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最終噺『鬼狩り』
一【焔夜叉とスクナ】
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仕事を探すためたまに神託の森に足を運ぶ春日童子だったが、結局良い仕事は角の立派な鬼に取られてしまっている。
春日童子の歪んだ角やくすんだ青髪、ついでにとぼけた顔では人間に恐怖を与えられないので、与えられる仕事はほぼないに等しい。
掲示板には、仕事内容が書かれた張り紙が沢山張ってある。春日童子は掲示板を眺めてみたが、割りの良い仕事はすでに売約済の紙が張られてあった。
春日童子は諦めて近くにあった椅子に座り、仕事を探している鬼たちの姿を眺めてみた。
呉葉がいなくなったことで自分の世界はがらりと変わったが、ここにきている大半の鬼たちの生活が変わった訳でもない。
淡々と過ぎゆく諸行は無情であり、変わらぬ世界に安堵している自分もいた。
ただ、色がなくなったようであった。
周囲を見渡しても冷たい灰色の世界が春日童子の全てに広がっていた。
「春日」
後ろから肩を叩かれ振り向くと、そこには父の風鬼が身を小さくして何かから隠れるように、座っている春日童子を見下ろしていた。
呉葉の事件以来、家族の元気はなく、あのときのことは家族内でも何も語らぬことを暗黙の了解にしているようだった。
風鬼の右目には、黒い眼帯がしてあった。一寸法師に内部から攻撃され、片目が利かなくなってしまい、隻眼となってしまったのだ。
大きな事件が起こったとしても日常に戻らなければ生活が出来ない。父も仕事を探しにきたのだろう。
「奇遇だな、私の息子よ。仕事を探しにきたのか?」
「まあそんなところ。父さんは?」
「父さんは……」
父は言いづらそうに銀糸のような陽に輝く髪をかくと、挙動不審に視線を宙に浮かせた。春日童子は不審に思って眉を潜め、父の言葉を反芻してみた。
「父さんは?」
「父さんは……あれだ」
罰が悪そうに顔を歪めて、小さく前方を指差す。そこにはスクナが掲示板を眺めながら目を輝かせている光景が見えた。
「スクナじゃないか」
「そうなのだ」
風鬼は空いていた隣の席に腰掛けた。スクナは地主の元へ奉公に出ていて、そのお屋敷からお給料をもらってっている。だから仕事斡旋場にくる必要はないはずだ。
「何故このような場所にきたのだろうか。奉公先の仕事があるというのに、その上神からの仕事までしようとしているつもりなのだろうか」
心配そうにスクナを目で追っている風鬼を見て、春日童子は小さくため息をついた。
「心配性だな」
「例えば、宴会の仕事など受けようものなら、酔っ払いの男に絡まれたりしてしまうかもしれないだろう」
春日童子は呆れたようにため息をついた。
「例え宴会の仕事をしたとしても、酒に溺れるような奴でもないし、子供でもないんだから」
「子供ではないが、年頃の女性なのだよ」
「まあ、そうだけど」
春日童子は肩を竦めた。
「スクナはあまり世間に慣れていないから、宴会の場で顔だけの変な男に溺れてしまわないか、父は心配なのだよ」
「顔だけの男に靡くようなスクナは、スクナじゃない気もするけれど」
「春日は甘い。何せスクナはまだ若い。若さというのは泡沫の財宝でもあるが、欠点は芯がぶれることだと年長者の私は知っている。志高く持っていても、抗えない『ふとした』瞬間があるのだ。その瞬間に陥ってしまうことを、私案しているのだよ」
「……杞憂だと思うけど」
「そうだろうか」
そわそわとスクナを遠目で見て、身を隠している父に、春日童子はさすがに可哀想になって声をかけた。
「大丈夫だよ父さん、スクナはいなくならないよ」
春日童子の言葉を聞いて、風鬼は身体を硬直させた。
父は誰かが突然いなくなってしまうことにかなり敏感だ。
劣等感と言って良いかもしれない。それは全て母が一目入道の棲む湖に入水してから始まっていると春日童子は分析している。
それ以来父は家族のことを優先に生きてきた。春日童子やスクナにとって、母が死んでからの風鬼はかなり良き父となった。
昔は奔放に人界を飛び回り、家に帰ってくることなど滅多になかったのだが、母が亡くなってからの父は、恐ろしい程に心配性になったと感じる。
今回、呉葉がいなくなったことによってスクナまでいなくなってしまうかもしれないという恐怖心が働いているのだろう。
「隠れて見ていると知ったらスクナが怒るよ。帰ろう、父さん」
春日童子は風鬼の腕を掴み立たせようとしたが、風鬼はそれを制止して目を見開いた。
「待て、スクナに近寄る若い男がいるぞ」
「心配性だな。スクナなら上手くかわすよ」
「親しそうに話し出したぞ。私のスクナに近寄る男め、成敗してくれるわ」
興奮気味の風鬼を必死に食い止めながら、春日童子はスクナのいる方を見てみた。そこには、見覚えのある燃える赤髪と立派な二本の角を持つ、風格ある鬼の姿があった。
「焔夜叉……」
今度は春日童子が硬直した。どちらから話しかけたかは不明だが、二匹の鬼は並んで掲示板を見ながら何やら話しているようだった。
「あれが焔夜叉? なるほど、立派な容姿をした鬼ではあるな」
風鬼は遠巻きに眺めながら一度納得したように頷いた。今や彼は鬼ヶ島での英雄だ。
元々は一、二位を争う実力の持ち主だったが、今では彼に並ぶ鬼を探す方が難しい。
焔夜叉を目標として仕事に励む鬼も多い。その鬼の顔を今まで知らなかったとはさすが父である。
父も人の島程の知名度はないが、鬼ヶ島でもわりと強者に分類されている鬼だった。
「それならば話は早い。春日、さり気なくスクナに近寄り、救ってきなさい」
意気揚々と指を差しながら言った風鬼に、慌てて春日童子は首を振る。
「やだよ。何でボクが」
「当たり前のことを聞くな。父さんはスクナに嫌われたくないのだ」
反論しようと口を開きかけて、春日童子は思い出したように止めた。そして再びため息交じりに口を開く。
「スクナはボクを軽蔑しているから、ボクが何を言っても無駄だよ」
「まさか、あれからまだ口を利いていないのか?」
呉葉が突然人間と共に帰ってしまってから、風鬼は兄妹の様子がどこかおかしいとは思っていた。
どちらかと言うとスクナが春日童子を避けているように感じていた。けれど、口を利いていない程重症だとは思っていなかった。
「子供じゃないんだから、お腹空いたら帰ってくるだろ。さあ父さん、帰るよ」
「しかし……」
春日童子はあまり気の進まない父の背中を押して、神託の森を後にした。春日童子こそ、これ以上スクナに嫌われたくはないのだ。
*続く*
春日童子の歪んだ角やくすんだ青髪、ついでにとぼけた顔では人間に恐怖を与えられないので、与えられる仕事はほぼないに等しい。
掲示板には、仕事内容が書かれた張り紙が沢山張ってある。春日童子は掲示板を眺めてみたが、割りの良い仕事はすでに売約済の紙が張られてあった。
春日童子は諦めて近くにあった椅子に座り、仕事を探している鬼たちの姿を眺めてみた。
呉葉がいなくなったことで自分の世界はがらりと変わったが、ここにきている大半の鬼たちの生活が変わった訳でもない。
淡々と過ぎゆく諸行は無情であり、変わらぬ世界に安堵している自分もいた。
ただ、色がなくなったようであった。
周囲を見渡しても冷たい灰色の世界が春日童子の全てに広がっていた。
「春日」
後ろから肩を叩かれ振り向くと、そこには父の風鬼が身を小さくして何かから隠れるように、座っている春日童子を見下ろしていた。
呉葉の事件以来、家族の元気はなく、あのときのことは家族内でも何も語らぬことを暗黙の了解にしているようだった。
風鬼の右目には、黒い眼帯がしてあった。一寸法師に内部から攻撃され、片目が利かなくなってしまい、隻眼となってしまったのだ。
大きな事件が起こったとしても日常に戻らなければ生活が出来ない。父も仕事を探しにきたのだろう。
「奇遇だな、私の息子よ。仕事を探しにきたのか?」
「まあそんなところ。父さんは?」
「父さんは……」
父は言いづらそうに銀糸のような陽に輝く髪をかくと、挙動不審に視線を宙に浮かせた。春日童子は不審に思って眉を潜め、父の言葉を反芻してみた。
「父さんは?」
「父さんは……あれだ」
罰が悪そうに顔を歪めて、小さく前方を指差す。そこにはスクナが掲示板を眺めながら目を輝かせている光景が見えた。
「スクナじゃないか」
「そうなのだ」
風鬼は空いていた隣の席に腰掛けた。スクナは地主の元へ奉公に出ていて、そのお屋敷からお給料をもらってっている。だから仕事斡旋場にくる必要はないはずだ。
「何故このような場所にきたのだろうか。奉公先の仕事があるというのに、その上神からの仕事までしようとしているつもりなのだろうか」
心配そうにスクナを目で追っている風鬼を見て、春日童子は小さくため息をついた。
「心配性だな」
「例えば、宴会の仕事など受けようものなら、酔っ払いの男に絡まれたりしてしまうかもしれないだろう」
春日童子は呆れたようにため息をついた。
「例え宴会の仕事をしたとしても、酒に溺れるような奴でもないし、子供でもないんだから」
「子供ではないが、年頃の女性なのだよ」
「まあ、そうだけど」
春日童子は肩を竦めた。
「スクナはあまり世間に慣れていないから、宴会の場で顔だけの変な男に溺れてしまわないか、父は心配なのだよ」
「顔だけの男に靡くようなスクナは、スクナじゃない気もするけれど」
「春日は甘い。何せスクナはまだ若い。若さというのは泡沫の財宝でもあるが、欠点は芯がぶれることだと年長者の私は知っている。志高く持っていても、抗えない『ふとした』瞬間があるのだ。その瞬間に陥ってしまうことを、私案しているのだよ」
「……杞憂だと思うけど」
「そうだろうか」
そわそわとスクナを遠目で見て、身を隠している父に、春日童子はさすがに可哀想になって声をかけた。
「大丈夫だよ父さん、スクナはいなくならないよ」
春日童子の言葉を聞いて、風鬼は身体を硬直させた。
父は誰かが突然いなくなってしまうことにかなり敏感だ。
劣等感と言って良いかもしれない。それは全て母が一目入道の棲む湖に入水してから始まっていると春日童子は分析している。
それ以来父は家族のことを優先に生きてきた。春日童子やスクナにとって、母が死んでからの風鬼はかなり良き父となった。
昔は奔放に人界を飛び回り、家に帰ってくることなど滅多になかったのだが、母が亡くなってからの父は、恐ろしい程に心配性になったと感じる。
今回、呉葉がいなくなったことによってスクナまでいなくなってしまうかもしれないという恐怖心が働いているのだろう。
「隠れて見ていると知ったらスクナが怒るよ。帰ろう、父さん」
春日童子は風鬼の腕を掴み立たせようとしたが、風鬼はそれを制止して目を見開いた。
「待て、スクナに近寄る若い男がいるぞ」
「心配性だな。スクナなら上手くかわすよ」
「親しそうに話し出したぞ。私のスクナに近寄る男め、成敗してくれるわ」
興奮気味の風鬼を必死に食い止めながら、春日童子はスクナのいる方を見てみた。そこには、見覚えのある燃える赤髪と立派な二本の角を持つ、風格ある鬼の姿があった。
「焔夜叉……」
今度は春日童子が硬直した。どちらから話しかけたかは不明だが、二匹の鬼は並んで掲示板を見ながら何やら話しているようだった。
「あれが焔夜叉? なるほど、立派な容姿をした鬼ではあるな」
風鬼は遠巻きに眺めながら一度納得したように頷いた。今や彼は鬼ヶ島での英雄だ。
元々は一、二位を争う実力の持ち主だったが、今では彼に並ぶ鬼を探す方が難しい。
焔夜叉を目標として仕事に励む鬼も多い。その鬼の顔を今まで知らなかったとはさすが父である。
父も人の島程の知名度はないが、鬼ヶ島でもわりと強者に分類されている鬼だった。
「それならば話は早い。春日、さり気なくスクナに近寄り、救ってきなさい」
意気揚々と指を差しながら言った風鬼に、慌てて春日童子は首を振る。
「やだよ。何でボクが」
「当たり前のことを聞くな。父さんはスクナに嫌われたくないのだ」
反論しようと口を開きかけて、春日童子は思い出したように止めた。そして再びため息交じりに口を開く。
「スクナはボクを軽蔑しているから、ボクが何を言っても無駄だよ」
「まさか、あれからまだ口を利いていないのか?」
呉葉が突然人間と共に帰ってしまってから、風鬼は兄妹の様子がどこかおかしいとは思っていた。
どちらかと言うとスクナが春日童子を避けているように感じていた。けれど、口を利いていない程重症だとは思っていなかった。
「子供じゃないんだから、お腹空いたら帰ってくるだろ。さあ父さん、帰るよ」
「しかし……」
春日童子はあまり気の進まない父の背中を押して、神託の森を後にした。春日童子こそ、これ以上スクナに嫌われたくはないのだ。
*続く*
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