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第19話 恐山にて候う
しおりを挟む「「ぬき様の祟りじゃぁぁぁ」」
老女による絶叫にくわえ数珠をじゃらじゃらとこすり合わせる異音が轟く。
が、ぶっちゃけそれどころではない。
「くっ臭ッ! 何よこれ」
人目をはばかることなく、のたうち回りたいほど鼻の奥が痛い。
国の体面? そんなものは鶏の餌にでもくれてやる!
ここまでの異臭ともなれば遠慮会釈もなくなる。
「これ、伎玉」
そう叱ってみせた風鈴も、ほほほと苦笑しつつその手はしっかりと鼻先をおおっている。
運悪く風下だ。
尋常ではない異臭にさいなまれながらも馬車から輿へのりかえ山をのぼり、皇子によって案内されてやってきた先は、呼吸困難を起こしかねない、ゆで卵を一ヵ月ほど放置したような異臭がただよう煙る絶壁だった。
プシューと巌の隙間からもくもくと白いモヤが噴きあがるたび異臭の濃度も増すかのよう。
「鼻がもげそうよ、大丈夫?」
風鈴の背後へまわりこみ、ヒソヒソ問う。
こうすれば下方にいる皇子からは死角となり、小声でなら密談できるというもの。
コホッと小さく咳き込んだ風鈴は、やっとこさ喉の奥から声をしぼりだす。
「ーーぇぇ、何とか」
こくこくと偽姫こと伎玉も頷く。
両命ともに今にも気絶しそうだ。
すると不安を隠せない風鈴によって後ろ手に「ちょっと」腕をひかれる。
「大丈夫なんですか?」
「多分」
「だいぶ想像していたものからかけはなれておりますが」
それは麗凛とて同様。安易に『温泉』ときいて、賑わう温泉街のそれを連想してしまったのだから無理もない。
煌禿がわざわざ秘湯と言ったその理由も合点がいった。
「この山頂がえぐられたような窪みといい、これは噴火口ね。今すぐどうこうなるものではないにしろ、活火山には違いないわ。つまりは温泉の源ってことね」
「さすが伎玉。その通りだよ、凄いだろ?」
麗凜の背を低い美声によってうたれた。
「!?」
振り返ると遠くで部下と深刻げに話こんでいたはずの煌禿がこちらへやってくる。
「これは皇子様」
標高差のせいで見下げざるをえず、三人はそれでも礼をつくして頭をたれ、その心中ではきっと同じことを思っている。
ーーぇぇ。イロイロな意味で、と。
ゴロゴロと一帯に転がる歪で真っ黒い巨岩。
赤い風車がカラコロと回る。
断崖の淵にずらりと列をなす赤い布を巻かれた小さな石仏。
草木一片たりともしげらず、毒水のように淀んだ湖。そこに生きとし生けるものは存在せず、平地でよく見かけるような鳥、虫一匹たりとも見かけない。
明らかに人の手で小石を積み上げられた石塔が一面にいくつもある。
黄色いものがそこかしこに付着した岩の裂け目からはくつくつと水蒸気がふきあげる。硫黄だ。
染料や肥料、火薬など多種多様なものに転換される。いわば原料の宝庫。
この恐山は、地獄を連想させる本来ならば禁足地であろう神聖なる霊域。
足がすくむような、おどろおどろしい異様な雰囲気が漂っていた。
「「ぬき様の祟りじぁぁぁぁぁ」」
再び謎の老婆が絶叫をあげた。
「!?」
異臭に免疫がつきはじめ、耐性ができてきたことで余裕もうまれ、今度はどうにも無視できそうにない。
「あのおばあさんは何ですの?」
口火をきったのは偽皇女こと、伎玉が不審極まりなく目を細め、小さく小首をふる。
祭壇らしきものの前で座す白い麻布をゆったりとまとう老女の盲ただろう眸は白く濁り、白髪を頭天で髷状に結わえ、珊瑚の簪を挿している。
その顔には謎の刺青がほどこされていた。
波をあらわす青海波のようでいて、それでいて暗号のごとき幾何学模様。
こうした刺青は古来より自然崇拝によるものと書架で読んだことがある。
巌や巨木、原水、火山など、この世のすべてのあらゆるものには神が宿るとされ、それらが波及して崇め奉るようになったものが自然信仰の始まりで、人類がはじめて『神』として祀った最古にして最長の信仰といえよう。
これらを総合すると、老女の白い衣装、謎の刺青、魔除けの珊瑚の簪。それらはいわゆる巫女のそれだ。
「さぁ。お気にせずともよいのでは?」
そう否定してみせた風鈴は、舌の根のかわかぬうち、続けて「ね、伎玉」と賛同を求めた。
「ぇ? ぇぇ」
同意せよ、というよりこの場合は、確認せよ、との意味だ。
立場的にもお声掛かり的、雑用など、こみこみが今やお仕事の麗懍、これは侍女のつとめ。
こほん、と咳をはらいつつ向き直りざま、首をたれ、丁重に礼をつくして問う。
「皇子様、ぬき様とは?」
すると煌禿はこの上もなくパァと破顔する。
「…………」
なぜ?
何がそんなに嬉しいのやら。皆目見当もつかないが、目と目をからませれば煌禿の眦が柔らかいものになる。
ぁぁ、と思う。
煌禿はこの光景を麗凜に見せたかったのかもしれない。
書架の上をなぞるようなうわべだけの知識ではなく、この世にはもっと素晴らしいものは沢山あると。
知識を知識だけで終わらせず、こうして目で見て、肌で感じて。五感で感じたものはより価値がある。
「…………」
そう考えいたると急に気恥ずかしくなり、麗懍もつられるようにして、ふふと柔和に笑まずにはいられない。
「ちょっと待ってね。洲公に訊ねてみるから。これ、州公、そこにおるか」
「はっ」
すかさず皇子の御前にすすみ、すっと片膝をつき、拱手する。
洲公と呼ばれた男は、中年のややでっぷりと突き出た腹をして、平凡を画に描いたような特徴もへったくれもない、ありきたりなごく普通のおじさん。
見栄えだけはする立派な、不釣り合いきわまりない官服を着込んでいた。
「ぬきとは?」
「さぁ。私目は最近赴任したばかりでとんと。ですがお待ちを。そなたはどうだ」
洲公が背後にてひかえる次官に問う。
しゅっとした武官らしい体躯をした壮年の男は首をかしげた。
「ーーさぁ。私もこの地方出身ではなく、縁もゆかりもないゆえーーーーおそらく土着の信仰によるものとは思われますが…………」
誰が見てもそうでしょうよ。
お国柄なのか憬麟では洲公の体たらくぶりも許されるらしい。
紫耀なれば問答無用で地方へ飛ばされてしかるべきで、もっとも、これ以上の最果ての辺境はそうそうあるとは考えられないので、すでに飛ばされてやってきた、と考える。
となると着任早々、糸の切れた凧のように次はどこまで飛ばされるやら。
これが兄の緋嗣ならば洲公・次官ともども即座に更迭させ、牢獄おくりもじさないだろう。
どこかゆるさを感じるのは、即位から間もない王である殷禿の偉効がまだ国の隅々にまで行き渡っていないという事情もあるだろうが。
それにしたってゆるすぎる。
「そうか。困った。そなたまで知らぬとは…………」
頼みの綱とされた次官からも明快な答えをえられず、州公の額には脂ぎった汗がつたう。
それを見た皇子は苛立ちを隠そうともせず「すぐに調べさせよ」冷たくぞんざいに言い放つ。
温和なことで有名を博する皇子の冷たい物言いに、洲公はたじろぐ。
国賓の前でいい赤っ恥をかかされた形となったのだ。さすがの煌禿も寛容さを失した。
「ぎょ、御意」
州公はそそくさと退さり、行くぞ、部下を引き連れやっとこさ重い腰をあげ探索にのりだした。
「陽が傾きだしたね」
洲公らを見送った皇子は、向き直り、皇女をふくめた三人へ「楽しみだね」とほくほく顔で語る。
悪い顔だ。日常に飽いた皇子はおそらくこのよくわからない状況を楽しんでいる。
「とりあえず調査は洲公にまかせて、当初の予定どおり僕たちは秘湯を存分に楽しもう」
ささ、とうながされ、三人は訝りつつも噴火口をあとにした。
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