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第3話『言霊 2』
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――冷静に考えたら、たかだか木片が壊せた程度で盛り上がりすぎだったと思う。エルは部屋の片隅で膝を畳んで座り込み、綺麗に整頓された部屋をジッと眺めていた。
あの後、騒ぎに気付いた大家がエルの部屋へと向かってきた。エルはその足音を聞き、大慌てでなんとかこの部屋を掃除せねばと思い始めた。部屋の中で暴れていたと誤解されては、ともすれば追い出されかねないからだ。
だが、ほんの数十秒で片づけられる状態ではない。どうしようかわからなくなった彼は、焦りの中、ダメもとで『元に戻れ』と叫んでみた。するとどうだろうか、あれだけ壊しまわった木片やその塵、そして家具の一つ一つが、驚くべき速さで修復を始めたのだ。
人を治す術はあるが、物を“治す”術はない。これはきっと言霊の魔術の力によるものなのだろうが、しかしそれにしては、この魔術は他の魔術と比べてもあまりに異様だった。
そもそも、魔術というのは共鳴を前提として発動するものだ。すなわち共鳴ができていないのであれば、魔術と言うのは普通行使することができない――ということだ。
しかし、エルは一切の共鳴を起こさずに家具や木片を壊して、そして直してみせた。間違いなくこれは魔術により発生した現象だろう。
思うに、この魔術は言葉として発した現象を引き起こす魔術だ。『壊れろ』と言えば対象は壊れ、『元に戻れ』と言えば、それが単なる物体であろうとも元の状態に戻っていく。
だが、木片を壊した『壊れろ』と、家具を壊した『壊れろ』とでは圧倒的に威力が違う。なにせ木片は、せいぜい爆竹を鳴らす程度の破裂しか起こさなかったのだから。
対象が小さかったからとも言えるかもしれないが、どうにも、そうではない気がする。エルは頭を掻き、この魔術の秘密を探ろうと考え込んだ。
「……もしかして、気持ちの問題だったのかな?」
エルは立ち上がり、ゆっくりと机に近寄った。
適当に発した言葉だったが、案外的を射抜いているかもしれない。エルが夢の中で、寝言で壊れろと言った時は、禍々とした、怒りや憎悪とも取れる感情があった。対象に向けて、本当に『壊してやる』と言う感情を向けて放っていたのだ。
一方、木片に対して放った時には、むしろ喜びとか、驚きとか、そう言った感情の方が強く、『壊してやる』なんてことは微塵も思っていなかった。少なくとも、それは攻撃的な意味を持っていた訳では無い。
また、これを裏付けるのが、『元に戻れ』と言った時だ。焦りがあったので、ダメ元ではあったものの、神に縋るような気分で『戻れ』と自分は言っていた。するとほんの数十秒も無いわずかな時間で、超高速で家具が直っていったのだ。
……感情が魔術のトリガーとなり、そして強さを決める力となる。エルの中でこの仮説は強い現実味を帯びたものとなっていた。
「もうひとつ、わからないのは……なんで、共鳴も無しに、僕なんかが発動できたかってことだ。魔術を使った……のであれば、そこには間違いなく『魔力』があったはずだ。でも、人間には魔力が無いのだから、本来僕が魔術を使えるなんてありえないはず――」
ドクン、と。エルの中で、なにか、革新的な閃きが走り回った。
「……まて、よ」
待て。待て、なぜ僕は、人間には魔力が無いことを前提としているんだ? エルはふと、考え込んだ。
確かに人間には魔力が無い、と言うのは定説になっている。はるか昔、人類はこの世を作った神と戦争を起こし、そして敗北して魔力を奪われた――と言うのが理由らしいが。
そもそもで、自分がその歴史を『正しい』として認識していること自体が間違いだとしたら。気付けばエルは興奮で息を荒らげていた。
