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第三章 騎士団長は鳥のさえずりさえ許さない
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幼い頃、王都エリーシュは憧れの場所だった。
美しいドレスを身にまとった令嬢が、勇ましい騎士に見初められ、それはそれは幸せに暮らす場所なのだと、両親から聞かされていたからだ。
実の父であるヨハン・ノイエルは、エルラントで一番美しい娘、アンナと結婚した。母のアンナは町長の末娘だったが、町長の反対を押し切り、貧しい父と結ばれた。
やがて、リーゼとリヒトというかけがえのない子どもが誕生したが、決して裕福とはいえない生活を送っていた。
だからだろうか。ヨハンはずっと、アンナに似て美しいリーゼを王都の女学校に、リヒトを騎士団の訓練学校に入れてやると意気込んでいた。
『なんたって、うちのリーゼはどんな令嬢にも負けない美人だからな。王都でもやっていけるさ』
『王都といえば、公爵様のご令嬢も、リーゼ様というそうよ』
『公爵様って、あのヴァルディエ公爵様か? そりゃあ、縁起がいい』
取りとめのない両親の話を、リーゼは布団の中で、まどろみながら聞いていたものだ。
王都に行くのは憧れだったが、それは叶わない夢物語だと思っていた。
まさか、ヴァルディエ公爵に連れられて、王都に来ることになるとは思ってもいなかった。ましてや、リーゼ・ノイエルが、リーゼ・ヴァルディエとして生きることになるとは、想像すらしていなかった。
「奥様、到着いたしました」
馬車のドアを開く従者が、うやうやしく頭をさげる。リーゼは眼前にそびえる建物を見上げた。
王都一の豪邸と言われる、ヴァルディエ公爵邸。その圧倒的な威圧感を前に、リーゼは震えそうになる。
初めてこの屋敷にやってきたときの絶望感、不安、恐怖を、今でも鮮明に覚えている。
リーゼは背筋を伸ばすと、従者を連れて大きな門をくぐった。
玄関ホールで出迎えたのは、数人のメイドたちだった。
その誰もが、本物のリーゼ・ヴァルディエを知らない。リーゼがここへ連れてこられた後、新しく雇われた者たちばかりだからだ。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
「……お父さまは?」
「応接間でお待ちです」
リーゼは従者たちにエントランスで待つよう伝えると、メイドとともに応接間へと向かった。
長い廊下を歩く足音が、不気味なほど静寂な空間に響いていく。多くの使用人がいるはずなのに、やはりこの屋敷はどこか陰鬱としていた。
メイドが重厚な扉の前で足を止める。扉をノックすると、「来たか」と低い声が聞こえた。
「お嬢様をお連れしました。お通ししてよろしいでしょうか?」
「入りなさい」
扉を押し開いたメイドが、深く頭を下げる。リーゼはごくりと唾を飲み込むと、覚悟を決めて足を踏み入れた。
アルブレヒト・ヴァルディエは窓辺に立っていた。白髪交じりの髪に、華美な刺繍のコートを身にまとい、猛禽類のような鋭い目でこちらを振り返る。
彼にとって、リーゼは実の娘ではない。野心のために利用できる捨て駒でしかない。嫌悪感をむき出しにした目は、蔑む色を帯びていた。
「下がれ」
アルブレヒトが短く命じると、メイドは一礼し、逃げるように部屋を出て行った。その様子を見た彼は、面白くなさそうに「ふんっ」と鼻を鳴らすと、リーゼをじろじろと眺めた。
「あの男とはうまくやっているようだな?」
「……は、はい。シルヴィオ様は何もお疑いになることなく過ごしています」
リーゼはひざを折って頭を下げ、恐る恐る口を開いた。
「ならばなぜ、帰還の知らせがなかったのだ?」
「も、申し訳ございません。一刻も早く帰還するため、すべての手続きを後回しにしたと聞き及びました。お父さまが陛下に謁見すると知り、急いでお帰りになったわけではありません」
「だから、自身に非はないと?」
杖を床に打ち付けながら、アルブレヒトが近づいてくる。
「そうは言っておりません。謁見が叶わなかったことは、すべて私の責任です」
コツッと、目の前で鳴った杖がぴたりと止まる。
「重要な謁見であったことは理解しているか?」
「……もちろんです。レナート公爵様の周囲に、王位簒奪を企てる勢力ありと……陛下のお耳に入れるはずでした」
リーゼはぎゅっと目を閉じる。
気づいてしまった。アルブレヒトの計画に。
その勢力こそが、シルヴィオ──いや、アルブレヒトは、反乱軍の証である暁の紋章が刻まれた指輪をシルヴィオに持たせることで、レナートを簒奪者に仕立て上げようとしたのだ。
しかし、その計画はリーゼが潰してしまった。それを、アルブレヒトが知らないはずはない。
「よくわかっているではないか。……ところで、シルヴィオ・ヴァイスの弱みはつかめたのか? まさか、あの男にほだされて、弟のことなど忘れているわけではあるまいな?」
「忘れることなどできません。お父さま……、本当に弟……リヒトは、リヒトは無事なのですか?」
顔をあげると、冷酷な目がこちらを見下ろしていた。
「計画がうまくいけば、無事である証拠を見せよう。少しぐらい、私の役に立ってみせてみろ」
「わかっています……」
震える声で答えると、アルブレヒトの目の色が変わった。
「何がわかっているだと?」
「お、お父さま……?」
「おまえにどれほど手をかけたと思ってるっ! おまえがこれほどの出来損ないでなければ、陛下の婚約者にでもなれたものを。あんな……あんな平民上がりのシルヴィオ・ヴァイスになどくれてやらずに済んだのだぞっ!」
平民上がり……?
