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第2章
ギルドマスターとの出会い
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夕日が沈みかけた頃、一行は街を囲う城壁が見える場所まで戻ってきた。
空は茜色に染まり、焦げた森の匂いがまだ風に混じっている。
ティアナがバトーの隣に並び、静かに口を開いた。
「そういえば……ギルドマスターに報告する前に、彼のことを話しておいた方がいいわね。」
「ギルドマスターって、どんな人なんだ?」
とバトーが尋ねる。
「名前はベック・セルワース。セルワース伯爵家の三男よ。」
「伯爵家? 貴族がギルドに?」
ギースが目を丸くする。
「そう、でも彼自身は昔、伯爵の名を隠して冒険者をやっていたの。貴族なんて関係なく、自分の腕で生きたいって言ってね。」
ティアナはどこか懐かしそうに微笑んだ。
「若い頃はミスリル級の冒険者でね。今の私達の先輩にあたるわ。十数年前、結婚を機に引退して、ギルド職員になったの。」
「ふむ。引退した元冒険者がマスターってのは珍しくないが……伯爵家とは。」
ギースが感心したように腕を組む。
ティアナは少し声を潜めた。
「その後、当時のギルドマスターが横領していたのを暴いて、伯爵家の名を明かして追い出したの。だから今のギルドはかなり健全よ。」
「つまり、“筋の通った人”ってわけか。」
バトーが呟くと、ティアナはうなずいた。
「ええ。現場上がりのたたき上げで、冒険者の気持ちが分かる人。私達のような現場の声にも耳を貸してくれる。」
そして少し笑いを浮かべて言った。
「ただし、怒らせると怖いわよ。筋が通らないことを一番嫌うから。」
「はは……それは気をつけよう。」
バトーは軽く頭をかきながら苦笑する。
そんな話をしながら、彼らはセルワースの街の門をくぐった。
夜の灯がともり、石畳を照らす光の中で、ティアナの銀の鎧が柔らかく反射していた。
――そして、一行は冒険者ギルドの重厚な扉の前に立つ。
ギルドの重たい扉を開けた瞬間、怒号のような喧騒が耳を打った。
臨時召集された冒険者たちで、ホールは人で溢れかえっている。
鎧の金属音、酒の匂い、焦燥と好奇心の入り混じったざわめきが渦巻いていた。
「おいティアナさん! 魔族はどうなった!?」
受付近くで職員の一人が声を張る。
ティアナは静かに振り返り、短く答えた。
「逃げたわ。……今からマスターに報告する。もう解散していいわよ。」
「だとさー! おい皆、解散だ! 飲みに行くぞー!」
と、ベテラン冒険者の一人が声を上げる。
「おおおーっ!」
一斉に歓声が上がり、場の緊張が一気にほどける。
テーブルが叩かれ、笑い声が弾けた。
恐怖の直後の安堵――これが冒険者という生き物か、とバトーは思う。
「ほんと、元気な連中ね。」
ティアナがため息をつきながらも口元をゆるめた。
ギースが笑いながら肩をすくめる。
「ま、無事だったんだ。飲まなきゃやってらんねぇだろ。」
その喧騒の中、ティアナがバトーとギースを手招きした。
「行きましょう。ギルドマスターが待ってる。」
「おう。」
バトーはうなずき、2人の後ろについて歩き出す。
奥の階段を上がると、途端に静寂が訪れた。
下の騒々しさが嘘のように、廊下は冷たい空気に包まれている。
ギルドの重鎮だけが通される一室――ギルドマスター室の扉の前に、彼らは立った。
ギルドの執務室に通されたティアナとバトー。
重厚な木の扉を開けると、室内には温かい香草茶の香りが漂っていた。
机の向こうには、白髪交じりの中年の男が穏やかな笑みを浮かべて座っている。
その男――ギルドマスターのベック・セルワースは、優しげな目元に深い皺を刻みながらも、どこか品のある佇まいをしていた。
年の頃は四十代半ばほど。
鍛えられた体つきだが、威圧感はまるでなく、むしろ話しかけやすい雰囲気を漂わせている。
「ティアナ君。まずは君から報告を聞かせてもらえるかな」
柔らかい声。
敬語でありながら、どこか家族に話しかけるような温かさがあった。
ティアナは一礼し、背筋を伸ばして口を開く。
「こちらのギースから、森に魔族が出たとの報告を受け、すぐに救援に向かいました。
現場は……焦土でした。森一帯が焼け落ち、その中心で魔族と思しき男と、こちらのバトーが戦闘をしていました。」
ベックが目を細め、無言で頷く。ティアナは言葉を続けた。
「魔族は異常な強さでした。ですが、バトーは互角に戦っていました。
私たちは、下手に手を出せば逆に邪魔になると判断し、後方で状況を見守っていました。
結果として、魔族は撤退。追撃は不可能と判断し、ここへ戻ってきました。」
静かな沈黙。
ベックは机の上に組んでいた両手をゆっくりとほどき、ティアナの方を見て軽く頷く。
「……分かりました。ご苦労だったね、ティアナ君。」
そして、その視線がバトーへと向けられる。
優しい目元のまま、しかし確かな鋭さを宿した瞳だった。
「それで――バトー君、でしたね?」
バトーは小さくうなずく。
「はい。」
「君は何者ですか?
