銀杖のティスタ

マー

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19 恋慕

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「まったく、彼は変わりませんね……」

 ティスタは事務所の備品の買い出しを終えて事務所に戻る途中、大きな溜息を吐きながら歩く。もう戻らないと思っていた元弟子が戻ってきて、律儀に自分の不始末を謝りに来たのは完全に予想外だった。

 元弟子とはいえ、自分が面倒を見ていた見習い魔術師、邪険に扱うことも気が進まない。それでも、冬也とは気が合う様子だったのはティスタにとっては幸いだった。

「……他の子達、今頃は何をしているのやら」

 事務所を訪ねてきた金井だけではない。ティスタは、今まで弟子にしてきた魔術師の顔と顔を全て記憶している。

 特に金井は経歴的にも問題児だったが、今では立派に一般人として働いている。元気そうな姿を見れたのは、正直なところ安心していた。

 世間の魔術師への扱いを感じて現実に打ちのめされる者、やる気があっても魔術の才能に乏しく挫折してしまう者、魔術という異能を手に入れた全能感で狂ってしまう者――挫折の道を進んでしまう者は多い。

 そんな中で出会った冬也という弟子は、ティスタにとっては希望だった。才能だけではない、優しさと強さを持っている。そんな彼の内に眠る全てを引き出せるのなら、ティスタは命すら惜しくは無いと思っている。

 長く続く魔術師の歴史の中では、命を賭して弟子の才能を開花させた魔術師もいるのだから。

(私も、彼のために――)

 冬也の師として、あの才能を無駄にするわけにはいかない。世界的に見ても冬也ほどの精度で治癒の魔術を扱える者は少ない。

 課題はメンタル面。冬也は優しい性格が災いして、感情が上下して魔力が安定しない時がある。何にも動じない心が完成すれば、冬也は将来的にティスタにも並ぶ格の魔術師へと成長するという確信があった。

 それを理解できているからこそ、ティスタの中には僅かな焦りがあった。伸び伸びと魔術を学んでほしいと思う一方で、冬也をもう一段上の段階の魔術師へと成長させてあげたいという気持ちで板挟みになっている。

 悶々としながら事務所のあるビルへと戻ると、ドア越しに弟子と元弟子の楽しそうな話し声が聞こえてきた。

「随分と盛り上がっていますね……どれどれ、ちょっと盗み聞きしてやりますか……」

 きっと師匠である自分の悪口でも言っているのだろうなと苦笑いしながら、ティスタは聞き耳を立てる。


 
 ……………



「トーヤさん、今はティスタさんと一緒に仕事をしてるんだっけ?」

「はい、色々と教えてもらっています。とても楽しいです」

「すげーなぁ、あの人の請け負う仕事って魔術とか関係が無いのばっかりなのに」

「そういうのも大切なんだと思います。魔力を扱うのは感情のコントロールが重要ですし、色々な経験を糧にして心を強くようってことなんじゃないかなって。それに、先生と一緒にいるだけでも僕は楽しいし、満足なので。あの人に会うためにここに来ているので……」

「おぉ? それって、先生が好きってこと?」

「それは、そうですね……素敵な方ですし……下心が無いって言ったらそれは嘘になります。初めて助けてもらった時に一目惚れしちゃって……」

「青春してるんだなぁ。キミが羨ましいよ」



 ……………



「な、な、なんっ……」

 盗み聞きをしながら、冬也の予想外の言葉に顔を紅潮させながら固まるティスタ。今まで何度も「綺麗」だとか「素敵」なんて言葉を冬也から貰ってはいたけれど、お世辞ではなくて全て本音だったということに気付いてしまった。

「い、いや、でも、師匠と弟子だしぃ……そういうのは、どうかなぁ……え、えへ、えへへへ……」

 正直、ティスタは満更でもない。

 今まで魔術ばかりに没頭してきて男性経験は皆無のティスタにとって、冬也の言葉は素直に嬉しいものだった。

 しかし、今は師匠と弟子。魔術師は恋愛が御法度というわけではないが、国定魔術師という立場的に見習いの弟子と交際するというのは少々気が早すぎる。

「はっ!? い、いけない……師匠の私がこんなことでどうするのです。彼の才能を開花させる事を最優先にしなくては……!」

 魔術の中でも難易度の高い治癒の魔術、特に冬也のように他者の傷をあれほどのスピードで治癒できる才能はそうはお目にかかれない。

 将来的には自分を超える可能性を秘めた魔術師の育成を優先するべきだ――そうだとわかっていても、冬也の言葉はティスタにとっては嬉しいものだった。

「…………」

 顔を真っ赤に染めたまま、額に手を当てて壁に寄り掛かる。今までに感じたことのない身体の熱を感じながら、ティスタは大きく息を吐いた。

「はぁぁ……」

 自分といる時間を幸せに感じてくれている者がいるということを知って、落ち着いていられるわけがない。

 思った以上に女性的なメンタルをしていた自分に驚きつつも、ティスタは自分の役割を決して忘れてはいない。冬也を一人前の魔術師にするという目標だけは絶対にぶれることは無い。

 その後のことは、その時に考えればいい。

「うん、そうだ。いつも通り、いつも通りに――」

「あれ、ティスタ先生。おかえりだったんですね」

「ふおぉっ!?」

 事務所の入口から顔を覗かせてきた冬也に驚いて、買ってきた事務所の備品を廊下に散乱させてしまう。

「あぁっ、すみません!」

「いや、こちらこそ……」

 一度意識してしまうと頭から離れない。恋愛感情とは、そういうもの。師としての自分、女性としての自分。どちらを優先するべきか、魔術師として選ぶまでもなく、ティスタの心の内で答えは決まっている。

 そのはずだった。

(うぅぅ……顔が見れない……)

 自分でも想像している以上に、ティスタの内面は乙女だった。
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