけかも。

「すみません、この猫ちゃんを見掛けませんでしたか?」

 飼い主から預かった猫の写真を使って聞き込みを繰り返して、猫が居心地の良さそうな場所を探して、とにかく足を使っての捜索――正直言うと、まったく魔術師らしくない仕事だ。それでもティスタ先生は生き生きとした表情をしている。

 手分けをして聞き込みを続けていると、遂に有益な目撃情報を得た。

 飼い主宅の近くにある大きな公園で写真と同じ首輪をした猫を見掛けたかもしれないとの事。目的地である公園へ徒歩で向かう途中、ティスタ先生は僕に話し掛けてくる。

「そういえばトーヤ君、学業の調子はどうですか?」

「上手くやれています。ティスタ先生に勉強を教えてもらったおかげです」

「それは良かった。耳にタコが出来るくらいに何度も何度も言っていますが、キミはまだ高校生です。本分である学業を疎かにしてはいけません。魔術ばかりに興味を持っていると、私のようになってしまいますからね」

「僕は先生のような魔術師になりたいんですけれど」

「つまらない人生になるから、オススメしませんよ」

 僕の隣を歩くティスタ先生は、ちょっと寂しそうに笑いながらそう言った。儚げな笑顔を浮かべる彼女を見て、胸が締め付けられる。

 こういった感情を庇護欲というのだろうか。放っておいたら彼女がどこかに行ってしまいそうに思えてしまう。近くにいてあげたい――そんな感情が湧き上がる表情を彼女は時折見せてくる。

 そんな事を考えていると、ティスタ先生は唐突に「見つけたー!」と叫んで、公園の中心にある大きな木に登っている猫を指差した。ターゲット発見だ。

「青い首輪、キジトラの猫! 間違いなさそうです。木の上から降りられなくなっているみたいですね」

「じゃあ、僕が木をのぼって――」

「キミはダメです、怪我をして学校に行けなくなったら大変でしょう。ここは大人の私が行くので、これをよろしく」

 ティスタ先生は羽織っていた白い外套を脱いで、僕へと預けた。 

「魔術を使って猫を降ろした方が安全じゃないですか?」

「いいえ、それもダメです。猫というのは環境の変化やストレスに弱い生き物。人間以上に魔力に対して敏感です。あの猫に対して魔力が与えるストレスがどれほどのものか未知数なので、それは最終手段にしましょう」

 ティスタ先生は僕に説明を続けながら、ポケットから取り出したヘアゴムで銀髪を後頭部で纏めた後、準備体操を始める。

「最悪、私が落下してもトーヤ君がいますからね」

「……善処します」

 心配する僕に向けて威勢よくサムズアップをした後、ティスタ先生は器用に木を登っていく。僕は彼女が落下してしまった時に備えて準備。

 僕はもしもの時の為、ポケットの中に入れておいた数個の植物の種を手に握って、木を登るティスタ先生を見守る。手に握った植物の種は、僕が魔術に使うもの。

 木の上で怯えた様子で身を竦めるキジトラの猫へ向けて、ティスタ先生はゆっくりと手を伸ばした。木の枝に跨ったまま猫を抱きあげて、優しく頭を撫でて落ち着かせている。お見事だ。

「よしよし、大丈夫ですよ~。怖かったですねぇ」

 無事に迷い猫を保護して一安心かと思いきや、彼女が乗っている太い木の枝がミシミシと音をあげながら折れていくのが見えた。僕は即座に魔術を使って、ティスタ先生と猫の落下地点に向けて植物の種を放り投げる。

「ぎゃあー!? トーヤ君、よろしく!!」

「ほら、言わんこっちゃないですよ! まったくもう!」

 僕の魔術は、魔力を使って急成長させた植物をある程度の操作する事が出来るというものだった。地面から生えた樹木をネット状になるように操って、真っ逆さまに落ちてきた彼女と猫を受け止める。 

「うひゃあ、死ぬかと思いました。さすが我が弟子、お見事です」

 けらけらと笑っている様子を見るに怪我は無い様子。まったくこの人と一緒にいると毎度退屈しない。それが楽しくもあるのだけれど。

「大丈夫ですか?」

「えぇ、猫ちゃんは平気です。よかったねぇ」

「ティスタ先生の事も心配しているんですよ……」

 樹木のネットの上で猫を撫で回すティスタ先生を見ながら、僕は苦笑いする。

 思い返してみると、この人は出会った時からこんな感じだった。自分の事をあまり大事にしないのだ。

「さて、この子を飼い主の元に返したら夕飯にしましょうか。今日は奢りますよ」

「いつもの街中華ですか」

「回転寿司でもいいですよー?」

「ティスタ先生が連れて行ってくれるなら、どこでも嬉しいし楽しいです」

 僕はそう言いながら、魔術師の証である白い外套をティスタ先生に返した。

「……そ、そっすか……ふーん……」

 照れ臭そうに視線を逸らしながら白い外套を受け取る彼女の頬は少し赤い。ティスタ先生が時折見せてくれるこんな表情が僕は好きだ。

 魔術師として尊敬している以上に、僕はティスタ先生を女性として意識していた。以前は僕からの好意は何処吹く風といった感じだったけれど、最近はちょっと反応が変わってきた気がする。

 出会ったばかりのあの頃と比べたら、本当に色んな表情を見せてくれるようになったから――。
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