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第6章

第45話 鉄槌

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 ジーナによって砕かれた顎を即座に再生したサッチは満足げな笑みを浮かべながら口に溜まった血を吐いた。遠くから援護をしようとしたライフルを構えようとしたシモンだったが、頭上からの乱入によって目論見は失敗に終わった。サッチの側近がミュルメクスによって生み出された翼で下降し、シモン目掛けて蹴りを放ったのである。その後に変形した腕で彼を捕縛して近くの民家へと恐ろしい怪力で放り投げた。その場にいた者達も思わず距離を取るが、側近は彼らを気に留める事も無くシモンの元へと向かう。恐ろしい速さの飛行であった。

「あいつを助けてやってくれ」

 銃撃戦が始まろうとした直前にグルームの元へ近づいたセラムは、彼にそう頼み込んでからサッチの側近を追いかけさせた。そして付近の障害物へ隠れてから気を伺おうと戦況を覗く。

 セラムが見ている先で、ジーナとサッチは壮絶な殴り合いを繰り広げていた。防御や返しなどといった行為を一切行わず、真っ向から叩き潰してこようとするサッチに対してジーナは攻撃を防ぎつつ必死に隙を見ては殴り返す。一見互角に見える有様であったが、肉体のダメージを修復できるサッチを前に、ジーナは少しづつ消耗していった。

 外でそのような戦いが起きている最中、シモンは全身の痛みを必死に我慢しながら起き上がるが、すぐに追撃が始まった。サッチの側近は家に突入して彼を見つけると、両腕を叩きつけながら襲い掛かる。ライフルは先ほどの奇襲の際に落としてしまい、拳銃では歯が立ちそうにもない。アルタイルを撃つ暇も無いと判断したシモンは必死に二階へと逃げおおせた。しかし、不利な立場にあるという状況は変わらず、咄嗟にドアを閉めて近くにあったベッドを触手で絡めとってからドアの前に寄りかからせた。

(窓から逃げるか…?)

 そう思っていた直後、ベッドが勢いよくこちらへ飛んできた。部屋に入ろうとしていた側近がドアが開かないとみるや、変化した腕を使って力づくで殴り飛ばしたのである。

「やべ」

 素っ頓狂な反応と共にシモンはベッドと激突し、背後にあった窓を突き破って外へ投げ出される。反射的に触手を出してから窓の縁を掴ませたことによって地面との激突は避けられたが、すぐに二階の壁が壊された事で掴む場所が無くなってしまい、植木の上に落下した。

「便利屋!」

 民家へ入ろうとしていたグルームが駆け寄って来ると、困惑した様子で引き起こした。事情を聴く間もなくサッチの側近が飛び降りてきてしまい、急いでグルームは肩に担いでいたライフルをシモンに手渡した。

「まだやれそうか?」
「…勿論」

 具合を尋ねて来るグルームに対して、シモンは何とか平常を振舞いながら応える。こうして対峙する準備が出来たシモンとグルームは改めて敵へと向き直った。

 ジーナはサッチの攻撃によって彼の部下である兵士達ごと吹き飛ばされた。グリポット社の傭兵はチャンスと見たのか、一斉に攻撃を開始する。サッチの部下達も、慌てて付近の建物の陰に隠れるなどして応戦を始めた。セラムは二人による殴り合いが激化しているのを確認してから弾丸の飛び交う住宅の間を駆け抜けていく。途中彼を狙おうとする者達もいたが、持っていた煙幕や武器を駆使して切り抜けていった。

 物騒な大立ち回りが繰り広げられている屋外を窓から老人はコッソリ眺めていた。なるべく巻き込まれないようにしようと身を屈めながら家の奥へと逃げ込もうとした瞬間、扉が破壊されて一人の大柄なノイル族の女性が転がった。それからすぐに彼女よりも一回り大きい体躯の男が現れ、追い討ちをかけようとするが、彼女はすんでのところで躱してから起き上がった。床に風穴が空いているのを見た老人は、血の気が引いていき、パニックによっておぼつかない足取りで逃げて行った。

「どうした?息が上がってるぞ」
「黙れ…!」

 どれだけ殴られようがケロリとしているサッチにジーナは腹立たしさを覚えていたが、対抗手段を持ち合わせていない事もあってか妙な無力感を感じ始める。再びサッチから拳による連撃が始まるが、防戦が続くばかりで状況は好転しなかった。当然、反撃も試みるが大して意味を成さず、体力を無駄にするばかりである。今度こそと顔に一発当てたつもりだったが、それさえもサッチによって抑えられていた。