現実問題魔術が使えたのだ。魔術が使えたということは魔力を使ったということだ。しかし共鳴をしていないのに魔力を使えたという事は、人間の中に魔力があるという解釈をするのが最も合理的だ。
実際、人間以外の生物さ自身の持つ魔力を使い魔術を使うのだ。人間にも魔力があるのなら、同じことをできたとしても不思議ではない。
天変地異が起きたとも言える発想の中、エルはゴクリと、唾を飲み込んだ。
「人間にも、魔力はある。そして僕の魔術は、僕の中にある魔力を使って発動している――」
即興で練り上げた言葉だった。しかしそれは、エルの中でしっくりとはまり込むような感覚があり、徐々に心臓が躍動し、脳へ血液が流入していくのを感じた。
「そうだ。そう考えたら辻褄が合う。待てよ、ってことは、言霊の力を使うのに一番重要なのは、人間が持つ魔力をコントロールすること――なんじゃ、ないだろうか」
そしてそのために、感情のコントロールが必要不可欠。エルの中で、自身の言霊という魔術の理論が、組みあがっていった。
「――いや。考えるのも重要だけど、物は試しだ。ひとまずクエストに行って、弱いモンスターを相手に試してみよう」
エルはそう言うと、すぐにポーチなどを用意して部屋を飛び出した。
◇ ◇ ◇ ◇
生い茂る木々の中、エルはフォレストラビットと言うモンスターを追って探索を続けていた。
フォレストラビットは、森に生息する茶色いうさぎのモンスターだ。草食で、人を襲うこともあまりなく、その危険度もギルドからE+と評価されている。
危険度とは、そのモンスターがどれほど人類にとって驚異となるかという尺度のことだ。ギルドの冒険者ランクと同じように分類分けされており、その定義は『対応するランク以上の冒険者であれば容易に倒すことができる』というものになっている。つまりフォレストラビットは、E+以上の冒険者であれば容易に倒せる……ということだ。
流石のエルも、フォレストラビットには遅れをとることは無い。彼は行く先々でこのモンスターを見つけては、言霊の魔術の試し打ちをした。
「『凍れ』!」
エルが言うのと同時、フォレストラビットの体が氷に包まれ、そのまま動かなくなる。エルはゆっくりと凍りついたフォレストラビットへと近寄った。
「……これで15体目だ。壊れろ、以外の言葉も試してみたけど……全部、成功しているな」
エルはそう言って、凍ったフォレストラビットに「『燃えろ』」と言い、うさぎを氷ごと焼いた。わずかな間が空いた後、うさぎはこんがりと焼けており、それなりには美味しそうな肉ができあがっていた。
「やっぱり、この魔術は、きっと僕の中にある魔力を使って発動しているんだ。何度かやって気付いたけど、発動する直前に、体の中で熱い何かがうごめいている感じがある。きっとこれが、魔力なんだろう」
エルは考察を口に呟きながら、あらかじめ用意したメモにペンを使ってサラサラとその内容を書いていく。
エルは共鳴を苦手としていたが、別にできないわけではない。多くの者が共鳴により100の魔力を借りてこられるとしたら、エルはその量が1にも満たないだけなのだ。しかし0ではないため、魔力が流入する感覚がどんなものかはわかっていた。
エルはメモに、『共鳴で魔力が流れてくる時の熱い感覚が、体の内から湧き上がるイメージだ』と書きなぐる。その後彼はメモとペンをしまい、「よし」と小さく呟いた。
「実験はここまでにしよう。まだE+のモンスターにしか使ってないから、実戦で活かせるかはわからないけど……ちょっとずつ、ちょっとずつ試していけば……」
エルがそう呟いた瞬間。
「――た、助けてくれー!」
悲鳴にも似た叫び声が聞こえてきた。
エルはビクリと身を震わす。次いで聞こえたのは、獰猛な肉食獣の咆哮だった。
「グモオオオォォォオオオ!!!」
この声は――アングリーベアだ。エルは直感した。
