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第四章
第五話 確執
しおりを挟む邸に着くまで、月龍は一言も話さなかった。
無口なのは今に始まったことではない。普段と違うのは、月龍と同様、蓮も口を閉ざしていることだった。
唇を真一文字に引き結び、険しい表情を作るなど、蓮らしくない。
「どうして?」
先に邸に入った蓮が、後ろ手に扉を閉めた月龍を振り返った。
見上げてくる目が、潤んでいる。非難の色を隠す気もないようだった。
「確かに驚きもするでしょうし、急には受け入れがたいことかもしれません。でもそれは蒼龍のせいではないでしょう? 何故あの人を、殴らなければならなかったの?」
いつもの甘ったるさが感じられない、厳しい口調。蓮からこのような声が発せられたのは、初めてだった。
自分が陵辱されたときでさえ一切月龍を責めなかった蓮が、蒼龍のために怒っている。
はっ、と短い笑声を吐き捨てた。
「君はよほど、あの男が気に入ったと見える」
「そのようなこと」
「いつからだ」
否定を遮る声が、低くなる。
「いつから、あの男と会っている」
目付きの鋭さも、自覚済みだ。
蓮を怯えさせたくはない。けれど、怒気を抑えられなかった。
「――もう、随分前のことです」
蓮の唇から、小さなため息が洩れる。軽く目が伏せられて、睫毛の長さが際立って見えた。
「覚えていませんか? とても別人とは思えないくらいあなたに似た人に会った、と言ったことを」
忘れられるはずがない。他者と混合するなど、やはり自分は特別ではないのだと、逆上の一因となったのだから。
今にして思えば、この上もなく適切な表現だったとわかる。勝手に勘違いをして、一人で憤った月龍はただの愚か者だ。
思い違いをして、蓮を傷つけたことを申し訳なく思うより、苛立ちの方が強い。
「ならばあのときから――幾月も前から、あの男と会っていたのか」
帰ったときに花が飾られていたことは、頻繁にあった。従者を伴っているのだとばかり思っていたが、ずっと蒼龍と一緒だったのか。
二人の親密な様子と、蒼龍を思いやる蓮の言――すべて、月龍に対する裏切り行為だった。
「――ごめんなさい」
月龍の怒りに触れたせいだろうか。蓮の声音が、わずかながら申し訳なさそうになる。
「ずっと黙っていたことは謝ります。あなたが出生に――その、劣等感を抱いていると、亮さまから聞いて知っていました。その出自がわかったのだから、本当はすぐに話さなければならなかったのでしょうけど」
月龍が納得できないのは、蓮と蒼龍が逢引きを重ねていたことだ。そもそも、弁解する観点が違う。
「でも、大切なことだから会って話をしたいという蒼龍の気持ちも、理解できるのです。混乱させたくないから、時期を待つというのも」
「――おかしいとは思わなかったのか」
怒鳴るのを我慢するほど、声に凄味が増す。蓮が相手でなければ、とっくに手を上げていただろう。
え、と不思議そうな表情を向けてくるのが、さらに怒りを誘った。
蒼龍の話が真実だったと仮定する。その上で彼の立場であれば、蓮に仲介を頼んですぐにも会おうとしただろう。
第三者を通して双子の存在を知らせる。それから事情を詳しく話したいから会いたいと伝えてもらうはずだ。
最も混乱を防ぎ、かつ、円滑に事を運ぶ、簡単な方法である。
月龍でさえ思いつく理屈だ。見た目よりもずっと頭の回転の早い蓮が、気づかぬはずがない。
気づかなかったとすればよほど蒼龍を信頼し、その言葉を鵜呑みにしていたのだろう。
否、気づく、気づかないではなく、すでに蒼龍と共謀していたのであれば?
蒼龍がなにを企んでいるのかは、わからない。疑いないのは、月龍に向けられる敵意だけだ。
ならば、よからぬことと決まっている。
蓮がそれを、黙認しているのだとしたら?
「薛の名は、魅力的か?」
「――え?」
「君はあの、胡散臭い男を信用した。それはやはり、薛家の子息だったからだろう?」
家柄、身分さえはっきりしていればいいと言うのなら、それらが不明であった月龍のことはどう思っていたのか。
薛家の血を引くと聞いて、安堵したのかもしれない。宦官の養子、成り上がった武官であることは変わらずとも、身元がわからぬよりは、薛家の子息の方が公主の相手としては相応しい。
――否。
「君が気に入ったのは、この顔だったのか」
左手で右頬に触れる。皮肉な笑みで歪んでいるのが、掌を通して感じられた。
「同じ顔だから、どちらでも良かったのか? 武官と諸侯の後継。どちらについた方が得策かと選んでいたのかな」
莫迦なことを言っている。頭の片隅で、自嘲が浮いた。
もし蓮が顔で男を選ぶなら、初めから月龍など相手にはしない。絶世を冠していい亮の美貌の前では、太刀打ちできる男がどれだけいることか。
まして、薛の名に惹かれたなどとはあり得なかった。蓮の身分はもっと高位なのだ。心動かされる要因となるはずがない。
月龍の言葉には、幾つもの矛盾がある。論理が支離滅裂なのは自分でもわかっていた。
けれど――。
「どちらを選ぶ。おれか? あの男か」
苛立ちが、心にもないことを口にさせた。
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