銀杖のティスタ

マー

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18 元弟子で兄弟子

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 季節が秋から冬に移る11月。

 本日もアルバイトと魔術師の修練に励むため、僕は便利屋の扉を開けた。

「先生、おはようございま――」

「申し訳ございませんでしたぁぁぁっ!!」

 扉を開けた瞬間、聞き覚えの無い男性の大きな謝罪が事務所に響き渡る。

 視線を下に落とすと、そこには黒いスーツ姿の男性が土下座をしていた。ティスタ先生は、その男性に向けて氷のような視線を送っている。

「先生、これはいったい何事ですか?」

「トーヤ君、おはようございます。騒がしくて申し訳ありません」

 状況が飲み込めずに混乱する僕に、先生は一から説明をしてくれた。

 今、土下座をしている男性は元極道。そして、先日の魔族襲撃騒動の半グレ集団の代表者は、この男性の元部下だったのだという。

 彼等の所属する組が解散して組員たちは極道から足を洗った後、真面目に更生する者もいれば、半グレになって窃盗などの悪さを続けるような輩もいたのだとか。つまり僕は、そんな連中の巻き添えになったということらしい。

「こ、この度はっ……ティスタさんとお弟子さんに大変なご迷惑をっ……本当に申し訳ございません……!!」

 彼、金井かないさんは極道から足を洗って真面目に働いていた。ティスタ先生とは昔から面識があったらしく、慕っているというよりは怯えているように見える。きっと僕の知らない先生の一面を知っているのだろう。

 彼は元部下の無法を知って、僕達の元にすぐに謝罪に来てくれたらしい。

「……と、言っていますがトーヤ君」

「あ、え、僕ですか?」

「酷い目にあったのはキミですからね。どうしますか、一発ぶん殴っておきますか?」

「いや、それはちょっと。お話を聞いた限り、この人は何も悪くないですよね」

「そうですか。キミがそう言うなら、この件は不問としましょう。金井さん、頭を上げてください」

 恐る恐る頭を上げた金井さんの額は、土下座で何度も床に打ち付けたせいで出血をしていた。

 僕は急いで救急箱を持って来て、彼の額にこびりついた血を拭き取った。傷は浅いけれど、額からの出血は止まりにくい。

「動かないでください。今、傷を治すので」

 傷口にそっと触れて、治癒の魔術を施す。この程度の傷なら、今の僕ならすぐに塞ぐことが出来る。ティスタ先生の指導の賜物だ。

「……終わりました。まだ痛みはありますか?」

「い、いえ……凄いっすね。こんな速度の治癒魔術、初めて見たっすよ」

「魔術を御存知なんですか?」

「はい。俺も昔はティスタさんに魔術を習っていたので」

 金井さんは、元極道の元魔術師という奇妙な経歴の持ち主。かつては僕と同様にティスタ先生と魔術の修練をしていたらしい。

「……キミは途中で逃げ出しましたけどね」

「そ、その節は……申し訳ないです……」

 どうやら、ティスタ先生は元弟子に対して複雑な心境をお持ちらしい。



 ……………



「どうぞ、ゆっくりしていってください」

「すみません、トーヤさん」

 金井さんは黒髪のオールバックにサングラスを着用という容姿で威圧感があるけれど、元極道という感じがしないくらい物腰が丁寧だった。年下で半魔族の僕にも優しい。

 ティスタ先生は金井さんとは特に話すことが無いからと言って、事務所の備品の買い出しへと行ってしまった。

 今日の予約客は午後からなので、金井さんとゆっくりと話をする事が出来る。せっかくなので、昔のティスタ先生の話を聞いてみるのもいいかもしれない。

「金井さんは僕からすると兄弟子なので、どうか気軽に……」

「そうかい? ありがとう」

「差し支えなければ色々とお聞きしたいんですが、先生と何かあったんでしょうか。あの人があんなにピリピリとしているのを初めて見たもので」

「オレ、極道から足を洗った後、あの人に弟子入りしたんだ。普通の人間よりも魔術の才能があるってわかった時に自分も魔術師になれるんじゃないかなって思ってさ。で、そんな時にティスタさんに会ったんだよ。オレが組でヘマをして殺されかけている時に助けに来てくれてさ、目の前ですげー魔術を使うのを見て、思わず弟子入り志願をしたんだけど……」

 僕と同じように、彼もまたティスタ先生に救われた者のひとりであり、それが切っ掛けで弟子入り志願をしたのだとか。話を聞いていると、僕以上に波乱万丈である。

 でも、僕と違ったのは――

「ティスタさんとの才能の差に打ちのめされちゃったんだよな……あの人、魔術師界隈でもトップクラスの実力だったし……自分の才能が大したことないって理解できた途端、なんだか全部イヤになっちまって……それで……」

 それから、金井さんは逃げるようにティスタ先生の元から去ったのだとか。以来、彼は先生と会っていなかったけれど、先日の半グレ集団の一件で謝るために恥を忍んで頭を下げにきたということらしい。

 弟子としては良くないところがあったかもしれないけれど、律儀な人ではあるようだ。

「トーヤさん、すごいよ。あの先生と肩を並べて仕事をしているんだろう?」

「いえ、僕なんてまだまだ……」

「いや、あの治癒の魔術のスピードは、俺が知っている限りティスタ先生でも不可能だよ。傷ひとつ残っちゃいないし」

 金井さんは自分の額を手のひらで触れながら笑った。

 金井さんの言っていることは大袈裟かもしれないけれど、一生懸命頑張って身に着けた魔術を褒めてもらえるのは嬉しい。全ての魔術で先生と並ぶのは無理でも、自分の得意とする分野でティスタ先生と同じくらいに頼りにされるようになりたいから。

 そのためにも、尊敬する師匠の知らない一面を知るのも自分のためになるに違いない。

「よかったら、昔のティスタ先生のお話を聞かせてくれませんか」

「うーん……どこか達観しているというか……今でも変わらないと思うよ、そういうところ。ティスタ先生の魔術の指導って、感覚的過ぎて凡人には理解できないところもあるし。キミはどう?」

「そうなんですか? 僕はすごくわかりやすいし、教えてもらっている時は楽しいので何も気にならなかったんですけれど」

「きっとトーヤさんも才能があるんだろうなぁ。天才の指導を理解できるのも、天才だけだろうから。ティスタさんとキミは相性が良いんじゃないかな」

 そんな話を聞いて、僕はちょっと嬉しくなった。ティスタ先生にとって特別な弟子になれるのなら、僕にとっては願っても無いことだ。

「ティスタさんって怒ると怖くて……オレに魔術を教えてくれていた時、ずっと真顔だし……」

「ちゃんと笑ってくれる時もありますけれど……」

「じゃあやっぱり、ティスタさんにとってはトーヤさんは特別な弟子なんだろう。俺は久しぶりにあの人に会ったけれど、どこか雰囲気が柔らかくなったのもキミのおかげだな。おかげでオレは命拾いしたけど……ははは……」

 苦笑いする金井さん。彼はティスタ先生の笑った表情をほとんど見た事が無いらしい。

「……今の先生、笑顔がとても可愛らしいですよ」

「そうなのか、想像できないなぁ」

「先生は真面目な方なので、魔術を教える時はスイッチが切り替わっているだけだと思います。日常生活では、とても素敵な女性です」

 ちょっとお酒を飲み過ぎでだらしないところはあるけれど。

 それからしばらく、僕は兄弟子との会話を楽しんだ。僕の知らないティスタ先生の一面を色々と聞かせてもらった。
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