王宮仕えのロゼ

埴輪

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イヴァン・グコフの場合

16. 裏通りの酒場

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 その酒場は都の裏通りにあった。
 二階建ての古びた木製造りで、一階は酒場で二階は宿として使われているらしい。
 酒場の客はその日暮らしの荒くれ者が大半を占め、今にも乳房が零れてしまいそうな露出の多い派手な衣装を身につけた女達が給仕をしている。
 どうやらチップを多目に払うとそのまま気にいった酒場女と二階のベッドで楽しむことができる仕様になっているようだ。
 給仕兼娼婦という扱いなのだろう。
 借金でもあるのか、それとも店主に何割かチップを貰えるのか、店の給仕の女達は積極的にテーブル上の博打などで小遣いを手にしたらしい客にウィンクしたり胸を寄せ付けたりと実に逞しい。
 また、見るからに娼婦だと分かる安物の香水を纏った赤いスカーフを巻いた女達も酔っぱらった客の膝に堂々と乗っている。
 卑猥な言葉を交わしたり、見せつけるように口づけし合ったりと、恥じらう様子はまったくない。
 店には酒気を帯びた男達の下品な笑い声や怒声、そして嬌声にも似た女達の甲高い囀りに満ちていた。
 熱気とどうしようもないほど濃い人間の生命力が渦を巻いているようだ。

 そんな喧しくも下品で卑猥な酒場に、酷く場違いな客が入って来たことに、酔客の大半は気づかなかった。
 ただ、目敏い売春婦紛いの給仕の一人はきょろきょろと酒場を見回す新しい客に陽気に声をかける。

「いらっしゃい!」

 頭から深く被った臙脂色の頭巾付きのマントを身に羽織った客は間違いなく女である。
 体型が隠れていてもその細さや雰囲気、マントの下から覗くスカートの裾や磨かれた上品なブーツですぐに分かる。
 もしもこれで性別を隠そうとしているのなら相当な間抜けだ。
 
 カウンターを豊かな乳房がはみ出そうになりながら適当に拭き、空いた席にマントの女を案内する。
 女の客は珍しい。
 腕に自信のある女傭兵か、それこそ店の宿屋を利用する縄付きの娼婦ぐらいだ。
 マントを羽織ったまま、恐る恐るカウンター席に座る女は気配が薄い割に、一度目に入ると何故か目が離せなくなるという不思議な雰囲気を持っていた。
 スカートを抑えて座る仕草や手袋越しの手をさり気なく膝に乗せる仕草など、自然なのに思わず魅入るような上品さがあるのだ。
 礼儀作法などまったく知らない給仕でも思わず見惚れてしまうほどの姿勢の良さや訛りのない綺麗な言葉が紡がれる唇の艶など、明らかにこの酒場を根城にしている輩とは違う。
 頭巾で顔を隠しているからこそ、余計に女には謎めいた雰囲気があった。

「ここで、人と待ち合わせをしているのですが……」

 こんな上品そうな女が何故この酒場に来たのかという疑問は尽きなかったが、その一言で給仕はやはり客ではなかったことに納得し、そして特に今の時間客に指名されていないこともあり、好奇心に満ちた目で女の顔を覗き込み、喋り出す。
 底抜けに陽気でお喋りな給仕に、女は少しだけ戸惑うように身を引いた。

「こんな酒場で待ち合わせ? 男? あんたみたいなお嬢さんと?」
「ええ…… まだ、いらっしゃっていないみたいですけど」

 そう言うと客の女は懐から銀貨を数枚給仕に差し出す。
 チップだろう。
 しばらくここで待たせて欲しいらしい。
 思わぬ臨時収入に、給仕の女は店主や他の給仕に見つからないようにこっそり懐にしまう。
 席料にしては多すぎるチップに、やはり目の前の女はどこかの良家の娘らしいと給仕は思った。
 金の価値も分からないどこかのお嬢様が荒くれ者の男に引っかかったのだと給仕は哀れに思ったが、わざわざ忠告してやる義理はない。
 大事に育てられたのだろう。
 人生の酸いも甘いも知らなさそうなお嬢様にはそれぐらいの火傷が必要だ。
 そうでないと世の中不公平だと給仕は思った。
 上機嫌な様子で給仕は悪意などまったくないような笑みを浮かべて何か飲み物を持って来ようと女に提案する。
 酒は案の定飲めないと首を振る女に、果汁が入った果実水を持ってくることにした。
 給仕が意気揚々と女の側を離れると、客に逃げられたらしい酔っぱらった派手なドレスとも言えない薄衣を纏った娼婦が絡んで来た。