アングリーベアとは、極めて凶暴な大型のクマのモンスターだ。大猪の渾身の突進にさえ微動だにせず、その剛腕で周囲を薙ぎ払えば、辺りの木々は容易く手折れ、吹き飛ぶと言う。
その危険度はBとギルドから認定されており、現在D- のエルがもしもそれの目の前に立とうものなら、ものの数分で肉塊へと化してしまうであろう。
「――ど、どうしよう」
故にエルは足がすくんだ。
自分が声を聞き、助けに行ったところで、餌が1つ増えるだけだ。ともすればこの場で最も適切な判断は、あの声を聞かなかったことにして、逃げおおせることだけだ。
だが、だからと言って、エルは目の前で散りそうな命を前に、即座にそんな残酷な判断ができるほどには、優秀ではなかったのだ。
――それに。
「それに、あの声――間違いない、リュカさんだった」
そう。ほんの一日前、自身をパーティから追放した、あの男の声。
だからこそ余計に迷ったのだ。エルにとってリュカは『パーティを追放した男』ではなく、『無能な自身を、ギリギリまで見捨てなかった男』だったからだ。
彼らは、彼女らは――良い人、だった。これからも互いの絆を信じて、未来へ進める。そんな、僕なんかとは全く違う、未来のある人々だった。エルが心でそう思うのと、足が動き出したのは、同時だった。
木々の間を縫い、声の方向へ走る。誰がどう考えても明らかな愚行。そんなことは百も承知だった。
しかし、だからと言って。エルはそこで、逃げるという選択肢を取れなかったのだ。
彼らには未来がある。そんな人達の未来が、今目の前で零れそうになっているというのに。たかだか自身が無能であることを言い訳に、それを黙って見過ごすなど、彼にはできなかったのだ。
――言霊の魔術はまだ弱いモンスターにしか試していない。だから、アングリーベアに対してどれほどの効力を発揮するかもわからない。否、むしろ、何一つ効かない可能性の方が高い。ともすれば自分はただ犬死するだけになるだろう。
だからなんなんだ。僕は、あの人達の未来を、なんとしてでも救いたいんだ。その結果が、自分の死であろうとも。エルはそして、木々の間を飛び出した。
瞬間、視界に入ったのは、血を吹き出して倒れた女性の冒険者と、同じように血だらけで、彼女を守るように抱えたリュカの姿。もう1人の女性は別のところでぐったりとしていて、やはり、かなり危険な状態だった。
そして何よりも大きいのは、そこにいる一頭のクマ。赤黒い毛色をしていて、こちらを爛々と見つめている。
流石の危険度Bだ。あまりの恐ろしさに身が固まりそうだ。しかしエルは、勢いのままアングリーベアに迫り、そして、勢いのままに叫んだ。
「『吹き飛べえぇ!』」
エルは正確にイメージする。アングリーベアが強烈な衝撃に後方へ吹き飛ばされる、そんなイメージを。
――瞬間。
極めて鈍い、しかし極めて大きな音が森に轟き、アングリーベアはとてつもない勢いで後ろへ吹き飛ばされた。
木々をなぎ倒し、やがてアングリーベアは投げつけられた玩具のように地面を転がる。エルは困惑した。間違いなく今の現象は自身が引き起こしたが、しかしその威力は本人自身が予想だにしていなかったからだ。
「エ、エルさん!?」
リュカがあまりの出来事に叫ぶ。しかしエルは、「逃げて!」と後ろを振り向くことも無く叫んだ。
エルはアングリーベアを睨み続ける。アングリーベアも何が起きたかわからない様子だ、あちらこちらへと視線を送り、なぜ自分が吹き飛ばされたのかを探っている。
「む、無茶です、エルさん! あなたが、あなたがあのモンスターと対峙するなんて……!」
「わかってる、そんなこと! だから早く逃げるんだ! 僕が殺されたら、次は間違いなく君たちだぞっ!」
エルは叫ぶ。しかしリュカ達は逃げようとしない。エルは瞬時後ろを見やり、彼らの状態を確認した。
