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十章:不尽
第70話 秘め事
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アンディの姿が見えない事を不思議に思っていたギャッツは、建物の中を歩きながら彼を探していた。絨毯を敷き詰めている長い渡り廊下をブラついていた時、並んでいる部屋の一つから物音がする。アンディの自室であった。ノックをしてみたが返事が無く、不安に思ったギャッツが警戒しながらドアを開けると、純白なシーツに覆われたベッドの上に男の死体があった。生気が抜け、力尽きた様に全裸で横たわっている。
「何かご用ですか ?」
別室のバスルームからアンディが姿を現しながら言った。上半身には何も纏っておらず、少し体力を使ったのか溜息をついていたが満足げであった。
「さっきから全く見かけなかったんでな。どうしたものかと思っていたが…」
「色々と溜まっていたものですから、少し発散しました」
死体を見ながらギャッツがどうしたんだと尋ねた所、アンディはあっけらかんとした態度で暇潰しをしていたと答えた。
「腹上死か。愚かな末路だな」
「彼、『この際だから男でも良いや』なんて言ってましたけど…最初の勢いの割にあまり大したこと無かったというか…」
ギャッツが呟く傍らで、アンディはガッカリしたように項垂れていた。とりあえず搾り取れるだけ搾り取ったらしい。
「やっぱり心って大事なんですよね。どんな事をするにせよ…そこに感情が籠って無ければ一気に冷めるんです。欲求を満たしてくれる道具が欲しいだけであって、自分の事はどうでも良いんだと感じてしまう…そういう考えは、不思議と手に取るように分かるんです。仕草や喋り方から…ね」
「…昔もそんな事を思っていたのか ?」
自分との関係を持つ相手に何を求めているのか、アンディは淡々と語っていた。ギャッツが過去について言及すると、「ええ」とだけ返事をして控えめな笑顔を見せる。
――――アンディが生まれたのは地方都市の郊外、決して豊かとはいえない労働者階級としての待遇である。しけた小売店を切り盛りしていた母は、最愛の人であった吸血鬼と禁断の恋に落ち、大地主の令嬢という経歴を捨てて彼について行った。ところが息子の誕生と共にその吸血鬼は突如失踪したのである。とばっちりも良い所だが、残された母は全て息子が生まれて来たせいだと思い込むようになり、アンディにとっての地獄はそこから始まった。
暴力は当たり前であり、時としては煮えたぎった湯をかけられることさえあった。質の悪い事に、服などで隠せる場所を中心に痛めつけて来る彼女の所業は、来店する客達には分からずじまいであった。また、酒で酔う度に彼へ罵詈雑言を浴びせ続け、「自分は必要のない存在であり、生まれて来てはいけなかった」とアンディは刷り込まれてしまう。以降は常に罪悪感と承認欲求に苛まれながら暮らす羽目になった。
そしてある日、一線を越える出来事が起きた。やたら上機嫌であった母親が用意したスープを夕食に取っていると、眠気が襲ってきた後に意識が消えた。目が覚めた頃には寝室にて、全裸の男によって手篭めにされたのを彼は覚えている。忘れる事さえできない悪夢のような体験であった。店の経営に行き詰っていた母は、男娼という商売の噂をどこからか聞きつけたらしく、幸いな事に父に似て美形だったアンディを売ったのである。
それからというもの、店の受付でやたらと高い金を置いていく客が現れる度に、憂鬱な気分でアンディは出迎える羽目になった。金を渡されてから奥へ行き、用を済ませたら見送る。流れ作業である。行為が一晩中続く事もあれば、一度に何人もの相手をするという事も少なくなかった。