「何? あんた、こんなとこで男を待ってんの?」

 酒臭い息を吐きながら、赤いスカーフを巻いた娼婦は随分と寒そうな恰好をしていた。
 艶のない髪に白粉でも隠し切れない皺のある疲れた表情。
 安物の酒と香水の匂いを撒き散らす娼婦の目には上品そうな出で立ちの場違いな女に対する揶揄と嫉妬の色があった。
 先ほど盗み見た女の金払いの良さや地味だがそれなりの品と分かる暖かな衣服、言葉遣いからも高等教育を受けた者だというのが分かる。

 その日暮らすにも困る娼婦の自分とはまったく違う目の前の女の客が気に入らなかった。

「お盛んねぇ~ 上の宿を使っておっぱじめようっての? あそこは壁が薄いから、そこら中にあんたがひいひい善がる声が聞こえちまうよ?」
「……」
「羨ましいわぁ。ちょうどさっき、客に振られちまってさ。あたしにも紹介してくれよぉ~ あんたの男」

 こんなところで待たすような男など程度の知れた破落戸だろうと内心で馬鹿にしながら娼婦は顔を真っ赤にして安物の酒を飲み干す。
 先ほどから俯いたまま黙る女に苛立ちと優越感を抱きながら、苦労も何もしたことがなさそうな女に八つ当たり気味に言葉を放ち続ける。
 だが、気分が良かったのは最初だけだ。
 女は怯えているのか知らないが、一言も返さない。
 無視しているような女の態度が気に入らなかった。

「あんた、どっかの金持ちか、いいとこのお嬢様って奴だろう? あたしらみたいな売春婦と違って好き勝手遊べる金もあって羨ましいねぇ」
「…………」
「……こんな酒場の飲んだくれの売女とは口も聞きたくないってか」

 今だ無言の女に娼婦は床に唾を吐く。
 性質の悪い酔っ払いの様子に、チップを貰った先ほどの給仕が呆れたように制止する。
 乱暴にカウンターに置かれた果実水に手をつけるべきか迷う素振りを見せる女の客に娼婦はまだ言い足りないらしく今までの鬱憤をはらすように捲し立てた。
 貧しい家に生まれ、嫌々娼婦になったこと。
 借金のせいで稼ぎのほとんどを取られてしまうこと。
 今まで良くしてくれた客の一人が他の若い娼婦に夢中になり、あっさり自分を捨てたこと。
 悪酔いしたまま話す娼婦に同情する様子を一切見せない客の女は結局果実水に口をつけることもなく、待ち合わせの男はまだかと周囲を見回す。
 果実水が冷えていなかったことと、こんな酒場で出されたものを迂闊に飲もうと思わなかったのだ。
 もう一度、今度は別の給仕にでも待ち合わせの男がいないか聞いてみようと女は思った。
 呼び出したくせに、こんな場末の酒場に一人待たせる男に苛立つ。
 目立ちたくなどないのに、このまま絡まれて何か事件にでも巻き込まれたらどうしてくれるのだと内心で吐き捨てる。
 それに早く隣りで鬱陶しく絡んで来る娼婦から離れたかった。
 娼婦の話には思う所がなくもないが、それがどうしたという感想しか湧かない。
 こんな酒場とはいえ安物の酒が飲める自由があり、好き勝手文句を言うことができるならばまだマシであろう。
 不幸自慢ほど耳障りなことはない。

 席を移動しようと椅子から立ち上がりかける女に、無視され続けた娼婦の苛立ちは最高潮に達した。

「無視すんじゃないよっ!」

 女が飲まなかった果実水を勢いよくぶっかける。
 避けることもできず、顔に水をかけられた女は、それでも無言を貫いていた。
 見知らぬマントを羽織った女と酔っ払いの娼婦の諍いに漸く気づいた他の客達が二人に注目し始める。
 いい気味とばかりに笑う娼婦に、これ以上の注目を集めたくない女はそのまま無言で席を移動しようとした。
 離れた所から二人の様子を見ていた例の給仕の女は呆れながら布巾を持って近づく。
 場違いな女の客に気づいた酒場の他の酔っ払い共の舐めるような意味深な視線が濡れた女に集まって来る。
 その不穏な視線が纏わりつく不愉快さと危機感に、焦りが生まれたときだ。
 店が、急に静まり返った。
 深く被った頭巾では周囲の様子がよく分からず、怪訝に女は顔を上げる。
 そして、女の視界に見慣れてしまった赤い影が映った。

「なーに好き勝手にやられてんだよ」

 待ち合わせ相手の男。

「……イヴァン様」

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