魔族と一対一で互角に渡り合える人間など、そう多くはない。
その強さ……どこで得たんです?」
バトーは少しだけ目を伏せ、椅子の背にもたれかかった。
部屋に再び沈黙が落ちる。
ティアナも息を呑んだまま、ベックの反応をうかがっている。
「それともう一つ。君は――どこから来た?」
穏やかな声。
だが、その中に探るような、わずかな緊張が混ざっていた。
バトーは深く息を吸い、ゆっくりと吐き出した。
「あー……そうだな。話しても、信じてもらえそうにないが……」
「信じるかどうかは分かりませんが、ここだけの話として聞きますよ。」
ベックの声は穏やかだが、その奥には確かな真剣さがあった。
「……分かりましたね、皆さん。」
ティアナとギースが姿勢を正し、同時に「はい」と答える。
空気が張りつめたまま、バトーは言葉を選ぶようにゆっくりと口を開いた。
「どこから話すか……そうだな。信じてもらえるか分からないが……
俺は――八十年後の未来から来た。」
「……未来?」
ティアナが小さくつぶやく。
バトーはうなずき、淡々と続ける。
「未来の世界で、俺は“ある賢者”に拾われた。
その賢者の下で、ありとあらゆる修行を積んだ。
そして、最後に託されたんだ。“時間魔法”――過去へ戻る術を。」
彼の声には誇張も迷いもなかった。ただ、静かな確信だけがあった。
「八十年後、人間は滅びかけていた。
原因は――魔族だ。
あいつらは大軍を率いて、王国を、世界を侵略し尽くし、文明を焼き払い……
人間はもう、数えるほどしか生き残っていなかった。」
ティアナが目を見開く。ギースは言葉を失い、拳を強く握りしめていた。
「そして、その全ての始まりが――今から二十五年後。
魔族たちは、このセルワース伯爵領を拠点に“大侵攻”を始める。
だから俺は、ここに来た。
未来を変えるために。」
バトーは視線をベックに向け、静かに問う。
「……信じるか?」
一瞬、誰も息をしていないような沈黙が流れた。
ティアナの喉が小さく鳴る。ギースはただ、バトーの横顔を見つめていた。
そして――ベックは目を閉じ、香草茶をひと口すする。
その仕草には焦りも動揺もない。
ただ、長い経験を積んだ者だけが持つ、重みのある静寂だった。
ベックは腕を組み、深くうなずいた。
その目には、信じがたい話を前にしてもなお、現実を見極めようとする冷静さがあった。
「ええ……正直、信じられません。」
彼は苦笑しながらも、真っ直ぐにバトーを見つめる。
「ですが――魔族が実際に現れたという事実、そして君の戦闘力を見た者が複数いる。となると、信じざるを得ませんね。」
ティアナとギースが顔を見合わせ、息を飲む。
ベックは一度視線を落とし、机上の書類を軽く整えながら、静かに続けた。
「……幾つか質問しても?」
「どうぞ。」
バトーは落ち着いた声で答える。
「まずひとつ。なぜ“二十五年後”ではなく、“今”に来たのですか?」
短い沈黙のあと、バトーはゆっくりと口を開いた。
「二十五年後には、もう遅いからだ。」
ベックの眉がわずかに動く。
「二十五年後――セルワースはすでに魔族の拠点になっている。
街も森も、すべてが黒い霧に覆われていた。
俺ひとりの力ではどうしようもなかったし、仲間を集めて挑むにしても……多くの犠牲が出る。
だから、もっと前に遡った。
魔族がセルワースを水面下で侵食し始める“最初の時期”を狙ってな。」
ティアナが小さく息を呑む。
「……その“最初の時期”が、今……ということ?」
「ああ。」バトーはうなずく。
「師匠が集めた記録では、最初の目撃情報はそこから二十五年前――このセルワース周辺だった。
“森の奥で魔族を見た冒険者がいた”と。」
ギースがハッと目を見開く。
「……まさか、その冒険者って……俺?」
バトーはちらりとギースに視線を向け、わずかに笑う。
「そうだ。お前だ、ギース。」
室内に静寂が落ちる。
ギースは信じられないという顔で口を開きかけたが、言葉にならない。
「つまり、俺がその“最初の目撃者”ってことか……」
「そういうことになる。」
ベックは椅子の背にもたれ、深く息をついた。
