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第1章

第4話 提案

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 体に残っていた鈍い痛みが目覚まし時計代わりになったのか、ジーナは静かに目を開けた。煤けた茶色い天井と蛍光灯しか存在しない殺風景な景色が彼女の目に入ると、ジーナは自分の身に何が起こったのかをボンヤリと思い出し始める。最後に見た記憶を思い出した時、ジーナは慌てて周囲を確認する。ボスであるエドワードの邸宅や自分が暮らしていた団地の一室とも違う雑多に溢れた縦長な小部屋のソファ―で自分が寝ていた事に気づいた。

 痛みを我慢しつつゆっくりと起き上がり、自分の体に巻かれた包帯を見つめる。この包帯と痛みこそが恩人や仲間の死を現実であると知らしめる何よりの証拠であった。ジーナは静かに拳を握りしめ、不甲斐なさや屈辱に耐えるしかなった。

 しばらくするとソファ―の隣にあるドアが勢いよく開き、一人の女性が入ってきた。分厚そうな上着を腰に巻いており、金髪をポニーテールにして纏めている。彼女はジーナを見ると、安心したような顔をして近づいてきた。

「お目覚め?見たところ特に問題は無さそうね」

 女性はにこやかにそう言うと冷蔵庫を空け、瓶に入ったコーラを二本取り出す。栓抜きで蓋を外し、軽く喉に流し込むともう一本をジーナに渡した。

「どうぞ。ところでお腹は空いてない?残り物で良ければあるわよ」

 ジーナは必要無いと答えようとしたが、それよりも早く腹が鳴ってしまい照れくさそうに女性から顔を背けた。

「フフ…すぐに用意するからちょっと待ってて。そうだ自己紹介がまだだったわね、私はレイチェル。レイチェル・フィリップス。あなたは?」
「ジーナ…ジーナ・クリーガァ」
「へ~良い名前ね」

 そんなやり取りをした後、レイチェルは冷蔵庫から皿を取り出した。軽く油を引いたフライパンを温め、皿に入っていた残り物を放り込んで炒めていく。少しすると皿に盛ってフォークと一緒にテーブルに置いた。

「どうぞ、朝食で余った卵と粉チーズのスパゲティよ」
レイチェルはそう言いながら、微笑むと椅子に腰かけた。

 ジーナは椅子に座ってフォークを手に取ると、恐る恐るスパゲティを頬張った。調味料やチーズの塩気と卵のまろやかさが口の中に広がり、いくらでも食べたくなる美味しさである。空腹も相まって一皿をあっという間に平らげてしまったジーナはコーラを飲み干して軽く溜息をついた。

「…ありがとう、美味しかった」

 ジーナは少し笑みを浮かべながらレイチェルにお礼を言った。レイチェルはそんなジーナに対して笑顔で返す。

 再びドアが勢いよく開くと、コートを羽織った男が入ってきた。無精髭を生やし、ライフルを担いでいるその男は壁にライフルを立て掛けるとコートを脱いでソファーに放った。

「美味かっただろ?俺の好物なんだ。」

 男は皿を指さしながら笑顔でジーナに言った。男は顔を近くに置いてあった新聞で暑そうに煽りながら台所へ向かう。コップに水を入れ一気に飲み干すとテーブル越しの席に座った。

「シモン・スペンサーだ。まあ、命の恩人ってとこだな」

 そう言うと男は握手を求めるようにジーナの前に手を差し出してきた。ジーナは怪しむものの、拒否する理由も無かったので渋々握手に応じる。握手を終えたシモンは彼女に対してどう切り出して良いのか分からないといった様子でテーブルに置いてあった銃弾を弄りながら暫し沈黙した。

「その…あんたのお仲間の事については残念だった」
シモンは申し訳なさそうな表情を浮かべつつジーナに言った。

「本当に私以外には誰も…?」
「もしいたとしたらあんたと一緒に此処に連れてきてたさ」

 シモンはジーナから目を反らしつつ質問に答えた。その顔はどこか寂しさと悲しみを帯びており、発言が嘘ではない事を彼女に悟らせた。

「ねえ、その時、キッチンにザーリッド族の男がいなかった?ちょっと歳を食ってて、緑色の鱗がある…」

 不意にジーナはカルロの安否を知りたくなり、シモンに捲し立てた。生存しているとは思ってないが、せめて自分が見た彼の壮絶な最期だけは嘘であって欲しかったのだ。そんな彼女を見たシモンは顔をさらに曇らせながら口を開いた。

「…ああ、いたよ。だけど…あの…聞かない方が良い」
「教えて」
「分かった…酷いもんだった。頭蓋骨を砕かれてたみたいでな、顔中から血が噴き出してたよ。目玉も飛び出ちまってた…銃を握りしめてたのを見るに最後まで抵抗して、生きたまま頭を潰されたんだろうな。…俺に考えられる限りでは最悪の部類に入る死に方だ」

 話を聞き終えたジーナは黙り込んでしまった。襲撃した犯人たちの素性やこれからの事など暗闇に取り残されたような孤独感と不安が彼女に圧し掛かる。感情や疑問の整理で精一杯になりつつあった彼女はただ俯いたまま一言もしゃべらなくなった。

「なんだか話し声が聞こえると思ったら、起きたのか客人」

 耐えがたい沈黙を破ったのは、台所の奥にある寝室と思われる部屋から現れた一人のザーリッド族の青年だった。藍色のランニングシャツを身に付け、細く締まった体を包む黒い鱗が蛍光灯の光に反射していた。

