104 / 117
サブストーリー2【私は弁えない】
8
しおりを挟む
逃げ出した先の飲み屋街で、私は息を切らしてふらふらと歩いていた。
目には涙が溜まっていて、ぐずぐずと鼻水も垂れてきている。せっかく頑張った化粧も汗で汚れてしまっていて、気分も見た目も最悪な状態だった。
頭の中では、さっきの出来事がやたらとフラッシュバックして、『クソ、クソ、クソ』と苛立ちがただ反復している。何かを殴りつけたい衝動に駆られながら、だけど、外にいる手前、何かを蹴り飛ばしたりするわけにもいかず、悶々と彷徨っている。
家に帰ってしまえばそれで良いのだろうが、どうにも、そんな気持ちにもならない。何の物件も入っていない空きビルの壁にもたれて、大きくため息を吐いていると、ふと、私の耳に、聞き覚えのある声が入ってきた。
「この辺りにさ、珍しい雑貨屋があるんだよね。結構高いんだけど、どれもセンスが良くてね、」
――この声は。私はハッと顔を上げて、ビルの角から聞こえたその声を追って、急いで走り出す。
「悠司!」
知らず知らずのうちに表情が笑っていた。そうして角を曲がり、そこにいるであろう彼氏の方へと目を向けると、
そこには、確かに、私の彼氏である悠司が立っていた。――隣に、知らない女を連れて。
「――あ、真紀……!?」
悠司は、現れた私に酷く動揺しているようだった。彼の隣に立つ綺麗な女性は、「え? ちょっと、誰、この人?」と、悠司に訝しむような目を向けていて。
「――悠司。だ、誰だよ、お前、その女」
私は瞳を揺らして、自らの恋人へと尋ねる。しかし悠司は、しばしぽかんと私を見つめてから、隣の女の腕を引き、「行こう」と私に背中を向けた。
「ちょっ――ちょ、待てって!」
私は急いで走り、悠司たちの前に出る。そして恋人を睨みつけ、私は歯を食いしばり彼に迫った。
「お前、待てよ。誰だよ、その女。ま、まさか、お前、浮気か?」
「だ――誰だよ、お前。なんだよ、いきなり話しかけてくんなよ。気味悪いな。い、行くぞ、千秋。変な奴に構うな」
悠司が隣の女の腕を引くと、彼女は、「ちょっ、まっ――痛い、待って!」と、悠司の手を勢いよく振り払った。
「待って、悠司。説明して。ねえ、この人、なんでアンタのこと知ってるの?」
女性が悠司に迫る。悠司は瞳を揺らすと、「だから、知らんって! あ、頭おかしい奴だろ、普通に!」と、焦り狂ったように大声をあげる。
「知らないって、何言ってんだよ! お前、この前私と一緒に遊びに行ったじゃん! どういうことだよ、なんでお前、私に黙って知らない女と――」
いや。もう、答えなんて分かりきっていた。だけど、脳がそれを、全力で否定していた。
私の恋人は――私に黙って、他の女と付き合っていたのだ。全身が冷えていくのを感じながら、だけど私は、どうしても、彼から「違う」という言葉を引き出したくて、縋るように迫る。
と。どうやら、隣にいた女も、事情を察したらしい。途端に悠司を睨みつけ、勢いよくビンタをすると、彼女は「最低!」と言いながら、そのまま背中を向けて去っていった。
「ま、待て、千秋! 誤解だ、俺の話を――」
だけど、女性は止まることなく、そのまま建物の角へと消えて行った。私はぽかんとして、呆然と2人の様子を見続けることしかできず。
――と。その瞬間、「お前、」と、悠司が、今までに聞いたことのないくらい、怖い声を出した。
ビクリと、体が震えた。だけど、肉体は全く反応してくれなかった。
最悪な事態を予見した、その瞬間に。悠司は、私の予想通りに、私の胸倉を掴んで、そのまま強い力で、私を空きビルの中へと連れ込んだ。
「ッ、ゆう、じ――」
