im going grave to hospital for you

Virgin Read

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boku ha byouin ni kimi no hakamairi ni iku

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妻の墓参りのついでに、私はずいぶん昔に亡くなった
妻の飼い犬 イチロの墓参りに来ていた。
ここには、息子のイチロもまた眠っている。

「お父さ~ん、イチロ用のお花も買ってきたよ。」
そういって長女の実乃梨は線香と花、果物を持ってきた。
「もう13年になるのか~」
娘に子供ができて私は祖父になった。
妻が生きていたあの頃が懐かしい。
お供え物を置くと、手を合わせて孫と共に拝んだ。

~13年前~
今日は朝からにわか雨だ。駅に着くまでの20分ほどの距離を
妻から渡された傘をさして歩く。
アスファルトの道には所どころに水たまりがあり
むかし田舎で遊んだ時のようにアメンボウが居ないかなどと
つい探してしまう。
中学高校は一貫校に進み、一流の大学を出た私だが、
東京では、親友も恋人も本当の意味ではできなかった。
ここでは、みんな仮面をかぶり生きている。

歩道に植えられた街路樹の数を数えているうちに
最寄りの駅に着いた。私は傘をたたむと濡れた階段を
登り、いつも通り定期券を出して改札をくぐる。
東京は数分おきに電車が来て待ち時間はないが、
これだけ本数が多いのになぜこんなに寿司詰めになるほど
人がいるのだろうか。小学校時代5年ほど過ごした
京都の田舎では、電化されていない北近畿タンゴ鉄道が
1時間に2本程度行き来する程度だった。
それはそれで不便なのだが、乗客は少なくて、
周囲の風景を見ながら、舞鶴の街まで行くのは
壮観だった。

電車内の広告をひたすら見つめながら、周囲の人のスーツや
傘から立ち上る湿度の高い空気を感じる。
30分ほど周りの乗客に体重を預け、
とある駅に着いた。
ふと、今日は急いでいたため朝食を摂り忘れたことを思い出し
フランチャイズの喫茶店でサンドイッチとカフェオレを
注文して、しばらく空を見上げていた。

私の名前は高田 尊弘。ふつうは(たかひろ)と読むところを
(みつひろ)と読む。父が力道山の日本名からとったらしい。
小学校に上がる前から武術を習っていた。
別に喧嘩が強くなるためではなく、人付き合いで委縮しないため
らしい。私の父によればだが。もっとも、それが原因で
小学校2年の時に田舎に引っ越し、田舎者の同級生数人相手に
一歩も引かず、殴り倒していたものだ。

私が小学校2年の時、父方の祖父が病に倒れ、
京都府の宮津という町に引っ越すこととなった。
祖母だけでは介護ができず暮らしていくのが
難しかったからだ。
今となってはあのころが人生の黄金期で
東京では受験勉強に専念し、人と関わりを持つことも
少なかった。妻が私を追って東京の高校に来たときは
驚いたものだが、一人暮らしを不安がっていた妻を
私の両親が、同じ屋根の下に迎え入れて数年、
いつの間にか結婚していた。

「おい、てめえ、なめてんのか。」何事かと思い
ふと左側の歩道を見てみると、ごろつきっぽい男が
私と同じサラリーマンに絡んでいた。が、
周囲の目を気にしてかすぐに男は立ち去った。
こんな風に絡んでくる人物は私の周りには今はいない。
田舎の小学校に転校してすぐ、方言が強くて
うまく会話ができず、成績だけがよい私を
よく思わなかったのか、ガキ大将らしき人物と
取り巻きとそりが合わなかった。
そんな彼らがこんな口調だった。
私は強かったため殴られたり蹴られたりはなかったが
喧嘩ばかりしていて村八分だった。


そんな時に声をかけてくれたのが今の妻 紗百合だ。
サユと呼んでいた。
「東京ってカエルや虫っていないんでしょ?」
そういって、集落の田んぼや池を案内してくれた。

当時はのちのバブル期の無理な開発の前だったので
大自然がそのまま残っており、アメンボウを見たり、
池のほとりで鳴くウシガエルの声を聴いたことは覚えている。
「どこにいるのかな」などと言いながらウシガエルを
見つけることができずそれはそれは不思議だった。
夏にはオニヤンマやギンヤンマが飛び大きなスズメバチもいた。
秋の川には源氏ボタルがいて、虫かごで周囲を照らして
電灯代わりにしていた。

