【完結】冬の足音

竹内 晴

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第1話 白猫と少女

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    「ただいまー」

    今日も仕事を終えて帰宅すると、白い猫がけ寄ってくる。美花みはなは靴を脱ぐよりも先にその白猫を抱きしめる。

    「ユキ、ただいま!」

    この白猫の名前はユキ。吸い込まれそうな翡翠色ひすいいろの瞳に美しい白い毛並みの猫だ。元気いっぱいな甘えん坊で、いつも美花が帰宅すると真っ先に駆け寄ってくる。家の中でも常に美花の近くにいたがる可愛らしい猫である。

    「よし!ユキの癒しチャージ完了!ご飯にしよ」

    仕事の転勤でこの街に引っ越してきたばかりな上に、人見知りな性格の影響だろうか。この街にまだ友人がいない美花にとって、ユキだけが心の支えだった。

    趣味のガーデニングも、ユキがいるとさらに楽しいものになる。どんなに仕事が忙しくても、疲れていても、ユキがいてくれるだけで美花は幸せだった。

    美花の世界は、ユキと過ごすアパートの一室が全てと言っても過言かごんでは無い程に。

    「昨日埋めた種、芽が出るの楽しみだね」

   一緒に夕飯を食べ、同じ布団でユキの温もりを感じながら一緒に眠る。そんな永遠に続くような、ユキとの幸せな日々。




    「ユキ、いってきます」

    次の日の朝も鉢植えに水をやり、玄関まで見送ってくれるユキを抱きしめて家を出る。仕事の合間にも思い出すのは、ユキとこれから咲く花の事ばかり。

    仕事を終えて家に帰ると、いつものようにユキが玄関まで迎えに来る…はずだった。

    「ただいまー」

    家の中はシーンと静まり返っている。いつもは鍵を開ける音でユキが走ってくるのに…。

    「ユキ……?」

    静かな玄関に自分の声が響き渡るだけだった。

    靴を脱ぎ室内に足を踏み入れると、窓際で丸くなっているユキを見つける。

    「なんだ、寝てるのか…もう11月なんだから、そんな所で寝てたら風邪ひいちゃうよ?」

    そう呟いて白い毛並みを撫でようれて、思わずハッとする。

    いつも温かくて柔らかい身体は、氷のように冷たかった。

    「ユキ…?…ねぇ、起きてよ…ユキ…?」

    冷たい身体を抱え、急いで病院に連れて行って、その後の事はよく覚えていない。

    涙なんか出なかった。あまりにも唐突とうとつなユキの死が酷く非現実的で、受け入れることなど出来なかった。

    ただ私の幸せな毎日はそうして突然に終わった。




    ユキがいなくなっても世界はいつも通りに進んでいく。ただ、次の日もいつものように鉢植えに水をやり、仕事に行く日々。

    「いってきます」

    見送りもいない静かな部屋に呟くだけの朝。

    あれから何を食べても味がしない。笑い方が分からない。ただ機械のように毎日仕事して、静かな部屋に帰り、冷たい布団で1人眠りにつく。

    「寒いな…」

    このまま世界の歯車として、心を殺して生きていくのだろうか。

    「ユキ…会いたいよ…」


    唯一、自分の心が戻ってくる時間は鉢植えの水やりの時間だけになった。ユキを想って選んだ花は、どうしてもユキを思い出す。ユキとの思い出が詰まった、枯らしたくない大切な花だ。

    「あ、芽が出てる…」

    ユキを失って数日後、小さな芽が土の中から顔を出していた。

    「あれ、どうして…」

    一筋の涙が頬を伝って流れ落ちた。

    ユキと一緒に見たかった小さな芽を、たった1人眺める。ユキと一緒に見たかった。孤独だった。それでも世界は……。

    「綺麗な白い花を咲かせてね…」

    そう呟くと、美花は仕事へ向かった。



    「ただいま」

    今日も習慣となった呟きを口にしてドアを開ける。返事なんかある筈ないのに…

    「おかえり!ご主人!」

    可愛らしい少女のような声が返ってきた。どうやら、ついに幻聴まで聞こえるようになったらしい。ため息をついて靴を脱ぐ。

    「ご主人!おかえりってば!」

    なんとも不機嫌そうな幻聴である。そう思いながら顔を上げると、見知らぬ少女が立っていた。幻聴の次は幻覚だろうか。

    年齢は小学生になるかならないか、くらいだろうか?真っ白な長い髪に翡翠色の美しい瞳、そして透き通るような白い肌に真っ白なワンピースを着ている。その姿はまるで、ユキが人間になって戻ってきたような…。

    それにしても、なぜ白猫ではなく人間の少女の幻覚なのだろうか?

    「あぁ…私はおかしくなっちゃったのかな…?」

    そう呟いて幻覚の少女の横を素通りする。が、後ろから腕を引っ張られた。

    「ご主人、いつもの抱っこはしてくれないのか…?」

    振り返ると、少女が悲しそうな目で私を見上げていた。だが私はそれどころではない。

    「さわれる幻覚…?」

    幻覚とはれることが出来ないものだと思っていたが、これも自分が壊れてしまっているせいなのだろうか…。

    「幻覚ではないぞ!私がいなくなってから、ご主人が毎日死んだ目をしているから、心配して戻ってきたと言うのに、その態度はあんまりではないか!」

    そう言うと少女はねたように顔をそむけ、キャットタワーの一室にはい…れずに、頭だけ突っ込んだ。その姿はまるで本当に…

    「ユキだ……」

    ユキも拗ねた時は、いつもキャットタワーに入ってこちらにお尻を向けていた。

    「ごめんね、ユキ…ほら、こっちおいで」

    ユキが拗ねた時のお決まりの言葉にユキが顔を出してこっちを向くと、私は両手を広げた。これは私達の仲直りの儀式のようなものだ。

    不安そうに振り返った少女の表情が、ぱぁっと花が咲いたような愛らしい笑顔に変わる。

    「ご主人!」

    駆け寄ってくる少女を思いっきり抱きしめる。

    「…ユキ、おかえり」

    死んだ猫が少女の姿になって帰ってきた。疑問もたくさんあるけれど、今はこの幸せにひたっていたい。

    「あれ?ご主人、泣いてるの?どこか痛いのか?」

    腕の中の温もりに、ポロポロと涙が溢れて止まらない。

    「違うの、ユキがいるのが嬉しくて…」

    そして私はユキを抱きしめたまま思いっきり泣いた。ユキが死んでから、泣いたのは初めての事だった。

    「ご主人、大好きだぞ」

    ユキは私が泣き止むまでずっと、私を抱きしめてくれていた。
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