「ざっっっけんじゃねぇぞクソアマ!!!! テメェ、なんでよりにもよって今日なんだよ!!! 俺はな、この日のために金貯めて、今夜辺り、千秋にプロポーズしようとしてたんだよ!!!! 指輪も買ったのに、なんで、なんで――」
悠司が片方の手で私の首を絞めて来る。私はパニックになって、溺れたように口をパクパクとさせながら、彼の言葉に反論した。
「なん、で、って――お、お前が、浮気したのが、悪いんじゃ……!」
「黙れッ! バカで考え無しのクソ女の癖に、口答えしてんじゃねぇよ! 飯奢ってやれば股開く、都合のいいま○こでしかねぇ癖に、何俺の人生めちゃめちゃにしてんだよ!」
悠司が一層強い剣幕で私を責め立てる。私が息もできずに「うあ――あっ、」と呻いていると、悠司は「なんとか言えよ、このクソアマ!」と怒鳴りながら、勢いよく私の腹を殴りつけた。
内臓がキリキリと叫びをあげるのが、瞬く間に全身に伝わった。腹を抑えて倒れ込みたくなるほどの吐き気がせり上がったけど、私の首を絞める手は、そんなことを許してくれず。
『お前さぁ、自分が愛されてるって思ってるかもしんねぇけど、それただ都合良く利用されてるだけだから』
――ああ、クソ。なんで、今、この言葉を思い出すんだよ。
これじゃあ、アイツの言っていたことが本当のようじゃないか。それじゃあ結局、私がただ、バカをやらかして、それで、当然のようにこうなっているって言われているようじゃないか。
ふざけんな。なんで、なんで私がこんな目に遭わなきゃならないんだ。
どうして私ばかりが、こんな不幸な目に遭わなきゃいけない。おかしいだろ、こんなの。世の中、不公平じゃないか。
お前が浮気したのが悪いのに。なんで私が殴られているんだよ。
結局、結局男なんて、みんな、こうなんだ。暴力を使えば女なんか言いなりに出来るから、こうやって、理不尽なことばかりしやがるんだ。
ふざけんな。ふざけんな。ふざけんな。私は徐々に遠のいていく意識の中、がむしゃらに自分の首を絞める手を握り、
「お前、マジで一回死ねよ! なあ! 死ね! お前が現れなきゃ、こんなことにはならなかったんだから! 責任取って、マジで、死ねよ! ほら! 死ね! 死ね!」
――ヤバい。ヤバい。マジで、死ぬ。誰か、助けて。
目から涙がこぼれて、足から力が抜ける。視界が絶望で染まって、もうダメだと思った、その瞬間だった。
「――何やってんだよ、お前!」
誰か、女の声が聞こえた。聞き覚えがあるのかないのか、微妙だったけれど、何か、記憶の片隅に引っかかる声だった。
かと思えば。私を押さえ込んでいた悠司が突然引きはがされ、そのままビルの外へと投げ出された。
私はガクリと膝を着いて、流れ込んでくる酸素に大きく咳き込んだ。
川から上がったかのようにぜぇぜぇと空気を貪る。目から涙を流しながら、ビルの外へと目を向けると、そこには、金髪の、長身の女がいた。
――アイツ、天音じゃん。
中学時代の同級生。以前食堂で絡んだ、気持ち悪い性癖を持った精神異常者。
ソイツの隣には、おどおどとしている、黒い髪をした、結構オシャレな雰囲気の、知らない女がいる。
「ちょっ、由希! や、ヤバいって! 警察、警察!」
「下がってろ心春! 前出るとアブねぇ!」
天音は手で心春とか言う女を後ろに下げると、目の前にいる男をきつく睨みつけた。
「――なんだよ、お前。いきなりなにすんだよ」
悠司はゆらりと天音の方を向いて、ギラギラとした視線を向ける。天音は口を一文字に結んで腕を軽く前に出すと、膝を軽く曲げ、わかりやすく喧嘩の体勢に入った。
「お前、なんだよ。関係ねぇだろ。女の癖に、いきなりしゃしゃり出てくるんじゃねぇよ」
天音は何も言わなかった。強い敵意と警戒心で、ただじっと、悠司を睨みつけているばかりで。
