フェールの花-価値のない王子は完璧な王に愛される-

淡海のえ

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フェールの花-価値のない王子は完璧な王に愛される-

第2章・アラガスタの王 13 国境の町マルカ

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 馬車の扉をノックしても、返答がない。開けていいものかどうか、思案する。

 たった扉を開けるだけのことなのに、国の政策会議と同じくらい考えてしまう。

「開けないんですか?」

 さっさと開ければいいでしょうと、ネイトの視線が言っている。躊躇してしまうのは、馬車に飛び込むように入ったクライスの横顔はがひどくつらそうに見えたからだ。

 何を思っての表情か……襲撃してきたのがフェールの者だと気づいたのか。昨夜から激変してし
まったいろいろなことに、心を痛み過ぎたのか。

「ここに放置するわけにはいかないんですから、急いでください」

 すでに国境の町マルカに到着し、野営する騎士と同行する騎士の選別も終わっている。さらにもうしばらくすれば、暗闇が訪れる。

 待っても無駄と思ったのか、ネイトが細かい指示を出すために騎士たちの方に行ってしまう。仕方なく、もう一度だけノックしてから扉を開けた。

 寝ているにしても、座席にいると思っていた。けれどクライスは、小さく丸まるようにして、床で寝ている。

 兄弟揃って予想外なことばかりだ。

「クライス、起きろ」

 馬車に片足を乗せて、覆いかぶさるように覗き込む。どうやらただ眠っているわけではなく、泣き疲れて寝てしまったらしい。

 目尻の周りが赤くなってしまっている。そっと手を伸ばして頬に触れると、体がぴくりと反応してまぶたがゆっくりと上がっていく。

 目が合い、ぼんやりとしていた焦点が一気に戻ったようだ。慌てて起き上がられて、頭がぶつかりそうになる。

 難なく避けて顔を見合わせると、またクライスの瞳が潤んでいるように見える。さすがに媚薬の効果はもうないはずだ。

「大丈夫か?」

 問うと素直に頷くが、確かめるように首に触れると熱い。間違いなく熱を出している。

 無茶をした記憶があるのと、クリースに言われたからと何もかけずに放置してしまったのがいけなかったのだろう。何もかけずに眠るには、寒い時期に入っている。

 抱き上げようとして膝裏に手を回すと、首を振られた。

「歩けます」

 肩に触れて来た手が、距離を取るように軽く押してくる。必死に下を向いているのは、泣いていたのを知られたくないからだろうか。

 いい意味でも悪い意味でも、クライスは純粋過ぎる。王子という立場で、なぜこんなにも無防備なのかと思う。

 きっと周りにいた者で、必要以上に甘やかしていた者がいたのだろう。前向きに努力することができ、実力を発揮するだけの度胸もある。

 けれど人の優しさ、気を使われることには敏感で遠慮ばかりする。まるで申し訳ないと思っているように見える。

 特に足が関係すると、卑屈とも取られる可能性がある反応をする。どうしたものかと思いながらも、転がる杖を拾って渡してやる。

「……ありがとうございます」

 明らかにほっとした顔をして、クライスがゆっくりと立ち上がる。左足首の具合を気にしているのか、右足に体重をかけて何度か確かめている。

 乗せていた片足を馬車から降ろして、手を差し出す。微かに眉を寄せるが、大人しく手を伸ばされる。

 思えば乗る時に手を差し出した時も、同じような顔をされた。ほとんど手に体重がかかることはなく、杖と自分の足だけで地面に降りている。

 本人が言うように、これなら大丈夫かと思った瞬間に、フラフラし始める。足に問題があると言うよりは、熱のせいでくらくらしているようだ。

 つらい時に助けを求めることは悪いことではないと思うのだが……。どうやらクライスにとっては遠慮したいことらしい。

「どちらに行けば?」

 ぼうっとした顔で、クライスが首を傾げる。聞きなれない柔らかな声のせいか、自然と騎士たちの視線が馬車から降りたクライスに集まる。

 すると顔をしかめてすぐに下を向いてしまった。見られるのは好きではないようだ。

 歩きたいと言うなら歩かせるのは構わないが、体調の悪さが心配になる。外衣を取り、クライスの頭からかけた。

 下を向いていたせいで、何をかけられたのかもわからず慌てている。勝手ではあるが、了承を得ずに一気に抱き上げた。

「ひゃっ! ……な、何を!」

 カランという音を立てて、杖が地面に転がる。

「ネイト、拾っておけ」

 声をかけると、何か言い返しているように見えたが無視する。

「あ、歩けます!」

「わかっている。ただオレが抱きしめていたいだけだ」

 気にするなと言うと、頬を赤く染めてかけてやった外衣で顔を隠してしまう。年齢よりも上に見える時もあれば、いまのように幼く見える瞬間がある。

 再び腕に抱くと、二度と放したくないと感じる。もしフェールに返せと言われたら、戦を起こしてしまいそうだ。

 騎士たちが何事かと、二度見された。けれどクライスと違って、全く気にならなかった。

 欲しいものは手に入れる。したいことは誰が何と言おうと成し遂げる。

 ひどく傲慢な性格であることも自覚している。完璧な王と噂されるのは、ただ成功したからというだけの理由だ。

 壁に囲まれたマルカの門をくぐると、たくさんの人の声が一気に押し寄せてくる。フェールと二グズの国境にある町は、人の出入りが激しい。

 みな自分のことに忙しいのか、騎士たちと違ってクライスを気にする者はいない。同じように、王が歩いていても気づいていない。

 ネイトが用意した宿に入り、二階の奥の部屋のベッドにクライスを下ろす。そして顔を近づけて、額に唇を落とす。

 びくっと腕の中で震えたクライスが、外衣の隙間から睨んでくる。

「そう睨むな。余計に放したくなくなる」

 腕に力を入れてしっかりと抱きしめると、体が緊張して硬くなるのがわかる。

「コール様……」

 不安そうに名前を呼ばれて、体を離す。

「オレはまだしなければならないことがある。ゆっくり休め」

「あ、あの、これ……」

 ベッドから去ろうとすると、外衣を返そうとしてくるから首を振る。

「暖かくしていろ」

 振り返ると、予想通りに杖を持ったネイトが立っている。

「クライスと一緒にいてくれ」

「わかりました」

 言わなくてもわかっていたのか、クライスの荷から服を持ってきてくれていた。
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