シルヴィオ様は、ヴァイス伯爵家の……。
呆然とした時、杖が振り上げられるのを見た。
「や、やめてくださいっ!」
リーゼは反射的に身をすくめ、頭をかばった。思わず声を失うほどの衝撃に身体が強張る。背中の奥がじんと熱を持つように痛んだ。
「おまえは弟がどうなってもいいのかっ!」
「そ、そんなことは……っ」
「じゃあなぜ、計画を潰したっ? おまえはいつもいつも余計なことをっ!」
「ゆ、許してくださいっ。何も知らなかったのです……っ」
この屋敷へやってきてからの毎日が思い出された。
さまざまな家庭教師をつけられ、女学校に通うよりも贅沢な学びを与えられていたのに、何をやっても叱られてばかりいた。
心のどこかで、こんなことを望んでいたわけじゃないと叫んでいた。
「ごめんなさい……お父さま、ごめんなさい」
うわ言のように繰り返す。あの幼い日と同じように身を小さくして震えることしか、リーゼにはできなかった。
杖を引っ込めると、アルブレヒトは憎々しげに吐き捨てる。
「レナートが何やら気づいてる節がある。いいか、おまえはシルヴィオの動きを徹底的に監視しろっ。これ以上、私の計画を邪魔したら……弟の命はないと思えっ!」
コツコツと床に打ち付ける杖の音が遠ざかる。
アルブレヒトが応接間を出ていったあとも、リーゼはしばらく床に伏したまま、立ち上がることができなかった。
幼い頃、王都エリーシュは憧れの場所だった。
美しいドレスを身にまとった令嬢が、勇ましい騎士に見初められ、それはそれは幸せに暮らす場所なのだと、両親から聞かされていたからだ。
実の父であるヨハン・ノイエルは、エルラントで一番美しい娘、アンナと結婚した。母のアンナは町長の末娘だったが、町長の反対を押し切り、貧しい父と結ばれた。
やがて、リーゼとリヒトというかけがえのない子どもが誕生したが、決して裕福とはいえない生活を送っていた。
だからだろうか。ヨハンはずっと、アンナに似て美しいリーゼを王都の女学校に、リヒトを騎士団の訓練学校に入れてやると意気込んでいた。
『なんたって、うちのリーゼはどんな令嬢にも負けない美人だからな。王都でもやっていけるさ』
『王都といえば、公爵様のご令嬢も、リーゼ様というそうよ』
『公爵様って、あのヴァルディエ公爵様か? そりゃあ、縁起がいい』
取りとめのない両親の話を、リーゼは布団の中で、まどろみながら聞いていたものだ。
王都に行くのは憧れだったが、それは叶わない夢物語だと思っていた。
まさか、ヴァルディエ公爵に連れられて、王都に来ることになるとは思ってもいなかった。ましてや、リーゼ・ノイエルが、リーゼ・ヴァルディエとして生きることになるとは、想像すらしていなかった。
「奥様、到着いたしました」
馬車のドアを開く従者が、うやうやしく頭をさげる。リーゼは眼前にそびえる建物を見上げた。
王都一の豪邸と言われる、ヴァルディエ公爵邸。その圧倒的な威圧感を前に、リーゼは震えそうになる。
初めてこの屋敷にやってきたときの絶望感、不安、恐怖を、今でも鮮明に覚えている。
リーゼは背筋を伸ばすと、従者を連れて大きな門をくぐった。
玄関ホールで出迎えたのは、数人のメイドたちだった。
その誰もが、本物のリーゼ・ヴァルディエを知らない。リーゼがここへ連れてこられた後、新しく雇われた者たちばかりだからだ。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
「……お父さまは?」
「応接間でお待ちです」
リーゼは従者たちにエントランスで待つよう伝えると、メイドとともに応接間へと向かった。
長い廊下を歩く足音が、不気味なほど静寂な空間に響いていく。多くの使用人がいるはずなのに、やはりこの屋敷はどこか陰鬱としていた。
メイドが重厚な扉の前で足を止める。扉をノックすると、「来たか」と低い声が聞こえた。
「お嬢様をお連れしました。お通ししてよろしいでしょうか?」
「入りなさい」
扉を押し開いたメイドが、深く頭を下げる。リーゼはごくりと唾を飲み込むと、覚悟を決めて足を踏み入れた。