「なんとか言えっての、このクソアマァ!」
悠司は叫びながら、拳を握って、天音に駆け出した。私は「ちょっ――!」と、思わず天音に手を伸ばす。
だけど、天音は、私の予想に反して、殴り掛かってきた悠司の拳を簡単にいなすと、同時にカウンターのパンチを彼の鼻頭に打ち込んだ。
「ぐえぇっ……!」
悠司が鼻を抑えてよたよたと下がる。途端、天音は「素人が」と吐き捨てると、そのまま勢いよく後ろ向きに回り、そして、高く上げた踵を悠司のこめかみにぶち込んだ。
悠司がぐるぐると回転しながら地面に沈む。天音は何食わぬ顔で首をぐるぐると回し、地面とぴくぴくとしている悠司にゆっくりと歩み寄った。
「おい、意識飛んでねぇだろ。聞けよ、クソ野郎」
天音は悠司の髪を掴むと、ぐっと頭を持ち上げ、彼をエビ反りのような姿勢にさせた。
「ひっ、ひぃぃっ……!」
「何があったかわかんねーけどさぁ。女子相手に男が暴力とか、カスもいい所だかんな。次同じ事してみろよ、テメェにぶら下がってる小汚ねぇ遺伝子ぶっ潰して、二度とガキ作れねぇ体にしてやっからな」
天音はそう言うと、男の髪を放した。ガン、と顔がコンクリートにぶつかって、悠司は「ぐえっ」とまた情けない声をあげると、途端、慌てて立ち上がって、鼻血を流しながら「ひぃぃぃ!」と逃げ出した。
――や、やべぇ。なんだ、今の。私はありえない情景にぽかんとして、ぺたんと地面に座り込んだまま固まってしまう。
と。天音がこちらへと目を向け、ゆっくりと近づいてきた。私は恐怖心で「ひいっ!」と後退り、ビルの壁に背中を付ける。
「なんもしねぇから。ほら」
天音はそう言いながら私に手を差し伸べた。私はしばらくきょとんとして、差し出された手と、彼女の顔とを交互に見つめた。
そして私は、出された手を恐る恐る掴むと、天音はぐっと私の手を引っ張り、「よいしょ」と私を立たせた。
コイツ、女の癖に男みてぇな力してやがる。私はまたしても、目の前の女にゾクリとしてしまった。
「ん。大丈夫か? 頭とか、痛くないか?」
「あ……えと、はい……」
「ん。なんかちょっとでも異常があったら病院行けな。何があるか、わかんねぇから」
天音は私の肩をポンポンと叩くと、そのまま私に背中を向けた。
――いや、ちょっと、待てよ。私はそう思うと、「ちょっと!」と、天音にそのまま話しかけた。
「……な、なんで、助けたの?」
「あ?」
天音は首を傾げながら私を振り向く。私は、心底意味が分からないと言っているような彼女にぽかんとして、更に彼女に尋ねた。
「だ、だって、お前――お前、私が誰か、わかってんだろ」
「…………。……まあ」
「じゃ、じゃあ――! ……意味、わかんねぇよ。なんで、私のことなんか。助ける義理とかねぇだろ。どう考えても面倒だし」
「……あのさぁ。こういうの見て、助けないわけにもいかないだろ。義理とかなんだとか、そんなんじゃないって。体が勝手に動いただけ」
天音は肩を竦めて言うと、「じゃあな」と私に背中を向け、そのまま、もう一人の女の方へと歩いていった。
「ちょっと、誰、あの人? 知り合い?」
「ん――まあ、前に、ちょっと、な」
天音は笑いながら、隣の女と共に去ってしまった。
私はただ茫然と、それを見過ごすことしかできなかった。
目には涙が溜まっていて、ぐずぐずと鼻水も垂れてきている。せっかく頑張った化粧も汗で汚れてしまっていて、気分も見た目も最悪な状態だった。
頭の中では、さっきの出来事がやたらとフラッシュバックして、『クソ、クソ、クソ』と苛立ちがただ反復している。何かを殴りつけたい衝動に駆られながら、だけど、外にいる手前、何かを蹴り飛ばしたりするわけにもいかず、悶々と彷徨っている。
