1 / 1
金曜日のカレーライス
しおりを挟む
私はある日を境に夕食には必ずカレーライスを食べるようなった。
毎日食べるのだから、それはもちろんただのカレーライスではない。
私の大好きな彼が作る、カレーライスなのだ。
私の大好きな彼は駅前で人気の小さなカレーハウスを営んでいる。
そこで提供される多くのカレーライスの中で私がもっとも好きなのは、バターチキンカレー。
ほろほろになるまで丁寧に煮込んだチキン、ルウとライスをひとつにまとめるまろやかで香りの良いバター、食欲をそそる爽やかな数種のスパイス。それらのバランスが本当に見事で、ひと口食べたら絶対に忘れられなくなる味なのだ。
でも、だからと言って毎日食べるのはさすがに変だと私自身、理解はしている。
けれど、やっぱり毎日食べたくなる特別な味なのだ。
だって、私の大好きな彼が一生懸命に作ってくれたものなのだから。
大好きな彼が大好きな味を毎日作って食べさせてくれる。これほどの幸せが他にあるのだろうか?
今日は金曜日。私は残業を終え、いつものように店に向かう。
午後二十時。閉店一時間前。
私の他にお客さんはいない。つまり、彼と二人きり。
私はいつものように、いつもの席に座り、オーダーはもちろんすでに決まっているけれど、彼の手書きのメニュー表に視線を走らせる。
彼特有の右上がりの字体を眺めているだけで心が弾む。
テーブルに彼がやってきた。手を伸ばせば届く距離。はやくその手に包まれたい。
私がオーダーを伝えると、彼はなぜかつれない様子でキッチンへと向かった。
私の胸が一気に不安の色に染まる。
まさか、体調が悪いんじゃないだろうか。疲れが溜まっているのかもしれない。
考えれば考えるほど彼の事が心配でたまらなくなる。
しばらくすると明らかに顔色が悪い彼が再びテーブルへとやってきた。
私の前にいつものようにカレーライスを置き、ふらついた足取りで引き返していく。
私はとっさに彼の手を掴み、必死に訴えかける。
「どうしたの? 大丈夫? 疲れてるんじゃない? 今日はもうお店終わりにして部屋に帰りましょう! ね? お願い、あなたの事が心配なのよ。もしあなたが倒れでもしたら、私……」
「ーーーーいい加減にしてくれ!」
彼の大声が店内に響く。
「毎日、毎日、毎日、閉店間際にやってきては俺の気を惹こうとして! 何度言ったら解るんだ! 俺には妻も子供もいるんだ! アンタの気持ちには応えられない!」
「……嘘ばっかり」
「嘘じゃない! どうして信じてくれないんだ! 俺が嘘をつく必要がどこにある! もう、帰ってくれ! 二度とここへは来ないでくれ!」
「ふふふ、そんなに照れなくてもいいのに。でも私、好きよ。あなたのそういう可愛らしいところ」
「狂ってる……。ああ……こっちまで頭がおかしくなりそうだ……。何なんだ……何なんだ……何なんだお前は! お前の顔なんか見たくないんだ! 俺を見るな! この化け物が!」
「うっ」
彼の大声が響くと同時に私の左頬に強烈な衝撃が走った。
時の流れが非常にゆっくりとなり、世界が白一色に染まっていくーーーー。
閉店時間をとうに過ぎた店内。照明は落とされ薄闇が辺り一面に蔓延っている。
しんと静まり返った空間にはしとしと雨の音が寂しく響いている。
いつも私が座る席に、今は彼が座っている。私はそんな彼の膝の上に座り、彼の腕に抱かれながら、彼が握るスプーンでいつものようにカレーライスをひと口頬張った。
なぜだか今日のカレーライスは血の味のする、ひどくしょっぱい味だった。
彼の手からスプーンが滑り落ち、床を叩いた。
「ねえ、今日のカレーライスもとっても美味しいわよ」
彼は何も言ってはくれなかった。
毎日食べるのだから、それはもちろんただのカレーライスではない。
私の大好きな彼が作る、カレーライスなのだ。
私の大好きな彼は駅前で人気の小さなカレーハウスを営んでいる。
そこで提供される多くのカレーライスの中で私がもっとも好きなのは、バターチキンカレー。
ほろほろになるまで丁寧に煮込んだチキン、ルウとライスをひとつにまとめるまろやかで香りの良いバター、食欲をそそる爽やかな数種のスパイス。それらのバランスが本当に見事で、ひと口食べたら絶対に忘れられなくなる味なのだ。
でも、だからと言って毎日食べるのはさすがに変だと私自身、理解はしている。
けれど、やっぱり毎日食べたくなる特別な味なのだ。
だって、私の大好きな彼が一生懸命に作ってくれたものなのだから。
大好きな彼が大好きな味を毎日作って食べさせてくれる。これほどの幸せが他にあるのだろうか?