皮肉な事に、アンディを母が気遣うようになったのはそれからの事だった。勿論家族としてではない。大事な売り物が傷つかない様にという仕事上の問題からである。思い出したくもない地獄ではあったが、母が自分を必要としてくれているという満足感があった。そして次第に「屈強な相手に成す術もなく力づくで犯される」という状況に快楽を感じる様になっていき、この歪みが後の彼自身の悪癖の原因となった。やがて成長していくにつれて、彼らが必要としているのは自分ではなく欲望を満たせる道具であるという事実にも気づき始めていた。やる気も無くなり、母親にさえも本心を隠すようになったのである。
そして彼に再び転機が訪れる。その日も変わらず三人の客と一緒にいた時だった。店の表で物音がして、足音と共にこちらへ誰かが来るのが分かった。ドアが開かれ、大男が入って来る。そして客達を目の前で殴殺していった。その大男にとって商売仇のような相手だったらしく、全員が血だるまに変わり果てると大男はアンディを見る。不思議な気分であった。その男の自分を見る目は、母のような憎悪や軽蔑に溢れたものではなく、かといって客達のような卑しい物でも無い。慈悲や憐れみに近い悲しげなものだったのである。
猟銃を持って駆け付けた母は、最近になって見せるようになった笑顔と共にアンディを自分の方へ来るように誘った。しかし、それが本心ではなく使い勝手のいい商売道具のご機嫌取りをするためである事は、アンディにとって容易に推理が出来る物であった。
「助けて」
ただ一言だけ、アンディは初めて本音を曝け出した。この機を逃せば永遠にこの場所から逃れられないことを彼は悟っていたのである。それを聞いた男は少し黙ってからアンディに背を向ける。そして母親のもとへ近づくと彼女を一撃で殴り殺した。悲しみは無かったが後戻りできない場所へ到達してしまった事を、アンディは心の中にあった喪失感によって痛感していた。
「行く当てが無いのなら俺と来るか ?」
「…はい」
「ギャッツだ…覚えておくと良い」
方が付いた男は再びアンディの前に近づいてから彼の顎を持ち上げて言うと、アンディも素直に頷く。それが二人の出会いであった。その後アンディは、戦うための術や様々な知識を彼から教わった。師弟、親子…もしくは恋人とも言える複雑な絆が強くなるにつれて、ギャッツの右腕としての立ち位置を強い物にしていったのである。
――――アンディが服を着終えると、ギャッツはそっと彼の肩に触った。
「もし俺が死んだら、その後はどうするんだ ?」
「フフ…そんな事があるんですか ?」
アンディは笑いながらギャッツの問いを一蹴する。彼が負けるなどあり得ないという信頼も一応はあったが、どちらかと言えば本心を見せたくないという茶を濁す様な言い方であった。
「今回ばかりは一応真面目に聞いている。それに俺も歳だ…後を継ぎたいか ?」
「どうでしょう…気ままに生きてみたいという思いも強いですから。あなたと同じくらいに強くて、素敵な人と出会えればプロポーズでもして一からやり直すかも」
「フン、だと思ったよ」
新しい恋人探しでもしようかなどとアンディに白状されてしまったギャッツは、少しだけしょぼくれた。とは言っても本気で拗ねていたわけではなく、彼ならばそう選択するという事もとっくに分かっていた。
「だが、お前らしい考えだ…お前を受け入れて、満たしてくれる様な相手が見つかると良いがな」
「あなたが死なないでいてくれれば、その必要もありません」
「ハハハ…賞金首に目をつけていた癖にそれを言うか ?」
互いに抱き合いながら話をしていた時、初めて会った時に比べて人懐っこくなったものだと、ギャッツは父親の様にしみじみと感じていた。後はその浮気癖さえ直してくれればとも思ったが、歪んでしまった性癖や人格だけはどうにもならないのだろうと悟り、追及するのは諦めた。
「ハァ… !ハァ… !こんな事になっちまうなんて !」
その頃、直属の部下は古城の中を走り回ってギャッツを探していた。付近の見張りからアンディの部屋に入っていくのを見たと知らされ、急いで駆けつけてからドアノブを掴もうとする。だが直前に「ノックをしろ」と怒られたことを思い出して、すぐに仕切り直してから扉を叩いた。
「…入れ」
雰囲気をぶち壊されたと、不機嫌そうに入り口をギャッツは睨みながら許可をした。扉を開けて入った部下は「今度はちゃんと言いつけを守りましたよ」とでも言いたいのか、自信満々の様子である。
