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ダリアの旅
序 弔い
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とある行商の群れが荒れた大地の上を黙々と馬を引いて行進する。
護衛の男達は無骨で勇ましい革鎧を着こみ、腰に帯びた剣や弓、矢筒を背負う姿には無言の威圧感があった。
「とまれ」
先頭を歩く、一際屈強な男が行進を止める。
盗賊か、獣か、それとも魔物かと身構える商人達の顔を見回し、雇い主である男に目を止める。
「腐臭がする」
護衛の纏め役である男の言葉に緊張が走る。
「屍食鬼か……?」
「いや、まだ砂漠には早い。匂いからしてただの死体だろう。屍食鬼ならもっと嫌な匂いがする」
男の淡々とした物言いに安堵のため息がそこかしらから聞こえる。
年々急激な勢いで砂漠が進み、彼らが今踏みしめている土地にもその兆候は表れているが、まだ緑は多い方だ。
屍食鬼は砂漠に現れる。
何故かは知らない。
聖書にはその伝承が載っているらしいが、生憎聖書を読むほどの真面目な信徒はこの場にはいなかった。
「そうか、なら、ただの死体か」
「ああ、ただの死体だろう」
雇う者と雇われた者。
付き合いはそれなりに長い護衛の男の冷静な物言いに雇い主である男はほっとする。
死体など珍しくもない。
特にこの荒れ始めた細道は近年物騒な噂が多い。
金をけちって用心を怠った商人か、町へ出稼ぎに行こうとした哀れな村人か。
その類であろう。
この道の先に死体があるのは正直気分の良いものではないが、それも仕方のないことだ。
先行を遣わせて道から除ければいいこと。
わざわざ行進を止めなくとも良かったのにと雇い主の男が文句を言おうとする前に護衛の男は淡々と言った。
「死体らしきものと、死体でない者の気配がする」
*
俗にこの世に生きる者には大なり小なり生命の源である魔力が宿るとされる。
護衛の男はそれなりの場数を踏み、僅かだが魔力を察知する能力を持っていた。
死体と、特殊な魔物の類である屍食鬼以外で魔力なしで動けるものはないとされている。
歩けば歩くほど、嫌な匂いが強くなっていく。
「獣か盗賊か、それとも魔物か。何に襲われたか知らないが、生き残りがいるのかしもれない」
死体の傍にいるであろう誰か。
思いつくのはそれぐらいしかない。
「盗賊の仲間とかは?」
「その可能性も否定できないが、恐らく違うだろう」
ただの勘だが。
護衛の隊長を務める男の言葉にまだ若い鎧姿の男は疑うこともせずに頷く。
間近でずっと見て来た男の勘や気配察知能力はそれこそ特殊な才能を持つ魔導士に匹敵すると思っていたからだ。
「随分と、穏やかな波動だ」
男の言葉通り、道の先に死体があった。
そして、穏やかな魔力を持つ女が祈りを捧げていた。
* *
枯れた土の上には見慣れた血が沁み込み、その色や固まり具合から見て新鮮な死体ではないことが分かる。
死体は二つ。
周りには死肉を食らおうと鴉の群れが集まっていた。
二つの死体は横一列に並べられ、重ねられた手の上に小さな花が置かれている。
死体ではなく、それは二つの遺体だった。
腹を裂かれたらしき二つの遺体は血まみれだが、それでも見苦しくない程度に内臓を戻されている。
血と脂に塗れた服はもうただの襤褸雑巾でしかないが、それでも精いっぱい整えたことが分かる。
容易ではない作業だ。
死んだ人間は重く、汚く、臭い。
とんでもない重労働である。
「盗賊に襲われたのか?」
遺体の傷口を見れば悪戯に苦しみを長引かせるためにわざと剣で切り刻まれたものだと分かる。
人の仕業だとしか思えなかった。
獣も魔物も、そんな無駄なことはしない。
「たぶん、そうでしょう」
くぐもった女の声が風に乗って運ばれる。
若い女の声だ。
苦悶に満ちた亡骸の傍で跪き、頭を垂れて祈りを捧げている。
その手は血に塗れ、旅装束にしてはやや軽装な身なりにもべったりと血がこびり付いている。
風よけの頭巾を被り、その口元もスカーフで隠れて見えない。
唯一、その黒い瞳だけが不思議な輝きを秘めて男達を見据えた。
まっすぐ、男達を見た女の目には静かな哀しみの色が宿っている。
永遠と見ていたいような、吸い込まれるような目だと眼差しを向けられた男達は思った。
「……身内ではないのか」
「いえ…… 私はただの旅の者です。この方達のことは何も知りません」
そう言って、女は男達への興味がないのか、両手を合わせ、指の先に額を当てる。
死者への祈りである。
口元のスカーフが微かに動き、女が囁くように鎮魂の祈りを唱えているのが分かった。
その囁きに答えるように、風が死臭を運ぶように静かに流れて行った。
ぼうっと、男二人はその奇妙な光景に見入った。
そして、聞き惚れた。
静かで暗く、哀しいはずの鎮魂の歌が女の口から紡がれる。
その澄んだ旋律に、ただただ聞き惚れた。
* * *
ここで火を放つわけにはいかなかった。
雨が降らなくなって久しい土地だ。
屍食鬼も怖ろしいが、火事も怖ろしい。
かと言って見ず知らずの遺体を運ぶほどの親切心はない。
女もそれを理解しているのだろう。
祈りが終わると当然のように集まっていた鴉の群れに穏やかに声をかける。
「さぁ、彼らを黄泉の国へ運んでちょうだい」
女の言葉が分かるのか、鴉は一斉に花を持つ二つの遺体に飛びついた。
男女の遺体だ。
夫婦だったのか、恋人だったのかは分からない。
年齢を確認したくとも、二人とも無惨に顔を傷つけられ、手荷物もほとんど奪われていた。
商人だったのか、それとも旅人だったのか。
或いは駆け落ちでもしていたのか。
それを知ることはもう二度とない。
もしかしたら異教徒かもしれないが、ここは同じ信徒だと信じるしかなかった。
古くから、この地方では鴉は死者の魂を運ぶと言われている。
鳥葬も伝統ある弔いの一種だ。
あまり好まれないが、この場では仕方がない。
死体を見慣れている見ず知らずの二人の男も嫌悪している様子はなかった。
鴉達の食べ残しに獣が寄って来るかもしれないが、それこそ生きた人を好む魔物や死体を好む屍食鬼に比べたらマシであろう。
巫女ではない女がしてやれるのはここまでだ。
時の流れも忘れ、この道で二つの哀れな亡骸に出会った瞬間から今までずっとその遺体を清める作業をしていた。
医師ではない女は詳しい人体の仕組みを知らず、辺りに飛び出た内臓を拾い集め、掻き出された腸をしまう作業は精神的にも体力的にも厳しかった。
まだ近くに二人を襲った盗賊がいるのかもしれない。
武器も防具も持たず、僅かな食糧と、みすぼらしいマントの中に隠されたそれなりの金銭や装飾品を持つ女は恰好の獲物だ。
それでも女は親切な男達の誘いに乗るつもりはなかった。
「ありがたいお話しですが、私は一人で十分です」
こんな素性の知れない女を親切にも男達、というよりも二人の内の背の高い方の男が熱心に引き留める。
「貴女のような女人が一人で旅をするのは無謀だ」
あんな無惨な死体を間近で見ていたはずなのに、女は恐れることもなく柔らかく微笑んだ。
目しか見えないが、その目をゆったり細める様子に隊長と呼ばれた男は胸がざわつくのが分かった。
「ええ、存じております」
その笑みが明確な拒絶であったことに男は後になってから気づいた。
* * * *
女は旅をしていた。
特に目的もなく、とりあえず生まれ故郷から離れるためだけに放浪している。
どこに行きたいのか、女もよく分かっていなかった。
ただ、王都には行きたくないと思っている。
先ほどまで女を引き留めようとしていた男の姿を思い浮かべる。
随分と優しい男だ。
男の仲間が後から来なければ、あのままずっと説得されていたかもしれない。
何かの護衛の一人らしい男は雇い主には逆らえないらしく、結局女の説得を諦めた。
それでいい、と女はほっとしたものだ。
旅の目的もない自分が明確な目的を持つ集団の中に混ざるわけにはいかない。
きっと息が苦しくなる。
ただ、見ず知らずの怪しい自分を心底心配してくれた男の厚意に応えられないのが申し訳なかった。
人に優しくしてもらうと嬉しくなる。
だから、自分も優しくしてあげたくなる。
汚れてしまったマントの代わりを男から貰った。
もう、それだけで十分だ。
それ以上甘えるわけにはいかない。
男の身につけていたマントは飾り紐すらついていない、なんとも簡素なものだったが、ひどく温かいと思った。
見知らぬ男の汗の匂いが僅かに香り、胸が微かに痛む。
貞節を重んじる故郷の人々が見れば眉を顰めるかもしれないが、今の女にはどうでも良いことだった。
ただ、運命のままに。
天の定めたという流れに従おうと女はもう決めているのだから。
「……」
だから。
「……ついて来ちゃ、駄目だって言ったのに」
何故か女が弔いをしていた間中ずっとこちらを見ていた鴉の群れ。
その中の一際大きく濡れたように美しい羽を持つ一羽がずっと後をつけてくるのだ。
女の身体に死臭が残っているのかとも思ったが、途中で運よく見つけた泉で身体を洗っても鴉は近くの枝にとまったままこちらを見つめている。
僅かばかりとなった干し肉をあげると食べてくれるが、それを遠くに投げると急いで取って来てまた女の前に持って来るのだ。
鴉に懐かれたのは初めてのことであり、女は途方に暮れた。
「……一緒に行きたいの?」
女の言葉に鴉が短く鳴いた。
鴉は頭が良い。
人の言葉ぐらい分かるのかもしれない。
つぶらな瞳もよく見れば愛嬌があるし、賢そうだ。
もうここまでついて来たのなら群れに戻る意思はなさそうだ。
「……仕方がないな」
もしも何かあったとき。
例えば女が盗賊に襲われて殺されたり、獣に食い殺されたりしたとしても、この賢そうな鴉なら一羽だけでも逃げて生き延びられそうだ。
むしろまともに武術の心得もない女よりもずっと逞しいだろう。
そう、判断した女は少しだけ嬉しそうに頭上を飛び回る鴉に微笑んだ。
すると鴉がゆっくりと女の前に着地する。
見上げてくる黒い瞳が期待に輝いているように見えた。
スカーフを取り除き、女の唇が笑みの形をつくる。
「私、ダリア」
まず、貴方の名前を決めなくちゃね。
護衛の男達は無骨で勇ましい革鎧を着こみ、腰に帯びた剣や弓、矢筒を背負う姿には無言の威圧感があった。
「とまれ」
先頭を歩く、一際屈強な男が行進を止める。
盗賊か、獣か、それとも魔物かと身構える商人達の顔を見回し、雇い主である男に目を止める。
「腐臭がする」
護衛の纏め役である男の言葉に緊張が走る。
「屍食鬼か……?」
「いや、まだ砂漠には早い。匂いからしてただの死体だろう。屍食鬼ならもっと嫌な匂いがする」
男の淡々とした物言いに安堵のため息がそこかしらから聞こえる。
年々急激な勢いで砂漠が進み、彼らが今踏みしめている土地にもその兆候は表れているが、まだ緑は多い方だ。
屍食鬼は砂漠に現れる。
何故かは知らない。
聖書にはその伝承が載っているらしいが、生憎聖書を読むほどの真面目な信徒はこの場にはいなかった。
「そうか、なら、ただの死体か」
「ああ、ただの死体だろう」
雇う者と雇われた者。
付き合いはそれなりに長い護衛の男の冷静な物言いに雇い主である男はほっとする。
死体など珍しくもない。
特にこの荒れ始めた細道は近年物騒な噂が多い。
金をけちって用心を怠った商人か、町へ出稼ぎに行こうとした哀れな村人か。
その類であろう。
この道の先に死体があるのは正直気分の良いものではないが、それも仕方のないことだ。
先行を遣わせて道から除ければいいこと。
わざわざ行進を止めなくとも良かったのにと雇い主の男が文句を言おうとする前に護衛の男は淡々と言った。
「死体らしきものと、死体でない者の気配がする」
*
俗にこの世に生きる者には大なり小なり生命の源である魔力が宿るとされる。
護衛の男はそれなりの場数を踏み、僅かだが魔力を察知する能力を持っていた。
死体と、特殊な魔物の類である屍食鬼以外で魔力なしで動けるものはないとされている。
