蒼の記憶

のどか

文字の大きさ
2 / 27
ー壱ー

01.はじまりを告げる春

しおりを挟む
視界を染め上げるのは蒼を覆い隠すような薄紅色。
華乃かのはこの色が、景色が嫌いだった。
現実の世界では素直に美しいと思えるのに、むしろ風に舞い踊り空を彩る桜は思わずカメラを構えてしまうほどに好きな光景なのに眠っている今、夢の中でのこの美しい世界は胸が締め付けられるように苦しくてたまらなかった。
大切なものを奪っていく春風。愛しいものを覆い隠してしまう花びら。胸で渦巻く悲しみを嘲笑うような晴天。
それでもまた華乃の大切なものを運んでくるのはこの季節であり、この花だった。
大好きな母を奪い去った春が連れてきたのは甘ったれで泣き虫の大切な弟。
最愛の兄を覆い隠した桜が運んできたのは甘えることを知らない、子供であることを忘れてしまった愛しい幼子あるじ
ずっと、ずっと、このワガママが許される限りそばにいて守り支えて差し上げたかった。
あの幼い子どもが、自らの優しさをまったく自覚していない主が築く未来が見たかった。
たとえ、おそばに侍ることを許されなくなる日が来ても遠くからでもいいから彼の幸福を祈っていたかった。
けれど世界はそれさえ許してはくれなかった。
迫られた選択を後悔したことなどない。それでも――――……。
ブラックアウトした思考と景色の中を華乃は再び彷徨い始めた。
強制的に切断された思考は、記憶は、感情は、華乃の奥深くに沈んだまま最初からなかったかのように再び面に現れることはなかった。


真っ暗に染まった視界の中で聞こえる幼い子どもの声に華乃はぼんやりとした頭で考える。
また、あの夢だ。
暗く深い闇の奥底で声がする。
“何か”を求める幼い声。
悲痛で聞いているほうが苦しくて、切なくて、泣きたくなるような声だった。
小さな手を必死に伸ばして、唯一、それだけを渇望するそれに華乃は自然と手を伸ばした。幼い声に負けないくらい精一杯。
この指先がなにも掴まないことは分かっていた。
それでも伸ばさなければならないと思った。この声が、この心が、それを求める限りそこが例え夢の中であろうとも応えなければならないと華乃の中の何かが告げていた。
幼い声が求めている“何か”が自分のような気がしてならなかった。
いや、自分を渇望する声なのだと華乃はどこかで知っていた。

『あいし、てる。あいしてる。愛してるッ……!!』

だから、お願いだから還ってきて。
それ以外なにも望まないから。
お前が側に居ればそれだけで幸せだと俺は笑っていられるから。
だから、俺の幸せを望むならどうかもう一度俺の隣で微笑んで。
いつもは朧気なそれが鮮明に流れこんでくる。
執着とも言える小さな告白。
華乃を求める幼く高い声はいつの間にか低くなり華乃と同じくらいの少年の声に変っていた。

『還って来いよ。俺の幸せを祈る暇があるなら、俺の側に』

泣きそうな声に、愛しさと切なさが混じり合ったその声に華乃ははらりと涙を零した。
かえりたい。帰りたい。還りたい。
あなたの、そばに。たいせつなひとがいた、あのばしょに。
私の愛した蒼月のそばに。
自然と湧き上がってくる感情に華乃はポタポタと涙を零しながら途切れていく夢の世界に手を伸ばした。
苦しくても、切なくても、泣きたくなっても、それでもまだあの声を聞いていたかった。
できることがなくても、ただ、悲痛なその声を聞いていることしかできなくても、それでも、まだ目を覚ましたくなかった。
この声を、自分を求めるあの人の声を聞いていられるのなら、目覚めた先の世界なんていらないくらいにこの夢から抜け出すのが嫌だった。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

私の存在

戒月冷音
恋愛
私は、一生懸命生きてきた。 何故か相手にされない親は、放置し姉に顎で使われてきた。 しかし15の時、小学生の事故現場に遭遇した結果、私の生が終わった。 しかし、別の世界で目覚め、前世の知識を元に私は生まれ変わる…

【完結】番である私の旦那様

桜もふ
恋愛
異世界であるミーストの世界最強なのが黒竜族! 黒竜族の第一皇子、オパール・ブラック・オニキス(愛称:オール)の番をミースト神が異世界転移させた、それが『私』だ。 バールナ公爵の元へ養女として出向く事になるのだが、1人娘であった義妹が最後まで『自分』が黒竜族の番だと思い込み、魅了の力を使って男性を味方に付け、なにかと嫌味や嫌がらせをして来る。 オールは政務が忙しい身ではあるが、溺愛している私の送り迎えだけは必須事項みたい。 気が抜けるほど甘々なのに、義妹に邪魔されっぱなし。 でも神様からは特別なチートを貰い、世界最強の黒竜族の番に相応しい子になろうと頑張るのだが、なぜかディロ-ルの侯爵子息に学園主催の舞踏会で「お前との婚約を破棄する!」なんて訳の分からない事を言われるし、義妹は最後の最後まで頭お花畑状態で、オールを手に入れようと男の元を転々としながら、絡んで来ます!(鬱陶しいくらい来ます!) 大好きな乙女ゲームや異世界の漫画に出てくる「私がヒロインよ!」な頭の変な……じゃなかった、変わった義妹もいるし、何と言っても、この世界の料理はマズイ、不味すぎるのです! 神様から貰った、特別なスキルを使って異世界の皆と地球へ行き来したり、地球での家族と異世界へ行き来しながら、日本で得た知識や得意な家事(食事)などを、この世界でオールと一緒に自由にのんびりと生きて行こうと思います。 前半は転移する前の私生活から始まります。