気絶した者が2人、そして、リュカ自身も重傷を負っている。逃げ出さなかったのではなく、逃げられなかったのだ。エルは唾を飲み込み、「クソ……!」と吐き捨てた。
と。アングリーベアが立ち上がり、こちらを睨んだ。
肉食獣の、激しい怒りを孕んだ視線に思わず硬直する。威圧感、そんな小さな言葉では言い表せない恐怖。それはまるで、既に命をあの大きな口の中に放り込まれてしまっていたかのような感覚だった。
アングリーベアが動く。しなやかで強靱な筋がバネとなり、跳ねるようにこちらへ駆けてくる。ほんの数秒後には自身は肉塊となるだろう。エルはもはや冷静に状況を判断する暇さえないことを悟り、
「――『壊れろ』っ!」
大声で1度叫んだ。途端、アングリーベアの体から血が吹き出した。
とてつもない量だ、フォレストラビットの時とは比にならない。しかしアングリーベアは止まらなかった。故に、エルは。
「『壊れろ』、『壊れろ』、『壊れろ』っ!!」
同じ威力で何度も言葉を叫んだ。その度アングリーベアは血を吹き出し、バランスを崩し、終いには動きをよたよたと鈍らせ、
「――『ぶっ壊れろ』ッッ!!!!」
エルが最後に叫んだ途端。アングリーベアの肉体が、体内に埋められた爆弾が破裂したかのように飛び散った。
辺りを濡らす血液。肉体が粉々になったアングリーベア。エルはその両方を、呆然と見続け。
自身の魔術に、大きな可能性を見出した。
あの後、騒ぎに気付いた大家がエルの部屋へと向かってきた。エルはその足音を聞き、大慌てでなんとかこの部屋を掃除せねばと思い始めた。部屋の中で暴れていたと誤解されては、ともすれば追い出されかねないからだ。
だが、ほんの数十秒で片づけられる状態ではない。どうしようかわからなくなった彼は、焦りの中、ダメもとで『元に戻れ』と叫んでみた。するとどうだろうか、あれだけ壊しまわった木片やその塵、そして家具の一つ一つが、驚くべき速さで修復を始めたのだ。
人を治す術はあるが、物を“治す”術はない。これはきっと言霊の魔術の力によるものなのだろうが、しかしそれにしては、この魔術は他の魔術と比べてもあまりに異様だった。
そもそも、魔術というのは共鳴を前提として発動するものだ。すなわち共鳴ができていないのであれば、魔術と言うのは普通行使することができない――ということだ。
しかし、エルは一切の共鳴を起こさずに家具や木片を壊して、そして直してみせた。間違いなくこれは魔術により発生した現象だろう。
思うに、この魔術は言葉として発した現象を引き起こす魔術だ。『壊れろ』と言えば対象は壊れ、『元に戻れ』と言えば、それが単なる物体であろうとも元の状態に戻っていく。
だが、木片を壊した『壊れろ』と、家具を壊した『壊れろ』とでは圧倒的に威力が違う。なにせ木片は、せいぜい爆竹を鳴らす程度の破裂しか起こさなかったのだから。
対象が小さかったからとも言えるかもしれないが、どうにも、そうではない気がする。エルは頭を掻き、この魔術の秘密を探ろうと考え込んだ。
「……もしかして、気持ちの問題だったのかな?」
エルは立ち上がり、ゆっくりと机に近寄った。
適当に発した言葉だったが、案外的を射抜いているかもしれない。エルが夢の中で、寝言で壊れろと言った時は、禍々とした、怒りや憎悪とも取れる感情があった。対象に向けて、本当に『壊してやる』と言う感情を向けて放っていたのだ。
一方、木片に対して放った時には、むしろ喜びとか、驚きとか、そう言った感情の方が強く、『壊してやる』なんてことは微塵も思っていなかった。少なくとも、それは攻撃的な意味を持っていた訳では無い。
また、これを裏付けるのが、『元に戻れ』と言った時だ。焦りがあったので、ダメ元ではあったものの、神に縋るような気分で『戻れ』と自分は言っていた。するとほんの数十秒も無いわずかな時間で、超高速で家具が直っていったのだ。
……感情が魔術のトリガーとなり、そして強さを決める力となる。エルの中でこの仮説は強い現実味を帯びたものとなっていた。