ここが単なる田舎ではないのは、日本三景の1つ天橋立があるところだ。
宮津というそこそこの街のほうにはスーパーマーケットや
いろいろな店もあるのだが、天橋立には文殊の知恵にちなんだ、
知恵の餅が売っていたり、古びた旅館や土産物屋が並んでいる。
弓の弦の部分が松の生えた砂地でつながっている天橋立で、
その弓の部分にほとんどの人は住んでいる。
天橋立を渡ったところには大型別荘地の計画があり、
将来はもっと人の行き来が多くなるかもしれない。
向かいの小さな山には股覗きというスポットがあり、
一度行ったことがあったが絶景だった。
お金がないので一度だけだったが。

「高田さん、高田さん」
急に外から声がかかって驚いたが、どうやら居眠りをしていたらしい。
「何の用事ですか?須田さん」
須田さんはうんざりした様に言った。
「このあと、みんな飲みに行こうって言ってますよ。」

飲み行こうか迷ったが、昔の思い出を思い出したせいか、
いつもは慣れて空気のように自然な存在の妻に会いたくなり
断ることにした。
「わるい、今日はやめておくよ。」

おれは、いまだに降り続く雨に、うんざりしながら家路を急ぐ。
足元の水たまりに気を付けながら、最寄りの駅から二十分ほどの
わが家へ急ぐ。
「ただいま、今帰ったぞ。」
「おかえり~」元気そうに部活から帰ってきてシャワーを浴びて
ジュースを飲んでいる愛娘の実乃梨が声をかけてくる。
「今日は早いんですね。てっきり遅いのかと思って、
食事作りますね。」
俺はそれを断って、いったん眠ることにした。
「シャワー浴びて寝るから、いいよ。」
むかしに戻ったような感覚のまま俺は眠りに落ちた。

小学2年まで通っていた私立の小学校と違い、ボロボロの校舎で
トイレなどは入るのが苦痛だった。生徒数も少なく、
クラスの人数が15人程度なので、いじめの標的にされるのは
目に見えて明らかだった。小学生の頃は腕力にそれほど差がなく
武道を習っていたので、いじめられても無視して過ごしていたが、
狭い社会で孤立するのはつらかった。

遊び友達はサユの紹介なので、女子ばかりで、
男のグループからははじかれていた。
学校になじんでくると、靴に泥を入れられたり
座席に画びょうが置かれていたりした。
男なのにまるで女のような行動をとるガキ大将を
殴り倒し、マウントをとって殴りつけると
そう言った行動は治まった。

ガキ大将やその取巻きとも、1年もするとなじんできて
それなりに仲良くなれた。今から考えれば単に子供だったのだ。
大人の排外的な雰囲気を子供も勘違いして受け継いだらしい。

サユの飼っていた犬のイチロが居なくなったのは
俺たちが小学校三年生の時だ。俺が引っ越してきた時から
あまり元気な様子ではなく、猫のようにこたつのそばで
寝そべっているイメージしかないだらしない犬だった。
もう歳だったので老衰だったのだろう。
サユも死んだことは悟ったのだろう、
そのこと自体を悲しんでいる様子はなかったように思う。
少なくともその時の俺には気が付くことはできなかった。

しばらくして、役所から電話があって、イチロの遺体を引き取りに行った。
むかしサユがよく通っていた彼女の祖母の家で倒れ伏して死んでいたらしい。
餓死だったようだ。サユの祖母の家は二山越えたところにあるが
そこに住んではいない。
三十キロ離れた近くの街で自衛隊の基地がある京都の舞鶴という街に
老人ホームがあり、祖父の看病でおれの母親が苦労していたのを見てたのだろう
病気になってからは迷惑をかけたくないと、そこで暮らしている。

しかし、そこに主人はいないと感じたのだろう。イチロは宮津の無人の家で
死んでいた。サユの祖母はイチロが先に逝ったことを知って、
少し寂しげに、「わたしもかねぇ」などと独り言ちていた。

サユは愛犬、イチロの葬式をしたいと言い出した。
しかし、彼女の両親は認めることはなく、ゴミとして処分するといった。
サユに泣きつかれたおれは、イチロの死体をリュックサックに入れて
二人で見晴らしのいい、サユのおばあちゃんの家が見える場所に
埋めてやった。今でもその場所ははっきりと覚えている。

