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イヴァン・グコフの場合
19. 狼に攫われる夜
しおりを挟むイヴァンの言う馬車は中々に立派なものであった。
その功績や地位を考えればむしろみすぼらしいともいえたが、目立つことを恐れるロゼからすれば華美に装飾された馬車も夜でも目立つような白馬も優雅な御者も、正直困るのだ。
その点イヴァンの用意した馬車は王都を走る貸馬車や辻馬車と似たような造りで、馬も黒褐色の一頭のみだ。
屋根付きで、カーテンで仕切られて中が見えない仕様であることにもロゼは安堵した。
裏通り独特の野蛮で下品な、そして生々しく精力に満ちた騒めきすらどこか遠いような外れの一角。
狭い路地にその馬車は闇に紛れるようにしてロゼ達を出迎えていた。
ゆっくりとこちらの気配に気づいた馬が暗がりから立ち上がるのが分かる。
その傍に静かに佇む小男が御者らしい。
ロゼがただの辻馬車ではないと思ったのは単純にこんな裏通りで客を待つような度胸のある御者がいるわけないと思ったからだ。
実際に闇に紛れるようにして顔が見えない男は無言でイヴァンとロゼを出迎え、扉を開けることも足場用の台すら用意せずに御者台に上がろうとしている。
イヴァンもまたその態度を気にする素振りもみせず、まるで影のような御者の男をいない者として扱っていた。
イヴァンのことも、そして腰に手を回されているロゼについても御者の男は何も問わず口に出さない。
イヴァンが慣れたように扉を開ける。
中にランプがついているらしく、暗がりの中にぼやっとした光が浮かび上がった。
肝心の馬車の中の様子はその灯りのせいか、なんだかひどく眩しくよく見えない。
ロゼが眩しそうに目を細めると、腰を抱き寄せていたイヴァンが何の気も無しに騎士の礼をする。
「お手をどうぞ」
パーティーで淑女を誘うように恭しく手を差しのべるイヴァンは完全にふざけている。
「……」
ため息を吐き出したくなるのをロゼは必死に耐えた。
ここで無視しても良かったが、下手に逆らって痛い目に遭いたくない。
悪ふざけのように畏まるイヴァンにロゼは結局逆らうことなくその手を取った。
謝意など、死んでも出すまい。
それぐらいの可愛げのない態度でイヴァンの機嫌は下降しないことをロゼは知っている。
今宵のイヴァンは今までで一番陽気で気さくだ。
そして、気持ちが高揚している。
その瞳がロゼの唇や首筋、胸や腰、尻を撫でまわしていることをロゼは知っていた。
怖気が走るような視線を隠す気もない上、むしろロゼの嫌悪すら楽しんでいるのだ。
本当に悪趣味な男だ。
そして、その悪趣味な男の悪趣味な性格を少しずつ理解し始めている自分自身にどうしようもない苛立ちを感じる。
そんな気持ちを必死に抑える。
ロゼは努めて冷静でいようと思った。
これ以上イヴァンに弱味を見せたくないのだ。
イヴァンの硬い掌にそっと手を差し出す。
先ほど、イヴァンに言われた言葉に動揺したせいか、その手は微かに震えていることに舌打ちしたい気分だ。
何にしても絵になる男にロゼは冷めた視線を向ける。
紳士とは程遠い男の悪ふざけは何かの風刺か皮肉でも見ている気分だ。
全ての元凶であるイヴァンはまるでここを王宮の社交場と勘違いでもしているかのように傭兵上がりとはとても思えない優雅で典雅、そして凛々しい紳士の佇まいのままロゼの手の甲に唇を寄せた。
そして、口づける素振りだけ見せて本来ならば離れるはずの顔を再び近づけてお道化るように指先を舐める。
「……!?」
手袋を脱いだせいで、直接的に感じるその滑った感触にロゼは咄嗟に手を引き、舐められた指先を凝視した。
逃げたロゼの手を追いかける素振りも見せず、イヴァンは似合わない紳士の雰囲気を捨て、下品なまでに口の端を釣り上げて笑顔を見せた。
「まだ、甘いな」
酒場でのことを揶揄しているのだろう。
わざとらしく口の端を舐めてみせるイヴァンの気色悪さにロゼの気分は最低から更に最低へと下がっていく。
イヴァンの言う通り、まだロゼの肌からは甘ったるい安物の果実水の匂いがするし、どことなくべたつく感じも残っている。
舐めたら本当に甘いのかもしれないが、イヴァンに舐められた指先の味など知りたくもなかった。
どこまでも人の神経を逆撫でする男だと、憎々し気に唇を噛んでイヴァンを見上げたロゼは、それでも何かに耐えるように視線を逸らした。
一瞬の葛藤の後、イヴァンの悪戯な行為を無視することにしたのだ。
あからさまに視線を逸らし、何事もなかったかのように馬車へ乗り上げる素振りを見せたロゼにイヴァンは愉しそうに低く笑った。
随分と、愉快そうに。
「つれないな、赤ずきん」
その言葉とは裏腹に、イヴァンはロゼの腰を掴み、馬車の上に押し上げると立派な体格からは想像できないほど俊敏な動きで中へと入った。
闇に紛れた豹のようなしなやかさで、静かに扉を閉める。
扉が閉じたられた音に、御者の男は無言で手綱を引いた。
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