「もうひとつ、わからないのは……なんで、共鳴も無しに、僕なんかが発動できたかってことだ。魔術を使った……のであれば、そこには間違いなく『魔力』があったはずだ。でも、人間には魔力が無いのだから、本来僕が魔術を使えるなんてありえないはず――」
ドクン、と。エルの中で、なにか、革新的な閃きが走り回った。
「……まて、よ」
待て。待て、なぜ僕は、人間には魔力が無いことを前提としているんだ? エルはふと、考え込んだ。
確かに人間には魔力が無い、と言うのは定説になっている。はるか昔、人類はこの世を作った神と戦争を起こし、そして敗北して魔力を奪われた――と言うのが理由らしいが。
そもそもで、自分がその歴史を『正しい』として認識していること自体が間違いだとしたら。気付けばエルは興奮で息を荒らげていた。
現実問題魔術が使えたのだ。魔術が使えたということは魔力を使ったということだ。しかし共鳴をしていないのに魔力を使えたという事は、人間の中に魔力があるという解釈をするのが最も合理的だ。
実際、人間以外の生物さ自身の持つ魔力を使い魔術を使うのだ。人間にも魔力があるのなら、同じことをできたとしても不思議ではない。
天変地異が起きたとも言える発想の中、エルはゴクリと、唾を飲み込んだ。
「人間にも、魔力はある。そして僕の魔術は、僕の中にある魔力を使って発動している――」
即興で練り上げた言葉だった。しかしそれは、エルの中でしっくりとはまり込むような感覚があり、徐々に心臓が躍動し、脳へ血液が流入していくのを感じた。
「そうだ。そう考えたら辻褄が合う。待てよ、ってことは、言霊の力を使うのに一番重要なのは、人間が持つ魔力をコントロールすること――なんじゃ、ないだろうか」
そしてそのために、感情のコントロールが必要不可欠。エルの中で、自身の言霊という魔術の理論が、組みあがっていった。
「――いや。考えるのも重要だけど、物は試しだ。ひとまずクエストに行って、弱いモンスターを相手に試してみよう」
エルはそう言うと、すぐにポーチなどを用意して部屋を飛び出した。
◇ ◇ ◇ ◇
生い茂る木々の中、エルはフォレストラビットと言うモンスターを追って探索を続けていた。
フォレストラビットは、森に生息する茶色いうさぎのモンスターだ。草食で、人を襲うこともあまりなく、その危険度もギルドからE+と評価されている。
危険度とは、そのモンスターがどれほど人類にとって驚異となるかという尺度のことだ。ギルドの冒険者ランクと同じように分類分けされており、その定義は『対応するランク以上の冒険者であれば容易に倒すことができる』というものになっている。つまりフォレストラビットは、E+以上の冒険者であれば容易に倒せる……ということだ。
流石のエルも、フォレストラビットには遅れをとることは無い。彼は行く先々でこのモンスターを見つけては、言霊の魔術の試し打ちをした。
「『凍れ』!」
エルが言うのと同時、フォレストラビットの体が氷に包まれ、そのまま動かなくなる。エルはゆっくりと凍りついたフォレストラビットへと近寄った。
「……これで15体目だ。壊れろ、以外の言葉も試してみたけど……全部、成功しているな」
エルはそう言って、凍ったフォレストラビットに「『燃えろ』」と言い、うさぎを氷ごと焼いた。わずかな間が空いた後、うさぎはこんがりと焼けており、それなりには美味しそうな肉ができあがっていた。
「やっぱり、この魔術は、きっと僕の中にある魔力を使って発動しているんだ。何度かやって気付いたけど、発動する直前に、体の中で熱い何かがうごめいている感じがある。きっとこれが、魔力なんだろう」
エルは考察を口に呟きながら、あらかじめ用意したメモにペンを使ってサラサラとその内容を書いていく。
