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FILE2『嘘で塗られた自分の体』
9・清正 醍醐先生
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走って応接室に戻り、勢いよくドアを開けると、そこには亜紀ちゃんの他に見知らぬ男性が座っていた。
「あっ、ごめんなさい」
小説家の先生がもう着いていたのだ。私は勢い良く部屋に入ったことを詫びた。亜紀ちゃんは少し慌てた様子で私に手招きをする。高田さんが淹れてくれたお茶は、まだ湯気が立っていた。
「元気なお嬢さんですね」
「ごめんなさい……」
私はまた謝っていた。スーツを着て、きちんと髪の毛をセットしていた小説家の先生は、私が想像していたより、まだ若そうな年齢だった。担任の川野 優子先生くらいかもしれない。小説家というのだから、眼鏡をかけて、白髪で、どっしりと構えたおじいさん、というイメージを勝手に持っていたから、驚いてしまった。
「怒っているわけではないです。座って下さい」
「あ、は、はい!」
心地の良い低い声を出す人だ。ゆったりとした話し方は、私の耳にとても馴染んで聞こえた。おでこが広く、眉毛が斜め上方向にきりりとつり上がっている。勝気そうな目は少しつり上がり気味で、気が強そうな感じもしたけれど、おっとりした物腰をみると優しい感じもする。
「猪俣 亜紀です。今入って来たのは山岡 愛美。あたしたち、来月の新聞倶楽部の会報で、先生のことを特集しようと思って、取材をお願いしました。よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
亜紀ちゃんの後に私は頭を下げて、急いで亜紀ちゃんの隣へと向かった。小説家の先生は「はい」と穏やかに答え、名刺を私と亜紀ちゃんの前に差し出してくれた。
「えっと、キヨマサ……」
今更だけれど、先生にきちんと名前を教えてもらっておけば良かったと私は後悔した。名前が読めないなんて失礼極まりないし、事前に把握しておかなかったことも失礼なことだ。私はみるみるうちに身体から血の気が引いていくのを感じた。困惑して亜紀ちゃんを見ると、亜紀ちゃんも何て読むのか名刺と格闘していた。
「まだ小学生は習わない字でしょうか。ダイゴと読みます。清正 醍醐です、よろしくお願いします」
「清正 醍醐、先生」
私は小さな声で復唱してみた。推理小説を書いている人とは聞いていたけれど、どういう小説を書いているのだろう。それも事前に調べておくべきだった。私は、いつもそうだ。当日になって「ああしておけば良かった」ことを思いつき、そして後悔する。いつもママが身の回りのことをするから、自分で考えることが出来ない。もっと優しいママだったら良かったのに。
「清正先生は、どんな作品を書いているんですか?」
隣で亜紀ちゃんがハキハキと質問をし始めた。私はこの質問をしただけで心臓が飛び上がりそうになってしまう。失礼な質問だと思うのだが、怒られないだろうか。
「今は、月刊誌に『嘘をつく世界』という小説を連載しています。それ以外で文庫化されたのは二作だけです」
「推理小説と聞いています。他のジャンルは書かないんですか?」
「書かないというよりは、書けないという方が合っている気がします。元々、ファンタジーやSFはあまり読みませんので、それらの世界を書ける人をとても尊敬しています」
しっかりと相手の目を見て話す人だ。こんな有名な人が熊谷にいることも驚くけれど、誰が彼を見つけ出してきたのだろうかと不思議に思った。
「どうして小説家になろうと思ったんですか?」
私が質問をする番だったので、そう聞いてみた。
「推理小説が好きで、読み込んでいるうちに『私ならばこういう結末にする』『私だったら、話の流れをこうもっていく』と既存の小説に自分の考えたストーリーを展開してしまう悪い癖が出てくるようになったのです。色々な小説を読む毎に、必ず私のストーリーを作り上げて、空想の中で結末を変えてしまっていたのです。それならばと、私が作り出したキャラクターで、私の作るストーリーを書いてみたいと思ったのがきっかけです」
「すぐに小説家になれましたか? あたしも、恋愛小説家とかになってみたいです」
亜紀ちゃんが目を輝かせて、身を乗り出した。清正先生は少し考えるようにスーツのネクタイを締め直した。
「私は、中学生のときから小説を書き始めました。新人賞に応募したのは、十五歳くらいのときです。それから二十七歳くらいまで出し続けて、ようやく桃源社に拾われた形です」
清正さんは亜紀ちゃんの目をしっかりと見てそう言った。そして、お茶を一杯飲むと、再び亜紀ちゃんに向かって口を開いた。
「夢を持つことはとても良いことですが、それに向かって努力をしなければ、叶うものも叶いません。あなたが小説家になりたいのならば、小説をたくさん読んで、たくさん書いて下さい。そして、新人賞に応募してみるんです。何度も失敗するかもしれません。でも、諦めないことが大事だと私は思います」
「はい、ありがとうございます!」
亜紀ちゃんは清正先生を見て、頬を紅潮させながら力強くお礼を言った。
「個人的に努力を努力と思わない人は、大成すると私は考えています。あなたたちはまだ若い。チャンスも数多あります。諦めず大成して下さい」
亜紀ちゃんの目が輝いているのを横目で見た。確かに落ち着いていてどっしりと構えた、亜紀ちゃん好みの爽やかな顔立ちをした人だけれど、三十歳くらいのおじさんなのに。私は亜紀ちゃんのそういう感覚が、あまり理解出来ない。
9.続く
「あっ、ごめんなさい」
小説家の先生がもう着いていたのだ。私は勢い良く部屋に入ったことを詫びた。亜紀ちゃんは少し慌てた様子で私に手招きをする。高田さんが淹れてくれたお茶は、まだ湯気が立っていた。
「元気なお嬢さんですね」
「ごめんなさい……」
私はまた謝っていた。スーツを着て、きちんと髪の毛をセットしていた小説家の先生は、私が想像していたより、まだ若そうな年齢だった。担任の川野 優子先生くらいかもしれない。小説家というのだから、眼鏡をかけて、白髪で、どっしりと構えたおじいさん、というイメージを勝手に持っていたから、驚いてしまった。
「怒っているわけではないです。座って下さい」
「あ、は、はい!」
心地の良い低い声を出す人だ。ゆったりとした話し方は、私の耳にとても馴染んで聞こえた。おでこが広く、眉毛が斜め上方向にきりりとつり上がっている。勝気そうな目は少しつり上がり気味で、気が強そうな感じもしたけれど、おっとりした物腰をみると優しい感じもする。
「猪俣 亜紀です。今入って来たのは山岡 愛美。あたしたち、来月の新聞倶楽部の会報で、先生のことを特集しようと思って、取材をお願いしました。よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
亜紀ちゃんの後に私は頭を下げて、急いで亜紀ちゃんの隣へと向かった。小説家の先生は「はい」と穏やかに答え、名刺を私と亜紀ちゃんの前に差し出してくれた。
「えっと、キヨマサ……」
今更だけれど、先生にきちんと名前を教えてもらっておけば良かったと私は後悔した。名前が読めないなんて失礼極まりないし、事前に把握しておかなかったことも失礼なことだ。私はみるみるうちに身体から血の気が引いていくのを感じた。困惑して亜紀ちゃんを見ると、亜紀ちゃんも何て読むのか名刺と格闘していた。
「まだ小学生は習わない字でしょうか。ダイゴと読みます。清正 醍醐です、よろしくお願いします」
「清正 醍醐、先生」
私は小さな声で復唱してみた。推理小説を書いている人とは聞いていたけれど、どういう小説を書いているのだろう。それも事前に調べておくべきだった。私は、いつもそうだ。当日になって「ああしておけば良かった」ことを思いつき、そして後悔する。いつもママが身の回りのことをするから、自分で考えることが出来ない。もっと優しいママだったら良かったのに。
「清正先生は、どんな作品を書いているんですか?」
隣で亜紀ちゃんがハキハキと質問をし始めた。私はこの質問をしただけで心臓が飛び上がりそうになってしまう。失礼な質問だと思うのだが、怒られないだろうか。
「今は、月刊誌に『嘘をつく世界』という小説を連載しています。それ以外で文庫化されたのは二作だけです」
「推理小説と聞いています。他のジャンルは書かないんですか?」
「書かないというよりは、書けないという方が合っている気がします。元々、ファンタジーやSFはあまり読みませんので、それらの世界を書ける人をとても尊敬しています」
しっかりと相手の目を見て話す人だ。こんな有名な人が熊谷にいることも驚くけれど、誰が彼を見つけ出してきたのだろうかと不思議に思った。
「どうして小説家になろうと思ったんですか?」
私が質問をする番だったので、そう聞いてみた。
「推理小説が好きで、読み込んでいるうちに『私ならばこういう結末にする』『私だったら、話の流れをこうもっていく』と既存の小説に自分の考えたストーリーを展開してしまう悪い癖が出てくるようになったのです。色々な小説を読む毎に、必ず私のストーリーを作り上げて、空想の中で結末を変えてしまっていたのです。それならばと、私が作り出したキャラクターで、私の作るストーリーを書いてみたいと思ったのがきっかけです」
「すぐに小説家になれましたか? あたしも、恋愛小説家とかになってみたいです」
亜紀ちゃんが目を輝かせて、身を乗り出した。清正先生は少し考えるようにスーツのネクタイを締め直した。
「私は、中学生のときから小説を書き始めました。新人賞に応募したのは、十五歳くらいのときです。それから二十七歳くらいまで出し続けて、ようやく桃源社に拾われた形です」
清正さんは亜紀ちゃんの目をしっかりと見てそう言った。そして、お茶を一杯飲むと、再び亜紀ちゃんに向かって口を開いた。
「夢を持つことはとても良いことですが、それに向かって努力をしなければ、叶うものも叶いません。あなたが小説家になりたいのならば、小説をたくさん読んで、たくさん書いて下さい。そして、新人賞に応募してみるんです。何度も失敗するかもしれません。でも、諦めないことが大事だと私は思います」
「はい、ありがとうございます!」
亜紀ちゃんは清正先生を見て、頬を紅潮させながら力強くお礼を言った。
「個人的に努力を努力と思わない人は、大成すると私は考えています。あなたたちはまだ若い。チャンスも数多あります。諦めず大成して下さい」
亜紀ちゃんの目が輝いているのを横目で見た。確かに落ち着いていてどっしりと構えた、亜紀ちゃん好みの爽やかな顔立ちをした人だけれど、三十歳くらいのおじさんなのに。私は亜紀ちゃんのそういう感覚が、あまり理解出来ない。
9.続く
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