●鬼巌島●

喧騒の花婿

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第二噺『取ってはならぬ』

三【ごめん、八つ当たり】

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「見たわよ、春日くん」



 口に手を当てて、楽しそうに笑い声を上げながら呉葉が後ろから軽くぶつかってきた。帰り支度を終え、家までの道を歩いているときのことだった。


「何を見たの?」


「女の子と、逢引きの約束をしているところ」


「ああ、うん。これはボクの世にも恐ろしい姉の教育方針でね、女性からの誘いを断るのは男として情けないことらしいんだ」



「あなたはあれね。主体性がないのね」


 教室内の出来事のはずなのに何故この姉は知っているのだろう、という疑問が湧いたが『呉葉だから』で何でも解決してしまった。彼女は突拍子もないことをするので、何をしても驚かないのだ。だが一応聞いてみることにした。




「呉葉ちゃんはボクの行動を何でも知っているんだな。監視でもしているの?」


「まさか。一緒に帰ろうと思ってあなたの教室に行ったときに見えたのよ。悪いと思ったから、春日くんが一匹になるまで声をかけるのを控えていただけ」


 おかしそうに笑いながら、舞うように春日童子を抜かして前を歩く。彼女の黒く長い髪がふわりと冷たい空気を揺るがした。




「この際姉として、女として忠告しておきますけれど、自分を見失うのはいただけないわよ。女の子と聞いたら、誰にでも良い顔をする鬼は『女ったらし』の烙印を押されるわ」


「今日は口うるさいね」


 春日童子が呟くと、呉葉は眉を吊り上げてから気を取り直したように口を開いた。



「私が言わなければ、誰も注意してくれないでしょう。あなたは誰に似たのかしらね」


「死んだじいちゃんだろ。良く言われる」


「まあ呆れた。開き直ったわね。それより、お父さんには言い訳を考えておいた方がいいわよ。今夜は遅くなるんでしょう?」


 楽しそうに含みを込めながら軽やかに言う呉葉に、春日童子は呆れてため息をついた。



「仕事の手伝いですよ。呉葉ちゃんが考えているような色っぽい話じゃない」


「むきになることないじゃない。女の子の誘いに乗るというだけで、私にとっては色っぽい話よ」


 呉葉が驚いて後ろを振り返り、春日童子を見上げる。皮肉めいたその態度にかちんときた。



「言っておきますけどね、仕事はどういう風にこなすものなのか知りたかっただけなんだ。後学のために誘いに乗っただけだよ。主体性がないわけじゃないだろ」


 憮然とした表情を呉葉に向けた春日童子に対し、彼女は首を傾げた。


「怒ることないじゃない」


「ボクは呉葉ちゃんが思う程出来た鬼ではないからね。現にボクには仕事の依頼が一度もきたことがない。鬼として情けないことだよ」


「春日くん? 機嫌でも悪いの?」


 驚いたように目を丸くして、呉葉は春日童子を見上げた。


「ごめん、八つ当たり」


 どうも姉に対しては甘えが出てしまっているようだ。春日童子は反省するように肩を落とした。


「確かに、鬼ヶ島は角が大きいと誰からも持ち上げられる風潮にあるわ。鬼として将来性があるからね。縁起担ぎの意味で、敢えて角の大きい鬼を持ち上げるという鬼もいるくらいよ。でもあなたはお世辞にも大きい角ではない。それなのに、女性から頼られた。角どうこうじゃないのよ。春日くんの内面を見てくれているという証拠よ。ほら、地面など見ていないで、空を見上げなさいな」


「……そうだね、ありがたいことだ」


 含みを込めて頷く春日童子の、どこか上の空な返事に呉葉は腕を組みつつ天を仰いだ。


「まあ私もあなたのことを言えないのよ。こんな外見だから一度も仕事依頼がきたことがないもの。私はいっそ人間の島で……人間と共に住んだ方が、生きやすいのではないかと思っているくらいよ」



「そんなこと言うなよ。人と共に生きるなんて鬼にとって最大の不幸だ」


 父の仕事のことを棚に上げて春日童子は言った。父のことは尊敬していたが、人間の配下で働いていたことを思うと複雑だ。


「でも、鬼ヶ島で私が生きていく道は限りなく細く狭いわ。老後を思うと心配なのよ」


 癖である、頬に手を当てて困惑する仕草を見せた彼女に対して、春日童子は眉を少し吊り上げた。



「呉葉ちゃんはボクが養うからいいんだ」


 黒い瞳に黒い髪という、全て人間のような外見要素を持った呉葉は、きっとこの先結婚出来ないだろうと春日童子は思っていた。そうなれば、必然的に弟である自分が呉葉を養っていかなければならないという考えを持っている。



「だから、ボクは強くならなければならない。角が立派な鬼は、仕事が選べるほど舞い込んでくるというじゃないか。その点ボクは実力勝負だからね」


 小さい頃からずっと言ってきたことだ。呉葉はそれに対しては異論がある。



「あなたが気負わなくても結構よ。養ってもらわなくても一匹で生きていくから。それに生まれ持った外見や、どうにもならないことを嘆くものではないわ。両親に対してとても失礼よ。それに嘆いて現状が変わるのならば、私は喜んで嘆くことを選んでいたわよ」


「おお、格好良いな、呉葉ちゃん」


「からかわないで頂戴。年の功というやつよ」


 家まで歩く途中、春日童子は今まで落ち込んでいた気持が完全に吹き飛び、明るい気分になった。呉葉のおかげだ。


「ところで本当にボクと帰宅する用事だったの? もしかして神隠しに関することで、ボクのところにきたんじゃないの?」


 呉葉は上を向いて困惑した表情になった。



「違うわ。今晩菜園場所に付き合ってもらいたかったのよ。夜に耐えられる花を見極めておきたかったの」


 呉葉は、鬼は気持ち悪がって絶対にしない、花々を育てることを趣味としていた。春日童子は身を乗り出して呉葉に迫った。



「早く言ってよ。今から伽羅に断ってくる」


 くるりと身を翻そうとした春日童子の腕を掴み、呉葉は首を振った。



「やめなさい。一度約束したことを反故にするなんて、することじゃないわ。しかも先約を断るなんてそれこそ鬼として情けないわよ」


「呉葉ちゃんとの約束はもっと大事なんだ」


 呉葉は困ったように頬に手をあてた。



「それは嬉しいけれど、姉として少し複雑だわ。家族を大事にするのは良いことだけれど、それが過剰になると他から引かれてしまうわよ」


「別に構わない」


「とにかく、先約なんだから行きなさい。私はお父さんに付き合ってもらうから。お姉ちゃん命令です。いいわね」


 呉葉の強い口調に、春日童子は少し怯むと、しぶしぶと頷いた。


 未の刻から申の刻に変わろうという頃、春日童子は家を出ることにした。


 外出をするという旨を風鬼とスクナに伝えると、あっさりと送り出してくれた。風鬼は、呉葉とスクナの女性陣には夜間の外出は危険が伴うため控えるよう厳しく言っていたが、春日童子は男だから、仕事の依頼がきたらどのような時間帯にも出られる準備をしなければならないと教えられていたため、別段夜間外出には厳しくなかった。



 その代わり変な行動をしたり、後ろ指差されるような行動は決してするなと教えられていた。



 春日童子は伽羅の家へと向かった。家の庭に咲いていた、『夜光花』を手にしていた。



 夜光花は、夜になると蛍のように花弁から青い光を放つ。夜道にとても役に立ち、辺りを灯してくれる。朝になると花弁が自然に閉じて、光も放たなくなるという特性を持った、鬼ヶ島にしか咲いていない幻想的な花だ。



 伽羅の家の塀から、夜光花をそっと覗かせた。それが合図となり、玄関が勢い良く開かれる音を聞いた。


*続く*
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