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ー壱ー
01.はじまりを告げる春
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視界を染め上げるのは蒼を覆い隠すような薄紅色。
華乃はこの色が、景色が嫌いだった。
現実の世界では素直に美しいと思えるのに、むしろ風に舞い踊り空を彩る桜は思わずカメラを構えてしまうほどに好きな光景なのに眠っている今、夢の中でのこの美しい世界は胸が締め付けられるように苦しくてたまらなかった。
大切なものを奪っていく春風。愛しいものを覆い隠してしまう花びら。胸で渦巻く悲しみを嘲笑うような晴天。
それでもまた華乃の大切なものを運んでくるのはこの季節であり、この花だった。
大好きな母を奪い去った春が連れてきたのは甘ったれで泣き虫の大切な弟。
最愛の兄を覆い隠した桜が運んできたのは甘えることを知らない、子供であることを忘れてしまった愛しい幼子。
ずっと、ずっと、このワガママが許される限りそばにいて守り支えて差し上げたかった。
あの幼い子どもが、自らの優しさをまったく自覚していない主が築く未来が見たかった。
たとえ、おそばに侍ることを許されなくなる日が来ても遠くからでもいいから彼の幸福を祈っていたかった。
けれど世界はそれさえ許してはくれなかった。
迫られた選択を後悔したことなどない。それでも――――……。
ブラックアウトした思考と景色の中を華乃は再び彷徨い始めた。
強制的に切断された思考は、記憶は、感情は、華乃の奥深くに沈んだまま最初からなかったかのように再び面に現れることはなかった。
真っ暗に染まった視界の中で聞こえる幼い子どもの声に華乃はぼんやりとした頭で考える。
また、あの夢だ。
暗く深い闇の奥底で声がする。
“何か”を求める幼い声。
悲痛で聞いているほうが苦しくて、切なくて、泣きたくなるような声だった。
小さな手を必死に伸ばして、唯一、それだけを渇望するそれに華乃は自然と手を伸ばした。幼い声に負けないくらい精一杯。
この指先がなにも掴まないことは分かっていた。
それでも伸ばさなければならないと思った。この声が、この心が、それを求める限りそこが例え夢の中であろうとも応えなければならないと華乃の中の何かが告げていた。
幼い声が求めている“何か”が自分のような気がしてならなかった。
いや、自分を渇望する声なのだと華乃はどこかで知っていた。
『あいし、てる。あいしてる。愛してるッ……!!』
だから、お願いだから還ってきて。
それ以外なにも望まないから。
お前が側に居ればそれだけで幸せだと俺は笑っていられるから。
だから、俺の幸せを望むならどうかもう一度俺の隣で微笑んで。
いつもは朧気なそれが鮮明に流れこんでくる。
執着とも言える小さな告白。
華乃を求める幼く高い声はいつの間にか低くなり華乃と同じくらいの少年の声に変っていた。
『還って来いよ。俺の幸せを祈る暇があるなら、俺の側に』
泣きそうな声に、愛しさと切なさが混じり合ったその声に華乃ははらりと涙を零した。
かえりたい。帰りたい。還りたい。
あなたの、そばに。たいせつなひとがいた、あのばしょに。
私の愛した蒼月のそばに。
自然と湧き上がってくる感情に華乃はポタポタと涙を零しながら途切れていく夢の世界に手を伸ばした。
苦しくても、切なくても、泣きたくなっても、それでもまだあの声を聞いていたかった。
できることがなくても、ただ、悲痛なその声を聞いていることしかできなくても、それでも、まだ目を覚ましたくなかった。
この声を、自分を求めるあの人の声を聞いていられるのなら、目覚めた先の世界なんていらないくらいにこの夢から抜け出すのが嫌だった。
華乃はこの色が、景色が嫌いだった。
現実の世界では素直に美しいと思えるのに、むしろ風に舞い踊り空を彩る桜は思わずカメラを構えてしまうほどに好きな光景なのに眠っている今、夢の中でのこの美しい世界は胸が締め付けられるように苦しくてたまらなかった。
大切なものを奪っていく春風。愛しいものを覆い隠してしまう花びら。胸で渦巻く悲しみを嘲笑うような晴天。
それでもまた華乃の大切なものを運んでくるのはこの季節であり、この花だった。
大好きな母を奪い去った春が連れてきたのは甘ったれで泣き虫の大切な弟。
最愛の兄を覆い隠した桜が運んできたのは甘えることを知らない、子供であることを忘れてしまった愛しい幼子。
ずっと、ずっと、このワガママが許される限りそばにいて守り支えて差し上げたかった。
あの幼い子どもが、自らの優しさをまったく自覚していない主が築く未来が見たかった。
たとえ、おそばに侍ることを許されなくなる日が来ても遠くからでもいいから彼の幸福を祈っていたかった。
けれど世界はそれさえ許してはくれなかった。
迫られた選択を後悔したことなどない。それでも――――……。
ブラックアウトした思考と景色の中を華乃は再び彷徨い始めた。
強制的に切断された思考は、記憶は、感情は、華乃の奥深くに沈んだまま最初からなかったかのように再び面に現れることはなかった。
真っ暗に染まった視界の中で聞こえる幼い子どもの声に華乃はぼんやりとした頭で考える。
また、あの夢だ。
暗く深い闇の奥底で声がする。
“何か”を求める幼い声。
悲痛で聞いているほうが苦しくて、切なくて、泣きたくなるような声だった。
小さな手を必死に伸ばして、唯一、それだけを渇望するそれに華乃は自然と手を伸ばした。幼い声に負けないくらい精一杯。
この指先がなにも掴まないことは分かっていた。
それでも伸ばさなければならないと思った。この声が、この心が、それを求める限りそこが例え夢の中であろうとも応えなければならないと華乃の中の何かが告げていた。
幼い声が求めている“何か”が自分のような気がしてならなかった。
いや、自分を渇望する声なのだと華乃はどこかで知っていた。
『あいし、てる。あいしてる。愛してるッ……!!』
だから、お願いだから還ってきて。
それ以外なにも望まないから。
お前が側に居ればそれだけで幸せだと俺は笑っていられるから。
だから、俺の幸せを望むならどうかもう一度俺の隣で微笑んで。
いつもは朧気なそれが鮮明に流れこんでくる。
執着とも言える小さな告白。
華乃を求める幼く高い声はいつの間にか低くなり華乃と同じくらいの少年の声に変っていた。
『還って来いよ。俺の幸せを祈る暇があるなら、俺の側に』
泣きそうな声に、愛しさと切なさが混じり合ったその声に華乃ははらりと涙を零した。
かえりたい。帰りたい。還りたい。
あなたの、そばに。たいせつなひとがいた、あのばしょに。
私の愛した蒼月のそばに。
自然と湧き上がってくる感情に華乃はポタポタと涙を零しながら途切れていく夢の世界に手を伸ばした。
苦しくても、切なくても、泣きたくなっても、それでもまだあの声を聞いていたかった。
できることがなくても、ただ、悲痛なその声を聞いていることしかできなくても、それでも、まだ目を覚ましたくなかった。
この声を、自分を求めるあの人の声を聞いていられるのなら、目覚めた先の世界なんていらないくらいにこの夢から抜け出すのが嫌だった。
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