君と地獄におちたい

埴輪

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終幕

5.こんなにも愛しい

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 ロゼはリリーの手で、なんとかエアハルトを玄関まで見送った。
 リリーは相変わらずの力持ちであり、横抱きされながらエアハルトの前まで連れて行ってもらったが、そのときのエアハルトの複雑な表情はしばらく忘れられないだろう。
 頭に包帯を巻いてもらったライナスは護衛の兵に挟まれていた。
 さすがに今回の騒動でライナスを公式に拘束することはできない。
 屋敷の事情を知る者からすれば腑に落ちない話かもしれないが、ライナスをいくら責めても正式に罰せられることはできず、また事を公にすれば無駄にミュラー家の名誉を損なうだけで、割に合わないからである。
 軍部も、痴情の縺れの類、しかもライナスの嫉妬が主な原因の今回の騒動に首を突っ込みたくないだろうし、地位の高いエアハルトとその副官の関係で世間から余計な邪推をされたくないはずだ。
 なのでライナスは昨晩の嵐の任務帰りに暴漢に襲われ、帰宅途中の上官エアハルトに拾われて一晩屋敷に泊まった、というなんともお粗末なシナリオでそのままエアハルトと共に仕事に赴くことになっている。
 その後、エアハルトがどういう裁量で彼の今後を決めるかはロゼは知らない。
 可能性があるならば寛大な処置をとってほしい。
 善意ではなく、ロゼ本人がライナスを気に入り、またお話しをしたいからだ。
 
 そして、肝心のルナについてロゼは特に関わりたいと思わなかった。
 ルナとライナスに嫌われることも憎まれることも容認したロゼは特別興味を持っているライナスとは別にルナに対して興味も関心も持てなかったのだ。
 彼女に対しては複雑な思いはある。
 初めて嫉妬を抱いた相手であり、ロゼの心の殻を破った相手でもある。
 しかし、その心はエアハルトの手でぐちゃぐちゃにされてしまった。
 もうどうしようもないほど身も心も愛されたロゼはエアハルトへの途方もない愛情と欲望を諦めて認め、それに付き合うことにしたのだ。
 それ以外方法がなかったともいえる。
 離れても苦しく、愛されても苦しい。
 それならばその途方のない不安に付き合って、エアハルトの愛を今は信じるしかないという諦念と、自分の邪な願望に妥協した結果である。
 今のロゼはエアハルトから与えられる過剰な愛を受け入れるだけで手一杯で、正直一緒にいて愉快だと思えるライナスと違い、複雑な感情と、どう接すれば良いか分からないルナに思考を寄せる暇がなかったのだ。
 ロゼが知らない間にルナはもう屋敷の者に連れられて娼館に帰されたと知らされた時も、ロゼは失望も寂しさも、安堵も抱かなかった。
 もう、ルナはその程度の存在でしかないのだ。
 
 ライナスや屋敷の使用人達が見守る中でロゼは今はエアハルトの腕で抱きしめられていた。
 リリーがロゼを横抱きする様を見て、素早くその身を奪ったエアハルトの度量の狭さに口出しする者はいない。
 唯一リリーだけが腕の中の温もりと重みが無くなったことに密かにショックを受けていたが。
 
「旦那様、今日もお仕事を頑張ってください」
「ああ、なるべく早く帰る。……お前も、ゆっくり身体を休めてくれ」
 
 どの口が言うんだと屋敷の使用人達は慣れたように口を挟まず、主夫婦の仲睦まじい別れの挨拶を見守った。
 ロゼを横抱きにし、今にも吐息が触れそうなほど顔を近づけるエアハルトの目はとにかく優しく、無言でロゼに愛情を伝えている。
 それをライナスは複雑な思いで見つめていた。
 今だ、エアハルトへの気持ちが消えない彼はもちろんその二人の光景に嫉妬している。
 しかし、それよりも今は憎しみと妬みの対象だったロゼが酷く理解できない不可解な存在として彼の目に映り、嫉妬よりもずっと厄介な気持ちでエアハルトとその腕に抱かれるロゼを見ていた。
 理解できないものは恐ろしく、ライナスは初めてロゼという人間を純粋に敵わないものとして認識した。
 そんな顔色が悪く、虚ろな目で自分を見つめるライナスの姿にロゼは気づかない。
 彼女の目にはエアハルトしか映っていないからだ。
 良くも悪くも、この夫婦は互いしか見ていない。
 
「いってらっしゃいませ、旦那様」
 
 ちゅっといつも通りにエアハルトの頬にキスをするロゼ。
 
「ああ、行ってくる」
 
 そして、いつの間にタイミングを掴んだのか、自然な動作でそれにお返しのキスをするエアハルト。
 お互い、これが初めての別れのキスの成立だった。
 ロゼの頬は薔薇色に染まり、エアハルトもまた穏やかな笑みを浮かべている。
 甘やかな、実に甘い雰囲気が辺りに漂う光景だ。
 
 ライナスと、護衛の兵達は普段の冷徹冷血の常時鉄仮面のエアハルトを知っている分、そのギャップに酷い衝撃を受けていた。
 屋敷の使用人達も少しは耐性がついたらしいが、それはあくまで見た目だけであり、心なしか彼らの顔色も非常に悪く、手の甲を互いに抓っている者達もいる。
 たった一晩でエアハルトの変わり様に皆が衝撃を受け、大なり小なり恐れていた。
 
 ロゼもまた、複雑な思いでエアハルトの愛情を受け止め、彼らを乗せた馬車が見えなくなるまで見送った。
 昨晩の嵐が嘘のように空は快晴で、嵐が過ぎ去った後特有の空気がなんとも爽快だ。
 ロゼは、エアハルトの望み通りに安静にし、多分今夜も求めてくるだろう夫のために精のつくものを料理長に頼み、そして心配させ、迷惑をかけた屋敷の使用人一人一人に感謝した。
 その中で実家の公爵家に余計な心配をかけさせないよう、自身の忠実な侍女達にも釘を刺す。
 そろそろ実家とミュラー侯爵本家にも挨拶によらなければならない。
 週に何度も両家には挨拶と近況を記した手紙を送っている。
 いつも何かしらの贈り物とともに、長い手紙が返信され、直接顔が見たいという両家の願いが重く伝わってくる内容が手紙には記されている。
 内向きの仕事は妻の務めであり、もう少し体力が戻ったら執事長にそのことについて相談をしよう。
 我慢できずに屋敷に来られてもロゼが昼間からぐったりしている姿を見たら、また一悶着置きそうである。
 
 そうやってロゼはあえてエアハルトの温もりが消えて急激に寂しくなる自身を誤魔化した。
 この寂しいと思う気持ちが時間が経つにつれてエアハルトに捨てられるという不安に変わることをロゼはもう経験上知っている。
 もう、その不安という感情が芽生えるのを諦めて付き合うしかない。
 エアハルトがいない間にできる仕事が増えればいいのだが、独占欲が強く、甘やかすことこそが愛情だと思っているエアハルトに頼むのは至難の業である。
 
 そんなエアハルトが愛しくて、困ってしまう。
 
 
 
* 
 
 
 ロゼとエアハルトは寝室にいた。
 初夜のときのように二人は隣り合って寝台に座り、少しの間の沈黙を楽しんだ。
 そして、合図もなくエアハルトはロゼを押し倒して裸にした。
 もう、お互いの裸や行為にも躊躇いが薄れてきている。
 さすがに今夜もロゼに無理をさせるわけにはいかない。
 また抱きしめて手を握るつもりだったエアハルトに、ロゼは恥ずかしそうに裸でくっつきたいと言って来た。
 裸でくっつけば、更にエアハルトに我慢を強いることを見越した上で、手でお互いを愛撫することを続けてロゼは提案する。
 公爵家の男子達に閨の基礎の基礎だけロゼに教えるよう言われたゲーアハルト家の侍女が、このままではロゼの体力が持たないと、彼女自身の独断でこっそりロゼに様々な閨の形式を教えたのだ。
 おかげで直接の交合が無くとも愛し合う行為はたくさんあることをロゼは知った。
 さすがに目の前で昔から知っている容姿端麗な侍女達が複数人で実践して見せてもらったときは少し反応に困ったが。
 嬉しいが、どうも彼女達の忠誠は真面目すぎて、この頃妙な方向に転がっていると思う。
 