 その時、窓ガラスが勢いよく割れてセラムが乱入してくる。窓の近くにいたサッチは咄嗟に左腕で裏拳をするが躱されてしまい、セラムがデリンジャーから解毒剤の込められた弾丸を発射するのを許してしまう。放たれた弾丸は首筋に命中し僅かに血で傷口が滲んだ。

「何しやがったテメェ!!」

 邪魔をされたサッチがセラムに叫び、気を取られた瞬間をジーナは見逃さなかった。すぐさま拳を振り払って腕を掴んで無理やり伸びきらせる。そして肘が伸びきった瞬間に拳を全力で打ち込んだ。人体において曲がってはいけない方向へと腕が折れ、サッチが怯んだ瞬間にジーナは後ろ回し蹴りを脇腹へかます。大きく後ずさりしたサッチは激痛の走る腕を修復しようとしたが、思うように再生が出来なくなっていた。その間にもジーナはサッチを攻め立てていく。

(後は…好きにしろ)

 即効性にたまげつつも、セラムはそう思いながらジーナに目配せをした。ましてや彼女の復讐心を止めるようなことをするつもりなど毛頭なかった。片腕を使えなくなり、肉体へのダメージをを回復させる事も出来ないサッチは、次第に攻撃への対処が出来なくなっていった。ドロップキックを喰らって窓を突き破った後に地面に投げ出されたサッチは、追いかけるようにしてやって来たジーナが馬乗りになってくると、次に起こる出来事を想像して身の毛がよだつと同時に興奮した。

「うああぁぁぁ!!!」

 ジーナはとち狂いながらサッチの顔面を殴り始めた。父親の仇としての憎悪と、今この場で始末しなければ再び同じ様に狙われるかもしれないという恐怖が彼女の暴虐を正当化していた。顔面や首などを延々と殴り続け、サッチの顔や自身の拳に身に付けていたタウラスも血で染まり始めた。一度だけ、サッチは反撃しようと折れていない左腕を動かそうとしたがすぐに抑えられてしまう。サッチの左腕を抑えながらジーナは引き続き拳を振るい、その追い討ちはとどまるところを知らなかった。

 サッチは滅多打ちにされ追い込まれていくという久々の快感に身を委ねて、ひたすらに悦んでいた。「喧嘩相手が欲しい」という理由でディバイダ―ズを尋ね、訳の分からない寄生虫を体には宿させたが、そのせいで死なない体を手にしてしまった事が自分にとっての不幸であった。

 天性のタフさと怪力が合わさり、歯止めが利かなくなった事でますます喧嘩相手に困る事になった。しかし、ようやく自分を真正面から殺してくれそうなほどの気概と強さを持っている者が現れたのが何より嬉しかったのである。今となっては謎の細工をして只の人間に戻してくれたらしいザーリッド族の男にさえサッチは感謝していた。

 殴られる度に地面に打ち付けられた後頭部や、鏡を見なくとも分かる程に滅茶苦茶にされたのであろう顔がまだ痛み、痛んでいる部分に重ねるようにジーナの拳がめり込み、骨やらを砕いていく。そろそろ彼女も満足するのではないのだろうかと思いながら、サッチは静かに目を閉じた。

 既に敵が動かなくなったにもかかわらず、ジーナは一切休むことなく彼を顔を破壊し続けた。決してそういう意図があってやったわけではない。体から溢れ出る負の感情を止めるには、全てを出し切るまでこうするしか無かったのである。

 殴っていた手が止まった後に、ジーナはようやく疲れたらしく自分の体をまたがっていたサッチから動かした。民家の外壁に寄りかかってそのまま背中を擦らせながら地面に座り込むと、自分の心境とはあまりにもかけ離れている爽やかな空をボンヤリと見つめた。セラムはサッチに近づき、息が無いのを確認してから彼女の元へ寄った。

「取り込み中の所悪いが…立てるか?」
「うん…」

 セラムから差し伸べられた手をジーナは握りしめる。やっとこさ立ち上がると、シモン達の様子が不安だとセラムから提案されて、二人で彼の元へ向かった。

「…ざまあみろ」

 立ち去る間際、ジーナは振り向きざまにサッチの死体を見ながら恨めしそうにそう言った。
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