エルは共鳴を苦手としていたが、別にできないわけではない。多くの者が共鳴により100の魔力を借りてこられるとしたら、エルはその量が1にも満たないだけなのだ。しかし0ではないため、魔力が流入する感覚がどんなものかはわかっていた。
エルはメモに、『共鳴で魔力が流れてくる時の熱い感覚が、体の内から湧き上がるイメージだ』と書きなぐる。その後彼はメモとペンをしまい、「よし」と小さく呟いた。
「実験はここまでにしよう。まだE+のモンスターにしか使ってないから、実戦で活かせるかはわからないけど……ちょっとずつ、ちょっとずつ試していけば……」
エルがそう呟いた瞬間。
「――た、助けてくれー!」
悲鳴にも似た叫び声が聞こえてきた。
エルはビクリと身を震わす。次いで聞こえたのは、獰猛な肉食獣の咆哮だった。
「グモオオオォォォオオオ!!!」
この声は――アングリーベアだ。エルは直感した。
アングリーベアとは、極めて凶暴な大型のクマのモンスターだ。大猪の渾身の突進にさえ微動だにせず、その剛腕で周囲を薙ぎ払えば、辺りの木々は容易く手折れ、吹き飛ぶと言う。
その危険度はBとギルドから認定されており、現在D- のエルがもしもそれの目の前に立とうものなら、ものの数分で肉塊へと化してしまうであろう。
「――ど、どうしよう」
故にエルは足がすくんだ。
自分が声を聞き、助けに行ったところで、餌が1つ増えるだけだ。ともすればこの場で最も適切な判断は、あの声を聞かなかったことにして、逃げおおせることだけだ。
だが、だからと言って、エルは目の前で散りそうな命を前に、即座にそんな残酷な判断ができるほどには、優秀ではなかったのだ。
――それに。
「それに、あの声――間違いない、リュカさんだった」
そう。ほんの一日前、自身をパーティから追放した、あの男の声。
だからこそ余計に迷ったのだ。エルにとってリュカは『パーティを追放した男』ではなく、『無能な自身を、ギリギリまで見捨てなかった男』だったからだ。
彼らは、彼女らは――良い人、だった。これからも互いの絆を信じて、未来へ進める。そんな、僕なんかとは全く違う、未来のある人々だった。エルが心でそう思うのと、足が動き出したのは、同時だった。
木々の間を縫い、声の方向へ走る。誰がどう考えても明らかな愚行。そんなことは百も承知だった。
しかし、だからと言って。エルはそこで、逃げるという選択肢を取れなかったのだ。
彼らには未来がある。そんな人達の未来が、今目の前で零れそうになっているというのに。たかだか自身が無能であることを言い訳に、それを黙って見過ごすなど、彼にはできなかったのだ。
――言霊の魔術はまだ弱いモンスターにしか試していない。だから、アングリーベアに対してどれほどの効力を発揮するかもわからない。否、むしろ、何一つ効かない可能性の方が高い。ともすれば自分はただ犬死するだけになるだろう。
だからなんなんだ。僕は、あの人達の未来を、なんとしてでも救いたいんだ。その結果が、自分の死であろうとも。エルはそして、木々の間を飛び出した。
瞬間、視界に入ったのは、血を吹き出して倒れた女性の冒険者と、同じように血だらけで、彼女を守るように抱えたリュカの姿。もう1人の女性は別のところでぐったりとしていて、やはり、かなり危険な状態だった。
そして何よりも大きいのは、そこにいる一頭のクマ。赤黒い毛色をしていて、こちらを爛々と見つめている。
流石の危険度Bだ。あまりの恐ろしさに身が固まりそうだ。しかしエルは、勢いのままアングリーベアに迫り、そして、勢いのままに叫んだ。
「『吹き飛べえぇ!』」
エルは正確にイメージする。アングリーベアが強烈な衝撃に後方へ吹き飛ばされる、そんなイメージを。
――瞬間。
極めて鈍い、しかし極めて大きな音が森に轟き、アングリーベアはとてつもない勢いで後ろへ吹き飛ばされた。
