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3章 同性愛と崩壊する心

3 怪我のスペシャリスト

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「お……お、お嬢様! そのお顔の傷はっ⁉︎」

 アンナは私の両腕を掴んでひどく深刻そうな表情を浮かべ言います。

 私の顔に刻まれた薔薇の棘による傷跡は、私としては取るに足らないほんの少しのかすり傷程度だとばかり思っていたのですが、アンナの表情を鑑みるに実際はもっと深い深刻な傷だったのでしょうか。

 傷跡が残らなければいいのですが……。

 私は急な不安に駆られ右頬に手を当て指先で傷口を探りますが、はっきりと手に伝わるような傷は発見出来ませんでした。

「これは……出先で転んでしまって……」

「転んでそんな怪我をしたんですか⁉︎」

 なおもアンナは語気を強めて言います。

「え、えぇ……」

「どんな転び方をしたかにもよりますが、その傷は転んで出来たものではないと思います。転んで出来た傷はひとつひとつがもっと密集していて擦ったような跡が同じ向きで残るんです。しかしお嬢様の傷は……」

 アンナは目を細めて私の右頬を凝視します。なので私は咄嗟に右手で頬を隠し、右頬がアンナに見えないよう顔を背けました。

「まるで細い……針金とかガラスの破片とか棘のような鋭い物で引っ掻いたような傷跡なんですよねぇ」

 と、自身の顎に手を当て私の左頬を細めた目でじっと見つめてアンナは言います。

 まさか左頬にも傷跡があるとは思わなかった私は両手で両の頬を隠し何とか言い逃れしようと考えを巡らせます。

 それにしても何でしょう、この感じ。アンナはまるで傷口に関して一家言あるようですが……。

「こ……転んだ際、近くに壊れた木樽があったから、もしかしたらその破片が……」

「あれ? お嬢様、頬だけじゃなく両手の指先まで傷が……」

 そんなアンナの言葉に私は咄嗟にアンナに背を向けます。

「だから……これは地面に手をついた時に……もう! 思い出すのも恥ずかしいんだからこれ以上は聞かないで!」

「あっ……ごめんなさい……傷のつき方があまりにも不自然だったから、つい……」

 語気を強めた私の物言いに少しびっくりした様子のアンナはさっきまでの勢いをやや衰えさせて、今はたじろいでしまっています。

「何で……アンナは私が嘘を付いているって……思うの?」

 私はアンナに背を向けたまま、四角く切り取られた窓の奥にうごめく夜の闇を見つめながら言います。

「いえ、嘘をついているとは思っていません。ただ、さっきも言ったように傷の付き方が不自然だったから不思議に思っただけなんです」

 そう。この感覚。何でしょう、傷口に対するアンナのこの感覚。まるで傷口の事を知り尽くしているような、そんな感じ。

「アンナは……傷に詳しいの?」

「はい。私はお嬢様もよく知っているようにかなりのドジっ子ですから、幼い頃なんて三歩も歩けばどこかしら怪我をしてしまうくらいでした。なので一時期お父さんから外出を禁じられた事だってあるんですよ」

 アンナはいつものように元気な様子が見てとれる、非常にハキハキとした口調で語ります。

「でも、外に出なくても家の中で転んだりしてしっかり怪我をするので、外出禁止はすぐに取り消されましたけど。家の物を壊さないだけ外で怪我した方がいいからって言って……」

「ーーーーふふふっ。アンナらしいわね」

「あっ! 笑わないで下さいよ、お嬢様!」

 私は自然と笑ってしまいました。だって、幼い頃のアンナの姿が本当に眼に浮かぶようだったから。ご両親はさぞ毎日が楽しかったんでしょうね。

「ですから、幼い頃からよく怪我をしていた私は自然と傷口について詳しくなってしまったんです。治りが早い傷とか遅い傷。それに傷の種類や傷の付き方とかなんとなくですけど。この傷はなかなか治らないからもう二度とやっちゃダメだとか、この傷は治りが早いから気にしなくていいやって具合に。それでいつからか傷口を見たらだいたいその原因が分かるようになったんです。変な特技みたいなものですね。えへへ」

「…………」

 背後でアンナの足音が数歩分響きました。私のすぐ後ろにアンナの気配を感じます。

「それと……たくさん怪我をしてきた分、怪我をした時の、その傷が付く時の痛みまで鮮明に分かるようになったんです……痛かったですね、お嬢様」

 言って、アンナは私を後ろから抱きしめてきました。








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