歩けば歩くほど、嫌な匂いが強くなっていく。
「獣か盗賊か、それとも魔物か。何に襲われたか知らないが、生き残りがいるのかしもれない」
死体の傍にいるであろう誰か。
思いつくのはそれぐらいしかない。
「盗賊の仲間とかは?」
「その可能性も否定できないが、恐らく違うだろう」
ただの勘だが。
護衛の隊長を務める男の言葉にまだ若い鎧姿の男は疑うこともせずに頷く。
間近でずっと見て来た男の勘や気配察知能力はそれこそ特殊な才能を持つ魔導士に匹敵すると思っていたからだ。
「随分と、穏やかな波動だ」
男の言葉通り、道の先に死体があった。
そして、穏やかな魔力を持つ女が祈りを捧げていた。
* *
枯れた土の上には見慣れた血が沁み込み、その色や固まり具合から見て新鮮な死体ではないことが分かる。
死体は二つ。
周りには死肉を食らおうと鴉の群れが集まっていた。
二つの死体は横一列に並べられ、重ねられた手の上に小さな花が置かれている。
死体ではなく、それは二つの遺体だった。
腹を裂かれたらしき二つの遺体は血まみれだが、それでも見苦しくない程度に内臓を戻されている。
血と脂に塗れた服はもうただの襤褸雑巾でしかないが、それでも精いっぱい整えたことが分かる。
容易ではない作業だ。
死んだ人間は重く、汚く、臭い。
とんでもない重労働である。
「盗賊に襲われたのか?」
遺体の傷口を見れば悪戯に苦しみを長引かせるためにわざと剣で切り刻まれたものだと分かる。
人の仕業だとしか思えなかった。
獣も魔物も、そんな無駄なことはしない。
「たぶん、そうでしょう」
くぐもった女の声が風に乗って運ばれる。
若い女の声だ。
苦悶に満ちた亡骸の傍で跪き、頭を垂れて祈りを捧げている。
その手は血に塗れ、旅装束にしてはやや軽装な身なりにもべったりと血がこびり付いている。
風よけの頭巾を被り、その口元もスカーフで隠れて見えない。
唯一、その黒い瞳だけが不思議な輝きを秘めて男達を見据えた。
まっすぐ、男達を見た女の目には静かな哀しみの色が宿っている。
永遠と見ていたいような、吸い込まれるような目だと眼差しを向けられた男達は思った。
「……身内ではないのか」
「いえ…… 私はただの旅の者です。この方達のことは何も知りません」
そう言って、女は男達への興味がないのか、両手を合わせ、指の先に額を当てる。
死者への祈りである。
口元のスカーフが微かに動き、女が囁くように鎮魂の祈りを唱えているのが分かった。
その囁きに答えるように、風が死臭を運ぶように静かに流れて行った。
ぼうっと、男二人はその奇妙な光景に見入った。
そして、聞き惚れた。
静かで暗く、哀しいはずの鎮魂の歌が女の口から紡がれる。
その澄んだ旋律に、ただただ聞き惚れた。
* * *
ここで火を放つわけにはいかなかった。
雨が降らなくなって久しい土地だ。
屍食鬼も怖ろしいが、火事も怖ろしい。
かと言って見ず知らずの遺体を運ぶほどの親切心はない。
女もそれを理解しているのだろう。
祈りが終わると当然のように集まっていた鴉の群れに穏やかに声をかける。
「さぁ、彼らを黄泉の国へ運んでちょうだい」
女の言葉が分かるのか、鴉は一斉に花を持つ二つの遺体に飛びついた。
男女の遺体だ。
夫婦だったのか、恋人だったのかは分からない。
年齢を確認したくとも、二人とも無惨に顔を傷つけられ、手荷物もほとんど奪われていた。
商人だったのか、それとも旅人だったのか。
或いは駆け落ちでもしていたのか。
それを知ることはもう二度とない。
もしかしたら異教徒かもしれないが、ここは同じ信徒だと信じるしかなかった。
古くから、この地方では鴉は死者の魂を運ぶと言われている。
鳥葬も伝統ある弔いの一種だ。
あまり好まれないが、この場では仕方がない。
死体を見慣れている見ず知らずの二人の男も嫌悪している様子はなかった。
鴉達の食べ残しに獣が寄って来るかもしれないが、それこそ生きた人を好む魔物や死体を好む屍食鬼に比べたらマシであろう。
巫女ではない女がしてやれるのはここまでだ。
時の流れも忘れ、この道で二つの哀れな亡骸に出会った瞬間から今までずっとその遺体を清める作業をしていた。
医師ではない女は詳しい人体の仕組みを知らず、辺りに飛び出た内臓を拾い集め、掻き出された腸をしまう作業は精神的にも体力的にも厳しかった。
まだ近くに二人を襲った盗賊がいるのかもしれない。
武器も防具も持たず、僅かな食糧と、みすぼらしいマントの中に隠されたそれなりの金銭や装飾品を持つ女は恰好の獲物だ。
それでも女は親切な男達の誘いに乗るつもりはなかった。
「ありがたいお話しですが、私は一人で十分です」
こんな素性の知れない女を親切にも男達、というよりも二人の内の背の高い方の男が熱心に引き留める。
「貴女のような女人が一人で旅をするのは無謀だ」
あんな無惨な死体を間近で見ていたはずなのに、女は恐れることもなく柔らかく微笑んだ。
目しか見えないが、その目をゆったり細める様子に隊長と呼ばれた男は胸がざわつくのが分かった。
「ええ、存じております」
その笑みが明確な拒絶であったことに男は後になってから気づいた。
* * * *
女は旅をしていた。
特に目的もなく、とりあえず生まれ故郷から離れるためだけに放浪している。
どこに行きたいのか、女もよく分かっていなかった。
ただ、王都には行きたくないと思っている。
先ほどまで女を引き留めようとしていた男の姿を思い浮かべる。
随分と優しい男だ。
男の仲間が後から来なければ、あのままずっと説得されていたかもしれない。
何かの護衛の一人らしい男は雇い主には逆らえないらしく、結局女の説得を諦めた。
それでいい、と女はほっとしたものだ。
旅の目的もない自分が明確な目的を持つ集団の中に混ざるわけにはいかない。
きっと息が苦しくなる。
ただ、見ず知らずの怪しい自分を心底心配してくれた男の厚意に応えられないのが申し訳なかった。
人に優しくしてもらうと嬉しくなる。
だから、自分も優しくしてあげたくなる。
汚れてしまったマントの代わりを男から貰った。
もう、それだけで十分だ。
それ以上甘えるわけにはいかない。
男の身につけていたマントは飾り紐すらついていない、なんとも簡素なものだったが、ひどく温かいと思った。
見知らぬ男の汗の匂いが僅かに香り、胸が微かに痛む。
貞節を重んじる故郷の人々が見れば眉を顰めるかもしれないが、今の女にはどうでも良いことだった。
ただ、運命のままに。
天の定めたという流れに従おうと女はもう決めているのだから。
「……」
だから。
「……ついて来ちゃ、駄目だって言ったのに」
何故か女が弔いをしていた間中ずっとこちらを見ていた鴉の群れ。
その中の一際大きく濡れたように美しい羽を持つ一羽がずっと後をつけてくるのだ。
女の身体に死臭が残っているのかとも思ったが、途中で運よく見つけた泉で身体を洗っても鴉は近くの枝にとまったままこちらを見つめている。
僅かばかりとなった干し肉をあげると食べてくれるが、それを遠くに投げると急いで取って来てまた女の前に持って来るのだ。
鴉に懐かれたのは初めてのことであり、女は途方に暮れた。
「……一緒に行きたいの?」
女の言葉に鴉が短く鳴いた。
鴉は頭が良い。
人の言葉ぐらい分かるのかもしれない。
つぶらな瞳もよく見れば愛嬌があるし、賢そうだ。
もうここまでついて来たのなら群れに戻る意思はなさそうだ。
「……仕方がないな」
もしも何かあったとき。
例えば女が盗賊に襲われて殺されたり、獣に食い殺されたりしたとしても、この賢そうな鴉なら一羽だけでも逃げて生き延びられそうだ。
むしろまともに武術の心得もない女よりもずっと逞しいだろう。
そう、判断した女は少しだけ嬉しそうに頭上を飛び回る鴉に微笑んだ。
すると鴉がゆっくりと女の前に着地する。
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