「……なるほど。そういう理屈なら、筋は通りますね。」
その声音には、驚きよりもむしろ“理解”があった。
「ふむ……では次に聞きたい。未来では、その“賢者”という人物――君に時間魔法を授けた者は、どんな存在なのです?」
と、ベックは身を乗り出す。
ティアナとギースも思わずバトーを見る。
「名前はベルディス。80年後は老人だったが…今は若いんじゃないかな?良く知らないが。凄い魔法使いだ。そして剣や体術も一流で強い。ずっと魔族と戦い続けていたらしい。」
執務室の空気が一段と静まり返った。
窓の外では陽が傾き、赤く染まる光が室内の木の机を照らしている。
バトーの言葉に、ベックはしばらく沈黙したまま目を閉じ、指先で湯気の立つカップを軽く叩いた。
「……なるほど。ベルディス、ですか。」
低く、しかし柔らかい声で呟く。
「私もその名は聞いたことがないな。少なくとも今の時代では、有名な魔法使いではない。」
ティアナが小さく首を傾げる。
「ですが……そのベルディスという方、未来では“賢者”と呼ばれるほどの人物なのですよね?」
バトーはうなずく。
「そうだ。80年後の世界で、魔族と戦い続けていた唯一の人間だった。
俺が生き延びられたのも、あの人の修行のおかげだ。」
ギースが腕を組み、ぽつりと呟く。
「……そいつ、化け物みてぇな師匠だな。あんたもよく生きて帰ってこれたな。」
「地獄のような修行だったよ。」
バトーは苦笑しながらも、どこか懐かしそうに言う。
「剣も体術も、そして魔法も徹底的に叩き込まれた。だが――それでも、ベルディスは“まだ足りん”と言っていた。」
「まだ足りん、ですか……」
ベックが微かに笑う。
「随分と厳しい方のようですね。」
バトーはわずかに肩をすくめ、今度は少し真面目な声になる。
「何故冒険者になったんですか?
ギースに近づく為?」
「いや、ギースに近づくためじゃない。こっちに来てすぐ、偶然ギースと出会った。
冒険者になったのは――肩書きが欲しかったからだ。
何も持たない“よそ者”じゃ、どこへ行くにも疑われる。
冒険者なら身分証にもなるし、自由に動ける。」
ティアナが静かに頷いた。
「確かに、ギルドの証は身元保証にもなりますね。」
「そうだ。」
バトーは全員を見渡す。
「……こうして話をしたのは、ベックさん、ティアナ達、そしてギース――
あんたたちを信用しているからだ。
だが、どうかこの話は口外しないでほしい。」
一瞬、誰も言葉を発しなかった。
バトーの目には、冗談ひとつない真剣さが宿っている。
「未来の話なんて信じられない、そう思われてもいい。
だがもし広まれば、“怪しい男”として扱われるかもしれない。
それに、悪意ある貴族に利用される危険もある。
力は、人を狂わせるからな。」
沈黙。
やがて、ベックが深くうなずいた。
「……分かりました。君の言葉、信じましょう。
ここにいる者たちは皆、口が堅い。外に漏らすようなことはしません。」
ティアナとギースも、力強く頷いた。
「誓います。」とティアナ。
「俺も絶対に言わねぇ。」とギース。
ベックは穏やかに笑みを浮かべ、静かに言葉を添える。
「バトー君。君は、我々の時代に現れた“希望”なのかもしれませんね。」
バトーは小さく息を吐き、わずかに微笑んだ。
「希望かどうかは分からないが……できることはやるつもりだ。」
──そして、部屋の外では、街の鐘が静かに鳴り始める。
セルワースの一日が暮れようとしていた。
空は茜色に染まり、焦げた森の匂いがまだ風に混じっている。
ティアナがバトーの隣に並び、静かに口を開いた。
「そういえば……ギルドマスターに報告する前に、彼のことを話しておいた方がいいわね。」
「ギルドマスターって、どんな人なんだ?」
とバトーが尋ねる。
「名前はベック・セルワース。セルワース伯爵家の三男よ。」
「伯爵家? 貴族がギルドに?」
ギースが目を丸くする。
「そう、でも彼自身は昔、伯爵の名を隠して冒険者をやっていたの。貴族なんて関係なく、自分の腕で生きたいって言ってね。」
ティアナはどこか懐かしそうに微笑んだ。