 
 行為の後、エアハルトの満足気な表情を見ることができて素直にロゼは教わってよかったと思った。
 これはこれで困ったことにエアハルトがロゼを寝かせようとしないが、エアハルトが満足であればそれでよかったので成功といえる。
 いつもは大概気絶させられて、気づけば朝というのがロゼの定番だ。
 今宵はなんとか気絶することなく、今だ昂っているエアハルトのそれを覚束ない手つきで撫でながら、ロゼはエアハルトとの初めてとも言える睦言を楽しんだ。
 色んな話をした。
 場所と状況が変わっただけで、二人の話す内容は婚約していた頃のような他愛ないことだ。
 エアハルトが軍部での様子を話すと、ロゼはだぶん、無理だろうなと諦め半分でライナスに寛大な処置をしてほしいとエアハルトにお願いした。
 そのときのエアハルトの無言で醸し出す不穏な気配は大層恐ろしいものだった。
 ロゼはエアハルトの機嫌が悪くならないように、その向き出しのペニスをなでなでしながら、話を続ける。
 ライナスがエアハルトのことを熟知し、長年副官としてやってきた実績や優秀さを考えれば僻地に飛ばすのは確かに惜しい。
 エアハルトからすれば腹立たしいが、ロゼが許してほしいと言うのであれば情状酌量の余地はあるかもしれない。
 冷静な軍人的な考えからすればライナスはいた方が便利でもある。
 ただエアハルトが不愉快なのはロゼがライナスを擁護する点だ。
 妻を信じてはいても、他の男の話を睦言でされているだけで案外心が狭かったエアハルトは不機嫌になる。
 しかし、不機嫌になりたいのに、ロゼのやわらかな手が必死にエアハルトのそれを撫でて、宥めようとするため、どうしても気持ちが高揚して、なんでも叶えてやりたくなる。
 ロゼからすれば特に考えがあったわけではない行為だが、愛する幼な妻が計算もなく、慈しむように、愛しそうに自身のペニスを撫でる様は肉体的快感と精神的快楽をエアハルトに与え、つい彼の口から考えてみるという前向きな答えが出てしまった。
 それにぱあっと顔を輝かせて喜ぶロゼにエアハルトはもやもやとした気持ちのまま、盛大にその唇にかぶりついたのは仕方がないだろう。
 
 
 
* * 
 
 
 何度目かの緩やかな絶頂を迎えた二人は、手と足を絡ませて少しずつ訪れる睡魔の心地良さを楽しんだ。
 エアハルトのペニスを太ももに挟んだロゼに、エアハルトは優しく囁く。
 互いの愛が籠る、今だからこそ相応しい内容だと思い。
 
「まだ、不安か?」
 
 何が、とはロゼは聞かなかった。
 裸のまま、向き合う二人は三年前と違い、今はお互いをよく知っている。
 まだまだ知らないことの方が多いかもしれないが。
 
 ロゼは、一瞬の間を置いて答える。
 
「……不安です」
「……苦しいか?」
 
 エアハルトがどういう目で自分を見ているのか。
 もう寝ようと灯りを消した今はよく分からない。
 エアハルトと違い、ロゼの目には暗闇とエアハルトの体温しか分からないのだ。
 
「苦しいです…… 旦那様の愛をまだ疑ってしまう自分の不誠実さと……」
 
 苦しそうに声を震わすロゼの頬をエアハルトが撫でる。
 エアハルトは暗闇でもロゼの表情が分かるのだ。
 
「あまりにも、今が幸せすぎて…… 怖くて、苦しい」
 
 矛盾した答えだが、事実だ。
 エアハルトに愛された今が幸せすぎて、怖くて苦しい。
 こんなに幸せなのに、もしもエアハルトの愛情が冷めたらどうなるのかと考える自分の不誠実さとただ単純にエアハルトの愛を失う未来が怖くて苦しいのだ。
 今だって、散々愛していると言ってくれたエアハルトに、こんな面倒なことしか言えない自分が嫌になったのではないかと不安で不安で仕方がない。
 
「そうか」
 
 エアハルトは優しくロゼを抱きしめる。
 
「お前は、本当に可愛いな」
 
 低い笑い声を漏らしながら、エアハルトはシーツを引き寄せてロゼに被せた。
 そのままロゼの身体を抱きしめ、エアハルトは楽しそうに笑う。
 
「不安なときも、苦しいときも、俺がお前を抱きしめる。何度でも、お前に言ってやるさ。俺はまだまだ言い足りないんだ」
 
 ロゼの額に愛情たっぷりのキスをしてエアハルトは微笑む。
 暗闇に慣れたロゼにも、その微笑みは見えた。
 
「愛している」
 
 
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