アルブレヒト・ヴァルディエは窓辺に立っていた。白髪交じりの髪に、華美な刺繍のコートを身にまとい、猛禽類のような鋭い目でこちらを振り返る。
彼にとって、リーゼは実の娘ではない。野心のために利用できる捨て駒でしかない。嫌悪感をむき出しにした目は、蔑む色を帯びていた。
「下がれ」
アルブレヒトが短く命じると、メイドは一礼し、逃げるように部屋を出て行った。その様子を見た彼は、面白くなさそうに「ふんっ」と鼻を鳴らすと、リーゼをじろじろと眺めた。
「あの男とはうまくやっているようだな?」
「……は、はい。シルヴィオ様は何もお疑いになることなく過ごしています」
リーゼはひざを折って頭を下げ、恐る恐る口を開いた。
「ならばなぜ、帰還の知らせがなかったのだ?」
「も、申し訳ございません。一刻も早く帰還するため、すべての手続きを後回しにしたと聞き及びました。お父さまが陛下に謁見すると知り、急いでお帰りになったわけではありません」
「だから、自身に非はないと?」
杖を床に打ち付けながら、アルブレヒトが近づいてくる。
「そうは言っておりません。謁見が叶わなかったことは、すべて私の責任です」
コツッと、目の前で鳴った杖がぴたりと止まる。
「重要な謁見であったことは理解しているか?」
「……もちろんです。レナート公爵様の周囲に、王位簒奪を企てる勢力ありと……陛下のお耳に入れるはずでした」
リーゼはぎゅっと目を閉じる。
気づいてしまった。アルブレヒトの計画に。
その勢力こそが、シルヴィオ──いや、アルブレヒトは、反乱軍の証である暁の紋章が刻まれた指輪をシルヴィオに持たせることで、レナートを簒奪者に仕立て上げようとしたのだ。
しかし、その計画はリーゼが潰してしまった。それを、アルブレヒトが知らないはずはない。
「よくわかっているではないか。……ところで、シルヴィオ・ヴァイスの弱みはつかめたのか? まさか、あの男にほだされて、弟のことなど忘れているわけではあるまいな?」
「忘れることなどできません。お父さま……、本当に弟……リヒトは、リヒトは無事なのですか?」
顔をあげると、冷酷な目がこちらを見下ろしていた。
「計画がうまくいけば、無事である証拠を見せよう。少しぐらい、私の役に立ってみせてみろ」
「わかっています……」
震える声で答えると、アルブレヒトの目の色が変わった。
「何がわかっているだと?」
「お、お父さま……?」
「おまえにどれほど手をかけたと思ってるっ! おまえがこれほどの出来損ないでなければ、陛下の婚約者にでもなれたものを。あんな……あんな平民上がりのシルヴィオ・ヴァイスになどくれてやらずに済んだのだぞっ!」
平民上がり……?
シルヴィオ様は、ヴァイス伯爵家の……。
呆然とした時、杖が振り上げられるのを見た。
「や、やめてくださいっ!」
リーゼは反射的に身をすくめ、頭をかばった。思わず声を失うほどの衝撃に身体が強張る。背中の奥がじんと熱を持つように痛んだ。
「おまえは弟がどうなってもいいのかっ!」
「そ、そんなことは……っ」
「じゃあなぜ、計画を潰したっ? おまえはいつもいつも余計なことをっ!」
「ゆ、許してくださいっ。何も知らなかったのです……っ」
この屋敷へやってきてからの毎日が思い出された。
さまざまな家庭教師をつけられ、女学校に通うよりも贅沢な学びを与えられていたのに、何をやっても叱られてばかりいた。
心のどこかで、こんなことを望んでいたわけじゃないと叫んでいた。
「ごめんなさい……お父さま、ごめんなさい」
うわ言のように繰り返す。あの幼い日と同じように身を小さくして震えることしか、リーゼにはできなかった。
杖を引っ込めると、アルブレヒトは憎々しげに吐き捨てる。
「レナートが何やら気づいてる節がある。いいか、おまえはシルヴィオの動きを徹底的に監視しろっ。これ以上、私の計画を邪魔したら……弟の命はないと思えっ!」
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