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手紙
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しおりを挟むメリッサは夢を見ていた。
幼い頃の夢だ。
見慣れた城の庭園でメリッサはよちよち歩きで花畑の中を歩き回り、その後ろで護衛しているのは従兄の王太子であるディエゴだ。
ぽてっと唐突に転ぶ幼児の姿に、ディエゴは仕方がないとばかりに抱き上げる。
メリッサは転んでもきょとんと大きな黒目を見開き、頬を赤くしてディエゴを見つめる。
そして、普段は顰め面を浮かべ、不機嫌そうな顔をすることが多いディエゴが優しく微笑み、メリッサの頭を撫でた。
今だ状況が分からずとも嬉しそうに笑うメリッサ。
仲睦まじい王太子と王女の姿を邪魔する者はいない。
離れたところから城の者が微笑ましく二人を見守っていた。
メリッサは過去をなぞるように夢の中でどんどん成長していく。
今では信じられないほど幸せに満ちた時間だ。
そしてその幸せは、本来ならば早くに両親が死別し、確たる後ろ盾のないメリッサを国の次代の王である王太子のディエゴが庇護していたからだと、今更ながらに気づいた。
母方の親族との付き合いも薄く、本来ならばもしかしたらディエゴの即位の邪魔になるかもしれないメリッサをディエゴはずっと見守り慈しんで来た。
そんなディエゴを慕い、いつしか恋するようになった。
メリッサがもう妊娠が可能になったあの頃から。
まるで惹かれるのが当然の如く、兄として、または父親として慕っていたディエゴに幼くとも女になったメリッサは疑問を抱く暇もなくあっという間に恋に落ちた。
ディエゴがメリッサの成長に合わせて少しずつ愛の形が変わって行ったのとは違い、メリッサの愛の変化は唐突だった。
誰かにその唐突な感情の変化を告げたことはないが、今思うと一番メリッサの変化に気づいていたのは伯父であった前国王かもしれないと、夢の中のメリッサは冷静に思う。
場面はゆっくりとそして確実に変わる。
初潮が来て、ディエゴに拒絶されて泣き喚くメリッサ。
そしてその後のディエゴとの婚約や、変わってしまった二人のどこか甘酸っぱい関係。
その中で知ったディエゴの女関係に対する嫉妬など。
夢はメリッサの頭の中を改めて整理するかのように過ぎていく。
そして、ついに運命の時が訪れる。
メリッサがディエゴの包帯が巻かれた姿を見て、怯え、恐怖し、嫌悪して拒絶する心の過程が蘇る。
夢とは思えないほど、それは生々しく、メリッサを苦しめた。
ここからの夢は悪夢になっていた。
悪夢の中でメリッサはとうとう伯父に縋り付き、泣いて自身の心変わりを懺悔している。
伯父はメリッサを責めることなく、むしろひどく優しくその頭を撫でて、微笑んでいた。
「いいんだよ、メリッサ。それは仕方がないことなんだ。お前は何一つ間違っていない」
幼いメリッサは伯父のその言葉の真意が良く分かっていなかった。
不自然に温かいその言葉はただメリッサを慰めようとしているのだと思った。
「可哀相なメリッサ…… お前のせいではない。それはお前の血がなせる、王家の業だ。どうしようもない本能に、幼いお前が抗えるはずもないのだ」
そこから夢は一変する。
ディエゴが隣国へと去ってから数年経った頃だ。
どこか心が空っぽになったような、日々がつまらなく非常に退屈で我儘ばかり言って周囲を困らせていたメリッサの前にカイルが現れた。
初めて、伯父から直々に推薦されたという何人目かの護衛役である騎士の男に、メリッサは一目惚れした。
自分が追い求めていた人が漸く現れたという、その時の感動は今でも忘れられない。
そこからメリッサはずっとカイルに恋心を告げ、拙いながらも彼に愛されるように必死に努力した。
ディエゴにどことなく似ているカイルに恋する自分に呆れながらも、メリッサはとにかく恋の病にかかってしまったかのようにひたすらカイルに夢中で、彼の愛を欲した。
今思えばメリッサがカイルに惹かれるのは当然であり、そしてそのことを誰よりも伯父が喜んだことに何の疑問も抱かなかった当時の自分の熱の浮かれように呆れるしかない。
それでもメリッサは誠実で、ディエゴがいなくなった後、誰もメリッサの我儘に叱らない中、不敬罪覚悟で苦言を呈するカイルを愛したことに後悔はしていない。
王家の血をひくカイルではなく、カイル本人だから愛したのだと思うことにしている。
誰が何を言おうと、メリッサは残酷にディエゴを裏切り、そしてカイルにあっさり鞍替えした最低の尻軽だと、メリッサ本人が思っているのだ。
そして、それによって伯父に抱かせてはならない希望を抱かせ、結果的に国に混乱を齎した。
手を下したのはディエゴだが、結局この国を亡ぼしたのはメリッサだ。
王女が自国を亡ぼす。
もしも歴史に残るなら、メリッサの名は希代の悪女か愚かな女として後世にて軽蔑の対象になるだろう。
それぐらいのことをしたのだ。
