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第十七話 嫌がらせとしてはお粗末だけれど
しおりを挟むさすがに頭を強打した当日、しかも記憶を失ったその日に突然鍛練を始めては、おかしく思われる。とりあえず翌日からということにして、今日のところは大人しく休んでおくことにした。
――まぁ、一日ずれたくらいでは大差ないのかもしれないが。
急にトレーニングを始めようと思い立った理由なんかもでっちあげないとな。今日は一日ベッドでゴロゴロしながら考えるか。
だがなんのかんのと言いつつ、基本的にはいつも活発に動いているオレステスにとって、体を動かさないでいる退屈さはなかなかに辛かった。
その退屈よりももっと辛いのは――
きゅるるるる。
「あー……腹減った……」
オレステスの体であればもっと豪快だったのだろうが、オレスティアの腹の虫はやや控えめだった。
朝食は、おそらく食べられなかった。オレステスが鏡の前で目を開けたとき、混乱していてはっきりはしないが満腹感めいたものはなかったように思う。
そして、昼。記憶を失うほど頭を強く打ったということを考慮されたのだろうか、ほとんど具のないスープと肉系はなにも入っていない野菜だけのサラダだった。
ようやくありつけると思った昼食が、それだけだったのだ。運ばれてきたそれを見た時の絶望感と言ったらなかった。
もっとも詐病の自覚はある。それに配慮されたうえでのことなら、仕方がないのだろうか。
ここで「肉持ってこーい」と騒ぐのはきっと、得策ではない。諦めるより他はなかった。
空腹を抱えながらベッドの上で無為に過ごしていたオレステスに、「夕食はどちらでお召し上がりになりますか」と尋ねてきたのは、倒れたときにいた侍女だった。
部屋で、と言えば運んでくれるのだろう。けれどオレステスはあえて、「みんなと一緒に」と答えた。
記憶を失い、気落ちしているふりをするのもありだろう。だがそれよりも、両親との関係性を確認し、是正させるよう、もしくは打ち切るように動く方がいい。
なにより、運んでもらうとなったらまた体調不良を心配され、食事とも呼べぬ少量しか出してもらえないかもしれない。
そんなことになればきっと夜も眠れず、思考力も体力も気力も底をつく。
だから、「食事の用意ができました」と呼ばれたときには、小躍りするほどの気持ちだった。
さすがにそれはご令嬢としてはおかしいと思い我慢したものの、ウキウキしながら食堂へと向かう。
辿り着いたのは、皆、ほぼ同時くらいだった。侯爵、侯爵夫人、そして向かいの席にアレクサンドルが順に座る。空いているのがアレクサンドルの隣りなので、そこがオレスティアの席だろう。
皆の着席を待って、食卓に料理が並べられる。
白身魚と葉物野菜を和えたサラダ、見た目では何肉かはわからないが、彩りよく付け合わせが添えられたステーキ。根菜類の温サラダ、生ガキとレモン、蜂蜜とチーズ、レーズンと胡桃入りのパンとトマトスープ、葡萄や柘榴などの果物――香りだけでも美味しそうなのがわかる。
オレステスのような庶民が、一度にこれだけの品数を並べて食事をする機会もないので、喜ばないはずがない。
もっとも、その喜びは一瞬で終わる。数々の料理が運ばれてくるが、オレステスの前に置かれたのは温サラダとパン、スープだけだった。
昼食のときには配慮かとも思った。だが夕食時までこれとは――
「――なんですか?」
じーっとアレクサンドルの食事を見つめていると、さすがに気づかれたらしく問いかけられた。
ジド目の自覚は、ある。
「疎まれているのは理解しました。これも嫌がらせの一環ですか?」
「なっ――!」
おそらくオレスティアなら大人しく受け入れるのだろう。けれどこんな食事では、これから始めるつもりのトレーニングに耐えられない。
トリの餌かよと吐き捨てなかっただけ、我慢した方だ。
「違いますよ! 姉さんの食が細いからでしょう!?」
顔を赤くして叫ぶ反応を見ると、本気でそう思っているらしい。ならばアレクサンドルが物心ついた頃にはこれが普通だったわけか。折れそうに細いオレスティアの腕にも納得する。
しかし、元々食が細くてこうなったのか、これを続けられて細くなったのかは定かではないが。
「そんなにお腹がすいているのなら、僕のをどうぞ」
「――っ! ありがとう!」
ついっとメインの肉料理をこちらに押しやるアレクサンドルに、心の底から感謝の声が出た。
こうなったら深夜にでも厨房に忍び込むしかないな、と令嬢にあるまじき行為を覚悟していただけになおさらだ。
というか、いくらじっとり見られる気まずさからとはいえ、この弟、やっぱりそれほど悪いヤツじゃないのかも。
二人のやり取りを見ていた侯爵が、深くため息を落とす。
「明日からはオレスティアにも我々と同じ物を用意してやれ」
「あっ、できれば倍の量で!」
侍従に命じる侯爵に続き、間髪を容れず便乗する。
質にはさほどこだわりはないが、ある程度の量が欲しいと思うのは、その日暮らしの冒険者ならではかもしれない。
胡散臭そうに見てくる侯爵の目には、あえて気づかないふりをした。
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