「ノックを忘れなかったな…偉いぞ。それより何があった ?」
「ガーランドの野郎が来ています !それも一人で !」
部下を少しだけ褒めてから話を聞いた二人は、嬉しそうに思わず顔を見合わせた。そのまま挨拶がてら自分達も顔を出すと言い張って、そそくさと部屋を出る。慌てふためく部下は、ベッドにあった死体に一度だけギョッとしてから二人の後を追いかけた。
「何かご用ですか ?」
別室のバスルームからアンディが姿を現しながら言った。上半身には何も纏っておらず、少し体力を使ったのか溜息をついていたが満足げであった。
「さっきから全く見かけなかったんでな。どうしたものかと思っていたが…」
「色々と溜まっていたものですから、少し発散しました」
死体を見ながらギャッツがどうしたんだと尋ねた所、アンディはあっけらかんとした態度で暇潰しをしていたと答えた。
「腹上死か。愚かな末路だな」
「彼、『この際だから男でも良いや』なんて言ってましたけど…最初の勢いの割にあまり大したこと無かったというか…」
ギャッツが呟く傍らで、アンディはガッカリしたように項垂れていた。とりあえず搾り取れるだけ搾り取ったらしい。
「やっぱり心って大事なんですよね。どんな事をするにせよ…そこに感情が籠って無ければ一気に冷めるんです。欲求を満たしてくれる道具が欲しいだけであって、自分の事はどうでも良いんだと感じてしまう…そういう考えは、不思議と手に取るように分かるんです。仕草や喋り方から…ね」
「…昔もそんな事を思っていたのか ?」
自分との関係を持つ相手に何を求めているのか、アンディは淡々と語っていた。ギャッツが過去について言及すると、「ええ」とだけ返事をして控えめな笑顔を見せる。
――――アンディが生まれたのは地方都市の郊外、決して豊かとはいえない労働者階級としての待遇である。しけた小売店を切り盛りしていた母は、最愛の人であった吸血鬼と禁断の恋に落ち、大地主の令嬢という経歴を捨てて彼について行った。ところが息子の誕生と共にその吸血鬼は突如失踪したのである。とばっちりも良い所だが、残された母は全て息子が生まれて来たせいだと思い込むようになり、アンディにとっての地獄はそこから始まった。
暴力は当たり前であり、時としては煮えたぎった湯をかけられることさえあった。質の悪い事に、服などで隠せる場所を中心に痛めつけて来る彼女の所業は、来店する客達には分からずじまいであった。また、酒で酔う度に彼へ罵詈雑言を浴びせ続け、「自分は必要のない存在であり、生まれて来てはいけなかった」とアンディは刷り込まれてしまう。以降は常に罪悪感と承認欲求に苛まれながら暮らす羽目になった。
そしてある日、一線を越える出来事が起きた。やたら上機嫌であった母親が用意したスープを夕食に取っていると、眠気が襲ってきた後に意識が消えた。目が覚めた頃には寝室にて、全裸の男によって手篭めにされたのを彼は覚えている。忘れる事さえできない悪夢のような体験であった。店の経営に行き詰っていた母は、男娼という商売の噂をどこからか聞きつけたらしく、幸いな事に父に似て美形だったアンディを売ったのである。
それからというもの、店の受付でやたらと高い金を置いていく客が現れる度に、憂鬱な気分でアンディは出迎える羽目になった。金を渡されてから奥へ行き、用を済ませたら見送る。流れ作業である。行為が一晩中続く事もあれば、一度に何人もの相手をするという事も少なくなかった。
皮肉な事に、アンディを母が気遣うようになったのはそれからの事だった。勿論家族としてではない。大事な売り物が傷つかない様にという仕事上の問題からである。思い出したくもない地獄ではあったが、母が自分を必要としてくれているという満足感があった。そして次第に「屈強な相手に成す術もなく力づくで犯される」という状況に快楽を感じる様になっていき、この歪みが後の彼自身の悪癖の原因となった。やがて成長していくにつれて、彼らが必要としているのは自分ではなく欲望を満たせる道具であるという事実にも気づき始めていた。やる気も無くなり、母親にさえも本心を隠すようになったのである。
