グレーな聖女の備忘録〜国や家族の歴史とかって本当に大切なんだからきちんと後世に伝えてよね!

清水花

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10 リチャード・ワイズマン

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「ーーぐわっ! ち、父上っ! いったい何を……どうされたのです!」
 一切の感情を捨て去った不気味で虚ろな眼差しを私に向け、父上は私に殴る蹴るの暴行を加えた。
 今まで一度として手を上げられた事のなかった私は、自身を襲う鈍い痛みにたじろぐ事しか出来ないでいた。
 痛みに悶える私を父上は真っ直ぐ見つめたまま、非常にのらりくらりとした動きで私に詰め寄ると、私をその場に押し倒しその右足で私の顔を踏み付けた。
「ぐぐっ……父……上……」
 痩躯な父上のいったいどこからこれほどの力が出るのか分からないが、容赦無く踏み付けられた私の頭部が生々しい軋みを上げた。
 その軋みを肌で感じていると、数秒後には完全に踏み潰されてしまう気がして途端に腹の底が冷たくなった。
「ひっ……ひっ……」
 父上は本気でこのまま私を踏み潰す気でいるのか、右足にかかる力が徐々に増していく。
 私は父上の右足を両手で掴み力任せに振り払った。
 バランスを崩した父上は上半身を大きく反らせ、その場に膝をついた。
 私はすぐさま身体を起こし、父上の両肩を掴んで激しく揺さぶる。
「父上っ、父上っ! いったいどうなされたのです! なっ⁉︎」
「アア……ミガ……ヤミ……ヤミガ……」
 父上は口から唾液を垂らしながら、焦点の定まらぬ瞳で天井を見上げ訳の分からぬ事をブツブツと呟いていた。
「うわあっ!」
 私は咄嗟に父上の身体を突き飛ばし、目的もなく城内を走り出した。
 見慣れた城内の景色が流れていく中で、見慣れない狂った光景がいくつも視界に飛び込んでくる。
 また、見間違いではないと思うのだがさきほど父上の上半身を包み込んでいた黒っぽい霧のようなものはいったい……。
 際限なく高まる心拍に呼応するように私の胸に言い知れぬ恐怖が膨らんでいく。
 突如として訪れたあまりに狂った現実に理解が追いつかない。
 数分前まで当たり前にそこにあった日常はいったいどこに消え失せた? 私は夢を見ているのか? もしそうだとするのなら早く目覚めてほしい。こんな悪夢はもうごめんだ。
 現実から目を背けるように瞳を閉じ、必死に走り続けていると気付けば私は城から飛び出していた。
 見上げた王都の空はあいにくの空模様。
 まるで今の私の気持ちをそっくりそのまま表現したような曇天だ。
 異常なほどに雨音が激しいし、どこからか悲鳴のようなものも聞こえてくる。
 普段なら躊躇してしまうそんな状況だが、今の私にはそんな余裕などありはしなかった。
 私はずぶ濡れになりながらひたすらに王都の街並みを走った。
 向き合いたくない現実から逃げるように。
 その時、辺り一面が目も開けていられないほどに白く染まった。
 次の瞬間、近くにあった木が落雷にやられ轟音と共にその身を炎で焼きながらこちらに向かって倒れ込んで来た。
 辺りは信じられない量の雨が降っているのにも関わらず、炎は更にその勢いを増し轟々と燃え盛っている。
 私は咄嗟にそれを素手で受け止めた。
 びしょ濡れなのに、受け止めた手が信じられないくらいに熱い。
「ーーーーぐっ!」
 どうにか木を躱し私はその場を後にするが、足元を流れる大量の雨水が邪魔をして思うように歩けない。
 私は辺りを見渡し雨水に浸かっていない道を探し進んでいく。
 後方でまたも落雷があったらしい。心臓が止まるかと思うほどの轟音を何度も轟かせては王都を火の海にかえていく。
 急な突風に煽られ地面に尻もちをついてしまった。
 自然と見上げた空には、いくつもの民家の屋根が宙を舞っていた。
「ーーーーぐあっ!」
 突如、私の身体を鈍く激しい痛みが襲った。
 まるで大きな石を天高くから投げつけられたようなひどい痛みだ。
 私はたまらずふらつきながらも走り出す。
 何だ、
 何なんだ……これは。
 いったい何が起きたというのだ?
 ここはいったいどこなんだ。
 ここは我がハイランド王国の誇る王都バーハラではないのか?
 この馬鹿げた天候はいったい何がどうなっているのだ?
 これではまるでただの地獄ではないか。
 王都バーハラはいつ地獄にとって変わったのだ。
 私はいつ地獄に落ちたのだ。
 こんな環境では人など生きていけるはずがない。
 こんな劣悪極まりない環境では人は半日と経たずに死に絶えてしまうぞ。
 いつもの、
 当たり前の日常はどこにいった?
 私の王都バーハラは?
 どこに、
「ーーーーん?」
 不機嫌そうな分厚い雨雲から差し込む一筋の光を発見した。バーハラの郊外、防御壁の付近を照らしている。
 あそこに行けば、
 私は、
 助かるのかもしれない。
 ぞくりと背筋が凍るような寒気を感じ振り返った私が見たものは、赤々と燃える月がこのハイランド王国に向かって落ちてきているーーーーそんな光景だった。


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