今日は金曜日。私は残業を終え、いつものように店に向かう。
午後二十時。閉店一時間前。
私の他にお客さんはいない。つまり、彼と二人きり。
私はいつものように、いつもの席に座り、オーダーはもちろんすでに決まっているけれど、彼の手書きのメニュー表に視線を走らせる。
彼特有の右上がりの字体を眺めているだけで心が弾む。
テーブルに彼がやってきた。手を伸ばせば届く距離。はやくその手に包まれたい。
私がオーダーを伝えると、彼はなぜかつれない様子でキッチンへと向かった。
私の胸が一気に不安の色に染まる。
まさか、体調が悪いんじゃないだろうか。疲れが溜まっているのかもしれない。
考えれば考えるほど彼の事が心配でたまらなくなる。
しばらくすると明らかに顔色が悪い彼が再びテーブルへとやってきた。
私の前にいつものようにカレーライスを置き、ふらついた足取りで引き返していく。
私はとっさに彼の手を掴み、必死に訴えかける。
「どうしたの? 大丈夫? 疲れてるんじゃない? 今日はもうお店終わりにして部屋に帰りましょう! ね? お願い、あなたの事が心配なのよ。もしあなたが倒れでもしたら、私……」
「ーーーーいい加減にしてくれ!」
彼の大声が店内に響く。
「毎日、毎日、毎日、閉店間際にやってきては俺の気を惹こうとして! 何度言ったら解るんだ! 俺には妻も子供もいるんだ! アンタの気持ちには応えられない!」
「……嘘ばっかり」
「嘘じゃない! どうして信じてくれないんだ! 俺が嘘をつく必要がどこにある! もう、帰ってくれ! 二度とここへは来ないでくれ!」
「ふふふ、そんなに照れなくてもいいのに。でも私、好きよ。あなたのそういう可愛らしいところ」
「狂ってる……。ああ……こっちまで頭がおかしくなりそうだ……。何なんだ……何なんだ……何なんだお前は! お前の顔なんか見たくないんだ! 俺を見るな! この化け物が!」
「うっ」
彼の大声が響くと同時に私の左頬に強烈な衝撃が走った。
時の流れが非常にゆっくりとなり、世界が白一色に染まっていくーーーー。
閉店時間をとうに過ぎた店内。照明は落とされ薄闇が辺り一面に蔓延っている。
しんと静まり返った空間にはしとしと雨の音が寂しく響いている。
いつも私が座る席に、今は彼が座っている。私はそんな彼の膝の上に座り、彼の腕に抱かれながら、彼が握るスプーンでいつものようにカレーライスをひと口頬張った。
なぜだか今日のカレーライスは血の味のする、ひどくしょっぱい味だった。
彼の手からスプーンが滑り落ち、床を叩いた。
「ねえ、今日のカレーライスもとっても美味しいわよ」
彼は何も言ってはくれなかった。
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
大丈夫のその先は…
水姫
恋愛
実来はシングルマザーの母が再婚すると聞いた。母が嬉しそうにしているのを見るとこれまで苦労かけた分幸せになって欲しいと思う。
新しくできた父はよりにもよって医者だった。新しくできた兄たちも同様で…。
バレないように、バレないように。
「大丈夫だよ」
すいません。ゆっくりお待ち下さい。m(_ _)m
番など、今さら不要である
池家乃あひる
恋愛
前作「番など、御免こうむる」の後日談です。
任務を終え、無事に国に戻ってきたセリカ。愛しいダーリンと再会し、屋敷でお茶をしている平和な一時。
その和やかな光景を壊したのは、他でもないセリカ自身であった。
「そういえば、私の番に会ったぞ」
※バカップルならぬバカ夫婦が、ただイチャイチャしているだけの話になります。
※前回は恋愛要素が低かったのでヒューマンドラマで設定いたしましたが、今回はイチャついているだけなので恋愛ジャンルで登録しております。
隣人の幼馴染にご飯を作るのは今日で終わり
鳥花風星
恋愛
高校二年生のひよりは、隣の家に住む幼馴染の高校三年生の蒼に片思いをしていた。蒼の両親が海外出張でいないため、ひよりは蒼のために毎日ご飯を作りに来ている。
でも、蒼とひよりにはもう一人、みさ姉という大学生の幼馴染がいた。蒼が好きなのはみさ姉だと思い、身を引くためにひよりはもうご飯を作りにこないと伝えるが……。
夫から「用済み」と言われ追い出されましたけれども
神々廻
恋愛
2人でいつも通り朝食をとっていたら、「お前はもう用済みだ。門の前に最低限の荷物をまとめさせた。朝食をとったら出ていけ」
と言われてしまいました。夫とは恋愛結婚だと思っていたのですが違ったようです。
大人しく出ていきますが、後悔しないで下さいね。
文字数が少ないのでサクッと読めます。お気に入り登録、コメントください!
王族に婚約破棄させたらそりゃそうなるよね? ……って話
ノ木瀬 優
恋愛
ぽっと出のヒロインが王族に婚約破棄させたらこうなるんじゃないかなって話を書いてみました。
完全に勢いで書いた話ですので、お気軽に読んで頂けたらなと思います。
娼館で元夫と再会しました
無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。
しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。
連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。
「シーク様…」
どうして貴方がここに?
元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる