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第五章
第七話 虚言
しおりを挟む「――叔父様は、私を可愛がってくださっています」
はっと息を飲む。抽象的な表現ではあったが、その一言だけで蓮が言わんとすることは充分に伝わった。
蓮の叔父である王が、彼女を猫可愛がりしているのは事実だった。
たとえば月龍が蓮を連れ去り、天乙に渡したとする。商は王に対して、切り札とも言うべき人質を握ることができた。
月龍は功を認められ、政治的に地位を与えられる可能性は高い。
蓮は、自分を政治の道具として使えと言っているのだ。
政治の裏、汚い部分を蓮は嫌っていた。まして、自分が道具とされて喜ぶ女などいない。
それでもいい、月龍の傍に居たいと言ってくれる気持ちが嬉しくて、眩暈すら覚える。
否、違う。違うはずだと、必死の思いで否定する。
蓮はきっと、本心から言ってくれている。実際にそのような状況になれば、躊躇わずについてきてくれるだろう。
けれど、本心であるのは違いないが、まだ現実として考えていないのではないか。
月龍が蓮の気持ちを試しているのだと――月龍のためにすべてを捨てる覚悟があるのか試しているだけだと、まだ何処かで考えているのかもしれない。
蓮もまたきっと、月龍を信じてくれている。でなければ、自分を愛してもくれない男のために、ここまで言えるはずがなかった。
言葉が、出てこない。嬉しくて、苦しくて、なにを言うべきなのかわからなかった。
沈黙を友とせざるを得ない月龍を見上げていた蓮の瞳に、かすかながら安堵が浮く。
月龍が真実、権力のみを欲する男なら、今の提案を嬉々として受け入れただろう。
なのに迷ってしまった。蓮への想いがある証拠だと、受け取られたのではないか。
しまったとは思うけれど、どうつくろえばいいのか、どのような反応を見せればいいのかすらわからない。
硬直して立ち尽くす月龍の手を、蓮がそっと包みこむ。
「――大好きよ、月龍」
蓮の冷たい指先に導かれるまま、月龍は彼女の頬に手を当てた。
「どのような豪傑でも、初陣は恐れるものと聞いています。それで――不安になったの? 大丈夫よ、月龍。私はなにをなくしても平気。あなたさえいてくれたら……だからずっと、傍にいさせて」
囁かれるのは、聞く者の耳を蕩かせる優しい声。
月龍に少しでも安心を与えたいと思っているのだろう。手を通して、頬の温かさと共に気持ちが流れこんでくる。
慣れ親しんだ、柔らかい肌。
ふっと理性が遠のき、我を忘れそうになる。今まで言ったことをすべて否定して、抱きしめたい衝動に駆られた。
だがそうしてはいけない。いけない理由があった。
それ故に、本気の別れを決心したのだから。
「――なにを勘違いしている」
固く目を閉じて、蓮の手を振り払う。はずみで、手の甲が彼女の頬を打つ格好となった。
頬を押え、愕然と見上げてくる蓮の視線が痛い。
「身分を得るためと言えば、他の女でもいい。その中から選んだと誤解させたか。君に目をつけたのは、公主だからという以上に亮の許嫁だったからだ」
「――亮さまの?」
「許嫁ならば当然、体の関係もあるだろうと思っていた。なのに亮は、君との結婚はあまり乗り気ではないらしい。遊びならば、おれも便乗しようと」
「便乗……?」
「亮はおれにとって、唯一心を許せる相手だ。同じ女を楽しめば、亮との絆もより深まる」
実のない言葉が、口の表面を滑っていく。
月龍はあまり、口数が多くない。饒舌になるのは隠し事がある、焦るなどしたときの癖だ。下手に話せば、癖を知る蓮に偽りと気づかれてしまうかもしれない。
思うのに、口が止まらなかった。
「誤算は、君と亮の間に関係がなかったことだ。それで引くに引けなくなった。しかもあのとき――初めて抱いたとき、君はどうした?」
はっと、蓮が目を上げる。
蓮に悪いところなどないのに、痛みのために泣いて嫌われたのではないかと、見当違いな心配をしていた。
あのときのことは、利用できる。
「泣いて、喚いて――散々だった。本当はあのとき、別れるつもりだった。覚えているだろう? おれは君を避けた。有耶無耶にして自然消滅を目論んでいたのだがな」
蓮には覚えがあるはずだ。心情は別として、月龍が蓮を避けていたのは紛れもない事実だった。
「身分を得られることを差し引いても、あれは酷かった。耐えられたものではない。――なのに君は、こともあろうに亮に話した」
それは事実ではなかった。
蓮が相談したのは嬋玉であり、亮には理由は告げず、ただ避けられているようだとしか言わなかったらしい。
なにより亮に話したのは月龍自身なのだから、酷い言いがかりだった。
「違います、私は姉様に――」
「同じことだ。結局は亮の耳に入ったのだから」
そう吐き捨てる。
「亮にとって君は、取るに足らぬ存在だとおれは誤解していた。だが後に亮に言われたのだ、蓮を頼むと。女として愛することはないが、大切ないとこであり、妹だと」
唖然と見つめてくる蓮を、見つめ返すことができない。自分が亮に大切に思われていたことを知り、喜色が浮かんでいるかもしれないと思えば、悔しくて胸が痛くなる。
「亮が大切だと言う君を弄んで捨てたと、知られるわけにはいかない。君と別れられなくなったと絶望していたが、もう限界だ」
それほど嫌なのだと、察してほしい。
理路整然としているようで、脈絡はない。月龍自身が混乱している証拠だった。
矛盾はいくらでもある。ならばこうやって蓮に手酷く別れを言い渡せば、亮との関係は壊れるだろう。唯一とさえ言った亮も捨てるのかと詰め寄られれば、口ごもるしかなくなる。
黙りこむ蓮の目が、宙を泳いでいる。月龍の言葉を否定するための材料でも探しているのか。
それとも矛盾を含んだ話を、それでも筋道を立てて理解しようとしているのだろうか。
やがて仮定を見つけたのか、震える唇が掠れた声を洩れる。
「では――それでは、あなたが本当にお好きなのは……亮さまなのですか?」
発せられたのは、まるで想定していなかった言葉だった。
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