「ジーナ、こいつの名前はセラム。俺と一緒にお前を運ぶのを手伝ってくれた仕事仲間だ。」
シモンは雰囲気を変えられると考えたのか、彼の紹介をした。

「セラム・ビキラ。よろしく」

 ザーリッド族の青年は軽く挨拶をしながら、冷蔵庫を開けた。しかし、すぐに冷蔵庫を閉めると不思議そうにレイチェルを見た。一方のレイチェルはしまったとでも言いたげな苦笑いを浮かべる。

「…なあ、朝食を残してくれてたんじゃなかったのか?」
「ごめん、たぶん私が食べちゃった…」

 セラムのが言い終えるや否やジーナは申し訳なさそうに言った。セラムはテーブルに置かれた空っぽの皿を見て少しびっくりした様子だったが、悪気が無いと分かったのか、すぐに平静を取り戻した。

「構わない。死にかけていた客人に空腹を我慢させるほど俺も鬼じゃないさ。」

 セラムは優しい口調でそう言った。とは言っても表情は絵に描いたような仏頂面だったため、真意は定かではなかった。

「よし、とりあえず話を戻してもいいか?」

 シモンはそう言いながら戸棚へ行き、一枚の封筒を持ってくる。そして乾いた血液が付着しているその封筒を彼女の前へ差し出した。

「お前も混乱しているのは分かる。だけど事態は思ってたよりも切羽詰まってるみたいなんだ。そこでなんだが…俺達と組まないか?」

 彼から発せられた言葉の意味をジーナはすぐに理解できなかった。彼女だけではない。セラムとレイチェルでさえこの男は何を言い出してるんだと言わんばかりに彼を見ていた。恐らく彼らに相談すらしていなかったんだろうとジーナは考えつつ、再びシモンへと目をやった。

「助けてもらった事は感謝している。だけど意味が分からない。何で私があなた達と?」
ジーナはシモンに聞き返した。

「シモン、急に何を言い出すかと思ったら…気は確かか?」
「大切な物を失って、自分も殺されかけて落ち込んでいる子をいきなり勧誘って…どんな神経してるのよ」

案の定、彼の仲間達からも非難の声が上がった。

「ま、まあ待ってくれって。ちゃんと理由を話させてくれよ…」

 シモンにとっては周りからの反応が予想外だったというわけでも無かったらしく、慌てて取り繕いつつ封筒から一枚の紙きれを取り出した。所々に血が滲んではいるが、そこには地図が描かれており、端の方に短い文章が添えられていた。

「これを見てくれ…今から2日後にこの地図に描かれてる目的地に行って依頼を受けるようになっている。ここからだと距離もあるからな。とにかく急がないといけないんだ」

 シモンは地図と文章を指でさしながら説明をする。3人は紙きれを覗き込みつつ彼の話に耳を傾けていた。

「急がないといけないのは分かったけど、私と組みたがっている理由にはなってないわよ」
ジーナは話を遮るように彼に言った。

「それについてだが、質問がある。あんたはこの封筒を誰に渡された?」
「誰って私のボスだけど…」
「エドワード・ライクの事で間違いよな?」
「…ええ。」
彼女のボスの名前を確認したシモンは再び話を始める。

「…俺とあの人は昔の職場の上下関係にあった。あの爺さんから頼みがあると連絡が入ったからあそこへ俺は現れたんだ」

 躊躇いとも取れるような間を挟みながらシモンはエドワードとの関係を話す。ジーナはレイチェルの方を見るが、「私も手紙を見たから間違いない」と返された。

「ここには依頼の詳細について何も書かれてないんだ。恐らくだが、本当は会ってから詳しい説明をしたかったんだろう。だが、襲撃のせいでそれは出来なかった。とにかくすぐに向かう必要がある。君がもし奴らに仕返しをしてやりたいと考えるなら、これは決して悪い話じゃないはずだ」

 シモンはジーナを見つめながらそう言った。ジーナは彼の言葉に少し戸惑いつつも話を聞き続ける。

「あの連中は爺さんが持っている情報を欲しがって襲撃をしたはずだ。もしこの紙きれがそれだとしたら俺達がこの件に首を突っ込んでいれば必ず会う事になる。そうすれば仕返しをする機会も訪れるってわけだ。どうだ?」
「待て、何でそうだと思うんだ?偶然かもしれないだろ」

 シモンが自分の考えを説明している最中、セラムが彼に疑問を呈する。しかし、そんな彼の質問に答えたのは意外にもジーナであった。

「待って、確か私が現場に来た直後に襲撃の確認をしに来たっていう奴に会ったの。あいつらは情報を集めてたって言ってて、最初から私やボスの事を知ってた上で仕掛けた様な言い方だった…ボスは確かに恨みを買う様な事はしていたけど、あんな連中と関係を持ってたなんて話は聞いたことない」

 ジーナの意見を聞いたシモンはほんの一瞬だけ険しい表情をした。そして少し考えるかのように黙ると再び話を切り出した。

「なるほど…生き残りや、或いは他の理由から不安に思ったそいつらの親玉が直接確認に行ったところ彼女に遭遇したって流れだな。なあジーナ、確認に来たって奴の見た目を覚えていたりしないか?」
「ああ…確かスーツを着てた。歳はたぶん中年ぐらいで、後は…そうだ白髪だった」
「…そうか」

 シモンはそんなやり取りをジーナとした後、自分の左腕を見ながら軽く擦った。そしてジーナを見ながら軽く溜息をつく。少しするとジーナに対して話し出した。

「もし、俺達に協力してくれるのなら知ってる事を話そう。…たぶんそいつは俺も知ってる奴だ」
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