ただでさえ田舎で明かりも少ない中、懐中電灯を頼りに山を登るのは
怖かった。蚊やトンボが飛び交っていてすごく不愉快だったのを覚えている。
藪を30分かかって登りきると街を一望できるところに出た。
山道とはいえど真ん中にお墓を作るわけにもいかず、周りの草や枝を
雑に取り去ると、持ってきたスコップで2人で1時間かけて
穴を掘った。掘った穴にイチロの遺体を入れると上から土をかけ、
花を供えて下山した。

このことはすぐにばれ、死体を勝手に処理するのは法律違反らしく
衛生的にもよくないので、どこにあるか聞かれたが、
2人とも一切答えなかった。

おれは犬の死体をリュックに入れたことと、無断で隣町まで
自転車で行ったことを叱られおれも両親に一晩、家の外に出された。
それから、サユが行方知れずになり、村中が総出で夜の山や川を探した。
俺がイチロを埋めた場所にサユの母親を連れて行くと、
サユはそこで泣き疲れて眠っていた。

あれから二七年、おれとサユは結婚して十三年になる。
残念なことに新鮮味もなく結婚記念日すら忘れてしまう俺だったが
彼女は良妻賢母を勤め上げてくれていた。

あの後俺は京都の中高一貫の名門校に進学し、
彼女も京都市内の女子校に通っていた。
受験には成功したものの、大学を出て塾の講師をしていた。
まあ、不景気で就職に失敗したともいう。

同じ京都市内に一人暮らしをしていた俺は、
サユともちょくちょく会ってデートしていた。
お金はないので街をぶらぶらしていた。
京都の丸山公園あたりがお気に入りのスポットだ。

そして、大学を卒業してすぐに結婚した俺たちはすぐに子供に恵まれ
その長女は中学生になった。常日頃から弟が欲しいと言っていた実乃梨は
中学生になって、ようやく念願がかなった。

「トゥルルル、トゥルル・・・・・・」自宅の電話でなく、俺の携帯電話が鳴って
俺は眠りから起こされ、少し不機嫌に電話に出た。
産婦人科の医師からの電話で俺にだけ来てほしいらしい。
何事かと思ったが、素早く身支度を整えると自動車に乗って、
三十分ほどの距離にある産婦人科にあるに向かった。

病院に呼ばれた俺はもう一つの事実を突きつけられた。
産婦人科の医師は残念そうにこう言った。
「奥様は子宮がんです。」
医者はこう続けた。
「幸いなことに初期がんなのですぐに手術すれば五年生存率は
80%以上で、再発の可能性は薄いです。」
とのことだった。
医師は子供はあきらめて手術を勧めてきた。

病院は、5年生存率を上げるため末期の患者を手術しないところが多い。
なぜなら、病院の評判が落ちるからだ。
にもかかわらず、手術を勧めるということは、ほぼ助かるのだろう。
俺も子供よりサユが大切だ。
国立成人病センターなどに問い合わせてみたが入院するのに
問題はなさそうだった。

「子供はまた作ればいい、いまはがんの治療をしよう。」
そう言って事実を伝え堕胎を勧めた。
そう言って説得したが受け入れられなかった。

「嫌、親が子供のために命を捨てられるなら、
今から生まれてくる子供いもそれは言えるはず。」
サユはそう言って堕胎を拒否した。

「紗百合、わがままを言うんじゃない!」
普段あまり多弁ではないサユの父親は必死に説得していた。
「実乃梨ちゃんはどうするんだ。尊弘君だって働きながら
子供の面倒を見ないといけないんだぞ。初期がんなんだ
ちゃんと治療すればみんなで長く暮らしていけるんだ。」

実乃梨は泣きながらサユに
「ごめんなさい、ごめんなさい。弟が欲しいって
私がわがままを言ったから。
私、弟なんていらない。お母さんがいて、お父さんがいて
三人で暮らしたい」

