カレーライスの女

清水花

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金曜日のカレーライス

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 私はある日を境に夕食には必ずカレーライスを食べるようなった。

 毎日食べるのだから、それはもちろんただのカレーライスではない。

 私の大好きな彼が作る、カレーライスなのだ。

 私の大好きな彼は駅前で人気の小さなカレーハウスを営んでいる。

 そこで提供される多くのカレーライスの中で私がもっとも好きなのは、バターチキンカレー。

 ほろほろになるまで丁寧に煮込んだチキン、ルウとライスをひとつにまとめるまろやかで香りの良いバター、食欲をそそる爽やかな数種のスパイス。それらのバランスが本当に見事で、ひと口食べたら絶対に忘れられなくなる味なのだ。

 でも、だからと言って毎日食べるのはさすがに変だと私自身、理解はしている。

 けれど、やっぱり毎日食べたくなる特別な味なのだ。

 だって、私の大好きな彼が一生懸命に作ってくれたものなのだから。

 大好きな彼が大好きな味を毎日作って食べさせてくれる。これほどの幸せが他にあるのだろうか?

 今日は金曜日。私は残業を終え、いつものように店に向かう。

 午後二十時。閉店一時間前。

 私の他にお客さんはいない。つまり、彼と二人きり。

 私はいつものように、いつもの席に座り、オーダーはもちろんすでに決まっているけれど、彼の手書きのメニュー表に視線を走らせる。

 彼特有の右上がりの字体を眺めているだけで心が弾む。

 テーブルに彼がやってきた。手を伸ばせば届く距離。はやくその手に包まれたい。

 私がオーダーを伝えると、彼はなぜかつれない様子でキッチンへと向かった。

 私の胸が一気に不安の色に染まる。

 まさか、体調が悪いんじゃないだろうか。疲れが溜まっているのかもしれない。

 考えれば考えるほど彼の事が心配でたまらなくなる。

 しばらくすると明らかに顔色が悪い彼が再びテーブルへとやってきた。

 私の前にいつものようにカレーライスを置き、ふらついた足取りで引き返していく。

 私はとっさに彼の手を掴み、必死に訴えかける。

「どうしたの? 大丈夫? 疲れてるんじゃない? 今日はもうお店終わりにして部屋に帰りましょう! ね? お願い、あなたの事が心配なのよ。もしあなたが倒れでもしたら、私……」

「ーーーーいい加減にしてくれ!」

 彼の大声が店内に響く。

「毎日、毎日、毎日、閉店間際にやってきては俺の気を惹こうとして! 何度言ったら解るんだ! 俺には妻も子供もいるんだ! アンタの気持ちには応えられない!」

「……嘘ばっかり」

「嘘じゃない! どうして信じてくれないんだ! 俺が嘘をつく必要がどこにある! もう、帰ってくれ! 二度とここへは来ないでくれ!」 

「ふふふ、そんなに照れなくてもいいのに。でも私、好きよ。あなたのそういう可愛らしいところ」

「狂ってる……。ああ……こっちまで頭がおかしくなりそうだ……。何なんだ……何なんだ……何なんだお前は! お前の顔なんか見たくないんだ! 俺を見るな! この化け物が!」

「うっ」

 彼の大声が響くと同時に私の左頬に強烈な衝撃が走った。

 時の流れが非常にゆっくりとなり、世界が白一色に染まっていくーーーー。


 閉店時間をとうに過ぎた店内。照明は落とされ薄闇が辺り一面に蔓延っている。

 しんと静まり返った空間にはしとしと雨の音が寂しく響いている。
 
 いつも私が座る席に、今は彼が座っている。私はそんな彼の膝の上に座り、彼の腕に抱かれながら、彼が握るスプーンでいつものようにカレーライスをひと口頬張った。

 なぜだか今日のカレーライスは血の味のする、ひどくしょっぱい味だった。

 彼の手からスプーンが滑り落ち、床を叩いた。

「ねえ、今日のカレーライスもとっても美味しいわよ」

 彼は何も言ってはくれなかった。

 

 
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