「若い頃はミスリル級の冒険者でね。今の私達の先輩にあたるわ。十数年前、結婚を機に引退して、ギルド職員になったの。」
「ふむ。引退した元冒険者がマスターってのは珍しくないが……伯爵家とは。」
ギースが感心したように腕を組む。
ティアナは少し声を潜めた。
「その後、当時のギルドマスターが横領していたのを暴いて、伯爵家の名を明かして追い出したの。だから今のギルドはかなり健全よ。」
「つまり、“筋の通った人”ってわけか。」
バトーが呟くと、ティアナはうなずいた。
「ええ。現場上がりのたたき上げで、冒険者の気持ちが分かる人。私達のような現場の声にも耳を貸してくれる。」
そして少し笑いを浮かべて言った。
「ただし、怒らせると怖いわよ。筋が通らないことを一番嫌うから。」
「はは……それは気をつけよう。」
バトーは軽く頭をかきながら苦笑する。
そんな話をしながら、彼らはセルワースの街の門をくぐった。
夜の灯がともり、石畳を照らす光の中で、ティアナの銀の鎧が柔らかく反射していた。
――そして、一行は冒険者ギルドの重厚な扉の前に立つ。
ギルドの重たい扉を開けた瞬間、怒号のような喧騒が耳を打った。
臨時召集された冒険者たちで、ホールは人で溢れかえっている。
鎧の金属音、酒の匂い、焦燥と好奇心の入り混じったざわめきが渦巻いていた。
「おいティアナさん! 魔族はどうなった!?」
受付近くで職員の一人が声を張る。
ティアナは静かに振り返り、短く答えた。
「逃げたわ。……今からマスターに報告する。もう解散していいわよ。」
「だとさー! おい皆、解散だ! 飲みに行くぞー!」
と、ベテラン冒険者の一人が声を上げる。
「おおおーっ!」
一斉に歓声が上がり、場の緊張が一気にほどける。
テーブルが叩かれ、笑い声が弾けた。
恐怖の直後の安堵――これが冒険者という生き物か、とバトーは思う。
「ほんと、元気な連中ね。」
ティアナがため息をつきながらも口元をゆるめた。
ギースが笑いながら肩をすくめる。
「ま、無事だったんだ。飲まなきゃやってらんねぇだろ。」
その喧騒の中、ティアナがバトーとギースを手招きした。
「行きましょう。ギルドマスターが待ってる。」
「おう。」
バトーはうなずき、2人の後ろについて歩き出す。
奥の階段を上がると、途端に静寂が訪れた。
下の騒々しさが嘘のように、廊下は冷たい空気に包まれている。
ギルドの重鎮だけが通される一室――ギルドマスター室の扉の前に、彼らは立った。
ギルドの執務室に通されたティアナとバトー。
重厚な木の扉を開けると、室内には温かい香草茶の香りが漂っていた。
机の向こうには、白髪交じりの中年の男が穏やかな笑みを浮かべて座っている。
その男――ギルドマスターのベック・セルワースは、優しげな目元に深い皺を刻みながらも、どこか品のある佇まいをしていた。
年の頃は四十代半ばほど。
鍛えられた体つきだが、威圧感はまるでなく、むしろ話しかけやすい雰囲気を漂わせている。
「ティアナ君。まずは君から報告を聞かせてもらえるかな」
柔らかい声。
敬語でありながら、どこか家族に話しかけるような温かさがあった。
ティアナは一礼し、背筋を伸ばして口を開く。
「こちらのギースから、森に魔族が出たとの報告を受け、すぐに救援に向かいました。
現場は……焦土でした。森一帯が焼け落ち、その中心で魔族と思しき男と、こちらのバトーが戦闘をしていました。」
ベックが目を細め、無言で頷く。ティアナは言葉を続けた。
「魔族は異常な強さでした。ですが、バトーは互角に戦っていました。
私たちは、下手に手を出せば逆に邪魔になると判断し、後方で状況を見守っていました。
結果として、魔族は撤退。追撃は不可能と判断し、ここへ戻ってきました。」
静かな沈黙。
ベックは机の上に組んでいた両手をゆっくりとほどき、ティアナの方を見て軽く頷く。
「……分かりました。ご苦労だったね、ティアナ君。」
そして、その視線がバトーへと向けられる。
優しい目元のまま、しかし確かな鋭さを宿した瞳だった。
「それで――バトー君、でしたね?」
バトーは小さくうなずく。
「はい。」
「君は何者ですか?