「産まれてくる子供よりお母さんのほうが大切だよ」
実乃梨も必死に説得したが、サユの意志は頑強だった。

みんなに 産まれてくる前から厄介者扱いされる我が子には酷いが、
俺はわが子が憎くすらあった。
お前さえいなければと。

紗百合はふと涙を浮かべると、「この子はおばあちゃんと一緒だね。
誰からも必要とされていない。」ポツリとつぶやいた。

「なんで、産まれてくることを祝福してくれないの?」
「私が死ぬことが無責任なのはわかってる。
でもこの子には何の関係もないでしょう?」

しばらく病院に通ううちに、俺には妙な変化が生まれた。
堕胎を拒否して、死を覚悟する妻が夢を見るような感覚
幽霊にでも会いに行っているような感覚に襲われた。

ある意味、産婦人科だったからかもしれない、
人が人生の最期を迎える病院ではなく、産まれてくる場所
一人だけ死を待つサユと、周囲の患者さんは全く別のものに見え
それゆえに、いつの間にか俺の現実は麻痺していった。

「今日も来たの?仕事は大丈夫?」心配そうにサユが聞いてくる。
おれは張り付けた笑顔で「大丈夫、サユのことを話したら、
塾のみんなも理解してくれて、しばらくは看病に専念できるよ。」
「そんなに時間はないんだ。今できることをしておきたい。」

サユはお腹の赤ん坊を気にしながら、ベッドを降りた。
近くの自動販売機でジュースを2本買って飲む。
「なあ、産まれてくる子、何て名前にする?」
「ト〇マなんてどう?」本気か冗談かそんなことを聞いてきた。
「たしかに御〇美琴って名前が人気あるのは知っているけど。」
俺は何て名前だと思いながら、笑うしかなかった。

サユにあっても、亡くなった祖母と話しているような感覚に陥る。
まるで仏壇の写真と話しているようだ。
本当なら泣き叫びたい衝動を受け止められない俺はいつの間にか
殺していた。サユは生きているのに俺の中では彼女はもう死んでいた。

本当は言いたかった。

「子供なんていくらでも産めるよ。だからがんの治療をしようよ。」



「サユが死んだら、俺や実乃梨はどうすればいいんだ。」


正直、中学1年生の娘と俺で、子供を育て上げる自信はない。
だが、彼女の我が子に対する覚悟を見て、
それを口に出すことはできなかった。


母親に会うたびに泣き顔で抱きつく実乃梨、
それに対して俺は至って平静だった。
サユの両親は俺に対して、「心の強い人だ。」
などと見当違いの評価を下していた。

100年生きるなら年に1度会えればいい、
1年しか生きられないなら3日に一回会えばいい、
それは同じことだ。
俺は頻繁に病院に通った。病院が彼女の家だと思っていた。
そして、気が付くと家にある彼女の写真をまとめて、
思い出の荷物を1つ1つ丁寧にまとめていた。
まるで、自分の心を荷物のように閉じ込めるために。

おれが、田舎の昔話ばかりしていると、ある日彼女は言った。
「なぜ、昔の話ばかりするの?」
「夏休みに実乃梨がホームステイするでしょ、ニュージーランドは冬だし
冬に着るもの出さないとね。」
そう言うと、実乃梨と産まれてくる子供のお揃いの帽子とマフラーを
編んでいた。

彼女の余命が1年、それが息子の命の代償だ。
医者に相談された。子供を産んだ場合それからの命は
数か月程度。出産自体は通常と変わらないので
ご自宅で過ごされては?と言われた。
ある意味、この医者が産婦人科の医者だったからかもしれない。

彼女は納得して応じた。
出産の前には医者が特別に家に来てくれるらしい。
小さなクリニックの産婦人科医だ。
死にゆく妊婦など生涯に2度目はおそらくないだろう。

彼女はクリニックを退院し、3か月ぶりに家に戻ってきた。
冷蔵庫を見て、何が入っているかチェックして
食生活が乱れていないか、とか
洗濯や風呂掃除をこなせているか見ているようだ。

だが、夫婦の寝室に入ると彼女は怪訝な表情を見せた。
もともと2個あった枕が、1個しかないのだ。
そうか、もう病院から戻らないと思って、
押し入れに保管していたんだっけ。
サユの服はすべてクリーニングに出され、
綺麗に整頓してあった。
もう戻ることはない、そう告げているようであった。