家に帰ってしまえばそれで良いのだろうが、どうにも、そんな気持ちにもならない。何の物件も入っていない空きビルの壁にもたれて、大きくため息を吐いていると、ふと、私の耳に、聞き覚えのある声が入ってきた。
「この辺りにさ、珍しい雑貨屋があるんだよね。結構高いんだけど、どれもセンスが良くてね、」
――この声は。私はハッと顔を上げて、ビルの角から聞こえたその声を追って、急いで走り出す。
「悠司!」
知らず知らずのうちに表情が笑っていた。そうして角を曲がり、そこにいるであろう彼氏の方へと目を向けると、
そこには、確かに、私の彼氏である悠司が立っていた。――隣に、知らない女を連れて。
「――あ、真紀……!?」
悠司は、現れた私に酷く動揺しているようだった。彼の隣に立つ綺麗な女性は、「え? ちょっと、誰、この人?」と、悠司に訝しむような目を向けていて。
「――悠司。だ、誰だよ、お前、その女」
私は瞳を揺らして、自らの恋人へと尋ねる。しかし悠司は、しばしぽかんと私を見つめてから、隣の女の腕を引き、「行こう」と私に背中を向けた。
「ちょっ――ちょ、待てって!」
私は急いで走り、悠司たちの前に出る。そして恋人を睨みつけ、私は歯を食いしばり彼に迫った。
「お前、待てよ。誰だよ、その女。ま、まさか、お前、浮気か?」
「だ――誰だよ、お前。なんだよ、いきなり話しかけてくんなよ。気味悪いな。い、行くぞ、千秋。変な奴に構うな」
悠司が隣の女の腕を引くと、彼女は、「ちょっ、まっ――痛い、待って!」と、悠司の手を勢いよく振り払った。
「待って、悠司。説明して。ねえ、この人、なんでアンタのこと知ってるの?」
女性が悠司に迫る。悠司は瞳を揺らすと、「だから、知らんって! あ、頭おかしい奴だろ、普通に!」と、焦り狂ったように大声をあげる。
「知らないって、何言ってんだよ! お前、この前私と一緒に遊びに行ったじゃん! どういうことだよ、なんでお前、私に黙って知らない女と――」
いや。もう、答えなんて分かりきっていた。だけど、脳がそれを、全力で否定していた。
私の恋人は――私に黙って、他の女と付き合っていたのだ。全身が冷えていくのを感じながら、だけど私は、どうしても、彼から「違う」という言葉を引き出したくて、縋るように迫る。
と。どうやら、隣にいた女も、事情を察したらしい。途端に悠司を睨みつけ、勢いよくビンタをすると、彼女は「最低!」と言いながら、そのまま背中を向けて去っていった。
「ま、待て、千秋! 誤解だ、俺の話を――」
だけど、女性は止まることなく、そのまま建物の角へと消えて行った。私はぽかんとして、呆然と2人の様子を見続けることしかできず。
――と。その瞬間、「お前、」と、悠司が、今までに聞いたことのないくらい、怖い声を出した。
ビクリと、体が震えた。だけど、肉体は全く反応してくれなかった。
最悪な事態を予見した、その瞬間に。悠司は、私の予想通りに、私の胸倉を掴んで、そのまま強い力で、私を空きビルの中へと連れ込んだ。
「ッ、ゆう、じ――」
「ざっっっけんじゃねぇぞクソアマ!!!! テメェ、なんでよりにもよって今日なんだよ!!! 俺はな、この日のために金貯めて、今夜辺り、千秋にプロポーズしようとしてたんだよ!!!! 指輪も買ったのに、なんで、なんで――」
悠司が片方の手で私の首を絞めて来る。私はパニックになって、溺れたように口をパクパクとさせながら、彼の言葉に反論した。
「なん、で、って――お、お前が、浮気したのが、悪いんじゃ……!」
「黙れッ! バカで考え無しのクソ女の癖に、口答えしてんじゃねぇよ! 飯奢ってやれば股開く、都合のいいま○こでしかねぇ癖に、何俺の人生めちゃめちゃにしてんだよ!」