魔族と一対一で互角に渡り合える人間など、そう多くはない。
その強さ……どこで得たんです?」
バトーは少しだけ目を伏せ、椅子の背にもたれかかった。
部屋に再び沈黙が落ちる。
ティアナも息を呑んだまま、ベックの反応をうかがっている。
「それともう一つ。君は――どこから来た?」
穏やかな声。
だが、その中に探るような、わずかな緊張が混ざっていた。
バトーは深く息を吸い、ゆっくりと吐き出した。
「あー……そうだな。話しても、信じてもらえそうにないが……」
「信じるかどうかは分かりませんが、ここだけの話として聞きますよ。」
ベックの声は穏やかだが、その奥には確かな真剣さがあった。
「……分かりましたね、皆さん。」
ティアナとギースが姿勢を正し、同時に「はい」と答える。
空気が張りつめたまま、バトーは言葉を選ぶようにゆっくりと口を開いた。
「どこから話すか……そうだな。信じてもらえるか分からないが……
俺は――八十年後の未来から来た。」
「……未来?」
ティアナが小さくつぶやく。
バトーはうなずき、淡々と続ける。
「未来の世界で、俺は“ある賢者”に拾われた。
その賢者の下で、ありとあらゆる修行を積んだ。
そして、最後に託されたんだ。“時間魔法”――過去へ戻る術を。」
彼の声には誇張も迷いもなかった。ただ、静かな確信だけがあった。
「八十年後、人間は滅びかけていた。
原因は――魔族だ。
あいつらは大軍を率いて、王国を、世界を侵略し尽くし、文明を焼き払い……
人間はもう、数えるほどしか生き残っていなかった。」
ティアナが目を見開く。ギースは言葉を失い、拳を強く握りしめていた。
「そして、その全ての始まりが――今から二十五年後。
魔族たちは、このセルワース伯爵領を拠点に“大侵攻”を始める。
だから俺は、ここに来た。
未来を変えるために。」
バトーは視線をベックに向け、静かに問う。
「……信じるか?」
一瞬、誰も息をしていないような沈黙が流れた。
ティアナの喉が小さく鳴る。ギースはただ、バトーの横顔を見つめていた。
そして――ベックは目を閉じ、香草茶をひと口すする。
その仕草には焦りも動揺もない。
ただ、長い経験を積んだ者だけが持つ、重みのある静寂だった。
ベックは腕を組み、深くうなずいた。
その目には、信じがたい話を前にしてもなお、現実を見極めようとする冷静さがあった。
「ええ……正直、信じられません。」
彼は苦笑しながらも、真っ直ぐにバトーを見つめる。
「ですが――魔族が実際に現れたという事実、そして君の戦闘力を見た者が複数いる。となると、信じざるを得ませんね。」
ティアナとギースが顔を見合わせ、息を飲む。
ベックは一度視線を落とし、机上の書類を軽く整えながら、静かに続けた。
「……幾つか質問しても?」
「どうぞ。」
バトーは落ち着いた声で答える。
「まずひとつ。なぜ“二十五年後”ではなく、“今”に来たのですか?」
短い沈黙のあと、バトーはゆっくりと口を開いた。
「二十五年後には、もう遅いからだ。」
ベックの眉がわずかに動く。
「二十五年後――セルワースはすでに魔族の拠点になっている。
街も森も、すべてが黒い霧に覆われていた。
俺ひとりの力ではどうしようもなかったし、仲間を集めて挑むにしても……多くの犠牲が出る。
だから、もっと前に遡った。
魔族がセルワースを水面下で侵食し始める“最初の時期”を狙ってな。」
ティアナが小さく息を呑む。
「……その“最初の時期”が、今……ということ?」
「ああ。」バトーはうなずく。
「師匠が集めた記録では、最初の目撃情報はそこから二十五年前――このセルワース周辺だった。
“森の奥で魔族を見た冒険者がいた”と。」
ギースがハッと目を見開く。
「……まさか、その冒険者って……俺?」
バトーはちらりとギースに視線を向け、わずかに笑う。
「そうだ。お前だ、ギース。」
室内に静寂が落ちる。
ギースは信じられないという顔で口を開きかけたが、言葉にならない。
「つまり、俺がその“最初の目撃者”ってことか……」
「そういうことになる。」
ベックは椅子の背にもたれ、深く息をついた。
「……なるほど。そういう理屈なら、筋は通りますね。」
その声音には、驚きよりもむしろ“理解”があった。
「ふむ……では次に聞きたい。未来では、その“賢者”という人物――君に時間魔法を授けた者は、どんな存在なのです?」