木々をなぎ倒し、やがてアングリーベアは投げつけられた玩具のように地面を転がる。エルは困惑した。間違いなく今の現象は自身が引き起こしたが、しかしその威力は本人自身が予想だにしていなかったからだ。
「エ、エルさん!?」
リュカがあまりの出来事に叫ぶ。しかしエルは、「逃げて!」と後ろを振り向くことも無く叫んだ。
エルはアングリーベアを睨み続ける。アングリーベアも何が起きたかわからない様子だ、あちらこちらへと視線を送り、なぜ自分が吹き飛ばされたのかを探っている。
「む、無茶です、エルさん! あなたが、あなたがあのモンスターと対峙するなんて……!」
「わかってる、そんなこと! だから早く逃げるんだ! 僕が殺されたら、次は間違いなく君たちだぞっ!」
エルは叫ぶ。しかしリュカ達は逃げようとしない。エルは瞬時後ろを見やり、彼らの状態を確認した。
気絶した者が2人、そして、リュカ自身も重傷を負っている。逃げ出さなかったのではなく、逃げられなかったのだ。エルは唾を飲み込み、「クソ……!」と吐き捨てた。
と。アングリーベアが立ち上がり、こちらを睨んだ。
肉食獣の、激しい怒りを孕んだ視線に思わず硬直する。威圧感、そんな小さな言葉では言い表せない恐怖。それはまるで、既に命をあの大きな口の中に放り込まれてしまっていたかのような感覚だった。
アングリーベアが動く。しなやかで強靱な筋がバネとなり、跳ねるようにこちらへ駆けてくる。ほんの数秒後には自身は肉塊となるだろう。エルはもはや冷静に状況を判断する暇さえないことを悟り、
「――『壊れろ』っ!」
大声で1度叫んだ。途端、アングリーベアの体から血が吹き出した。
とてつもない量だ、フォレストラビットの時とは比にならない。しかしアングリーベアは止まらなかった。故に、エルは。
「『壊れろ』、『壊れろ』、『壊れろ』っ!!」
同じ威力で何度も言葉を叫んだ。その度アングリーベアは血を吹き出し、バランスを崩し、終いには動きをよたよたと鈍らせ、
「――『ぶっ壊れろ』ッッ!!!!」
エルが最後に叫んだ途端。アングリーベアの肉体が、体内に埋められた爆弾が破裂したかのように飛び散った。
辺りを濡らす血液。肉体が粉々になったアングリーベア。エルはその両方を、呆然と見続け。
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ふとした事でスキルが発動。
使えないスキルではない事に気付いたアルフレッドは様々なものを合成しながら密かに活躍していく。
⭐︎注意⭐︎
女性が多く出てくるため、ハーレム要素がほんの少しあります。特に苦手な方はご遠慮ください。
出来損ないと追放された俺、神様から貰った『絶対農域』スキルで農業始めたら、奇跡の作物が育ちすぎて聖女様や女騎士、王族まで押しかけてきた
黒崎隼人
ファンタジー
★☆★完結保証★☆☆
毎日朝7時更新!
「お前のような魔力無しの出来損ないは、もはや我が家の者ではない!」
過労死した俺が転生したのは、魔力が全ての貴族社会で『出来損ない』と蔑まれる三男、カイ。実家から追放され、与えられたのは魔物も寄り付かない不毛の荒れ地だった。
絶望の淵で手にしたのは、神様からの贈り物『絶対農域(ゴッド・フィールド)』というチートスキル! どんな作物も一瞬で育ち、その実は奇跡の効果を発揮する!?
伝説のもふもふ聖獣を相棒に、気ままな農業スローライフを始めようとしただけなのに…「このトマト、聖水以上の治癒効果が!?」「彼の作る小麦を食べたらレベルが上がった!」なんて噂が広まって、聖女様や女騎士、果ては王族までが俺の畑に押しかけてきて――!?
追放した実家が手のひらを返してきても、もう遅い! 最強農業スキルで辺境から世界を救う!? 爽快成り上がりファンタジー、ここに開幕!
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