悠司が一層強い剣幕で私を責め立てる。私が息もできずに「うあ――あっ、」と呻いていると、悠司は「なんとか言えよ、このクソアマ!」と怒鳴りながら、勢いよく私の腹を殴りつけた。
内臓がキリキリと叫びをあげるのが、瞬く間に全身に伝わった。腹を抑えて倒れ込みたくなるほどの吐き気がせり上がったけど、私の首を絞める手は、そんなことを許してくれず。
『お前さぁ、自分が愛されてるって思ってるかもしんねぇけど、それただ都合良く利用されてるだけだから』
――ああ、クソ。なんで、今、この言葉を思い出すんだよ。
これじゃあ、アイツの言っていたことが本当のようじゃないか。それじゃあ結局、私がただ、バカをやらかして、それで、当然のようにこうなっているって言われているようじゃないか。
ふざけんな。なんで、なんで私がこんな目に遭わなきゃならないんだ。
どうして私ばかりが、こんな不幸な目に遭わなきゃいけない。おかしいだろ、こんなの。世の中、不公平じゃないか。
お前が浮気したのが悪いのに。なんで私が殴られているんだよ。
結局、結局男なんて、みんな、こうなんだ。暴力を使えば女なんか言いなりに出来るから、こうやって、理不尽なことばかりしやがるんだ。
ふざけんな。ふざけんな。ふざけんな。私は徐々に遠のいていく意識の中、がむしゃらに自分の首を絞める手を握り、
「お前、マジで一回死ねよ! なあ! 死ね! お前が現れなきゃ、こんなことにはならなかったんだから! 責任取って、マジで、死ねよ! ほら! 死ね! 死ね!」
――ヤバい。ヤバい。マジで、死ぬ。誰か、助けて。
目から涙がこぼれて、足から力が抜ける。視界が絶望で染まって、もうダメだと思った、その瞬間だった。
「――何やってんだよ、お前!」
誰か、女の声が聞こえた。聞き覚えがあるのかないのか、微妙だったけれど、何か、記憶の片隅に引っかかる声だった。
かと思えば。私を押さえ込んでいた悠司が突然引きはがされ、そのままビルの外へと投げ出された。
私はガクリと膝を着いて、流れ込んでくる酸素に大きく咳き込んだ。
川から上がったかのようにぜぇぜぇと空気を貪る。目から涙を流しながら、ビルの外へと目を向けると、そこには、金髪の、長身の女がいた。
――アイツ、天音じゃん。
中学時代の同級生。以前食堂で絡んだ、気持ち悪い性癖を持った精神異常者。
ソイツの隣には、おどおどとしている、黒い髪をした、結構オシャレな雰囲気の、知らない女がいる。
「ちょっ、由希! や、ヤバいって! 警察、警察!」
「下がってろ心春! 前出るとアブねぇ!」
天音は手で心春とか言う女を後ろに下げると、目の前にいる男をきつく睨みつけた。
「――なんだよ、お前。いきなりなにすんだよ」
悠司はゆらりと天音の方を向いて、ギラギラとした視線を向ける。天音は口を一文字に結んで腕を軽く前に出すと、膝を軽く曲げ、わかりやすく喧嘩の体勢に入った。
「お前、なんだよ。関係ねぇだろ。女の癖に、いきなりしゃしゃり出てくるんじゃねぇよ」
天音は何も言わなかった。強い敵意と警戒心で、ただじっと、悠司を睨みつけているばかりで。
「なんとか言えっての、このクソアマァ!」
悠司は叫びながら、拳を握って、天音に駆け出した。私は「ちょっ――!」と、思わず天音に手を伸ばす。
だけど、天音は、私の予想に反して、殴り掛かってきた悠司の拳を簡単にいなすと、同時にカウンターのパンチを彼の鼻頭に打ち込んだ。
「ぐえぇっ……!」
悠司が鼻を抑えてよたよたと下がる。途端、天音は「素人が」と吐き捨てると、そのまま勢いよく後ろ向きに回り、そして、高く上げた踵を悠司のこめかみにぶち込んだ。
悠司がぐるぐると回転しながら地面に沈む。天音は何食わぬ顔で首をぐるぐると回し、地面とぴくぴくとしている悠司にゆっくりと歩み寄った。
「おい、意識飛んでねぇだろ。聞けよ、クソ野郎」
天音は悠司の髪を掴むと、ぐっと頭を持ち上げ、彼をエビ反りのような姿勢にさせた。
「ひっ、ひぃぃっ……!」
「何があったかわかんねーけどさぁ。女子相手に男が暴力とか、カスもいい所だかんな。次同じ事してみろよ、テメェにぶら下がってる小汚ねぇ遺伝子ぶっ潰して、二度とガキ作れねぇ体にしてやっからな」
天音はそう言うと、男の髪を放した。ガン、と顔がコンクリートにぶつかって、悠司は「ぐえっ」とまた情けない声をあげると、途端、慌てて立ち上がって、鼻血を流しながら「ひぃぃぃ!」と逃げ出した。
――や、やべぇ。なんだ、今の。私はありえない情景にぽかんとして、ぺたんと地面に座り込んだまま固まってしまう。
と。天音がこちらへと目を向け、ゆっくりと近づいてきた。私は恐怖心で「ひいっ!」と後退り、ビルの壁に背中を付ける。
「なんもしねぇから。ほら」
天音はそう言いながら私に手を差し伸べた。私はしばらくきょとんとして、差し出された手と、彼女の顔とを交互に見つめた。
そして私は、出された手を恐る恐る掴むと、天音はぐっと私の手を引っ張り、「よいしょ」と私を立たせた。
コイツ、女の癖に男みてぇな力してやがる。私はまたしても、目の前の女にゾクリとしてしまった。
「ん。大丈夫か? 頭とか、痛くないか?」
「あ……えと、はい……」
「ん。なんかちょっとでも異常があったら病院行けな。何があるか、わかんねぇから」
天音は私の肩をポンポンと叩くと、そのまま私に背中を向けた。
――いや、ちょっと、待てよ。私はそう思うと、「ちょっと!」と、天音にそのまま話しかけた。
「……な、なんで、助けたの?」
「あ?」
天音は首を傾げながら私を振り向く。私は、心底意味が分からないと言っているような彼女にぽかんとして、更に彼女に尋ねた。
「だ、だって、お前――お前、私が誰か、わかってんだろ」
「…………。……まあ」
「じゃ、じゃあ――! ……意味、わかんねぇよ。なんで、私のことなんか。助ける義理とかねぇだろ。どう考えても面倒だし」
「……あのさぁ。こういうの見て、助けないわけにもいかないだろ。義理とかなんだとか、そんなんじゃないって。体が勝手に動いただけ」
天音は肩を竦めて言うと、「じゃあな」と私に背中を向け、そのまま、もう一人の女の方へと歩いていった。
「ちょっと、誰、あの人? 知り合い?」
「ん――まあ、前に、ちょっと、な」
天音は笑いながら、隣の女と共に去ってしまった。
私はただ茫然と、それを見過ごすことしかできなかった。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語
jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ
★作品はマリーの語り、一人称で進行します。
クラスのマドンナがなぜか俺のメイドになっていた件について
沢田美
恋愛
名家の御曹司として何不自由ない生活を送りながらも、内気で陰気な性格のせいで孤独に生きてきた裕貴真一郎(ゆうき しんいちろう)。
かつてのいじめが原因で、彼は1年間も学校から遠ざかっていた。
しかし、久しぶりに登校したその日――彼は運命の出会いを果たす。
現れたのは、まるで絵から飛び出してきたかのような美少女。
その瞳にはどこかミステリアスな輝きが宿り、真一郎の心をかき乱していく。
「今日から私、あなたのメイドになります!」
なんと彼女は、突然メイドとして彼の家で働くことに!?
