この心が満ちるまで、そばにいて

Sai

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訳あって、きみのもとへ

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 恋人が、死んだ。しかも俺の誕生日の一週間前に。交通事故だった。本当に突然の出来事で、正直それが現実なのかどうかさえ判断できないほど、葬式の後文字通り俺はもぬけの殻になっていた。

 
「明日の葬式の後、火葬場に来ませんか」

 
 通夜で、人目も憚らず泣いた俺に家族が声をかけてくれた。俺は躊躇せず、お願いします。の言葉とともに頭を深く下げた。またじわりと涙が滲む。明日で最後の別れになるだなんて、未だに信じられなかった。
 

 棺の前で啜り泣く親族。母親の肩を抱く父親の姿。俺は、代わる代わる最後の別れをする人達を、ぼんやり見ていた。慣れないスーツ。日常ではないこの空間。葬式なんて幼稚園の頃に祖母が亡くなってから一度も参列した事がなかった。
 

 すい、と棺の上から顔を覗く。たくさんのきれいな花に埋もれていて、本当に寝ているようだ。交通事故だったけど、顔は少しの擦り傷のみ。それもよく目を凝らしてもわからない傷だ。俺は、本当は目を開けるんじゃないかと疑った。
 

「……またな」
 

 なぜか不思議と昨日のような涙が出てくることはなかった。それどころか鼻がツンと痛むことさえなかった。ポケットの中の黒いハンカチは、使わず仕舞いだった。
 

 用意されていた弁当を受け取り、賑やかしい客間で箸をつける。姉がいることは聞いていたけど子だくさんのようで、まだまだ遊びたい盛りの子どもが駆け回り、姉夫婦であろう人達がしきりに注意していた。

 
 こんな時って食べ物が喉を通らないんじゃなかったっけ。
 

 豪華な、寿司なども入っている弁当が半分ほどになった時ふとそう思った。ぴたりと箸を動かすのを止め、そっと蓋をする。なんとなく外で食べようと思い、それを持って外へ出た。
 

「……あったかい」

 
 まだ一月なのに、昼間の日差しに暖かさを感じた。駐車場へ行って縁石の上に腰を下ろす。昨日泣き腫らした開け辛い目で持ってきた弁当を見つめ、今頃骨だけになっているのだろうかと思ったら、いまいち実感が湧かなかった。
 

 あれ。そんなに悲しくないのかな。あんなに好きだったのに。

 
 その気持ちを思い出して、火葬場の周辺の空気にあいつが紛れ込んでいるかもしれないと思って、この体に覚えていて欲しくて、俺は何度も深く深呼吸した。

 
   俺もまたいつか、新しく恋をするのだろうか。そしたら、お前のこと忘れちゃうのかな。


 そう思ったら急に虚しくなって、晴れ晴れとした空を見上げて瞼を閉ざした。


 

 

「うわぁっ!」

 
 なに。なに。なにこれ。金縛り!?

 
 春になる頃、俺はベッドの上で大声を出した。体はぴくりとも動かない。俺が何に驚いたかと言うと、布団の上で黒いなにかがモゾモゾと動いていたからだった。
 

「はぁっ、はあっ!」

 
 怖い。なにこれ。幽霊?

 
 それに重さを感じられず、ただ煙のようにモヤモヤと渦を巻くように動いている。軽く噛み締めた歯が、かちかちかちと頭に響いた。

 
「ううーん……」
「うっ……」

 
 喋った。なんか言った!

 
 それから少しも目が離せない。金縛りにあった事がなく、俺は恐怖で動かない体を目を見開いて布団の中で竦ませた。
 

「うあー……あ、あ……」

 
 大型犬ほどだったモヤが、だんだんと人の形のように形成されていく。しゅるしゅるの煙がはっきりとした輪郭を作って、遂にそれは俺の目の前に姿を現した。

 

「あっ、あっ……お、おさむっ!」

 
 嘘だろ。なに? まだ夢見てんの? 俺。

 
「どこ行ってたんだよっ!」

 
 布団から飛び起きてそいつを抱きしめた。その拍子に、自分を抱きしめていた。

 
「は……?」
「……」

 
 いつの間にか体が動いている。俺は触れられなかったそいつを見て、ポカンと口を開け言葉を失ってしまった。
 
 


 
「名前は? 俺の名前」
「……おさむ。青木修」
「へぇーっ。お前の名前は?」
「……」
「なぁ」
「……遠藤伊織」
「いおり!? 女なのかよ!?」
「……ちげぇーよ」
 

 狭いキッチンの前で焼いただけのパンをかじる。ポロポロとパンくずが落ちて、仕方なく修が立っている流しの前に半歩動く。俺は心置きなくパンくずを散らした。
 

「おおーっ」


 そこどけよ。なんて言わなくても通り抜けられる修が、また嬉しそうに感心した。

 
「……昔は男につけてたんだよ。この名前は」
「へぇーっ! いいな。似合ってる」
「……ふん」

 
 またその反応かよ。

 
「何歳?」
「……二十歳。同級生」
「働いてんの? 大学?」
「……大学。同じとこに通ってた」
「へぇーっ」

 
 久々に会えたと言うのに、俺はこんなに会えて嬉しいのに、幽霊になってしまった修は自分のことを何一つ覚えていなかった。
 

「あとは? 他に聞きたいこと」

 
 カリカリになった耳が美味かった。口の周りと手の平のパンくずをパッパッと叩いて、ジャーッと水道水を注いだ。
 

「俺達は、友達? それか恋人?  あの時俺を抱きしめたみたいに見えたけど」
「……どう思う」
「えっ。うーん……」

 
 グビグビと喉の渇きを潤す。続く言葉に、俺はほんの少しだけ期待した。
 

「友達……かなぁ」
「……そうだよ」
 

 少しだけ洗剤をつけたスポンジで軽くコップを洗って、水切りの上に置いた。修が言った言葉が少しだけチクリときて、俺だけ好きだったのかよ、と心の中で拗ねた。

 
 俺が死んでお前の前に立ったのなら、全て覚えていて何度も好きだよと言ったはずなのに。

 
「お前俺のとこじゃなくて親のとこに行けば。絶対会いたがってるよ」


 ドスドスと音をさせ、ボスン、とベッドに腰掛け、それに修がついてくる。古いこのアパートで足音をさせないなんて、やっぱり修は幽霊なのだ。
 

「そうだよなぁ。俺なんも覚えてねーけど……家教えてくれたら、行こうかな」
「……うん」


 春先に外に出るのは気が引ける。俺は薬を飲んでいても重度の花粉症で、この時期は修とひたすら家の中で過ごした。
 

「ちょっと待って。マスク、マスク……」
「こっちから出てみよーっと」


 やっぱり二枚重ねるか。そう思って棚に置いてある箱から白を二つ取り出したら、えーっ! と修が声を上げた。

 
「どうしたっ」
「見て。見てこれ」
「……っ」
 

 レースのカーテンの中に両手を埋める修。パントマイムをするように、窓ガラスにペトペトと手の平を合わせた。

 
「抜けられねぇみたい」
「……そうなんだ」

 
 俺の部屋で死んだんじゃないのに、ここから出られないなんて。修の両親もきっと会いたかったに違いない。記憶がなくても、触れられなくても、まるで生きているかのように喋って動くこの修の姿を見たらきっと嬉しいはずだ。
 

 今のこの、俺のように。
 
 
 
 
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