「なんで、なんでなの、私生きてるよ、まだ生きてるよ。」

そうつぶやくと彼女は崩れ落ちた。
もうこの家に彼女の居場所はないのだ。
わめき散らす彼女に俺も応じてしまった。

「俺達には将来があるんだ、未来のことを考えるのは当然だろ。」

言ってしまった、もう止めることはできない。

「お前はその産まれてくる子供と引き換えに
俺と実乃梨を見捨てたんだ。」

「俺は働きながら1人で子供を育てるんだぞ、
お前を殺したその子供を、、、」

言葉が続かなかった。
人間として最低だ。

「再婚すればいいじゃない。一人で育てる自信がないなら
再婚すればいい。私は死んでまであなたを縛ろうとは思わない。」

「ねぇ、私の戒名は何にする?」

そう言うと彼女は寝室のドアを固く閉めた。
俺は廊下で、何も考えられずに
泣き止んだ子供のように喪失感に襲われていた。
ドア越しに俺は言った。

「俺はお前をあきらめたわけじゃない。」

「自分のためかもしれない、いい訳かもしれない。
でも俺は弱いんだ。いつもお前が居た。
小学2年のあのときから、俺は一人では立てないんだ。」

彼女からの反応は無かった。

俺は家を出ると、夜の街をさまよい、カプセルホテルで
一夜を明かした。
仕事を終えた翌日の夜、どうやってサユに謝ろうかと考えながら
歩いていると、ケータイが鳴った。

「やっほー、おとーさん、今オークランドだよ。
アメリカじゃなくニュージーランドのね。」
ニュージーランドから電話がかかってきた。
「今忙しいから、急ぎでないなら後にしてくれないか?」

「う~ん、お母さんが来てる、マックで飲み物飲んでるよ。」

え、俺は動揺した。よほど俺のそばにいたくなかったのだろう。
それとも、最期の時間を娘と過ごすことにしたのか。

サユはあの後パスポートとカードを持ってニュージーランドに
来たらしい。本当は学校の規則ではだめらしいが、
余命のわずかなサユをおもんばかって、ホームステイ先と
交渉して、頼み込んだらしい。2人でホームステイしているらしい。

「お父さんとは口をききたくないってさ、じゃあねっ。」
実乃梨は元気そうに電話を切った。

少し変な感じのする父ではあったが、母がもうすぐ死んでしまう
そう考えれば、普通なほうだろう。
実乃梨が父のことを考えていると、母が話しかけてきた。

「実乃梨、お父さんどうしてる?」
急にニュージーランドに来たんだから何かあったのだろうけど
今の事情を考えると、それについて触れるのはためらわれた。

だけどもう残りの時間は少ない、思い切って聞いてみた。

「ねえ、お母さん、お父さんと何かあったの?」

「う~ん、何もないかな。」

母はなんだか歯切れが悪そうに口ごもった。

「私がニュージーランドに来てから、お父さん、家で独りぼっちでしょ
どうしてるかなーなんてね。」
実乃梨は、ハニカミながら笑顔で言った。

「何もないよ。掃除も洗濯もしていたし。
毎日家で食事摂れていたみたいだよ。」

母が居なくてもやっていけると、証明したかったのかな。
心残りがあったら、お母さんも心配しながら死ぬことになるし。

「ふ~ん、でも1ドルが60円ってすごいよね。
ケンタッキーのセットが300円、マックのセットが200円で
食べられるよ。」

「経済的に困ったら、ニュージーランドに住もうかな。」

「それは無理かな。永住には数億円単位の貯金が必要なはずだよ。」
母は何気なく否定的だ。

「タカプナから南に歩かない?連絡船が出てるみたいよ?」

「そうね。オークランドってニュージーランド最大の都市
って聞くけど、結構小さいのね。」

「まあ、東京と比べたら10倍以上差があるからね。」

「オークランドってワイテモア湾をはさんで両端が近いところとか
お母さんの生まれ育った天橋立に似てるわね。
両岸が砂浜でつながってたらそっくりだよ。」

ニュージーランドは道の周りは芝生だらけで日本より
気分がいい。結構な距離だったが
お腹の中の弟も元気そうだ。

「そうだね物価もすごく安いし。」

「午前中は学校があるから一緒にいられないけど、
お母さん一人で大丈夫?」

「大丈夫だよ。イーデン山でも見てくるわ。」

実乃梨にとって、母と過ごしたニュージーランドの記憶は
今も鮮明だったろう。

俺はそれから2週間ほどは、何も考えることもなく、
ただ勤務先の塾に行き、子供達に受験勉強を教えていた。


「お母さん帰った~?」

そんな実乃梨からの電話がかかってきた。

「えっ、いつ?」
唐突な実乃梨の質問に動揺しながら俺は聞き返していた。

「昨日の昼だから、もう家についてるんじゃないの?」
あわてて、固定電話からサユのケータイに電話をかけるがでない。
自宅のほうだろうか、自宅に電話をかけてもやはり出ない。

実乃梨の言葉に俺は耳を疑った。

娘に心配はかけられないので、
「仕事が遅くなってるけど急いで帰る。」と、
伝えると ニュージーランドからの電話を切った。

もしかしたら病院に居るかも、そう思い電話をかけた俺は、
クリニックの医師が、心の底から軽蔑の言葉を浴びせるのを聞いた。

「紗百合さんは、死産でした。」

タクシーで病院に向かった俺はサユの携帯に電話していたが
まったく出ない。
医師は「あなたは、もうこないでください。」と言って、
もはや人間として扱っていないレベルで拒絶した。


俺の中でサユの行き場所など1か所しか浮かばなかった。
俺は小学校3年のときのことを思い出していた。
彼女の故郷は 京都の宮津、しばらく山道を登ったところだ。

北近畿丹後鉄道は、本数が少なく、
列車の走っている時間ではないし、
自動車を運転すれば、今の精神状態だと危険だと
そのくらいの判断が出来るくらいには冷静だった。

紫式部だったか清少納言だったかは忘れたが、
タクシーの運転手に宮津まで行ってもらい。

そこで別のタクシーに乗ると、
俺は急いで、イチロの墓に走っていった。
彼女、サユはそこにいた。
イチロ、彼女は息子にそう名前をつけるらしい。

医者からへその緒をもらって、犬の墓があった場所に埋めていた。
普通なら正気を疑うところだが、俺は叫んでいた。

「俺はもう一人で立てる。一人で歩いていける。
もう、お前と2人じゃないと何も出来ない子供じゃない。」

俺は本心から、嘘を言っていた。


ふふ、そう言うとサユは笑った。

「そうね、私も子供を2人残して、あの世に行けないわ。」

「イチロと私は行くけど、ちゃんと実乃梨を育て上げて。」


紗百合はもう長くないだろう、肉体はまだ大丈夫でも
生きていく精神が感じられない。
自らが死んでも生むと決めた、我が子を亡くしたのだ。


自宅に帰るとニュージーランドの実乃梨を電話で呼び戻した。
「実乃梨、ホームステイの途中で悪いけど、
日本に戻ってくれないか?」

「何かあったの?お母さんは?」

「お母さんは生きてる。帰ってから話すよ。電話で話すことではないし。」

「わかった、帰国するよ。」
そう言うと実乃梨は電話を切った。

関西国際空港までサユと一緒に自動車で迎えに行き
自宅に返って来ると実乃梨は泣きだした。
「赤ちゃんが生まれてくるから仕方ないって思えた。」

「でも、お腹の子供は死んでしまった。」
そう言うと実乃梨は
「何のためにお母さんは死ぬの?」
そう泣き叫ぶ娘を抱きかかえると

サユは
「よさの海のあまのしわざとみしものをさもわがやくと潮たるるかな」

なぜこんな唄を読んだのかは、古文に詳しくない俺にはわからない。
その後、国立成人病センターに入院することとなった。
だが、10日も経たないうちに、彼女は天の橋を渡っていった。


葬式から2週間ほどたったころ、
実乃梨とサユの大好きだった祖母の飼い犬の
イチロが見える山の中に来ていた。

イチロは水子として供養されたが、
ここには、へその緒が埋まっている。
よくわからない霊園墓地より
ここのほうがサユも落ち着くだろう。

遺骨の一部を土の中に埋めに行った。


あんなに葬式で泣いていた実乃梨は落ち着いていたのに、
俺はとめどなく泣いていた。死んだ心が生き返ったように。

人はその人が死んでしまうと知った時に悲しむ場合と
死んだ瞬間に悲しむ場合がある。
俺は前者で、実乃梨は後者だった。

俺は思い出に浸るべきではなかった。

犬のイチロは、サユの祖母が幸せだった、サユが幸せだった
時代を愛していたのだ。


サユが一番幸せだったのは、俺といる時だったんだ。
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