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2.5話【2と3の間】宮下一人語り
「加藤さん……」
一人の部屋で、思いが通じたばかりの上司の名前を呼んでみる。
優しくて、頼もしくて、可愛らしい……いつの間に、そう思うようになってしまったのか。
第一印象は『おじさん』。身も蓋もないが、思い返しても初見では可もなく不可もなく、この人が上司になるのかという、それだけだった。
それが変化したのはいつだったか……。社会人ともなれば『新人』というだけで甘く採点してくれる人ばかりではない。入社してから初めて付き添って行った苦情処理の現場で、右往左往するばかりで理不尽に怒られていた俺を、さっと庇って助けてくれた。
建設現場には荒くれた人が多く、今ではあれが特別ひどく叱られたのではない事も、ほとんどただの八つ当たりだったこともわかるが、当時はそれがわからずただひたすら投げつけられる言葉に、反発しながらもどうすることもできずに委縮していた。
ただただ怒鳴られる俺と現場主任の間に入った加藤さんは、笑顔で「まぁまぁ」といなしながらあっという間にその場を収めてしまった。捨て台詞に「仕方ねぇなっ!」と毒付きながらも、次に合う時には笑って話していて信頼されているのだと知った。
見方が変わったのはそれからだ。専門学校で習った机上の論理とは違う現場の論理。どちらかだけで上手くいかなかった問題も、加藤さんが間に入ると両方をとりなしていとも簡単に成功させてしまう。砕けた言い方をすると、人間関係も仕事の手順も『イイトコ取り』がとても上手な人だった。
感心しながら憧れているうちに、なんだか胸がむずかゆいことに気付いた。『あれ? なんだこれ?』と思っているうちに、取引のある会社の30代のバツ1事務員に、加藤さんが狙われてることに気付いた。40歳、年齢的にはやや上だが、砕けた柔らかい物腰と部下を大事にする姿を見る限り、きっといい旦那になるだろう。
「若い女子社員連れて行くから、加藤さんと一緒に飲み会をセッティングして欲しい」と頼まれて『嫌だな』と思った。
そこからは、もう猪突猛進だ。
『加藤さんが好きなのかも知れない』と気付き、今まで求められて女性と付き合ってもイマイチ本気になれなかった理由がわかった。性的に女性がダメなわけじゃない。けれど、加藤さんに惹かれていくみたいな吸引力を感じたことはなかった。
加藤さんを好きだと思うことに戸惑いはない。男と付き合った事はないし、セックスもしたことはないけど、なんとなくイケるような気がする。キスはししてみたい。裸も見てみたい。だったら大丈夫だろう、多分萎えない……と思う。
チャンスがあれば、と考えた。加藤さんは40歳で結婚願望があればすぐにでもという年齢だ。トントン拍子に話が進んだら割り込むことはできないだろう。バツ1女性に同情して奪われるなんてしたくない。それとなく探りを入れて、結婚願望がないと聞いた時はホッとした。
だけど、見た目も中身も悪くないのに諦めたみたいに「そういうのはもういい」と言うのに「お前らはいい子を見つけろよ」と笑って、その笑顔が何だか寂しそうできっと何か訳ありなんだろうと思った。
だったら、そこに付け込みたい。寂しかったら俺の所で泣けばいいのに、俺の所で泣いたら癒してあげるのに──。
自分より親の方が近い年齢の人にこんな風に思うなんて、一年前の自分では思わなかっただろう。だけど一度思ってしまったら、ますます他が目に入らなくなる。
告白して拒まれるなんて思いもせずに、飲み会で二人きりになった隙に告白した。
『女がダメなんでしょう?』と鎌をかけて、加藤さんはその通りだと認めたのに、告白に対しての返事はにべもなかった。考える間もなく跳ねのけられる。恋人の気配もないのに、寂しそうに笑うのに考えてくれもしないのに腹が立って、強引にキスをした。
奪うだけのキスに、加藤さんは何も変わらなかった。
翌日からの態度も、視線も、何も変わらない。子供だと、相手にされていないのがわかってますます腹が立つ。……だけど、それと同時に加藤さんが可哀想で可愛くなった。
──ずっと、そうやって笑うんですか? 寂しそうに?
仕事ができる、優しくて頼れる上司。だったらまずは、優秀な部下になろう、加藤さんが無視できない位に。その間に他の人を好きになればそっちにいけばいいし、歳をとる程、加藤さんをそういう意味で好きだという人は減って俺のことを無視できなくなるだろう。ライバルは減って距離は近くなる。
〇歳と二十歳では親子でも、三十歳と五十歳なら仕事のパートナーとしたら充分だし、七十歳と九十歳なら老年夫婦だ。年の差は、時を重ねるほど無くなる。
加藤さんに相手にされなかった腹立ちは、そのまま俺に火を付けた。
そして今日、三年越しに想いが成就した。
酔っ払った加藤さんに鳴いて縋られて……、今思い出しただけでも手が震える。
二度と触れられないかと思った唇にキスをした。
涙ながらに、好きだと、捨てないでと訴えられて、嬉しいと思うより先に涙が出た。加藤さんは気付かなかったかもしれないけれど……。
ずっと好きだったのも、ずっと捨てないで欲しいと追いかけていたのも俺の方だ。思わぬ恋の成就に動揺して、入社したばかりだけど気の合う年上の女性に誘われたのも無視して、酔いつぶれた加藤さんを連れて帰る。
何度か仕事終わりに社用車で送って行ったことがある加藤さんの家に送り届け、寝かしつけて帰ってきた。
ぐったりと熱い加藤さんを運んだ余韻が、身体のそこかしこに残っている。
──よく、よく頑張った、俺。……正直、前後不覚の加藤さんに手を出そうとした。家に帰ってからもキスだけはしてしまったけど、それくらいはご愛嬌だ。むしろキスだけで踏みとどまれた俺って凄いんじゃないか?
だけど、絶対に『今じゃない』と思った。三年間しつこく加藤さんを想い続けた俺の勘が言っていた。『今じゃない』。なし崩しに手に入れるより、少しずつ段階を踏んで逃げられないようにしないと。加藤さんが俺の手を離せなくなるように、俺無しではいられなくなるように、一生一緒にいられるように──。
「加藤さん……」
ここにいない人の名前を呼んで、これは現実だともう一度確かめる。幸せをかみ締める。
苦い、ビールの味のキスを思い出す。苦いのに、甘いキス。
涙が出る。失恋したら泣くだろうと思っていたのに、まさか好きだと言われても泣くだなんて。
「あー……、好き……」
呟いて、ゴロリとベッドに横になった。
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