と、ベックは身を乗り出す。
ティアナとギースも思わずバトーを見る。
「名前はベルディス。80年後は老人だったが…今は若いんじゃないかな?良く知らないが。凄い魔法使いだ。そして剣や体術も一流で強い。ずっと魔族と戦い続けていたらしい。」
執務室の空気が一段と静まり返った。
窓の外では陽が傾き、赤く染まる光が室内の木の机を照らしている。
バトーの言葉に、ベックはしばらく沈黙したまま目を閉じ、指先で湯気の立つカップを軽く叩いた。
「……なるほど。ベルディス、ですか。」
低く、しかし柔らかい声で呟く。
「私もその名は聞いたことがないな。少なくとも今の時代では、有名な魔法使いではない。」
ティアナが小さく首を傾げる。
「ですが……そのベルディスという方、未来では“賢者”と呼ばれるほどの人物なのですよね?」
バトーはうなずく。
「そうだ。80年後の世界で、魔族と戦い続けていた唯一の人間だった。
俺が生き延びられたのも、あの人の修行のおかげだ。」
ギースが腕を組み、ぽつりと呟く。
「……そいつ、化け物みてぇな師匠だな。あんたもよく生きて帰ってこれたな。」
「地獄のような修行だったよ。」
バトーは苦笑しながらも、どこか懐かしそうに言う。
「剣も体術も、そして魔法も徹底的に叩き込まれた。だが――それでも、ベルディスは“まだ足りん”と言っていた。」
「まだ足りん、ですか……」
ベックが微かに笑う。
「随分と厳しい方のようですね。」
バトーはわずかに肩をすくめ、今度は少し真面目な声になる。
「何故冒険者になったんですか?
ギースに近づく為?」
「いや、ギースに近づくためじゃない。こっちに来てすぐ、偶然ギースと出会った。
冒険者になったのは――肩書きが欲しかったからだ。
何も持たない“よそ者”じゃ、どこへ行くにも疑われる。
冒険者なら身分証にもなるし、自由に動ける。」
ティアナが静かに頷いた。
「確かに、ギルドの証は身元保証にもなりますね。」
「そうだ。」
バトーは全員を見渡す。
「……こうして話をしたのは、ベックさん、ティアナ達、そしてギース――
あんたたちを信用しているからだ。
だが、どうかこの話は口外しないでほしい。」
一瞬、誰も言葉を発しなかった。
バトーの目には、冗談ひとつない真剣さが宿っている。
「未来の話なんて信じられない、そう思われてもいい。
だがもし広まれば、“怪しい男”として扱われるかもしれない。
それに、悪意ある貴族に利用される危険もある。
力は、人を狂わせるからな。」
沈黙。
やがて、ベックが深くうなずいた。
「……分かりました。君の言葉、信じましょう。
ここにいる者たちは皆、口が堅い。外に漏らすようなことはしません。」
ティアナとギースも、力強く頷いた。
「誓います。」とティアナ。
「俺も絶対に言わねぇ。」とギース。
ベックは穏やかに笑みを浮かべ、静かに言葉を添える。
「バトー君。君は、我々の時代に現れた“希望”なのかもしれませんね。」
バトーは小さく息を吐き、わずかに微笑んだ。
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セルワースの一日が暮れようとしていた。
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世界を救ってしまう(予定)のお話である。
家ごと異世界転移〜異世界来ちゃったけど快適に暮らします〜
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都内の2LDKマンションで暮らす30代独身の会社員、田中健太はある夜突然家ごと広大な森と異世界の空が広がるファンタジー世界へと転移してしまう。
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唯一無二のマスタースキルで攻略する異世界譚~17歳に若返った俺が辿るもう一つの人生~
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31歳の事務員、椿井翼はある日信号無視の車に轢かれ、目が覚めると17歳の頃の肉体に戻った状態で異世界にいた。
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