5 / 13
富を根こそぎ失った男
第五話
しおりを挟む
「ーーーーふむぅ」
右手の銀貨を握ったまま彼はあてもなく通りを歩いていた。
それは、非常にふらふらとふわふわとした足取りだったが、危険な様子など全くなく、見た目に反して地に足がついた確かな足取りであった。
彼は考える。つい先ほどの妙な出来事を。
彼は思い出す。謎の彼女が残した言葉の数々を。
彼は戸惑う。すっかり変貌を遂げた自身の心の内に。
彼の頭の中では先ほどのティータイムが何度も何度も繰り返し再生されていた。
知らない女性、知らなかった紅茶の味、時が止まったような感覚、差し出された二枚の銀貨。
それはまるで白昼夢のようである。
すべては自分の妄想だったのか? 死を目前にした自身が作り上げた最後のユートピアだったのであろうか?
死を回避するために、生にしがみつくために作り上げられた勝手気ままな幻覚作用?
しかし、もし本当に白昼夢なのだとしても変ではないか? ユートピアを垣間見るのであるなら、自分の場合もっと別のものである気がする。
自身の店を持つ事を夢見てきた自分である。であるならば、そのままの形で再現しそうなものではないか。
白く清潔感あふれる外装、品の良いテーブルセットが並べられ、辺りには食欲をそそる料理の香り、それぞれの憩いのひと時を楽しむ人々、弾む会話、花咲く笑顔ーーそれらがそのまま出てくる筈だ。
現に目を閉じればそれはいつもそこにある。
長年考えてきた事だ。深く妄想し、頭の中で完璧に作り上げてきたまさにユートピアだ。
であるにも関わらず、現れたのは謎の彼女とのティータイム。
認めたくはないが、認めるしかないだろう。
自身がどう思っていようとも現れたのはあれなのだ。
この二枚の銀貨が何よりの証拠なのだ。
彼は右手の中で銀貨を弄った。
ひんやりと冷たい感触がそこにはあった。
しかし困ったものだ。あの不思議な体験をしてしまったせいで、どうにも調子を狂わされた。
自殺する覚悟を決めていたのに、今やそんな気など全く起こらない。
かと言って、生きる気力も湧かないのだが。
今や生きるも死ぬもない、どっちつかずの半端者である。
そう、俺はカラッポなのだ。本当の意味で何も持たぬカラッポな男なのだ。
彼はさまざまな思いにふけ、朧げな足取りのまま歩き続けた。
どれだけ歩いたか、時間も距離も曖昧なままとある一画へと行き当たった。
そこには小さな道具屋とくじ屋が並んでいた。
彼は足が進むままに歩いた。
思考は止まり、赴くまま、流れに身を任せる様にくじ屋の前へと流れ着いた。
【その場で大当たり! 大人気スピードくじ! キャリーオーバー発生中!】という文字が店先の看板に騒がしく躍っている。
その時、彼の中で何かが蠢いた。それは自身の意識とは違った全く別の何かであった。
それは蠢くごとに大きくなり、瞬く間に彼の心を支配していった。
彼は突如自身の心を満たしたものに戸惑い、恐れた。
それは明らかに悪意に満ちた邪悪なものに感じられたからだ。
悪魔が舌舐めずりしながら、自身の黒く染まった心を撫でまわしているかのような感覚。
自身の周囲を執拗に飛び回り、肩に手を伸ばし、耳元で破滅の言葉を囁く。指を弾くと現れた数枚のカード、悪魔の遊びがいくつも書いてある。一枚一枚差し出され好きなものを選べと迫ってくる。耳の奥で響く甲高い嫌味な笑い声。その囁きを聞いているだけで身体の芯が痺れ思考がうまく働かない。彼の鼓動はどんどん速くなる。
これは悪魔のゲームだ。
自分自身の命と魂を掛けた悪魔のゲームが始まろうとしているんだ。彼はそう確信した。
死よりも恐ろしい黒く深い恐怖の沼が足元から押し寄せる。背筋を冷たくなぞる鋭利な刃物の感覚。決断を迫るようにいやらしく胸を撫で回す細い指先。
彼は未だかつて経験したことのない恐怖を感じていた。自殺を決意し、死などこれっぽっちも恐れる事などなかったのに。今はーーーー悪魔が囁く今となっては、それが堪らなく恐ろしい。
死ぬ気もなくなり、生きる気力も湧かないカラッポだとばかり思っていたのに。自分のいったいどこにこれほどの感情が潜んでいたものかと彼は心底驚いた。
それからいったいどれほどの時間が経過したであろう。
彼は突如、目を見開きまっすぐにあるものを見つめた。
それは決意に満ちた確かな眼差しだった。
右手の銀貨を握ったまま彼はあてもなく通りを歩いていた。
それは、非常にふらふらとふわふわとした足取りだったが、危険な様子など全くなく、見た目に反して地に足がついた確かな足取りであった。
彼は考える。つい先ほどの妙な出来事を。
彼は思い出す。謎の彼女が残した言葉の数々を。
彼は戸惑う。すっかり変貌を遂げた自身の心の内に。
彼の頭の中では先ほどのティータイムが何度も何度も繰り返し再生されていた。
知らない女性、知らなかった紅茶の味、時が止まったような感覚、差し出された二枚の銀貨。
それはまるで白昼夢のようである。
すべては自分の妄想だったのか? 死を目前にした自身が作り上げた最後のユートピアだったのであろうか?
死を回避するために、生にしがみつくために作り上げられた勝手気ままな幻覚作用?
しかし、もし本当に白昼夢なのだとしても変ではないか? ユートピアを垣間見るのであるなら、自分の場合もっと別のものである気がする。
自身の店を持つ事を夢見てきた自分である。であるならば、そのままの形で再現しそうなものではないか。
白く清潔感あふれる外装、品の良いテーブルセットが並べられ、辺りには食欲をそそる料理の香り、それぞれの憩いのひと時を楽しむ人々、弾む会話、花咲く笑顔ーーそれらがそのまま出てくる筈だ。
現に目を閉じればそれはいつもそこにある。
長年考えてきた事だ。深く妄想し、頭の中で完璧に作り上げてきたまさにユートピアだ。
であるにも関わらず、現れたのは謎の彼女とのティータイム。
認めたくはないが、認めるしかないだろう。
自身がどう思っていようとも現れたのはあれなのだ。
この二枚の銀貨が何よりの証拠なのだ。
彼は右手の中で銀貨を弄った。
ひんやりと冷たい感触がそこにはあった。
しかし困ったものだ。あの不思議な体験をしてしまったせいで、どうにも調子を狂わされた。
自殺する覚悟を決めていたのに、今やそんな気など全く起こらない。
かと言って、生きる気力も湧かないのだが。
今や生きるも死ぬもない、どっちつかずの半端者である。
そう、俺はカラッポなのだ。本当の意味で何も持たぬカラッポな男なのだ。
彼はさまざまな思いにふけ、朧げな足取りのまま歩き続けた。
どれだけ歩いたか、時間も距離も曖昧なままとある一画へと行き当たった。
そこには小さな道具屋とくじ屋が並んでいた。
彼は足が進むままに歩いた。
思考は止まり、赴くまま、流れに身を任せる様にくじ屋の前へと流れ着いた。
【その場で大当たり! 大人気スピードくじ! キャリーオーバー発生中!】という文字が店先の看板に騒がしく躍っている。
その時、彼の中で何かが蠢いた。それは自身の意識とは違った全く別の何かであった。
それは蠢くごとに大きくなり、瞬く間に彼の心を支配していった。
彼は突如自身の心を満たしたものに戸惑い、恐れた。
それは明らかに悪意に満ちた邪悪なものに感じられたからだ。
悪魔が舌舐めずりしながら、自身の黒く染まった心を撫でまわしているかのような感覚。
自身の周囲を執拗に飛び回り、肩に手を伸ばし、耳元で破滅の言葉を囁く。指を弾くと現れた数枚のカード、悪魔の遊びがいくつも書いてある。一枚一枚差し出され好きなものを選べと迫ってくる。耳の奥で響く甲高い嫌味な笑い声。その囁きを聞いているだけで身体の芯が痺れ思考がうまく働かない。彼の鼓動はどんどん速くなる。
これは悪魔のゲームだ。
自分自身の命と魂を掛けた悪魔のゲームが始まろうとしているんだ。彼はそう確信した。
死よりも恐ろしい黒く深い恐怖の沼が足元から押し寄せる。背筋を冷たくなぞる鋭利な刃物の感覚。決断を迫るようにいやらしく胸を撫で回す細い指先。
彼は未だかつて経験したことのない恐怖を感じていた。自殺を決意し、死などこれっぽっちも恐れる事などなかったのに。今はーーーー悪魔が囁く今となっては、それが堪らなく恐ろしい。
死ぬ気もなくなり、生きる気力も湧かないカラッポだとばかり思っていたのに。自分のいったいどこにこれほどの感情が潜んでいたものかと彼は心底驚いた。
それからいったいどれほどの時間が経過したであろう。
彼は突如、目を見開きまっすぐにあるものを見つめた。
それは決意に満ちた確かな眼差しだった。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
【完結】20年後の真実
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。
マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。
それから20年。
マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。
そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。
おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。
全4話書き上げ済み。
包帯妻の素顔は。
サイコちゃん
恋愛
顔を包帯でぐるぐる巻きにした妻アデラインは夫ベイジルから離縁を突きつける手紙を受け取る。手柄を立てた夫は戦地で出会った聖女見習いのミアと結婚したいらしく、妻の悪評をでっち上げて離縁を突きつけたのだ。一方、アデラインは離縁を受け入れて、包帯を取って見せた。
主人公の恋敵として夫に処刑される王妃として転生した私は夫になる男との結婚を阻止します
白雪の雫
ファンタジー
突然ですが質問です。
あなたは【真実の愛】を信じますか?
そう聞かれたら私は『いいえ!』『No!』と答える。
だって・・・そうでしょ?
ジュリアーノ王太子の(名目上の)父親である若かりし頃の陛下曰く「私と彼女は真実の愛で結ばれている」という何が何だか訳の分からない理屈で、婚約者だった大臣の姫ではなく平民の女を妃にしたのよ!?
それだけではない。
何と平民から王妃になった女は庭師と不倫して不義の子を儲け、その不義の子ことジュリアーノは陛下が側室にも成れない身分の低い女が産んだ息子のユーリアを後宮に入れて妃のように扱っているのよーーーっ!!!
私とジュリアーノの結婚は王太子の後見になって欲しいと陛下から土下座をされてまで請われたもの。
それなのに・・・ジュリアーノは私を後宮の片隅に追いやりユーリアと毎晩「アッー!」をしている。
しかも!
ジュリアーノはユーリアと「アッー!」をするにしてもベルフィーネという存在が邪魔という理由だけで、正式な王太子妃である私を車裂きの刑にしやがるのよ!!!
マジかーーーっ!!!
前世は腐女子であるが会社では働く女性向けの商品開発に携わっていた私は【夢色の恋人達】というBLゲームの、悪役と位置づけられている王太子妃のベルフィーネに転生していたのよーーーっ!!!
思い付きで書いたので、ガバガバ設定+矛盾がある+ご都合主義。
世界観、建築物や衣装等は古代ギリシャ・ローマ神話、古代バビロニアをベースにしたファンタジー、ベルフィーネの一人称は『私』と書いて『わたくし』です。
なんども濡れ衣で責められるので、いい加減諦めて崖から身を投げてみた
下菊みこと
恋愛
悪役令嬢の最後の抵抗は吉と出るか凶と出るか。
ご都合主義のハッピーエンドのSSです。
でも周りは全くハッピーじゃないです。
小説家になろう様でも投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる