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第2章 精霊条約書
魔道竜(第2章、35)
しおりを挟むこれほど気密な空間ともなれば、必然的に酸欠に陥るかもしれない、ぐらいは織り込んでおくべきだった。
しかしそれは、頭の片隅にもよぎらない想定外だったことは言うまでもない。
セルティガは気の毒になるほど激しく咳く。
「だ…いじょうぶ? ……じゃなさそうね、ほら」
ティアヌはセルティガの背中へ腕をまわし、背中をさすりあげる。
すると、さも、何を企んでいる?と語る瞳と交差した。
とても悪態をつけるような状態にはないセルティガにとって、ティアヌから差し延べられた労りが意外に感じられたのに違いない。
「何よ、こうすれば少しでも楽になるでしょう?私だって鬼じゃないのよ」
しかしながら、回復魔法エグザルをもってしても治癒の効果のほどは期待どおりに発揮されてはいない。
かなりヤバめの状態だったのだろう。
気付くのが遅かった要因の一つ。それはティアヌにそれらしき症状があらわれなかったことにある。
別段セルティガのような息苦しさや命の危機を感じるどころか、普通のことが普通と感じられない有り得なさに恐怖すらおぼえる。
ふと、懸命にさすりあげる手の動きがとまる。
ティアヌは唇を噛みしめ、血がにじもうと、そんなことはどうでもよかった。
むしろ、人並みに痛みを痛みと感じられたことのほうが嬉しかった。
「……どうした?」
荒い息をはきながら、おかえし…とばかりにティアヌの前髪をかきあげた。
するとサラリと一房の髪が頬へ流れおち、ティアヌの表情もおおい隠された。
「具合が悪いのか?」
「…………」
伏し目がちに小首をふる。
人の痛みに鈍感になりたくはない。
痛みに鈍感になれば私は人ではいられなくなる。
打たれれば痛いし、蔑まれれば辛い。
そんな当たり前を当たり前と感じられなくなったら私は終わりだ。
゛―――人でありたい。人間でありつづけたい。
人と精霊とを結び付ける存在が私だというのなら、役にたちたい。
痛みに鈍くなって、人を傷つけ何も感じない人にだけにはなりたくはない。
常に人であることに誇りをもちたい。
傷つけたことで痛みを感じられるのは人間だけだから。
それなのに。
それと願っても、そうなれないもどかしさ。
セルティガの異変に気付けなかった他人を思いやる配慮のなさに胸が憤る。
「どこか痛むのか?」
ティアヌは再び首をふる。
「ったく…ゴホッゴホッ……。言わなきゃわからんだろうが」
セルティガは話すだけでも苦しいかろうに、荒い息をはき、それでもその苦しさを直隠し、ティアヌを気遣う。
これこそが他人を思いやる配慮。セルティガにあってティアヌにはないもの。
だからなのか。何かと意地をはったりケンカがたえなかったのは。セルティガとは対照的、ま逆なのだ。
「……っめん―――」
ティアヌの口からこぼれおちた心からの謝罪。それは頬をつたう雫が何よりも物語る。
「ストッぷ。謝んな。お前が責任を感じるヤツがあるか」
セルティガはティアヌの髪づたいに頬へ指をたどらせ、この上もなく優しい手つきでそれをぬぐいとる。
ビクリと身構えたものの、思いのほかセルティガの指先から伝わる温もりが心地よかった。
「泣くな」
セルティガの指先に頬をよせる。
この温もりが消えなくて本当によかった。
「泣くなと言っているだろうが」
泣くな、そう言われても、一度堰を切って流れてしまえば、いきなり引っ込みようもない。
世話のやけるヤツだ…と呟くや、セルティガはティアヌの背中へ腕をのばし、抱きよせる。
えっ?? と奇声を発する隙をあたえない。
一瞬、記憶が空白となり、セルティガの腕のなかで硬直し頭が真っ白。
「泣くな、俺の前ではいつも笑顔でいろ。それでチャラだ、いいな?返事は?」
「ぅ、うん………」
って、違う!!
ティアヌは抱きしめられたセルティガの腕から身をはがす。
直視するや自らに対する罵声をあびせずにはいられなかった。
「なんで怒らないの?いつものようにケチョンケチョンにけなせばいいじゃない!」
「それでお前の気がすむのならいくらでもしてやる。だがそれは違うだろ?」
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