●鬼巌島●

喧騒の花婿

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第五噺『王の没落(後)』

五【鬼の尊厳】

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 鈴鹿御前は顔を手で覆い、すすり泣いた。


 彼女はただ自分が生きる上で、どれが一番良策なのかを選んだ結果だった。


鬼と人間が共存出来ないならば、どちらかは滅びる。そうなれば領土が大きく、数も多い人間に軍配が上がると考えたのだ。


 だから人間側に付く。それは鈴鹿御前にとって自然の考えだった。


 けれど、かつて仲間であった鬼族からこのような仕打ちを受けることまでは考えていなかった。


 ふと、春日童子はいつもの気の抜けたような笑顔に戻り、寂しそうに笑った。


「……いつも手当てをしてくれてありがとう。君の優しさは忘れない。さようなら」


 気まずい沈黙が二匹を包んだ。辺りは静まり返っていたが、ふと空気を揺らして後ろから風のように駆け抜けてくる音が聞こえた。


「お兄ちゃん、どいてえ」


「え?」


 春日童子は思わず身体を仰け反らせ後ろを振り返った。


スクナが水色の髪をふわりと靡かせながら、こちらに向かって突進してきた。そして平手を作り、鈴鹿御前に向かって手を振り上げていた。


「え、え?」


 春日童子は後ずさったとき、倒れていた人間に躓いて、尻餅を付いてしまった。


 同時に乾いた音が響き、スクナの手が鈴鹿御前の頬にものすごい勢いで当たったのを目撃した。


「きゃっ」


 鈴鹿御前は悲鳴を上げて地面に倒れ込んだ。スクナは風のようにふわりと舞い降り、仁王立ちをしながら鼻息を荒くした。


「これは天誅よ」


「スクナ……お兄ちゃんには鈴鹿御前を殴るなとあれだけ言っておいて……」


 まだ鼻息を荒くしたまま、スクナは呆然としている春日童子を振り返った。


「女同士のけんかならば話は別でしょ」


 袖を捲りながら、スクナはぺろりと唇を舐めた。


「今のは焔夜叉さんの分。次はこんなに血を流しているお兄ちゃんの分よ。さあ、起き上がりなさい」


 大きく息をはいたスクナの肩は激しく上下していた。春日童子は呆然とスクナと鈴鹿御前を交互に見た。


 スクナが壊れた、止めなければと頭の中で思ってはいたが、清めの豆の影響で身体が付いて行けなかった。


 鈴鹿御前は起き上がると、覚悟を決めたように歯を食いしばった。右の頬がスクナの手形に腫れてしまっていた。


「これで相殺!」


 スクナはそう叫ぶと、今度は右手で彼女の頬をぱんと叩いた。少し軌道がずれてしまったのか、スクナの爪が彼女の頬を僅かに抉り、血が滲んだ。


「あなたは……」


 起き上がった鈴鹿御前の目からは痛みなのか、涙が溜まっていた。


 それでも何も言わずに一点を見て堪えている鈴鹿御前に対し、スクナはようやく落ち着いたように何度か深呼吸をして息を整えた。


「もうこれでわだかまりはないでしょ。幸せになりなさい!」


 大声で叫ぶと、スクナは未だに呆然としている春日童子の腕を引っ張って立たせた。


 鈴鹿御前はその言葉を聞いた途端大粒の涙を流し、スクナに向かって深くお辞儀をした。


「私のわがままに、皆様を巻き込んでしまい申し訳ありませんでした。出来ることなら焔夜叉様にも謝りたいです。謀りなどせず、正直に話せば良かったのです。去年私を救ってくれた坂上様に恋慕の情を抱いてしまったと」


 尋常ではない涙の量に、スクナは眉を潜める。


 まるで焔夜叉が死んでしまったかのような喘ぎ方だった。春日童子はスクナの手を強く握り、静かに首を振った。


 それで何かを察したのか、スクナは兄に向かって小さく頷いてみせた。


「彼はきっと誰よりも、鈴鹿御前さんの幸せを願っていたよ」


 袂を分かつかのように、一瞬スクナと鈴鹿御前はお互い視線を交し合った後、お互い深くお辞儀をしてからその場を離れた。



「スクナ、お前すごいな」


 焔夜叉が待機していた小屋へと足を運ぶと、スクナはすぐに兄の手当てを始めた。


 鬼水を懐から取り出し、彼の傷口に塗ってやる。これで大抵の怪我はすぐに良くなるはずだ。


 しきりに感心したように何度も武勇伝を事細かに語る春日童子に、スクナはいい加減にしてくれ、というような視線を兄に投げた。


「スクナ、お前すごいよ」


「うるさいな、もうわかったから」


 頬を膨らませたスクナは、兄をうつ伏せにして背中の手当てに取りかかった。隣では焔夜叉が眉間に皺を寄せて苦しそうに唸りながら眠っていた。


 スクナのおかげで、お互いわだかまりを取り除いて別れることが出来た。


 春日童子は、ただ鈴鹿御前をどうにかしてやろうという気持ちで行動していたと言っても過言ではないが、スクナは彼女に制裁を与えた上で、鬼に対して未練が残らぬよう配慮し、制裁の代わりに相手の幸せをも願った。


 春日童子はそんな懐の大きな妹を尊敬の目で見つめた。


「お兄ちゃんだって、焔夜叉さんに対して良い感情は持っていなかったくせに、良くこんなに傷付いてまで彼の尊厳を守りに行ったものね」


「まあ……同じ男として、許せないこともあるんだよ」


 春日童子は答えをはぐらかした。焔夜叉が間の子だということは、誰にも言わないでおこうとスクナは決めた。


「それにしてもその角、鈴鹿御前さんのでしょう? そこまでする必要はあったのかな」


「あったんだよ」


 春日童子は即答した。この角を取るためだけに坂上家に乗り込んだと言っても過言ではなかった。


 鈴鹿御前の角がなければ、焔夜叉の尊厳は鬼ヶ島で失われてしまうのだ。


 この角がないまま鬼ヶ島に帰れば、鈴鹿御前にまんまと誑かされ、裏切られ、人間にやられて逃げ帰ってきた負け犬だと焔夜叉の噂が立ってしまう。


 焔夜叉は鬼ヶ島で一、二を争う強さの持ち主だ。


 そんな彼が人間にやられ逃げ帰ったとなれば、鬼たちは人間を畏怖し、恐れ、人の島での仕事を先入観が先行して速やかに出来なくなってしまうだろう。


 人間側にしても、「悪路王」と通り名で呼ばれている強い鬼の焔夜叉を退治したと噂が立てば、今後鬼に対して強気に出てくることは目に見えている。


 もしかしたら鬼ヶ島を潰しにかかるかもしれない。


 それを避けるためにも、せめてこの角を持ち帰り、焔夜叉が裏切り者の鈴鹿御前に制裁を加えたということにすれば、今まで通り彼は強き王でいられるはずだ。


 春日童子は鈴鹿御前の角を焔夜叉の懐にそっと忍ばせた。それを見たスクナは、首を傾げてその様子を伺っていた。


「焔夜叉さん、心の傷は治るかな」


「時間が経てば平気だろ。きっと傷を癒してくれる鬼が現れるよ」


 少し照れたように言った兄に対し、スクナは笑って頷いた。


「それはいいけど、お兄ちゃん弱いくせに一匹で乗り込んで行っちゃって、もしものことを考えなかったの? あんな犬の群れに襲われたら、お兄ちゃんの方が命の危険じゃない」


 確かにそうだった。怒りに任せて出て行ったとスクナは思っているようだが、春日童子は「秘密だぞ」と言いながら懐から金色に光る小槌を取り出して見せた。


 スクナはそれが何だか悟ったのか「あっ!」と声を上げる。


「それ、打ち出の小槌! お兄ちゃん、鬼棚から持ってきちゃったのね」


「ぎりぎりになったら使おうと決めていたんだけれど、そのぎりぎりがこなくて良かった」


 何でも願いが叶うこの小槌があれば、確かに何かあったときも安全だ。代償の怖さを差し引いても、持ってきた甲斐はあったようだ。

*続く*
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