【完結】どうか私を思い出さないで

miniko
恋愛
コーデリアとアルバートは相思相愛の婚約者同士だった。 一年後には学園を卒業し、正式に婚姻を結ぶはずだったのだが……。 ある事件が原因で、二人を取り巻く状況が大きく変化してしまう。 コーデリアはアルバートの足手まといになりたくなくて、身を切る思いで別れを決意した。 「貴方に触れるのは、きっとこれが最後になるのね」 それなのに、運命は二人を再び引き寄せる。 「たとえ記憶を失ったとしても、きっと僕は、何度でも君に恋をする」

逆ハーレムを完成させた男爵令嬢は死ぬまで皆に可愛がられる(※ただし本人が幸せかは不明である)

ラララキヲ
恋愛
 平民生まれだが父が男爵だったので母親が死んでから男爵家に迎え入れられたメロディーは、男爵令嬢として貴族の通う学園へと入学した。  そこでメロディーは第一王子とその側近候補の令息三人と出会う。4人には婚約者が居たが、4人全員がメロディーを可愛がってくれて、メロディーもそれを喜んだ。  メロディーは4人の男性を同時に愛した。そしてその4人の男性からも同じ様に愛された。  しかし相手には婚約者が居る。この関係は卒業までだと悲しむメロディーに男たちは寄り添い「大丈夫だ」と言ってくれる。  そして学園の卒業式。  第一王子たちは自分の婚約者に婚約破棄を突き付ける。  そしてメロディーは愛する4人の男たちに愛されて……── ※話全体通して『ざまぁ』の話です(笑) ※乙女ゲームの様な世界観ですが転生者はいません。 ※性行為を仄めかす表現があります(が、行為そのものの表現はありません) ※バイセクシャルが居るので醸(カモ)されるのも嫌な方は注意。  ◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。 ◇ご都合展開。矛盾もあるかも。 ◇なろうにも上げてます。

自業自得じゃないですか?~前世の記憶持ち少女、キレる~

浅海 景
恋愛
前世の記憶があるジーナ。特に目立つこともなく平民として普通の生活を送るものの、本がない生活に不満を抱く。本を買うため前世知識を利用したことから、とある貴族の目に留まり貴族学園に通うことに。 本に釣られて入学したものの王子や侯爵令息に興味を持たれ、婚約者の座を狙う令嬢たちを敵に回す。本以外に興味のないジーナは、平穏な読書タイムを確保するために距離を取るが、とある事件をきっかけに最も大切なものを奪われることになり、キレたジーナは報復することを決めた。 ※2024.8.5 番外編を2話追加しました!

帰国した王子の受難

ユウキ
恋愛
庶子である第二王子は、立場や情勢やら諸々を鑑みて早々に隣国へと無期限遊学に出た。そうして年月が経ち、そろそろ兄(第一王子)が立太子する頃かと、感慨深く想っていた頃に突然届いた帰還命令。 取り急ぎ舞い戻った祖国で見たのは、修羅場であった。

最愛の番に殺された獣王妃

望月 或
恋愛
目の前には、最愛の人の憎しみと怒りに満ちた黄金色の瞳。 彼のすぐ後ろには、私の姿をした聖女が怯えた表情で口元に両手を当てこちらを見ている。 手で隠しているけれど、その唇が堪え切れず嘲笑っている事を私は知っている。 聖女の姿となった私の左胸を貫いた彼の愛剣が、ゆっくりと引き抜かれる。 哀しみと失意と諦めの中、私の身体は床に崩れ落ちて―― 突然彼から放たれた、狂気と絶望が入り混じった慟哭を聞きながら、私の思考は止まり、意識は閉ざされ永遠の眠りについた――はずだったのだけれど……? 「憐れなアンタに“選択”を与える。このままあの世に逝くか、別の“誰か”になって新たな人生を歩むか」 謎の人物の言葉に、私が選択したのは――

断罪前に“悪役"令嬢は、姿を消した。

パリパリかぷちーの
恋愛
高貴な公爵令嬢ティアラ。 将来の王妃候補とされてきたが、ある日、学園で「悪役令嬢」と呼ばれるようになり、理不尽な噂に追いつめられる。 平民出身のヒロインに嫉妬して、陥れようとしている。 根も葉もない悪評が広まる中、ティアラは学園から姿を消してしまう。 その突然の失踪に、大騒ぎ。

処理中です...