謎めいた美少女と陰キャ御曹司の、予測不能な主従ラブコメが幕を開ける!
カクヨム、小説家になろうの方でも連載しています!
お兄ちゃんはお兄ちゃんだけど、お兄ちゃんなのにお兄ちゃんじゃない!?
すずなり。
恋愛
幼いころ、母に施設に預けられた鈴(すず)。
お母さん「病気を治して迎えにくるから待ってて?」
その母は・・迎えにくることは無かった。
代わりに迎えに来た『父』と『兄』。
私の引き取り先は『本当の家』だった。
お父さん「鈴の家だよ?」
鈴「私・・一緒に暮らしていいんでしょうか・・。」
新しい家で始まる生活。
でも私は・・・お母さんの病気の遺伝子を受け継いでる・・・。
鈴「うぁ・・・・。」
兄「鈴!?」
倒れることが多くなっていく日々・・・。
そんな中でも『恋』は私の都合なんて考えてくれない。
『もう・・妹にみれない・・・。』
『お兄ちゃん・・・。』
「お前のこと、施設にいたころから好きだった・・・!」
「ーーーーっ!」
※本編には病名や治療法、薬などいろいろ出てきますが、全て想像の世界のお話です。現実世界とは一切関係ありません。
※コメントや感想などは受け付けることはできません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
※孤児、脱字などチェックはしてますが漏れもあります。ご容赦ください。
※表現不足なども重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけたら幸いです。(それはもう『へぇー・・』ぐらいに。)
プール終わり、自分のバッグにクラスメイトのパンツが入っていたらどうする?
九拾七
青春
プールの授業が午前中のときは水着を着こんでいく。
で、パンツを持っていくのを忘れる。
というのはよくある笑い話。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
キャバ嬢(ハイスペック)との同棲が、僕の高校生活を色々と変えていく。
たかなしポン太
青春
僕のアパートの前で、巨乳美人のお姉さんが倒れていた。
助けたそのお姉さんは一流大卒だが内定取り消しとなり、就職浪人中のキャバ嬢だった。
でもまさかそのお姉さんと、同棲することになるとは…。
「今日のパンツってどんなんだっけ? ああ、これか。」
「ちょっと、確認しなくていいですから!」
「これ、可愛いでしょ? 色違いでピンクもあるんだけどね。綿なんだけど生地がサラサラで、この上の部分のリボンが」
「もういいです! いいですから、パンツの説明は!」
天然高学歴キャバ嬢と、心優しいDT高校生。
異色の2人が繰り広げる、水色パンツから始まる日常系ラブコメディー!
※小説家になろうとカクヨムにも同時掲載中です。
※本作品はフィクションであり、実在の人物や団体、製品とは一切関係ありません。
旧校舎の地下室
守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる