サイコミステリー

色部耀

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19.感情

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 先生に案内されるがままに校舎へと入る。下駄箱でスリッパを用意されて履き替えると俺と美波さんはパタパタと音を立てて階段を登った。美波さんが三年生の時に使っていた教室は四階建て校舎の一番上だったようで、今でも扉の上部に三年生のクラス札が取り付けられている。
 扉を開けて入った教室には誰もおらず、開け放たれた窓から涼しい風が吹き抜ける。

「美波さんは二学期になってから一度も学校に来られなかったけど、元気にまたこの教室に来られて先生も嬉しいわ」

 先生はそう言って教壇に上がった。俺と美波さんは教卓の前に立って教室を見渡す。一クラス二十人くらいだろうか。俺が通っていた中学は一クラス三十人もいないくらいだったので、それと比べると机が少なく広々として見える。
 美波さんが何を思っているのかは分からないけれど、特に感情を出すでもなくキョロキョロと視線を動かしていた。しっかりと何かを探すように……

「前にあった時と比べて見違えるほど顔色も良くて驚いたわ。病気は良くなっていってるの?」

 俺も詳細を聞いていない病気の話。問いかけられた本人である美波さんは困ったように視線を泳がせる。俺に聞かれたくないのか、はたまた病気の話自体をしたくないのか。

「中学の時の病気はもう大丈夫……です。普通に……生活できて……ます」

 少し歯切れの悪い話ぶりだが、先生は納得してくれたのかそれ以上聞くことはなかった。

「それなら安心ね。でもお母さんのこともあったし……何か辛かったらなんでも話してくれて良いからね」

 お母さんのこと……? そういえば美波さんのお母さんの話は聞いていない。お父さんの病気もあるので病院で顔を合わせていてもおかしくはないのに、そのようなこともなかった。

「まさか先月突然亡くなられるなんて思ってもいなかったから……。驚いたわ」

 先生はそう言って窓の外へと視線を向けた。美波さんのお母さんが亡くなってる? しかも先月? 俺に言わなかったのは単にあって間もないからなのか、それとも言いづらい、もしくは美波さんの中で整理がついていないのか。色々な可能性があるけれど、実の母が亡くなって平静でいられるはずがない。普通なら他人から言葉にされただけでも心を乱してもおかしくない。そう思った俺は純粋な心配から美波さんの表情を伺った。美波さんの様子次第では軽率に話題に出した先生に何か物申すくらいしてやろうかとも思っていた。しかし――

「突然亡くなるなんて……驚きますよね」

 美波さんはなんの感情の変化もなく、先程と同じようにたどたどしく答えるだけだった。その様子を見て俺は困惑する。美波さんが何を感じ、何を思っているか全く分からなかったからだ。亡くなった母の話題を出されて嫌だとか、思い出して辛いだとか悲しいだとか。そういった感情の全てが存在しないかのように見える。俺はどういうリアクションを取れば良いのか、どういう態度を見せれば普通なのか。それが全く分からなかった。
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