そして彼に再び転機が訪れる。その日も変わらず三人の客と一緒にいた時だった。店の表で物音がして、足音と共にこちらへ誰かが来るのが分かった。ドアが開かれ、大男が入って来る。そして客達を目の前で殴殺していった。その大男にとって商売仇のような相手だったらしく、全員が血だるまに変わり果てると大男はアンディを見る。不思議な気分であった。その男の自分を見る目は、母のような憎悪や軽蔑に溢れたものではなく、かといって客達のような卑しい物でも無い。慈悲や憐れみに近い悲しげなものだったのである。
猟銃を持って駆け付けた母は、最近になって見せるようになった笑顔と共にアンディを自分の方へ来るように誘った。しかし、それが本心ではなく使い勝手のいい商売道具のご機嫌取りをするためである事は、アンディにとって容易に推理が出来る物であった。
「助けて」
ただ一言だけ、アンディは初めて本音を曝け出した。この機を逃せば永遠にこの場所から逃れられないことを彼は悟っていたのである。それを聞いた男は少し黙ってからアンディに背を向ける。そして母親のもとへ近づくと彼女を一撃で殴り殺した。悲しみは無かったが後戻りできない場所へ到達してしまった事を、アンディは心の中にあった喪失感によって痛感していた。
「行く当てが無いのなら俺と来るか ?」
「…はい」
「ギャッツだ…覚えておくと良い」
方が付いた男は再びアンディの前に近づいてから彼の顎を持ち上げて言うと、アンディも素直に頷く。それが二人の出会いであった。その後アンディは、戦うための術や様々な知識を彼から教わった。師弟、親子…もしくは恋人とも言える複雑な絆が強くなるにつれて、ギャッツの右腕としての立ち位置を強い物にしていったのである。
――――アンディが服を着終えると、ギャッツはそっと彼の肩に触った。
「もし俺が死んだら、その後はどうするんだ ?」
「フフ…そんな事があるんですか ?」
アンディは笑いながらギャッツの問いを一蹴する。彼が負けるなどあり得ないという信頼も一応はあったが、どちらかと言えば本心を見せたくないという茶を濁す様な言い方であった。
「今回ばかりは一応真面目に聞いている。それに俺も歳だ…後を継ぎたいか ?」
「どうでしょう…気ままに生きてみたいという思いも強いですから。あなたと同じくらいに強くて、素敵な人と出会えればプロポーズでもして一からやり直すかも」
「フン、だと思ったよ」
新しい恋人探しでもしようかなどとアンディに白状されてしまったギャッツは、少しだけしょぼくれた。とは言っても本気で拗ねていたわけではなく、彼ならばそう選択するという事もとっくに分かっていた。
「だが、お前らしい考えだ…お前を受け入れて、満たしてくれる様な相手が見つかると良いがな」
「あなたが死なないでいてくれれば、その必要もありません」
「ハハハ…賞金首に目をつけていた癖にそれを言うか ?」
互いに抱き合いながら話をしていた時、初めて会った時に比べて人懐っこくなったものだと、ギャッツは父親の様にしみじみと感じていた。後はその浮気癖さえ直してくれればとも思ったが、歪んでしまった性癖や人格だけはどうにもならないのだろうと悟り、追及するのは諦めた。
「ハァ… !ハァ… !こんな事になっちまうなんて !」
その頃、直属の部下は古城の中を走り回ってギャッツを探していた。付近の見張りからアンディの部屋に入っていくのを見たと知らされ、急いで駆けつけてからドアノブを掴もうとする。だが直前に「ノックをしろ」と怒られたことを思い出して、すぐに仕切り直してから扉を叩いた。
「…入れ」
雰囲気をぶち壊されたと、不機嫌そうに入り口をギャッツは睨みながら許可をした。扉を開けて入った部下は「今度はちゃんと言いつけを守りましたよ」とでも言いたいのか、自信満々の様子である。
「ノックを忘れなかったな…偉いぞ。それより何があった ?」
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