そして、罪深いメリッサは今だ迷っている。
* * *
目覚めたメリッサは鎮痛薬を飲んでも今だ酷く痛む火傷の痕に苦しめられた。
鏡で自分の姿を確認していないが、ずっと神殿でメリッサの世話をしていた使用人達が怯え、哀れみながら顔の包帯を変える姿を見ればどの程度酷いかは想像できた。
眼球が潰され、声を出そうとすると酷く痛む。
片目で見る世界は不便であったが、ほとんど寝台から動けないメリッサには関係のないことだ。
変わったことと言えば、声の出ないメリッサが筆談で意思を伝えるようになったことだろう。
火傷した掌で握るのは苦痛だが、それでも慣れなければならず、包帯に巻いてもらってどうにか字を書くことができた。
メリッサは火傷の痕に日に何度か軟膏を塗らなければならない。
そして、それを塗るのは毎回必ずディエゴだった。
目覚めて最初にメリッサが喉の痛みに耐えてディエゴにしゃがれた声で訊いたのはカイルの安否だ。
喉が動くたびに、拷問のような痛みが襲い、苦しむメリッサを医者や使用人達が必死に安静にするよう説得する。
ディエゴがしばらくの間を置いて、静かにカイルが生きていると答えたとき、メリッサは安堵して、また意識を失った。
今思い返すと、随分と酷い言葉をディエゴに投げつけてしまったと思った。
だが、ディエゴはメリッサが目覚めてからずっと穏やかに、そして感情の読み取れない表情でメリッサを看病し、自ら人払いして積極的にメリッサの傷跡に軟膏を塗り続けた。
その無言の献身がメリッサを苦しめた。
どれぐらいの月日が経ったろうか。
メリッサの髪は伸びたが、火傷のせいで毎回短く刈られている。
そもそも一部は頭皮ごと爛れてしまった。
相当醜くなったであろうメリッサを生かし、厚く看護するディエゴが何を求めているのかメリッサには分からなかった。
多忙の合間にメリッサに軟膏を塗るディエゴにメリッサは筆談でもうこれ以上ディエゴの負担になりたくないと看護を止めるようお願いした。
ディエゴは決して自分からメリッサに声をかけず、何かメリッサが筆談で質問するときだけ淡々と答える。
「安心しろ。王妃が出産すれば、俺はもう二度とお前に会うつもりはない。お前への情けは、王妃が妊娠する間だけだ」
淡々と告げるには衝撃的すぎるディエゴの答えに、メリッサは特に慌てることもなく、その片目を見つめる。
今更ながら、メリッサはディエゴと同じ部分に火傷を負ったのだと、因果応報ともいえる結末に神の存在を感じた。
ディエゴの熱のない視線がメリッサに向けられる。
「……俺は、お前に執着しすぎた。ずっと、お前に囚われすぎて、本当に大切なものを見失っていたのだ」
淡々と、そして切なくディエゴは呟いたきり、喋ることはなかった。
王妃は順調にお腹を大きくし、そしてディエゴは仕事とメリッサへの義務のような面会以外は片時も王妃の側を離れないという。
王妃が出産したら自分はどうなるのか、メリッサは不思議とそれについては深刻に考えていなかった。
ただ、国の未来と、カイルのその後についてどう行動するべきか。
それだけを考えていたのだ。
今だ、カイルのことを聞いてもディエゴは生かし続けるだけだと答え、解放する気はないという。
カイルはメリッサのことを差し引いても前国王の血をひく危険な存在だ。
もしも解放するのなら男としての機能を失わせてからだと、歪んだ笑みをディエゴは見せた。
それについてメリッサは何も答えることができなかった。
ならば、王妃が出産した後、ディエゴはメリッサをどうする気なのかと尋ねると、カイルの話題とは逆に感情が抜け落ちたような無表情でディエゴは淡々と答える。
城の者に告げた通り、どうやらメリッサはどこかの辺境の屋敷に死ぬまで閉じ込められるらしい。
国を奪われた王女らしい待遇である。
殺さないのかと問うメリッサにディエゴは無言だった。
もう、ディエゴはメリッサのことで心を掻き回されたくないらしい。
ただ、王妃の愛に報い、そして生まれた子と共にこの国を発展させることだけを夢見ているそうだ。
王妃と子供の話をするときだけ、剣のあるディエゴの表情が和らぐ。
ディエゴは知らない。
王妃が苦しむディエゴを慰め、そして二人が愛を誓ったことを、あの時意識が無かったはずのメリッサが聞いていたことを。
それを口にする意味は無いため、メリッサは痛む胸を無視し、幸せそうなディエゴを無言で見つめた。
そして、王妃の腹がだいぶ大きくなった頃、再び神殿の使用人達が無言でいなくなるのを見て、メリッサはいつか来ると思っていた人物との対面に覚悟を決めた。
意外と大火傷を負いながら火を見ても恐怖しないメリッサは蝋燭の火が無数に灯された神殿に優雅な姿で入って来る、この国の王妃であろう女を迎えた。
顔は知らないが、ディエゴが話していた通り、眩しく輝く金髪と青い瞳の美女だ。
何よりも豪華なゆったりとした衣装に包まれたその腹は大きく膨らんでいる。
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